都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【8Ⅲ-05】 記録映画への取組み

2017年12月04日 12時04分54秒 | 第8部 夏から秋へ
<第3章> 記録映画『奪還そして解放』
 〔第5回〕 記録映画への取組み

定時制高校生による定時制高校生の現実を問いただす映画を一緒に作っていかないか――都立日比谷高校の定時制高校生から、そのような話を受けたのが1969年正月明け1月9日夜のことでした。前年暮れに「定時制高校の映画を作る話がある」ということは聞いていましたが、その映画作りに関する具体的な話となると、いまひとつ実感がわかない。

単身上京当初から新聞配達店に住込み働いていましたが、2年を経て「働きながら学ぶ場」として都立代々木高校<三部制>に入学し、すでに3学年の3学期を迎えていました。限られた枠のなかで学問を追及していく――その現実に抗いながらも何とか3年間を耐えていましたが、どこにも出口の見えない世界に新たな活路を見出そうとしていても何らとっかかりのないジレンマ。それが1969年初頭の自分の置かれていた状況でした。
社会は「70年安保改定」を翌年に控え、ベトナム戦争が激化するなかで学生や労働者を中心に反戦・反安保闘争は日を追って激しさを増しています。この社会情勢と自分達が生きている「働きながら学ぶ」世界がどのように結びつき、今後どのように動いていくのか分からない。

そのような情勢のなかで「定時制高校生の記録映画を作る」という話には、遠くを見つめるのではなく私たち自身の「働きながら学ぶ」足元の世界を、現実に起きている様々な軋轢や不自由さ、理不尽な扱いを受けていることなどを「何故、そのような事態に私たちは追い込まれているのか」そのことを正面から捉える、ひとつのきっかけとなりました。そして自分の通う定時制高校の枠を超えた他校の定時制高校生と交流を諮る初めての機会が訪れたのです。
当夜の話しのなかで「定時制高校生の映画を作る」にあたって、大きく二つの課題が提起されました。ひとつは、この映画は自ら定時制高校生として抱えている問題や意見、なかでも仕事と勉学を両立するなかで現われている矛盾や理不尽と感じたことを自らの言葉として表現することで、映画制作に参加することの意思表示を行うこと。次に「映画制作に参加することの意思表示」として制作費カンパ金300円を納入、上映鑑賞券を発行。そのカンパ資金を映画制作に活用し、映画完成時に観賞券が使用できるシステムとする――というものでした。

定時制高校生による自主的な記録映画の制作――これまでの映画制作にない新しい切り口に驚きましたが、その先の困難性も危惧されたのです。それは、これまで映画制作というのは映画会社が自ら資本を投じて俳優を集めセットを組み、専門のスタッフによって制作されるということが一般的な制作手順であり、そこには膨大な組織と資金が投入されていました。全国に張り巡らされた上映館を通じて完成した映画が上映され、観客が評価すれば投資した資本が早めに回収でき次作へつなげることができます。
しかし自主制作の記録映画ともなれば、制作する映画に対する基本姿勢と撮影に用いる機材やスタッフの活動資金など多額の費用を要し、これらを自主的に企画し資金を集めなければならないわけで、ある意味、リスク(危険性)が伴うわけです。ここで求められるのは、この記録映画を作っていこうとする中心メンバーが私たち定時制高校生からいかに信用を得るか、また映画の中身がどのようなものになるのか。この二点でしょうか。

正月明け第一回目の会合で日比谷高の定時制高校生から受けた話の内容を、さっそく社研部のメンバーに相談してみました。この時期、私は何故か3学年になって生徒会の代議員として活動の傍ら、クラブ活動では創部間もない社会科学研究会(社研部)に所属しており、学内で少しは顔を知られる存在となっていました。
「何故か3学年になって…」と前置きしたのも、決して自らの意思で代議員や社研部部員として動いていなかったのですが、気がつくと学内で二つの役割りを担う羽目に陥っていたのです。ましてや今回の映画作りに関する話しの持ち込みも、何故か本校の窓口となっていたのですから「三つ巴の人間関係」に顔を突っ込むわけで、「嗚呼~自業自得!オレは追い込まれていくのだ~」なんて内心呻きながらも、どことなく目に見えない<磁場>に引き込まれていく自分に新たな発見を見出していました。

記録映画制作に向けた話し合いが行われた日(1月9日)から10日程経た1月18日。東京大学の安田講堂に立て籠もる東大全共闘と支援組織によるバリケード封鎖に対し、1万名もの機動隊が取り囲み「東大安田講堂闘争」が闘われました。周辺の神田地区には籠城組との連帯を表明した学生・労働者・市民などが機動隊との攻防戦を繰り広げ、闘争現場一帯は解放区「神田カルチェラタン」と呼ばれていました。
私は授業中にトランジスタラジオを持ち込み勉学そっちのけで、イヤホンから安田講堂攻防の実況放送に聞き入っていました。のんびりした授業風景と背中合わせのところで安田講堂の攻防戦が始まっている…それは奇異な光景でしたが、教室のなかで目に見えない緊迫感を感じていたのは私一人だけだったのでしょうか。



3学年の3学期が始まるとともに生徒会の会長選をめぐって、代議員として生徒会役員との打合せに乗じて「定時制高校生の映画を作る企画」があることを数名に話しかけました。夕刊の配達を終えて再び登校し、その都度、記録映画上映委員会のメンバーと新宿や渋谷の喫茶店で代々木高校の生徒を交えた会合が開かれ、徐々に賛同者が増えていきました。
やがて春を迎え4学年に進級しました。この頃になると記録映画上映委員会からの出席者は、事務局担当で都立新宿高校の定時制高校生1名が常時出席するようになっていました。そして、社研部のメンバーをはじめ生徒会役員や下級生など100名以上が、「定時制高校生の映画を作る企画」に参加していったのです。

一方で、「撮影が始まった」と聞いてはいましたが私は映画制作や撮影に関しては一切関与していませんし、どのような内容の映画となるか口を挟むことはしていません。それは私自身が学内の生徒会活動や「PTA問題」へ取組むとともに、社会情勢としての安保闘争や学生闘争・労働運動の現実に目を奪われていたこともあるのでしょうが、上映委員会の主旨に賛同している以上、彼らを信じ私は私の役割りを果たしていこうと思っていたのです。

――その年の秋。定時制高校生の自主制作記録映画『奪還そして解放-ある定時制高校生の記録-』が完成、9月17日から18日の2日間「四谷公会堂」で公開されました。この日を皮切りに都内各地で上映会が開かれ、バリケードストライキ中の大学構内で上映されるなど、この映画は高い評価を得ています。



記録映画『奪還そして解放』の初公開にあたってのメッセージは次の通り――。
〔 支配と被支配をわれわれは認めない。闘いはここに始源する。われわれではない側に略奪された言語圏を奪還することで、われわれの解放は兆してくる。われわれの自治は、われわれの側に属する。自らの階級を意識できたプロレタリアが全ての階級の断罪に出かけていく。この時プロレタリアはプロレタリアートに自ら変革する。〕

この一文を読むと、まったく何を言っているのかわからない――というのが正直な話。でもひとつひとつの文章の内容を吟味していくと、要は「この映画を通して定時制高校生の本格的な<叛乱>が始まる」というメッセージが伝わってきます。
それは、安保改定を翌年に控え学生や労働者の反戦・反安保闘争が激化する社会情勢を背景とした、定時制高校生の悲痛な叫びであり社会に対する行動提起でもあるのです。


――ある日の朝。朝刊の配達を終え食事を済ませて登校前のひと時、テレビを何気なくみていましたらNHKニュース後の話題コーナーで、突然、記録映画『奪還そして解放』の断片的な映像シーンとナレーションが入って、この映画のもつ特性が紹介されました。すると何故か、我が代々木高校の国語担当の教師がインタビューに答え映画に関する何らかの発言を行っていましたが、どことなく映画の内容に否定的です。
国語担当教師は日頃から、定時制高校におけるPTA問題をはじめ生徒の提起した様々な学内問題を好意的に受け止め私たちに適切な助言を行っていただけに、このNHKテレビでの発言内容に不信を感じたものです。

そこで登校し、私一人で休み時間にインタビューに答えた国語担当の教師に発言の真意を問いただしました。すると、その教師は憤慨した面持ちで「事前にNHKから連絡を受け、映画を観た後で30分程の取材を受けたのだが、私は定時制高校生の現実を反映した評価できる映画だと発言したのです。ところが先方の問いに対し答えた僅かな内容が、私の発言の総てのように放送されてしまって心外だ」とのこと。
そして「これは最初からNHKがこの映画に対する考えを引き出すため、あらかじめ質問を用意していたとしか思えない。私はハメられたのだな…」と怒り心頭。「悪意ある質問に回答者の一部の発言を拡大させる。安易にマスコミの質問には答えてはならないね」と私に向かって語っていました。ここで、教師が語っていた「…NHKがこの映画に対する考え」とは何だろうか。

――その年の秋、安保改定を翌年に控えた<二大武装闘争>を経て、約半年後の1970年4月。日大闘争救援会主催の『ゲバルテーゼアッピール!映画会=全共闘運動の根源を問う=』が催され、4日間にわたって当時話題の記録映画が連日上映されました。そのなかの1本に記録映画『奪還そして解放』が入っています。「苦闘する定時制高校生の記録」として、いまや記録映画の世界で他の作品に並ぶ評価を得ていました。



各界から高い評価を得た記録映画『奪還そして解放』ですが、思わぬところから横ヤリが入りました。それは闘争を担うセクトから『奪還そして解放』の題名に対する批判、さらに権力からの数次にわたる弾圧です。この映画に対するNHKからの悪意にみちた番組構成や題名への批判、権力からの弾圧…。定時制高校生の自主制作記録映画『奪還そして解放-ある定時制高校生の記録-』の上映に、彼らは何を恐れていたのか――。
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