熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

『グラックの卵』に見るユーモアとは

2007年02月18日 | SF
ラファティを読んだ勢いで手をつけたのが、買って積みっ放しだった『グラックの卵』。
矢野徹先生亡き今、翻訳SF界最大の巨星と呼んでも過言ではない浅倉久志氏が
自ら偏愛するユーモアSFを選りすぐったアンソロジーである。
刊行後1年経過した本の後に、6ヶ月前に出た本の話をするのもどうかとは思うが
タイムリーさと無縁なのは毎度のことなので、特に気にせず紹介してみたい。

・ボンド「見よ、かの巨鳥を!」
―宇宙の果てから太陽系へ飛来する謎の物体。それはまぎれもなく巨大な鳥だった!

惹句とあらすじを聞くと完全なナンセンス小説だけれど、実際に読んでみると
バカバカしい中にも緊迫感があり、普通にハラハラした話。
結局のところ、この作品の発想自体が「特撮怪獣映画」と同じなのだと思う。
ナンセンスな部分に目をつぶれば、破滅SFの佳作として十分楽しめる。
物理法則はさておき、でかい鳥が宇宙から飛んでくるという異常さに関しては
民間伝承などを引用したラファティ的な説明に、つい納得させられてしまった。

そしてこの作品の白眉は、なんといっても鳥の卵が孵るシーンにつきる。
宇宙的スケールで描写される孵化シーンのヴィジョンは、おぞましくも美しい。
ラストシーンは昔の短編SFの典型なのだが、前述の孵化シーンのイメージが
オーバーラップすることで、なんともいえない後味を醸し出している。

・カットナー「ギャラハー・プラス」
―酔っ払い科学者が酩酊中に作った謎の機械。一体誰が、何のために作らせたのか?

かつて青心社の叢書でも短編集が出ていたカットナーの、「ホグベン一家」と並ぶ
代表的なシリーズが、この「ギャロウェイ・ギャラハー」もの。
といってもカットナーの作品集は名のみ高くて入手困難なものばかりなので、
このシリーズも実際に読むのはこれがはじめてだ。

「オレは誰だ?」という自分探しは、SFのテーマとしてポピュラーなものだが、
それをもうひとつの定番テーマ「マッドサイエンティスト」と合体させたあたりが
このシリーズの持ち味だと思う。
カットナー作品は筋運びにアクロバティックな論理が絡むことで、独特の奇想性を
感じさせるところがあるが、本作もまさにそんな感じ。
謎の発明品をめぐる物語の中で、一番重要なのは「どうやって動くのか」よりも、
「いったい何のために作ったか」を探ることである。これぞまさにSF的発想だ。

助演のうぬぼれロボット、ナルキッソスことジョーの活躍も大きな魅力。
「わたしは血を見るのが好きです。あの原色を見るのが」というセリフは抜群だ。
ベスターの「ごきげん目盛り」をはじめ、アシモフ3原則に縛られないロボットが
出てくる話は、どれもイかして(もしくはイかれて)いると思う。
ジョーの誕生秘話を書いたシリーズ第1作「うぬぼれロボット」も、ぜひ読んでみたい。

・コグスウェル「スーパーマンはつらい」
―超能力を隠して暮らす人々が、新天地を求めて宇宙へ旅立った。そこで見たものは・・・。

ショートリリーフという表現がぴったりの、つなぎ的な作品。
ヘンダースンの「ピープル」シリーズを逆手に取ったような、超能力テーマ全般に対する
皮肉とも楽天的回答ともいえる話で、典型的な逆さ落ちがつく。
作者コグスウェルの代表作「壁の中」と似た点もあるが、あれほどの叙情性はない上に
テクノロジーへの楽観的視点が甘すぎて、いまひとつという感はぬぐえない。
いまさらだが、邦訳タイトルは原題の「制限因子」に改めたほうがなじみやすいかも。

・テン「モーニエル・マサウェイの発見」
―絵画よりもこそ泥仕事が得意なうぬぼれ芸術家が、未来の大作家とうたわれた理由は?

ラファティを田舎のホラ吹きおじさんとすれば、テンは都会の紳士的な押し売りだろうか。
半ば強引な話を、諧謔味溢れる軽妙な話術で読ませてしまう辣腕ぶりが憎らしい。
傲岸不遜なマサウェイの人物描写もうまく、テンの人間観察の鋭さをうかがわせる。
傑作と称えるような作品ではないが、作風がツボにはまれば楽しめるはず。
落ちのつけ方は、テンの代表作のひとつである「ブルックリン計画」を思いださせる。

・スタントン「ガムドロップ・キング」
―空想癖の強い少年と星から来た「王様」の、奇妙な出会いの物語。

少年の空想癖と王様のうさんくさい言動のおかげで、どこまでが本当の話なのかが
いまひとつ掴めないという、なかなか手ごわい作品。
途中の読み方次第で、ラストのひとことの意味も大きく変わってしまう。
話の構成や設定面では、ウルフの『デス博士の島その他の物語』によく似ているが、
こちらはより素朴かつ大らかなムードを感じさせる。
(言い換えれば、ウルフほどの密度や凄みまでは持っていない。)

アイダホ州モスコーに行こうとしてソ連のモスクワに着いてしまう、というくだりは
いかにも冷戦時代のユーモアであり、時代遅れな感じは否めない。
一方、その後の「赤狩り」の不安を示唆する描写は、現在でも通用するものがある。
ソ連こそ崩壊したものの、今のアメリカは新たな敵に日々戦々恐々なのだ。
小品だが、なかなか多面的な読み方を楽しめる作品だと思う。

・グーラート「ただいま追跡中」
―駆け落ち娘の奪還を命じられた探偵と、調子はずれのロボットクルーザーの珍道中。

軽さが身上のグーラート作品。小気味良い会話とテンポの速い場面転換で引っ張るが
結局は典型的なドタバタ・コメディであり、まさに毒にも薬にもならない話。
SFとしてのアイデアも弱いので、読後感はめっぽう薄い。
せめてテンくらいの諧謔味があれば、もう少し印象に残るのだろうけど・・・。
扶桑社の文庫ならともかく、国書のハードカバーで読むほどの話ではないと思う。
このノリが好きな人にとっては、たまらなく魅力的な作品なのかもしれないが。

・スラデック「マスタースンと社員たち」
―マスタースン社長とその社員によって繰り広げられる、摩訶不思議な企業活動の日々。

ニューウェーブの立役者の一人、スラデックを代表する中篇。
本来なら『ベータ2のバラッド』に収録されて然るべきなのに、なぜこちらに入ったのかが
一番不可解なのだが、これは単に訳者の浅倉さんの意向を尊重した結果だろう。
テーマも文体も実にNW的で、他の収録作とは明らかに毛色が違うが、それも対比の妙か。

語呂合わせに詩や手記といった様式を小説内にぶちこみ、下品さと皮肉を織り交ぜて描いた
魔術的リアリズムによる企業小説にして、事務社員の恍惚と不安と死を描いた現代のサーガ。
・・・というのは冗談だが、その大げさな書きっぷりには、どこか叙事詩めいた印象も受ける。
スタイルはともかく、書いている中身は案外ラファティと近いのかも。
間違いなく読み手を選ぶが、SFファンなら一度は目を通しておきたい奇作である。

名ゼリフや名コピーが飛び交う中、特に秀逸なのは184ページから始まる「事務社員の歌」。
オペラ調の曲が付いたら、さぞかし勇壮なことだろう。
部下の事務社員に対して、マスタースン自身が文字通りのジム社長になってしまったのは
まさに邦訳の奇跡と呼びたい快挙。たぶん泉下のスラデックも喜んでいると思う。

・ノヴォトニィ「バーボン湖」
―女房に酒場のない土地へと旅行に連れ出された呑み助二人が、森の中で見つけたのは・・・。

SFというよりも、ホラ話系のファンタジー。
もしも湖の水が全部酒だったら・・・という一発ネタのみを頼りに、のどかで楽しい小話へと
仕立て上げている。このまま落語の演目にしてもよさそうだ。
バーボン湖のできる原理を説明しつつ、「今年はバーボン湖だけど、来年は別の湖かも」と
地元の老人が語るくだりは、バカバカしくもちょっと感動してしまった。
バカさ加減では「見よ、かの巨鳥を!」をもしのぐ、正真正銘のバカ小説。
ある意味、収録作中で最高の傑作かもしれない。
飲める人は読む前にバーボンを用意しておくこと。読後は絶対に飲みたくなる。

・ジェイコブズ「グラックの卵」
―変人教授が残した遺品は、絶滅した珍鳥の卵。それを孵化させるべく奮闘する男の冒険譚。

雄弁調の饒舌さと比喩の多さが鼻につき、大した話でもないのにやたらと読みにくい。
アクの強さではスラデック級で、中身のなさはグーラート級・・・と書いたら、人によっては
大絶賛だと思われそうだが、別に誉めているわけではない。
残念だが自分の好みからは外れているので、あまり楽しめなかった。
故人の意思を継ごうとする主人公の感傷や奇妙な登場人物たちに魅力を感じられるかが
好き嫌いの分かれ目か。この手のロード・ムービーが好きな人は、普通に感動できるかも。
男性の想像妊娠らしき描写が出てくるあたりは、ちょっとフェミニズム風味。

収録作全体を通して見ると、ユーモアとしてもSFとしても多種多彩なものが揃っており
編者の見識の広さが伺える好編集となっている。
テーマ別編集でちょっと捻った作品が多いところは、かつて新潮文庫から出版されていた
SFアンソロジーのシリーズを思い出させる。
今回の『グラックの卵』は、このシリーズの遅れてきた一冊と言っても良いだろう。
読者の好みが割れそうな癖の強さも含めて、予想以上に刺激的なアンソロジーだった。

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