Live日記(仮)

音楽などにまつわること
(自分のメモということで、ご容赦ください。
かなり後で書いている上に、追記・変更してます。)

R25

2012年10月09日 | 
2012.10.4 No.316

ロングインタビュー:GACKT

「日本人って“NOを言えない”と
言われてるよね。
ホントにそうなのかな?
言えないんじゃなくて、
言わないんじゃないのかな・・・」

「NOってすごく簡単な拒絶だよ。
でも日本人は安易にそう言わない。
かわりにそこで折衷案を見つける能力が
すごく高い民族なんだと僕は思っていて。
相手ともめるところから始めるのではなく、
相手を受け入れるところから始めて
折り合いをつけていくというのは
すごくいい文化。
それが海外には“NOを言えないダメな文化”
としか伝わらない。
違うんだ。言えないんじゃなく、言わない。
拒絶しないのは、他の人たちと
手を取り合って歩いていくための考え方」

http://r25.yahoo.co.jp/interview/detail/?id=20121004-00026363-r25&order=1

これって、北山君が書いてたことと
同じだ~!?
本人達には違うと言われそうだけど
私の理解(解釈)としては。

「僕は以前から、
<アカペラ・コーラスというのは
聖徳太子が唱えた「和をもって貴しと成す」
という考え方が形になったもの>
と言ってきたんですけど、
つまりアカペラ・コーラスの根底にあるのは
「それぞれが、主張したいことを主張した上で、
それぞれの距離を見定め違いを認めあって、
いっしょに前に進みましょう」
という考え方なんですよね。
で、その許容性みたいなものが、
この国には昔からすごくあったと思うんです。
やおよろずの神を崇めるということも含め、
物事は一つだけじゃなくていろいろある
というのが前提だったと思うんです。
その上で、そのいろいろに違っているみんなが
いっしょになれるという重力が
はたらいていたと思うんですが、
その前提になっている
『世の中にはいろいろある。その違いを認めよう』
という意識が継承されることはなくなっていって、
その前提が失われているのに、
ひとつになろうという圧力だけがあるのが
いまの状況だと思うんです。
それをもう一度元に戻すためには、
ズレている認識を掘り起こして、確認して、
そして許し合うっていう。
みんながお互いに『イエス』と言える違いを
できるだけたくさん積み上げていくということが
大事だと思うんですよね。」

http://eco.goo.ne.jp/life/mylife/g_105.html


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