みやびのまなび

インディゴの子をさずかり、幸せなご縁に恵まれ、真実を学ばせていただいている。
みやびと子供の成長のきろく。

みやびの成長

2007-09-28 19:30:28 | みやびの成長 ( 親になるために )
最近「やっぱりあなたは強い!」「変わっている」と言われるようになりました。でも、私はこうみえてヨワヨワだったんです。

先日ルナに行かれているお母さんに面白い話を伺いました。
ルナの岩佐先生はお母さん教育と自閉の子どもの接し方、今までの経験とデータからのアドバイスが相談の内容です。
診ているお母さんで、この治療生活にまいっているお母さんにはサプリメントを薦めています。そのサプリメントはうつなどの精神不安定にも効果があるというもので、もちろん自閉にも効果があるそうです。水溶性キチンキトサンが主成分です。
でも、そのサプリメントは高価なので、これはヤバイと危険を感じたお母さんだけに飲ませているという話でした。

私は今まで岩佐先生が危険を感じ飲ませたという2~3人のうちの一人だったんです。
その頃の私は、食事に何を作ったら良いのかとわからなくて、冷蔵庫の前でしゃがんで泣いていました。生きるのがつらくて、毎日寛希と二人の時は泣いていました。気分転換と思い、友達と遊びに行っても、次の日は余計に辛くて泣くか、怒るか、無視がやっとでした。

そんな私を岩佐先生は「精神が張り詰めているから、肉体的にドボンといったら大変よ」ととても心配してくださったのを覚えています。

ちょうどその時期に、高橋先生の治療を私は1回受けました。
なんだか明るくなったのを覚えています。
岩佐先生にも「あなた元気じゃない。良かった~」と言われたので、
私「整体へ言っています」と答えました。

今回、私は「親も高橋先生の治療を受けましょう」とオススメしたいと思います。
自分が苦しかったのは、いらないもの(プライドや間違った概念)をたくさんもっていたからです。

子どもは私達を選んで生まれてきてくれたという表現を聞きますが、今はその通りだとありがたく思っています。

気づいたことから申しますと、

・私達に何かを気づけるように教えてくれています。
・私達が子の成長を見守っているのではなくて、
 子どもが私達の気づき・学びの速さに合わせてくれています。

インディゴの子は特にすごいです。

そして、誰かを変えようとするのではなく、自分がまず変わることです。
誰かを変えようというのは、大間違いだと学びました。
尊敬できる人には学び、またあれ?という人にも学ぶべきことがあります。
審判は神様がするもので、私達はしなくて良いんです。

ルナの岩佐先生の「治ったら自然にできるようになるから、あれこれ教えない。
今は何ができるではなく、毎日をニコニコして生活できるかが重要なの。」という言葉に、揺らぎ、療育でできることを増やそうと焦ったときもありました。
このときABAなどの療育をかじったことは良い経験でしたが、その言葉の意味の深さを私は、高橋先生の治療を受けることにより、やっとしっかり理解できるようになりました。

私は抱っこ法も1年半ぐらい毎月通いました。寛希との接し方に問題があるのかもしれない。私が仕事をしてさみしかったのかもしれないと自分を責めた時期が続きました。
抱っこ法では、私の心に問題があり、そこを壊そうとしてくださいましたが、私は自分を壊されるのが嫌で、拒否をしていました。
寛希の悩みは、だいたい私の心配でした。でも、私が抱っこ法では心を開かないと気づいた寛希は、しばらくすると、抱っこ法へ行っても泣かなくなりました。
そして、私が寛希が治ると信じていることを現実を受け入れられないというふうに言われた日に、もう行くのは辞めようと決めました。

私が現実を受け入れていなかったのは事実でした。そのことを気づかせてくださったのは、高橋先生でした。でも、この先が違います。
高橋先生は自閉症は治るとおしゃってくださいます。
現実を受け入れていなかった私は、治るという言葉にこだわっていただけでした。
今は、おかげさまで、現実を受け入れています。
治ることにあきらめはありません。親があきらめてはいけません。
そして、「くる時がきたとき、寛希はなるようになります。」これが今の私です。

みなさん、治るってなんですか?
普通ってなんですか?

インディゴはすごいエネルギーをもって生まれてきます。
肉体に入るときに、ちょっとエネルギーが強すぎて、肉体におさまらなく、
故障があるだけです。
インディゴの子に天才がいるのもそうゆうことが関係しているそうです。
私達の子供はすごい人になるんです。(もとからすごい人なんです。)


インディゴの子をもつと社会と戦わなくてはいけないこともあるかもしれません。
みんながやさしくみてくれるわけではありません。
わが子を守ってあげられるのは私達です。

もし、他人の目が気になってしまうのであれば、まず、自分が生きてきた狭い社会で出来上がった間違った色眼鏡を捨ててみませんか。