みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長 ⑦

2008-01-20 22:09:37 | みやびの成長 ( 親になるために )
最近、量子論を少し勉強していました。
私は学生時代、化学を勉強していました。その中の物理化学に量子論があり、単位を1回落とすという苦戦をした科目でした。

生活でごく当たり前に起こる現象を物理は学問としてとらえています。
私達は理科を日常生活でおこる現象に一致させることが本当にすくないですが、実は物理とは身近な学問でもあります。

古代の天文学者や数学者、物理学者は哲学にも精通しています。
昔は、一つの天文学の発見があると、私達の生活で起こる現象にもその発見を応用させ、新たな発見へとつながっていったそうです。

パソコンなどのIT産業は、量子論の発見・進歩によりひらかれたものです。

今回私が勉強した量子論が私達の精神社会にもとても大切なことを教えてくれていることを学びました。

1月から始まった「エジソンの母」というドラマの第1話をみました。
ストーリーは子ども(おそらくインディゴ)が普通学級で自分の心のままに学校生活をおくっていたため、ときとして、クラスの生徒にも影響を与え、周りの理解ない大人たちに目をつけられて排除されそうになります。
その子どもの母親は子どもの良いところだけをみて、その子どもがその子らしく成長できるようにと守り育てています。いろいろな騒動を重ねるうちに、担任はその子が天才だと気づきはじめ・・・という話の展開だとおもいます。
第1話では主人公の小学1年の担任をしている女教師は婚約者から主人公の子どもの発想こそが正しいことを指摘されます。
今回のトラブルの1つに
1+1=2 どうして 2 なの?
小学校の算数というルール(仮定、条件)では、「2」になりますが、別の条件下では、必ずしも「2」ではありません。条件・仮定があって初めてこの場合は、「1+1=2」であることに気がつかない人がほとんどだと言うことです。多くの人が疑問をもたないのです。
でも、主人公は疑問をもちます。そして、小学校の算数では「2」になる約束ごとなのだと説明すると主人公はわかったという内容です。

とても面白いです。

私達が生きている世界は3次元です。
点が0次元、線が1次元、平面が2次元、空間が3次元、時間を含めた空間が4次元時空。
私達が勉強した数学的な表現だと、X軸だけが1次元。XY軸が2次元。XYZ軸が3次元。

実は、私達が常識だとか、こうあるべきだと疑いもなくこだわっていることは、3次元の頭で自分自身が勝手に思いこんでいることが多いようです。
数学で勉強したように、わからない数を記号に置き換え数式にあらわしたとき、例えば、nとした場合、「nは整数とする。」というような条件を必ず書いたと思います。私達は、日々の生活で勝手に自分で条件をつけて、あーでもない、こーでもないとこだわり、とらわれたりすることが多いのだと気がつきました。条件のようなことを自分で勝手につける必要はないと思います。

平面(2次元)である地面からまわりをみて得る情報と、空間(3次元)である上空からまわりをみるのでは、得られる情報の量が違います。
それと同じで、3次元に生きている3次元の人間の頭で考えたりすることの内容は、宇宙、高次元からすれば、針の先ほどのことだということです。そして正確性もあやしい。

量子論に話を戻します。

量子論は、いろいろな内容がありますが、今回は1つの内容についてだけ少しほりさげていきます。

私達を含む物質は、化学で勉強したように原子(炭素、酸素、水素、窒素など)の組み合わせによって構成されています。
その原子は中心に原子核とそのまわりの電子からなっています。原子核は陽子、中性子がくっついてできています。
そして陽子はさらに素粒子からなります。
この素粒子というのは、それ以上分割することができないと考えられているものです。電子、陽電子、光子、ニュートリノなどです。
その素粒子は目に見えない情報とエネルギーからなっています。

また、アインシュタインの相対性理論によると、「エネルギーから質量をもった物質をつくりだすことができる」そうです。

二つの理論により、小さなミクロの世界から考えてみると、私達人間も目に見えないものの集合体ということがわかります。

量子論を勉強していくと、自分があってないような不思議な感覚になってきました。

そうすると、この3次元の世界にあるあらゆるもの(財産、名誉・地位、他人の目や評価なども含めて)も細かく分解していくとすべては目に見えないものだということでもあります。

そう思うと、なぜ今までいろんなことにこだわったり、とらわれていたのだろうと、身体から力が抜けてきました。

私達は、目に見えないものに、こだわり、とらわれ、恐れ、苦しんでいることが多いのだと気がつきました。
普段私達は空気を意識しません。もし、私達が空気を意識し始めれば、この空気はどうのこうのといろいろと気になるかもしれません。
私達は、こだわり、意識をし始めれば、そのことにとらわれはじめ、そのことが気になりだすということです。

気にしてきた我が子のインディゴの症状というのは、まさにこれと同じでした。
食べ物に注意し観察したら、食べ物の食後の反応に対し敏感になりました。健常の子どもを観察すれば、インディゴの理解し難い動きが気になりました。できないことが気になり、ふつうの子がしない動きが病的に見えはじめ、何でも目に付き始めました。

私達人間も目に見えないものの集合体だと知ると、そんなことどうでもいいことだと思えるようになりました。

あまりにいろいろと考えて勉強していると、それがこだわりにもなり、所詮、3次元の頭での思考なので、正しい答えなど複雑すぎてでてきません。
量子論で最初におさえるべきことは、目に見えないものが確かに存在し、私達自身も目に見えないものからできているということをまず知ることだと思います。

この3次元の世界で、私達は肉体をもつ人間として生きています。
人生には人が共通してもつ目的があります。
その目的は、3次元の世界で人間が生きるためにあるツール(お金、地位、評価)をより多く得るためではありません。

こだわり、とらわれることにより、苦しみ、悲しみ、心配し、気にするということは、目に見えない情報とエネルギーからなる集合体なのですから、まったく必要ないことだと気づきました。
私達は、小さなことを1つ1つ大切に積み重ねて生きていくことが重要なのだと学びました。

私はそのことを知った時、日々の生活にこだわり、とらわれていたことがなんて多かったんだろうと気がつきました。
他人のこともますます気にならなくなりました。

今は、このことがわかり始め、不思議な感覚を楽しんでいます。
毎日がとっても穏やかで、楽しくなってきました!
このように感じられるようになったことに心から感謝しております。

母親になる勉強 ③

2007-12-16 09:31:20 | みやびの成長 ( 親になるために )
妊娠38週目のときに、寛希は生まれました。
その2週間前の検診の時、このあたりで産むとお産は楽だよと産婦人科の先生がいいました。
「楽・・・。痛くないのがいいなぁ」と思いました。
翌週の検診は、代行の先生が診察をしてくれました。
「まだ赤ちゃんが小さいから、なるべくお腹に入れておいたほうが良いですよ。」と言われました。
「でも、お産は楽なのがいいなぁ・・・。」と思いました。
その気持が通じたのか、その診察の次の週に寛希は生まれました。
本当にすんなり生まれました。

寛希を産んだ病院は、小さい産院でした。
「病室も、陣痛室も満室だから、もっと陣痛の間隔が短くなってから電話ください」と言われました。
かなり待って産院についた時、もうすぐ産まれるからとすぐに分娩室へ。
到着して2時間も経たないうちに寛希はすんなり生まれました。
その時間は夜で、先生は不在でした。
先生や助っ人助産師さんが到着する前に、産まれました。

すんなり生まれたのは良いのですが、私のお腹にのっけてもらうことなく、寛希はすぐに保育器へ移されました。
ちょっと小さかったみたいです。2130g。

お産に立ち会ってくれた主人に
「私、産んだの?」

これが、私のお産直後の一言です。

2時間後、トイレに行き、帰りに保育器に入った寛希を遠くながめました。
「大丈夫かなぁ・・・。」不安でした。
病室も全て満室だったので、私は分娩台でそのまま夜を過ごしました。

翌朝、病院はなぜかバタバタしていました。
「赤ちゃん(寛希)が小さくて、呼吸が速いから国立小児病院へ転院することにします」と説明をうけました。
主人に連絡をしたり、こちらもバタバタしはじめました。
そうこうしているうちに、救急車が到着しました。
婦長さんのお心遣いで、ほんの数秒、救急車へ乗せる間、寛希を抱っこさせてもらいました。
その時、初めて我が子を抱っこしたのでした。

私は、その後、産婦人科で育児指導をうけました。
同じ日の数時間後に生まれた男の子のお母さんがオムツ換えを教わっているそばで、ノート片手に指導をうけました。

ペンギンのお母さんは我が子を必死に守り育てます。
子どもを上手く育てられなかったメスが子ども奪いとうろうとするからだそうです。
赤ちゃんペンギンが母親の下からちょっと動いて離れたすきに、赤ちゃんペンギンがいないメス達が集団でその赤ちゃんの取り合いをしている映像を見たことがあります。
とても恐ろしい映像でした。

ペンギンのように奪いとろうとは思いませんでしたが、自分も産んでいて、他人が赤ちゃんの世話しているそばでノート片手に育児を学ぶという状況はかなり精神的な苦痛でありました。

入院中、1日だけ外出して寛希の入院先にいきました。
産後5日で私は退院しました。翌日には、自分で自転車にのって区役所に行き、出生届をだして、40分以上かけて寛希の入院先へ行きました。

私は寛希がある程度の大きさになるまで、毎日一人でせっせと通いました。
寛希は10日間ほどの入院ですぐに退院できました。
その間、「1日も早く、寛希が退院できますように」と毎日祈りました。

こんな産後の無理がかさなり、産後の上がりはかなり遅くなりました。

産後1ヶ月の頃、義妹の結婚式がありました。
結婚式に出席した私は、搾乳もせず半日過ごし、しかも豪華なご馳走を食べたので乳腺炎にかかりました。
私はお乳のトラブルが続き、母乳マッサージに断乳まで通いました。
高熱が出て、抱っこして蹴られた時にはあまりの痛さにキレていました。
食べ物も注意するようになりました。
でも、乳腺炎は数回かかりました。かなりの量のお乳がでていたようです。
寛希が1歳7ヶ月の時の2回目の妊娠の時まで、母乳で育てました。

乳腺炎になってふらふらの私を主人はたくさん助けてくれました。
げっぷ出しはほとんど主人がしてくれました。
というより、乳腺炎の時は、お乳に赤ちゃんの足が触れるだけで痛いので、ほとんど抱っこなんてできませんでした。

さて、そうこうしているうちに、1歳になり、私の母親との同居が始まり、私は仕事に復帰したのです。

今回このようなことを書いたのは、私は「母性」ということについて不安があったからです。
寛希が産後すぐに離れたことから気にしていました。
しかも私は寛希をおいて外出することも多く、他のお母さんよりも我が子と一緒に行動をしないことが多かったのです。

自分だけの時間が本当に好きで、というかないとイライラしていました。
私に問題があるのかと気になっていました。
ママ友をみていても、みなさんスキンシップをよくしています。
変な表現ですがベタベタ・ベタベタ。

主人に以前質問したことがありました。
「母性って何?」
それほど、私にとって、母性ということがひっかかっていました。

私の母が先日、「あなた達(私達夫婦)はしっかり子育てされているけど、スキンシップが少ないように感じるというか・・・。私は、あなた(みやび)をずっとおんぶしていたのよ・・・」
という話をされました。

一番触れられたくない部分、一番私が気にしている部分でした。

最近、親力、子どもを伸ばす育て方などの育児に関する情報が飛び交っています。
私も雑誌や本を買って読んでいた時期もありました。

でも、子育てとは、感性を高め、本能で育てるそうです。
子どもはそれぞれ違う個性を持っています。
統計やテキスト通りの反応が返ってくるわけではないのです。
本能とは人がそれぞれもっている母性・父性です。
なんとなく感じるという本能に従って子どもと向き合い、育てていくことが大切だそうです。

私は、自分の母性が薄いのではないかと気にしていました。
でも私は、寛希が4ヶ月検診の前には、「ちょっと・・・」と違和感を感じていました。これが本能かなと思います。
本能のままに子どもと向き合えば、わかるものなのかもしれません。
本能、母性は、頭で考えた時、感情の入った思考によって鈍るのだと思います。

今まで私は、育児を頭でしていました。

もし、頭で考え、学問で育児をしようとしているのであれば、きっと辛くなると思います。
頭で「子どもとは」とあれこれ思うのであれば、それもどこかで無理が生じると思います。

動物園は、「象さんだぞぅ~」と子どもが楽しむだけのところではないそうです。
動物達の母性を学べるところでもあるそうです。

私も、寛希とそういった視点をもって動物園で勉強してこようと思います。

書籍やデータをみて、それにこだわったり、とらわれたりしてはいけません。

母親のなんとなくという感じを大切に、その感覚を研ぎ澄まし、寛希を育てていこうと思います。

母親は、太陽だそうです。
父親はもっと壮大な太陽だそうです。

母性が不足したまま育つと、大人になって問題行動につながるそうです。
二つの大きな太陽のもと、子供達は育って立派な大人になるそうです。

私は、明るいエネルギーにあふれるお母さんになりたいと思います。

私達母親は、手間をかけて家族をサポートするお役目があります。
掃除、洗濯、料理、すべて手間をかけた分変ってきます。
今は利便性を追及した家電が多いです。確かに助かります。
でも、頼れるものは頼り、大切なところは手間を惜しんではいけないと自分に言い聞かせています。
野菜を電子レンジでチンして下ごしらえしたのと、湯がいたのでは違います。
洗濯を市販の洗剤で洗濯したのと、安全な石鹸をといて洗濯したのでは違います。
やっぱり違うんです。

感性を高め、本能を大切にし、情報があふれていますがとらわれなく、そして、小さいことをコツコツとすることの大切さを私達母親は気づき、実践していくことが重要なのだと学びました。


みやびの成長 ⑥

2007-12-02 13:00:15 | みやびの成長 ( 親になるために )
先日、朝の通勤ラッシュが終わりかけた9時ごろ、寛希と電車に乗りました。
長いすに二人ゆったりと座れるところがあったので、先に座っていた寛希に声をかけ、一緒に座りました。
寛希の隣には若い女性がゲームをして座っていました。
その日、寛希は風邪を引いていて、状態がやや不安定で、多動気味でした。
独り言も多く、座った席を立ったり、窓から景色をみようと体を乗り出したりしました。私は荷物を何個か持って座っていました。
何駅かたったとき、寛希は隣の若い女性に当たってしまいました。
「ッツ!」女性は不愉快そうに舌をならしました。
「すみません。」私は軽く謝り、「お姉さんに当たって、迷惑になるからおとなしくして」と言いました。
寛希は落ち着きがありませんでした。でも、とてもすごい多動ではありませんでした。
終着駅につき、みんな降り始めました。私は、携帯で電車の乗り換えを調べていたので、ゆっくり降りようとしたとき、若い女性に「落ち着いていられないんだったら、座らせるなよ!」と怒鳴られました。
少し凹みました。
そうだよなぁ・・・といろいろ思いました。
いつもなら、目の前にあるエスカレーターを降りるのですが、その若い女性も降りると思われたので、私達はいつもと違う大きな改札口まで歩いて、乗り換えることにしました。
大きな改札口をでて歩いていると、私達のななめ後ろで先ほどの若い女性が携帯電話で話していました。そして、
「躾ができないんだったら、子どもなんか産むなよ!」と私に聞こえるように携帯電話に向かって言っていました。

今度は、ベコっと凹みました。
どうやら、寛希の立ったり、座ったりしていた間、若い女性の足も何度か踏んでいたようです。

寛希は山手線に乗り換え、すぐにあいている席に座りました。風邪を引いていたので、立ってはいられなかったようです。しかも多動。
私は、その間ずーっと考えました。

自閉症の場合、躾ってどうしたら良いのかなぁ。

私は、寛希が自閉とわかる前の小さい時から、躾けとして、ガミガミと言っていました。「静かにしなさい。」「片付けなさい」「~しなさい」「~してはいけません」

ルナ子ども相談所でも、「ご挨拶しなさい」など言いました。
岩佐先生は、「いいから放っておいて。今は(躾け)無理よ。理解できないから。その時期がきたら教えるから。そうしたら今度は厳しくやって良いから。」と言われました。
その指導通り、私達は、あまり言わないように心がけました。

でも、寛希は身体が大きく、一見、自閉とはわからないので、躾けられていない子どもと見えるでしょう。(主人も私も頭を下げることは気になりません。)

私が「躾できないんだったら、子どもなんか産むなよ」の言葉がひっかかるのは、
躾けができないこと、自分がどう躾けたら良いのかわからない。自分も何が正しいのかわからないし、正しい作法をしている自信がないからです。

私は、本当に何も知りません。失礼なことも多々しているとおもいます。
だから自分が母親で良いのかと不安になっていたのです。

大学までいって勉強しても、母親として当然知っておくべきことはほとんど身についていません。
私は、両親にいろいろなことを教わりました。一見まぁできるように見えるかもしれません。でも、母が教えてくれようとした時、面倒臭がって、身につけようとしなかった自分がいるので、できないという現実もあります。

私が寛希を躾けようとすると、寛希は九官鳥のように言います。
ただ「静にしなさい」と私の台詞を言うのではなく、ショートストーリーのように、全て繰り返し言います。

例えば

寛希:「アァー!」
みやび:「うるさいよ。静にしなさい」

このような会話をすべて一人で続けて言うのです。
これは、寛希が私に「違うんじゃない」と教えてくれているようです。

躾けは大切だとおもいます。でも、躾はガミガミ言うものではないと学びました。子どもはその親の姿をみて真似して学んでいくそうです。
自閉の子どもは模倣が苦手ですが、私たち親の行動の毎日の積み重ねが大切だと気づきました。

教えてもいないのに、「それでは、失礼します」と寛希が言ったことを思い出しました。

今回のショックの大きい原因は、自分ができていないという指摘をされたように感じたためだと思います。
インディゴでもそうでなくても、躾はまず親である自分の日々の行いだと、痛感しました。

高橋先生には、
・おだやかに育てる。
・できることだけみて、伸ばす。(結果としてその方が早く伸びる)
・あれも、これもと全てをできるようにしたいのは欲張りではないか。
・無策はダメ。策は講じないといけないといけない。
・みんな神経質すぎ、気にしすぎ。おおらかでいること。母親が神経質だと子どもに影響する。

と教わりました。
世間の自閉症の療育は、できないことを見つけ、(楽しく、もしくは厳しく?、繰り返し)できるように訓練するという対策です。
その方針からすると、逆の対応のように感じます。
でも、子どもの頃は自閉と疑われたというような方で大人になって普通に社会でやっている方は、共通しておおらかなお母さんに育てられたように感じます。

やはり母親がポイントなのではないでしょうか。

今回の出来事でまた一つ、過去のことを反省しました。

寛希が1歳の時、私は主人の学校の部活の合宿に寛希と一緒に参加させてもらいまいした。
部活の生徒達(中学生)の行儀の悪いことが目に付きました。挨拶もろくにしませんでした。
私は、その時主人に「ちゃんと躾けないと」と言っていました。
自分の中学校時代の記憶と自分の価値観や概念をその生徒達にあてはめようとしていたのです。
私は、先日の出来事を主人に話したとき、以前のみやびもそうだったと言われ、ハッっとしました。
私も、寛希をさずからなかったら、あの時、口には出さなくても、同じように思っていたとおもいます。そして、数年前の私は、同じようなことを実際に言っていました。

今回凹んだ出来事は、毎日の行いから過去にさかのぼり反省をする出来事となりました。

母親になる勉強 ①

2007-11-18 20:50:42 | みやびの成長 ( 親になるために )
私は結婚したからには子供が欲しいと思っていました。
主人が大の子ども好きですから、なおさら欲しかったです。
私は生理不順で妊娠できるか不安でした。
結婚して2年目になるころ、産婦人科に行きました。子宮後屈だとわかり、妊娠しにくい体質だと言われました。ショックでした。

そして薬を飲みはじめました。
毎日のように
「どうか健康で優しくて、頭の良い子を一人だけでいいのでお授けください。」
と祈りました。
1ヶ月分の処方された薬をのみわったころ、妊娠できました。
主人の喜んだその時の場面を今でも覚えています。
つわりはとてもひどく、8週目ぐらいには何も食べたり、飲んだりできなくなりました。点滴に通い、入院もしました。
楽な妊娠生活とは言えませんでした。
つわりは霊象も考えられるので、高橋先生の治療を受けられるとすぐに良くなるそうです。
その当時、私は産婦人科の先生につわりは母親の心にも関係があるとボソッと話されました。
でも、私は、仕事をハードにこなしていたので、疲労でつわりがひどいのだと思っていました。
今ではその産婦人科の先生がお話になった言葉も正しかったかもと思っています。
欲しくてしょうがなかった子どもを神様から授けていただいたのに、私は心が母親になれていませんでした。
もし、母親になるための試験があったら、今までの私は不合格で、何回も再試験を受けていると思います。

この秋、金八先生のドラマシリーズ8がスタートしました。
今回のストーリで金八先生が良いこと言っています。

「子どもはねぇ、親の見栄や世間体のために生きとるわけじゃないんですよ。その逆ですよ。親が子供のために、見栄も外聞もかなぐり捨ててくれる、このことを心の支えに生きとるんです。」
という台詞を金八先生が言っていました。

そうなのです。
そのことに気づき、行動できるようになるまで私もかなりの時間が必要でした。

私は自分の価値観だけでものごとを判断しようとしていました。
でも、親になるということはそうではないということを学びました。

私は、幼稚園に通うこと、小学校へ通うことにかなりのこだわりがありました。
ごく一般的な中の上位が良いというこだわりであり、このこだわりは世間体、見栄でした。私自信が世間でどう思われるかというこだわりでした。

人よりは上にいたいという欲でもあり、汚い心でした。

以前の私は、
『子供にとって何が1番良いのか』
という視点ではありませんでした。
この視点だけを考えて行動すれば、答えは1つです。
別にこれはインディゴの子供をもつ親だけではありません。

「寛希が寛希らしくこれから長い人生を楽しく生きていくために、私達親は何をしたら1番良いのか」
このことだけを考え判断していくと、本当に答えは1つでした。

「全ては何を目的としているのかを考え、それに基づいて判断して行動する。そして社会の通念や体裁、プライドは一切不要」
「今は何が必要なのか、しっかり見極めれば答えは1つ」
「1つをみて判断するのではなく、全体をみて判断する」
「逆の発想をもって考える」

私も正しい判断をするために、このポイントを忘れないように心がけています。
それでも、正しい判断をしていない時もありました。
最近も痛い思いをしました。そんな時は、まだまだ私も勉強不足だなと反省し、また、このポイントを忘れないようにします。

私達が頭を使って判断するとき、自分の概念、情、世間体、見栄がかなり関わっています。理想と現実の社会は違うと思われるかもしれません。数ヶ月前の私も11月の就学時検診のことで、焦っていました。でも、正しい判断のもとにとった行動は、子供や自分にとって、一番幸せな、一番楽しいことへの道でした。そして自分が一番楽でもあります。

『判断力』
とても大切なものです。
高橋先生にそのことを教えていただき、ただしい判断力が発揮できるようにエネルギーもいただきました。
もし、世間体が気になり、まわりの人の言葉が気になってしょうがないのなら、ぜひ、お母さんも高橋先生の治療を受けてください。

我が子を守るのは私達母親です。







母親になる勉強 ②

2007-11-15 17:34:44 | みやびの成長 ( 親になるために )
私は、今まで寛希をどのように育てていったらよいのかわかりませんでした。躾とはどのようにしたら良いのかも知りませんでした。
靴を揃えなさい。公共の場所では静かにしなさい。食事中はおとなしく食べなさい。このような表面のものだけをただギャーギャーと言っていました。

近年、ゆとり教育、個性を伸ばす教育が小・中学校でおこなわれています。
私は第2次ベビーブームが終わり、少子化が始まると言われた切り替わりの時期に生まれました。小学校の頃は、3クラスがもう少しで2クラスになるというぐらいの人数でした。ですから、こじんまりとしていました。
勉強も詰め込みがゆるみ始めた時代です。姉の時代は、校則も厳しく、不良などもいましたが、私の世代は制服もオシャレになりつつあり、個性を伸ばす教育が始まった時代だと思います。

本当は、小、中学校の時代には個性はいらないそうです。この時代には基礎をしっかり押さえ込むことが大切だそうです。

私を含む個性を伸ばす教育を受けてきた人は、大人になって自己主張ばかりして、まわりと交われない大人になってしまいやすいとのことです。
私の年齢は30そこそこです。
まわりに思いあたる方もいらっしゃるかと思います。

個性は高校に入ってからで良いそうです。
では、小、中学校の時に、親である私達はどのように育てていくのが良いのでしょうか。

小、中学生には『自己実現』が大切だそうです。
自分が認められるということ。自分の自由な時間がとても重要だそうです。
そして、親やまわりの大人がほめてあげる。

自己実現の前には『自己啓発』をする必要があります。
親や先生が手助けをしてあげることが大切だそうです。

以前の私もそうですが、できないことに焦りを感じたり、出来ないことがかわいそうだと思い、教えようとしてしまいます。
インディゴの子の場合、学校などで同じ歳の子が当たり前のようにできることができないことも多く、どうにかしてあげようと思ってしまいます。
そのような表面的な部分を親が気にするかしないかでその子の伸び方がかわってくる可能性があります。

インディゴの子供は普通の子供と違います。
ですから、学校などに通っている場合、そのこと自体でかなりのストレスとなります。
無駄のように感じる何もしない時間がすごく重要になってきます。

インディゴの子供は、スケジュールが習慣化しやすいです。こだわりになりやすい。
幼稚園や学校へいくことを体調など関係なくスケジュールとしてこなすようになる場合も考えられます。

寛希は2年保育で幼稚園に入園しました。主人と私は週3日ぐらい通えば良いよね。ハメハメハ大王で行こうと言っていました。
入園後は、毎朝「今日は幼稚園へ行く?」と聞くと「幼稚園へ行く」と言いました。
楽しいのかなぁと思い、あまり休まず通いました。
お迎えに行って、キャーと奇声をあげたり、かんしゃくをおこしたり、ホールで寝ていることもありました。それでも、毎日「いく」と言うので、通いました。
5月の下旬、寛希のストレスは身体にでました。溶連菌にかかりました。なかなか熱が下がらず、ルナ子ども相談所でも、ストレスが身体にでたということで、幼稚園を長期休みにするように指導されました。それから、もう通っていません。

いま子供にとって幼稚園・学校へいくことが、その子の長い人生において良いことなのかを判断する必要が親にあるということを学びました。

今でも幼稚園での寛希の写真をみると、心が痛みます。
苦しい中でも自分の楽しみを探して寛希なりに楽しんでいたと思います。
寛希にとって幼稚園に通うことは、親としてベストな判断ではありませんでした。
寛希は私のために無理していたのかもしれません。

ルナの岩佐先生は、幼稚園の入園を許可するには、その子供の病的な部分がなくなっているか、不安定さはないかなどを、経験により判断されます。
自閉症の子供の場合、集団にいるだけでかなりのストレスになります。
ストレスにより状態が不安定になると、安定していた状態に戻るまでに時間がかかり、その分発達速度が遅くなります。最悪の場合、自閉度が悪化する場合もあるので、細心の注意をされていました。
自閉の子供は、普通の子供よりも早い成長速度で発達する必要があり、その速い成長速度によって、やっと普通の子供と追いつくのだそうです。
少しでも速く発達できるように阻害要素を排除し、発達できる環境をつくることをルナでは指導されます。

現代健康研究所で治療を受けられるご縁をいただいたのですから、治療を受けに行けば、「ここにきたら他力本願、お任せで良いんだよ」という夢のようなお言葉を信じて治療を重ねていけばきっと素敵な結果がまっていると思います。

インディゴの子供達は、集団に入るということはかなりのストレスであることを、しっかり理解しておく必要があります。
そして、そのストレスはいろいろな形でみえてきます。
親は早くそのことに気がつかなくてはいけないとおもいます。

今度は、私の小学校の時の話を少しさせていただきます。

私の小学校では冬休み明けに毎年書初め大会がありました。
そして、冬休みには書道の宿題がありました。
私は、毎年冬休みが大嫌いでした。
父の習字の厳しい指導が待っていたからです。
冬休みは何時間も書道の練習で、見本をみてしっかり書かないと、低い大きな声で怒られました。

書初め大会の作品は、各学年で代表1人、区の展覧会に出展されました。6年間で同じ人は2度出展されないきまりになっているそうですが、私は2回出展してもらえました。
結構自慢にもなりそうな話ですが、私は習字が大嫌いになりました。
中学校までは、練習した貯金があり、書道の授業も楽でしたが、大人になって、自分の字が汚いことに恥ずかしくなる経験をしました。
とてもじゃありませんが、展覧会に出展されたなんて口にできません。
でも、私は大切なことを教わりました。
いくらできるようになっても、まわりに褒められても、人の上にたっても、本当に心からうれしいのではないということです。

自分で興味をもったこと、自分がやろうと思ったことに対して褒められた時が一番うれしいのではないでしょうか。

私は、30歳過ぎてようやく書道を練習したいと思っています。
「落ち着いてからで良いから、いつか習字を習いなさい」と言ってくれている親に感謝しています。そして、字がきれいということの大切さを必死に教えてくれていた親の気持にようやく気がつくことができました。

私は寛希を育てるにあたって、

「できることを褒める」
「出来ないこと、マイナスな言葉は言わない」
「自己実現」

を守っていくようにします。

現代健康研究所での治療のことを少し書こうと思います。
インディゴはの原因は、遺伝子欠損です。
治療では損傷している遺伝子の修復もしてくださっています。
その他にも多くの治療をしてくださっています。
ストレスは遠隔でもとっていただけますが、インディゴの子供には遠隔よりも直接治療をうける方が良い理由があります。
以前も書きましたが、骨盤がはずれ、仙骨がズレやすいのです。
そうすると、宇宙エネルギーがキャッチできないので、じっとしていられません。
治療には必ず整体のボキボキをしていただいています。
治療はこまめに受けられることをオススメします。


算命学 ① 夫婦の関係

2007-11-11 21:45:08 | みやびの成長 ( 親になるために )
私達夫婦はおかげさまで仲良くやっています。
私達は夫婦のような同士のようなライバルのような関係でした。
お互いを信じる心は強く、自慢でもあります。
世間でいうあま~いようなことなど一度もなかったと思います。
大学時代は、「本当に良いのか?」といわれるようなこともありました。(私がですよ。)
でも10年たった今は、「優しいご主人だよね。」「良いご主人だよね。」と言われることが多くなりました。
私の鬼嫁ぶりがばれてきているからかしら。。。

高橋先生にも「良いご主人だよね。大切にしなくっちゃ。」とよく言われています。私もそう思いますので、「はい」と返事しています。

おのろけ話ではなくて、本題に入っていこうと思います。
先日、ある本に、病気の8割は霊象であり、本人の心に問題があると書いてありました。これは多くの書籍でも書かれています。私は本の続きが気になりました。
では、子どもは小さい時から心に問題があるのでしょうか。という内容です。
本には、子どもの病気には、その親の夫婦関係に問題があるという内容が書いてありました。

高橋先生にすぐにうかがってみました。
「関係ある」とのことでした。

もしかしたら、みやびさんのお家で夫婦間の問題なんてあるの?と言ってくださる方がいらっしゃるかもしれません。

あるんです。私に問題が。

私は、小学校の時から、家族と意見が合わなく、親からの独立心が強かったです。そして、勉強、運動、芸術をすべて優秀にこなし、性格も優しい姉のようになれない私は、親やまわりからの期待にこたえられないというコンプレックスのようなものも持っていました。
主人と私は大学時代からの付き合いで、大学卒業とほぼ同時に結婚を前程に一緒に暮らし始めました。
大学時代は何かと実家では大変な問題がおきて、私は振り回されていました。
その当時、私は主人に相談しても、「わからない」しか言ってもらえず、私は一人で泣いていました。そんな感じなので、主人に相談してもしょうがないと思い、友達と遊ぶようになりました。
主人は私の心の問題は自分ひとりでは支えきれないと思い、私の友達にも助けてもらおうと思っていたそうです。
何かあるとすぐに家を飛び出し、友達と遊ぶという習慣は、子どもを産んで母親との同居を始めてからは、いっそう増えました。

私の友達はとてもいい人ばかりです。私は友人には本当の悩みは言いませんでした。それでも、私が無理して、がんばりすぎているのを知っているので、何も聞くことなく、付き合ってくれました。
私はグチを聞いてあげることによって、自分の存在価値をみつけ、安心していました。
だいたい私が遊ぶ相手は決まっていました。会社で仲良くなった友人か、高校からの友人で会社も同じ男友達でした。
その友人達とは、会社をつくろうと話していました。私の社会的評価をしてくれていて、私の無理しているところをみてくれていました。私が現実逃避するには最適な場所でした。

主人は、喧嘩して家を飛び出す私をずっと見守ってくれていました。
「これでやっとみやびが気分転換できる」と思っていてくれたそうです。

友人は、私のことを「向上心が強くて、がんばりやさんで、すっごく優しい」と評価してくれています。
でも、その正体は自分勝手で自分のためだけでした。

私は昨年の夏は、冷蔵庫の前で泣くことが増えました。
自分の理想と現実のギャップに苦しむ機会が増えたからでもありました。
私は、寛希が1歳の時から、母の病気を機に同居し始めました。
社会人、主婦、母、娘の役割をやること順にこなしていました。
ですから、見た目はよくがっばっていると見えたかもしれません。
寛希の病気がわかったときには、抜け殻のようになりました。
でも、社会復帰を目指して、資格をとる勉強をしていました。
すべての役割のやるべきこと順という機械的な処理をしていました。
心がともなっていませんでした。

同居を始めてすぐに仕事に復帰しました。
午前中は公園に行き、午後から仕事に行きました。
家に帰っても仕事をしました。出勤日数を減らすため、仕事は家でしていました。
公園に遊びに行ったり、英語教室へ通ったり、おでかけなどしているので、母親としての役割はしているつもりでした。
主人は仕事帰りに私のいる会社へむかえにきてくれて、一緒に仕事をしてくれたり、食事をしたりと、私達夫婦は子どもがいるとは思えないような行動もしていました。
このときはまさに大学生の延長でした。

私達夫婦はお互いがライバルでした。
仕事の話をし始めるととまりません。寛希はさみしそうにします。母は引いてしまいます。
主人と私の仕事は共通性がありました。

私が夫婦の関係に問題があるとしっかり気がついたのは、算命学との出会いでした。
愛賀真琴さんに家族全員を算命学でみていただきました。
算命学とは、陰陽五行説を基本とした学問です。
陰陽五行説とは、この世にある全てのものは陰と陽の二つに分けられ、木・火・土・金・水の五つの要素から成り立つという考え方です。

生まれついての本質(宿命的本質)を、自然界の名称に置き換えて読み取ります。

主人と私はお互いに「宝石」でした。
同じ家に同じものはいらないという考えもありますが、主人と私は、同じ職種につかなければ大丈夫だそうです。

主人に算命学で教わったことを話しました。主人は職場にライバルがいたほうが良いそうなので、聞いてみました。
「ライバルは、今も先もいないよ。あえて言うなら・・・みやび。」

・・・やっぱりそうきましたか。。。と思いました。でも、

「私はライバルにはならないよ。私の理想をほぼ現実にやっているし。もうライバルにはなれないよ。かなわない。やっと夫婦になる時期がきたんだよ。」

ということが出来ました。

今までは妻という役目を機械的にこなしていました。その中でも、私は自分が社会で評価されることを気にしていました。
やっと、主人を妻という立場で支えようと思えるようになりました。
心をこめて妻という役目をやっていこうと思いました。

寛希にどう影響があったかは、わかりませんが、我が家には夫婦間の問題がありました。

今まで、私を的確に理解してくれて、信じてあたたかく見守ってくれた主人に大変感謝しています。
そして、自分のことだけを考え、間違った3次元の概念を押し付けたことに対して深く謝りたいと思います。

そのことに気づかせてくださった高橋先生、愛賀さん、寛希に感謝しています。


みやびの成長⑤

2007-10-24 00:17:34 | みやびの成長 ( 親になるために )
「念」とは、生きているの人間の想いの塊であり、人間の魂が決定し、意思として放出するエネルギーだそうです。

私達は、自分の念の管理も必要です。

念を送ってしまった場合、自分よりも念の力が強い相手だと、自ら発した念は、自分自身に何倍もの念となってかえってきて、自分自身がダメージをうけるということをみることができました。
これを「念帰りの法則」というそうです。

また、いろいろな悩み、心配、不安、不満などの想いが自分の心にたくさんあると、病気になったり、災難を引き寄せてしまうそうです。時に、無理な忍耐や辛抱も同じような結果になることもあるそうです。自念障害というそうです。
私にとって、昨年の夏の胃や大腸の不調は自念障害だったと思います。私は、主人や家族にちいさな不満をたくさんもっていました。そして、自分や寛希の将来を心配していました。

また、たくさん泣いた日から今まで心にため込んでいた不平・不満があふれ出た時期が、まさに念帰りの状態でした。高橋先生に自分の心の汚さを指摘されたことを受け入れられなく、自分以外の人に本当にダメだしをされたことへの反発心が、恐れ多くも念を発していたのだと思います。(笑っちゃうほど恐ろしい。これほど念の管理はできていなかったということです。)
毎日がだるく、具合が悪く、起きられませんでした。
ブレスレットが手首を締め付けているような、くすぐったいような、着けていて気分が悪くなりました。
きっと、ブレスレットは、私から放たれていた悪い念によって呼び寄せられた霊などの対応に大忙しだったのだと思います。

私は、つい最近まで言うことを聞かない寛希に強烈なにらみつけをしてしまうこともありました。
このときの顔を自分で見たことはありませんが、先日、久しぶりにけんかをした母に、私は強烈なにらみをされました。
母親にされたとき、吐き気がしました。いまでも吐き気と寒気がします。
鬼を通り越した、ものすごい形相でした。
きっと私は寛希に同じようなことをしていたのだと思います。
それを母から教わりました。
にらむ行為のなかに、ものすごい念を放っていたのだと思います。
私は、心から反省しました。

私達は、自分の想いをしっかり管理をしないといけないと思います。
特に自分に厳しく、自己実現力が強い人は、意思も強いので、念の力が強いのではないかと主人と話しています。

悪、欲、疑いの心を捨てて、魂を澄みきった状態にしておくことを大切にしたいと思います。

母親が元気であれば、母親が変われば、子どもも変わるという言葉をどこでも聞きますが、母親から放たれる想い、念、エネルギーは一番子どもに影響するということです。



みやびの成長 ④

2007-10-23 03:02:32 | みやびの成長 ( 親になるために )
去年の夏、私は体調が悪くなり、胃と大腸の内視鏡検査を受けました。
十二指腸潰瘍の痕跡と胃下垂、大腸には小さいポリープがたくさんありました。

このころの私は、精神状態はボロボロでした。
毎日冷蔵庫の前にしゃがみこんで泣いていました。

さて、病気の8割は心が原因ということをマクロビオティックを勉強して知りました。
高橋先生にも同じように、病気の8割が霊象(想いを含み)と教わりました。
残り2割に食事が関係しているそうです。

今の世の中には、ダイオキシンや電磁波、汚染された食材などの環境による要因もあるから、単なる霊象だけを解消させて解決という問題ではなく、複雑だそうです。

私の大腸ポリープは、本来持つべきでない感情によるものでした。
不平、不満です。
私は口に出して不平、不満は言ったりはしません。でも、多くの不満を心に抱えていました。
「小さいポリープがたくさんある」とは「小さい不平、不満がたくさんある」です。このことを高橋先生から教わり、自分の心の汚さをきづくこととなりました。
病気は、神様がおつくりになった人間の正しい生き方をしていないというお知らせでもあります。

自分の感情が肉体に影響することを気がつかなくていけません。

私達は、もってはいけない感情があります。

憎しみ、嫉み、妬み、羨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、イライラ、せかせか。

これらはみな、もっていてはいけない感情です。

損得勘定もいけません。
私は損得勘定ばかりしていました。
今でも心を引き締めて注意をしていないと、損得勘定してしまいます。
その時は、すぐにその思いは捨て去るようにシッシッとして、食べたいものや、やりたいことなど楽しむことだけを考えるようにします。

これらの感情はときとして、自分以外の人にも傷をつけることがあるそうです。

生きている人間の想いの固まりは「念」となると本で読みました。
「念」というのは、鉄砲玉のように一度放たれると、戻ったり、回収したりできるものではないそうです。

ですから、私達は、ただ自分が毎日楽しむことだけ考えていれば良いのです。
妬み、嫉妬、ヤキモチは地獄いきだそうです。

もし万が一、念を受けてしまったら、その逆に、自分が念を発してしまっていたら、五木の子守唄を歌ってください。

☆☆☆☆☆☆

五木の子守唄  伝承者 吉松 保

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと
盆が早よくりゃ 早よもどる

おどまかんじんかんじん あん人たちゃよか衆(し)
よか衆ゃよかおび よか着物(きもん)

おどんが打死だときゃ 誰が泣(に)ゃてくりゅか
裏の松山ゃ せみが鳴く

せみじゃござらぬ 妹(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる

おどんが死んだなら 道端(みちばち)ゃいけろ
ひとの通るごち 花あげる

辛(つら)いもんだな 他人の飯(めし)は
煮(に)えちゃおれども のどにたつ

☆☆☆☆☆☆

メロディーは下記のHPで聴くことができます。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/itsugino.html

いろいろな歌詞がありますが、上記の歌詞が正しいそうです。

この歌詞には、念をカットできる力があり、
この歌詞の本当の意味は解読されていないそうです。

1番~4番を繰り返し3回ぐらい歌うと良いとのことでした。

私達の日常でおこる出来事はすべて必要なものだと思います。
焦ってもそうなる時期がこなければそうなることにはならないと思います。
気づきもいくらあせっても、そうなるべき時は、そうなるべき条件がそろわないとそうならないのです。
いただけるもの全てに意味があるのだと思います。
自分だけが焦っても早まるものではないように感じます。
人はひとりで生きているのではありません。
パズルのようにピースがそろってはじめてその結果がなるのだと思います。

私は、高橋先生に頭を使わないことだと教わりました。
そのとおりでした。私はろくなことに頭を使っていませんでした。
先を見越してあれこれ心配して、そのあらゆるケースに対策をとることをしていました。
それは、一番悪い結果になった時、自分がショックやダメージを受けないための保険でもありました。
先など、私達のちっぽけな頭でみこせるようなものではないのです。

それより、毎日を楽しみ、感謝することだけをしている生活がどれだけすばらしく、大切なものかということを私は経験し、学ぶことができました。

そして、自分の身体に感謝をすることも教わりました。
お風呂で自分の身体に感謝を言いましょう。
「みやびちゃん(自分の名前を声に出して)の身体さん あいがとう。」と私は声かけをしています。
(「ありがとう(有り難う)」ではなく「あいがとう(愛が当う)」) 
神様からいただいたこの肉体があって、私達はいろいろなことが楽しみめるのです。

健康管理は、まず心の管理!

みやびの成長 ③

2007-10-16 02:48:25 | みやびの成長 ( 親になるために )
この数週間、私の心の中でおこったことは、「内観」というものだそうです。
高橋先生に内観の本をお借りしました。
この頃の私は、反抗期の子どものように不安定でした。

今まで、自分は、自分の努力によって自分の環境が決まると思っていました。
私にはもっとふさわしい場所があるとずっとそう思い、自分なりに一生懸命にやっていました。
高校時代の友人は、「なんでそんなにいそいでいるの?早死にしちゃうよ」と言っていました。
私は、自分の存在価値を見出そうと必死でした。何のために生きているのかわかりませんでした。人間社会での良い名誉や地位を得ることが存在価値とつながっているのかもしれないと思っていたのかもしれません。

でも、ありのままで生きていて良いんだと気がついたとき、心からほっと力が抜け、楽になりました。

そして、それから寛希を寛希らしく育てよう。枠なんか気にするのはやめようと思いはじめることができました。

また、寛希を隠すのをやめました。寛希が変に思われて損をすると思い込んでいたのは、本当は私が損をすると思っていたという、自分勝手なものでした。
現代健康研究所で知り合ったお母さんにある日三島駅まで送っていただきました。その時、「寛希くんはお母さんが思うほど変じゃないよ。」「人には弱みを言ってしまったほうが楽だよ。そして意外と力をみんなかしてくれるの。」とアドバイスをいただきました。
その夜、私は職場からの友人にコミュニティーサイトの日記で、寛希のことを話しました。

その日記を掲載します。

☆☆☆☆☆☆


今日は、私の最高の宝物のお話をさせていただきます。

私がYプロを辞めた時から話が始まります。

かなりのめりこんでいた仕事を辞めた理由は、子どもに発達障害があることがわかったためでした。
不安と怖さで心が沈んだ時期でした。
家に引きこもり、治療に専念する日々でした。
当初は幼稚園を卒園するころには正常の子どもに追いつくと言われていた先生の言葉も、徐々に時間がかかるのよという言葉に不安になったり、いろいろな治療法を調べたり、そんな生活をしていました。

それと同時に自己の居場所・存在価値を見出すために、勉強をしたり、友人にはこの事実を黙って遊びに行ったりしていました。

発達障害は宇宙の法則により必ずこの世に2%生まれてきます。
この子ども達は、この世の中に何かを教える役目をもっています。

今日みなさんにお話しようと思ったのは、そのことをお伝えしたいのもあります。

私は子ども(寛希)を治るまで隠そうとしていました。
自分自身が一般的な普通という枠組みの中でのトップクラスが良いものだと思い込んでいたからです。
日本は金太郎飴をつくる教育をしています。私も受けてきました。
私はきれいな金太郎飴でいないといけないと思っていました。
でも、別に金太郎飴でなくって良いんです。そう気づきました。

先日あるおばあさん達に駅をたずねられ、案内をしました。「ご丁寧にありがとうございます。」というお言葉をいただいたとき、私は自分が「生きていても良いんだ」と気がつくことができました。
それからしばらくして「私は生かされている」と思えるようになりました。

自分と接してくれている数多くの人たちから私たちは何かを学んでいます。好きなひとも、嫌いな人も、どんな人からも教わっているんです。
そして、私は植物・動物の命をいただいて生かさせてもらっています。

寛希はとても純粋です。寛希は自分のペースでしっかりと成長しています。

寛希は、私たちに多くのことを教えてくれています。

私は今まで、一生懸命努力しないといけないと思い込んでしました。
でも、すべてのものごとは神様がお決めになっています。
私たちは、毎日を大切に楽しく感謝して生きていくことが大切なんだと気がつくことができました。

もし、いまがんばっているのであれば、がんばらなくて良いんです。楽しんで、感謝をすることが大切。
もし何かを変えたいのであれば、自分が変わればまわりも変わります。
私たちは絶対誰かのためになっているんです。

寛希は多くの方に愛されています。
寛希は私がどうしたら生きるのが楽しくなるのか気づかせてくれました。

寛希の発達は、私、主人、母(祖母)、父(祖父)の気づき(学び)とともにステップアップしています。
子どもの成長によって、親も成長するという意味がよくわかりました。

私は寛希を愛しています。最高の宝でありとっても可愛い子です。神様に感謝いたします。

自分のもっている概念を捨てて、寛希が本来ある力を存分に発揮できるように育てます。
枠組みからはずれている育て方・枠組みからはずれている人の能力を普通に受けいれられる社会にしたいと思います。

その一歩、まず大切な仲間に本当のお話をしました。

みなさんに多くを支えてもらいました。
ありがとうございました。

ネイティブ・インディアンのお話で、
「今まであなたがした苦労は、神からのプレゼントです。プレゼントをいただいたら、お返ししなさい。そのお返しは愛を持って行ってください。」
という内容を教わる機会がありました。
これを教わることができたのもわが子のおかげであります。

私も、これから愛を持ってお返しをしていきたいと思います

☆☆☆☆☆☆

友人からのコメントはとてもすてきなコメントでした。


みやびの成長 ②

2007-10-16 02:23:52 | みやびの成長 ( 親になるために )
現代健康研究所へ通い始めた頃は、私は寛希の病的なところが気づかれないように、制止したり、家族の治療が長いと、研究所から連れ出して時間をつぶしていました。そうもしていないと、動き回ったり、ギャーっと言ったりするからです。

ルナの岩佐先生に「うちの子自閉なの」って言いなさい。治っちゃえば、みんな昔のことなんて忘れるんだからと指導されました。
でも、私はその腹をくくることができず、寛希を普通に見せようと、取り繕うことに必死でした。
寛希の病的なところをみられて、変に思われたくない。そう思われたら寛希が損をすると思い込んでいました。

現代健康研究所では、ストレスやたまっていた感情などがすべてだされるように感じます。
寛希は、私がしかるときに言っていた言葉を九官鳥のように、
なんども大声でさけんでいました。
「いいかげんにしなさい!」
「しずかにしなさい!」

私達親や世間が押さえつけてきたものが、よじれたものをもどすかのように
出されるのだと思います。
ですから、病的な行動も一時的に増えるようにみえると思います。
これが必要なことなのだと気がつきました。

治療を受けている寛希に、声に出さないで、目でうったえ「いい加減にしろ!」「大人しくしなさい」「静にしなさい!」とにらみつけていたことがありました。今思い出すと、すごい念みたなものを出していたのだと思います。
私は、高橋先生に怒られました。「いいから放っておきなさい。」
それができるようになるまで、かなりの時間がかかりました。
自分が親として、どう寛希と付き合っていれば良いのかわからなかったのです。
躾はどうゆうものなのか?何をどのように教えたら良いのかまったくわかりませんでした。
寛希の親として、自分が社会的にどう評価されるのかを気にした子どもへの接し方だったのだと思います。寛希を育てるという視点のつもりで一生懸命でしたが、子育てをしているという「母親」の肩書きをもった自分を中心とした子育てもどきをしていたのだと気がつきました。

気づいたのはこの数日のことです。
あるママ友からのメールを読んだときに気がつきました。
以前の私がもって辛かった感情が書いてありました。

現代健康研究所へいらしている全ての患者さんがインディゴに理解あるわけではありません。
おこられることもありました。
「この子の親御さんはどうしたのかね」と
高橋先生が変わりに怒られてしまったこともありました。
お兄さん、お姉さんにご迷惑もたくさんかけています。
変わりに謝ってくださったりもしてくださいました。
めがねにこだわりがある寛希が患者さんのめがねを触ってしまい、
現代健康研究所で知り合い、お世話になっているお母さんがかわりに謝ってくださったこともあります。

でも、寛希をうるさいなぁと感じていらした患者さんも、
しばらくたって、
「この子変わったね~。すっかり大人しくなって。」と
お言葉をかけてくださったりすることもありました。
多くの方が、寛希がすごく落ち着きがなく、ギャーギャー言っていたのを
黙ってみてくれていました。
高橋先生のすごさと寛希の変化と成長をその方々も一緒に見てくださっているのだと大変ありがたく、感謝しています。
現代健康研究所へきている方々に、変化を教わることがほとんどです。
ここが良くなったね、すごいね~って声をかけていただいて、
そのことによって、また気づき、確信にかわっていきました。

私もある日、心の奥底にたまっていた、捨てたほうがよい感情があふれ出ました。
今まで、あまり泣いたことがありませんでした。声に出して泣くことはめったになかったです。
姉がよく大声で泣くので、逆に泣けず、泣くと顔がむくむのが嫌なのと、中学の時に好きだった子に泣き方が可愛くないと言われたのもあり、ますます人前では泣かなくなりました。
ところが、現代健康研究所へ通いはじめ、仲良くお話をさせていただくようになった方と会話をしている時に、その方が涙を流されました。私も涙がじんわりと出てきました。
その時、私は泣きたくないというより泣いちゃいけないと思い、気分を変えたり、背中をつねったりして、泣きたい気持にふたをしました。
それからしばらくしたある日、高橋先生とお話をしていたら涙がでてきました。今度は背中をつねっても何をしても涙が止まりません。その日、私は6時間以上泣き続けました。悲しいというわけではなく泣き続けました。
その泣いている間に、小学生の時の記憶が浮かびました。宿題のことで母に怒られノートをグシャグシャにしたことがあり、その時、父は私を抱っこしてくれました。早朝の暗い部屋で父に優しく抱っこされている私の映像がふっと浮んできました。そしてまた私は泣きました。このように涙がとまりませんでした。それから数日して、今度は不満があふれてきました。どれもこれも不満となりました。あーでもない、こーでもないとずーっと私は主人に話し続けました。このような荒れた時期がしばらく続いたある日、ふっと気がついたことがありました。

「私は生きていて良いんだ。」

そう気がついたとき、また心の奥から涙がでてきました。