映画など街など

きままに映画や趣味を

FUJITA

2015-11-25 03:16:37 | 映画
仕事を休み朝から映画館に行く。二本立てもいいが、一日有効に使いたい。この病身の身でも欲張りだ。
この日はショッピングして、即帰宅し女子ゴルフを観てから少し三味線にさわってみた。
病身じゃないみたいだが、痛い痛い。

薬を変えたら余計痛み、痛みで眠れず苦悩の日々だ。早期にドクターに訴え、薬を戻すなりしなければだ。


朝一の劇場は空いているだろうと思うのは間違い。シニアのご婦人、爺さんいや紳士が多い。圧倒されてしまうのだ。ましてや新宿東口から改札でてちょっと土地勘あれば地下を少し歩けば武蔵野館のエレベーターに着く。こんな便利な所はない。?
しかし、団塊世代たちは何年たっても、どこにも出没するんだよ。


小生は時間的に少し早かったから近くのロッテリアでコーヒーだ。小一時間、帯状疱疹後神経痛の硬膜外ブロック注射について調べていた。痛みの連鎖を断ち切るにはこれしかないのかもしれない。


さてFUJITAだが、不覚にも、数回居眠りをしてしまった。前半はパリモンパルナス、後半は我が国の戦時下。絵描きも戦意を高める作品を描くよう強要される。


絵描きは海外生活者も少なくなく、感性から軍人や当局とは180度違うから、それこそ苦悩に満ち満ちていただろう。オダギリジョー扮する藤田は協力画を描く。
が、その後パリに行き生涯我が国には戻ることはなかった。

それは万人の知っていること。

講釈は避けるが、久々の小栗康平監督作品。
小栗康平さんとは30年位前に、講演の講師をお願いし、始める前に少し言葉を交わしたことがあった。
講師紹介前にステージに出て行った小生を小栗さんと間違えて拍手されたのには参った。ブーイングの方が嬉しかったのに。
講演後、泥の河 を自主上映した若き時代がいま懐かしい。


そして30年たっても静謐で寡黙であくまで説明的な愚かな作品は決してつくらない。


爪のアカを煎じて飲みたい。
凡庸で俗にまみれすぎた自分の醜くさ?愚かさを確認しているみたいな気分になってくる。





帯状疱疹後神経痛 混迷のいま

2015-11-20 18:05:17 | 映画
8回目の鍼治療に行く。
どうでしたか?
今週は具合悪かったです。具合悪かったと正直に言うと鍼灸医の表情が曇る。 ??
3週間前のこと。


西洋医学の投薬に疑念を感じ始めていた。リリカを減らし、やめてもいい。?
トラムを増やそう。これはひと月前のこと。しつこいね(痛み)主治医がいう。
痛みを改善したいのは本人なのだ。
藁にも縋りたい。

もしかしたら、全然効かないのかもしれない。

理学療法、東洋医学、風呂、塗る薬etc.
自分の身体で治すしかしないのか?基本はそうなのたろうが。
いよいよ混迷の世界だ。

鍼治療今日で11回目だったがキャンセルした。正直、鍼治療のあと痛みが軽減したことがないんだ。血行を良くし神経系のリセットを期待した鍼治療も???なのか。


リリカ中心にから、トラムセット中心に変え一月続けたが、なかなかだ。
「よーし、トラムもリリカも抑肝散もやめてみよう。デパスは継続し、癲癇用のリボトリールをやってみよう」
これが今週月曜の主治医のことば。
「それがきかなきゃ、硬膜外ブロックかな」
「痛み緩和の記憶を作るのが大事」
それでブロック前段の血液検査までやってしまった。


今日はリボトリール3日目。
少し落ち着いてきた様な気がする。レベルC-


最初の水曜は眠く眠くて。座れず電車入口端に立っていたが膝がガクッと3回。挙句ひと駅乗り越し。レベルE+
仕事の後雨模様だったが、荻窪のスーパー銭湯に行ってみた。
岩盤浴と温泉が気になっていた。
なるほど、身体には悪くなさそうだが背中と脇の下の痛みはほんのすこしだけ軽くなる。
こういう場所には健康体で来たいなあ、とセット料金で入館した定食に付いてる生ビールを口にして、つくづく思うのだった。が2杯目は控える。


木曜も眠くて、痛みD-クラス。
参る。仕事の後、弱音を吐かず我慢ガマンで書のお稽古に行く。
早速前回の書に、お師匠さんに朱を入れてもらう。いつものことだが、◎が殆どだから、もっと直してくれればいいのに、と思ってるうちに、新しいお手本を書いてくれる。空海の臨書だ。


「ありがとうございます」と言い自席に戻る。感じのイイジャズが流れているのに気付く。これは青春の光と影だ。「先生またきょうは30数年前の曲をかけてますね。確かオリジナルはジュディ コリンズの曲だ、懐かしいなあ」
これに応え、先生は「私が20歳の頃だ」と言う。


金曜20日。リボトリールの効き目は?
眠いのはおなじだが、今日は仕事休んだ。
武蔵野館でFUJITAを観たかった。背や胸や脇の下が痛かろうが、
「楽しいことをバンバンやるように」とのドクターのアドバイスがあるが、案の定、幾度か意識障害(居眠り)をしてしまった。


映画までの時間に、これ迄逡巡していたが、かつて勤務していた某総合病院の皮膚科部長に電話をいれた。アドバイスとか欲しいものだと、時々頭をよぎったことだった。電話にすぐ出られるはずはない。出られた方に丁寧に身分を名のった。電話あったことをドクターに伝えておくことと、診察中だから午後に再度電話となった。


昼に映画は終わり、紳士服売場を冷やかしのつもりで西口のデパートに行く。冷やかしだったが、痛みがCクラスまで快復していたのでスーツを買ってしまう。衝動買いではない。懸案だった。

昼飯を駅ナカでちゃっちゃとやり過ごし、自分ちの駅に戻る。電話する場所がないことに気がつく。公衆電話は世の中から消えてしまったし、喫茶店では周りに迷惑だし、プライベートを聴かれたくない。
そうだATMだ。駅前に三菱東京の大きなATMがあった。


「覚えてますか?先生」
「もちろんです」
「ペインのドクターに言っておく」
懐かしさがいっぱい、いろんな事が思い出されてくるのだ。


ああ、もっと早めに相談すべきだった。
いずれにせよ、今の主治医もいることだから。病院の流浪の旅にはしたくないもの。


しかし、暮れが近くなってきて、結構焦っているのも正直なところである。




生きて帰ってきた男

2015-11-08 23:29:44 | 映画
るいわゆる読書量が減っている。
体調のせい?忙しいせい?

村上春樹の1Q84が単行本の時は手にしなかったが、文庫本が積んであったので
1巻目を買ってみた。結局、またたくまに6冊読んでしまった。たまたまノーベル賞の時期だった。
今年も逃がしたが。

「風の歌を聴け」の群像新人賞から読んでるから相当年数になる。
1Q84 は長い、内容の割に長い。
退屈してしまったのが正直なところ。
最初のBOOK1を読んでいるとき、何故かミレニアム、ドラゴンタトウの女 を思い出した。
あれは最高に面白い作品だった。映画もいい。3部作。

それはさておき、表題の本、岩波新書から出ている。日経新聞か忘れたが書評に
あった、自分の親父に取材して書いた、親の戦争体験を中心にした生活史だ。
しかも単なる生活史ではなく、社会学的、経済学的、政治学的な観点も入り込んでいる。


下の下の生活だったと本人が言うよう、決してエリートの話ではない。
普通の庶民の生活や意識をリアルに現した。若い方には昭和という時代がちょっと前はこんなんだったよと理解して貰えると思う。まさか皆さんが中流?これはたぶんに意識操作と統計のまやかしにすぎないと思う。今になってワーキングプアとかいうが、周りはみんなプアだった。多かった。


じつはこの夏帰省した際に、兄貴と一緒に、親父から戦争体験と終戦時の話を聞いた。兄貴には聞いたことを活字にしてあげればいいのにと、口にしたが、本作品筆者が代わりに書いてくれたんだなと思ってしまうのだ。

筆者は小生より10歳位若い学者であるが、親は小生の親と同世代。だから重なる部分がかなりある。
小生の幼きとき、まだ家の中心に父という男が存在していた。そして苦労人の優しき母がいた時代を思い出されるのだ。

小津安二郎の映画ではないが。でも小津の世界こそが中流、あるいはそれ以上の家族.ブルジョアだ。小津は家族の崩壊を描いた。まるでヴィスコンティの貴族の没落のように。社会の重要なシステムが
壊れていく落日の美学と言えば言いすぎか?

本作品はそんな小難しいものでもない。
たぶん我が国の当時の殆ど、8割がたは筆者の書いた親と似たり寄ったりの生活レベルだったと、小生は思うのだ。

懐古趣味ではないが、我が日本はつい最近前はこの本に書いてある状況だったことを忘れないでいたいものだ。

泥の河の ?食堂を営む少年の家族を想起して欲しい。
?
何故だろうか、
今日の同世代、団塊世代、少し若い世代の政治家やジャーナリストには、読んで欲しいものだと思ってしまうのだ。