走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

日本語脳と英語脳と看護論

2022年02月09日 | 仕事
つくづく翻訳って難しいな、と思う。昨日のブログを上げてから、ここそこの時間を使い日本語と英語の二つの文書を読んでみた。

以前も書いたが英語圏に住んでいると翻訳とか得意ですよね?と言われてしまいますが、いえいえ、私は日本語脳と英語脳の二つがあり、この二つがいつもブリッジしているわけではないのです。だから通訳とか翻訳が苦手なのでです。日本人の殆どが日本語で文を構築してそれを英語に変換する、やり方をします。しかし海外に住んでいてそのやり方だと「日本語英語」が抜けず英語を第一言語とする人には理解しづらい英語になってしまうので、私が海外で住み出して始めたことは「英語で考え英語を使う」つまり英語脳を作ったのです。英語で聞き、理解して、自分の知識を英語で構築し英語でそれを使う。

通訳や翻訳ができないわけではありませんが、時間がかかると言った方が正しいと思います。直訳と翻訳が違うように、ただ言葉を変換するのが翻訳ではありません。意味や文書のメッセージ性や知識の伝達が同じようになるようにしなければならない。そこに時間がかかります。だから自動通訳機能が発達しても100%翻訳、通訳できない理由がここにあるのです。とくに論文のように論点を積み上げていくものには、論点がずれないためにもそのブロックの形や大きさ、重さが同じでないといけない、と私は思っています。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、先の日本語と英語の文書について。私は29歳でカナダへ渡りました。日本でも看護師でした。日本での看護教育は3年制の看護学校へ行ったこともあり、お世辞にも看護論などを本当に理解するには至りませんでした。カナダで免許を取得し、大学院へ行き、今の職業に就きました。大学院での授業は頭の皺が隅々まで伸ばされるほど、看護論を理解し、APNとしてグローバルな視点で看護を考えるようになりました。これは全部英語脳でやったことです。なので先の文書の英語版はスーッと入ってくるのですが、日本語版はいちいち引っかかります。そして大事なエッセンスが抜け落ちているように思えてしまいます。だから昨日のブログを書いたのです。

しかし気づいたのです。私の看護の日本語脳は日本の看護経験で止まっているわけですから、日本語脳では理論的な事を理解していないのでは?と。日本語訳で「社会正義」とか「患者を擁護する立場」などに???となりました。「情報の秘密性」にも???え?密使なの?とか、看護はスーパーヒーロー???と沢山のハテナマークが浮かぶのです。しかしよくよく考えてみたら。私の看護の日本語脳は看護学校の3年と実践8年で止まっているわけですから、私だけが理解できないのかもしれません。現に社会主義をググりその日本語定義を読めば、理解は進みました(当て字的な感覚は拭えませんが)。なので日本で働いている方々には理解できるものなのかもしれない、と思うようになりました。ならば私はとても失礼な事を昨日書いてしまったことになります。

なのでお願いです。日本のAPNの皆さん。是非日本語の文書を読んでみてください。これがスーッと理解できて、そうそうこれが看護の倫理だよね、と理解でき、自分の実践を通して例をあげられるほどのものであれば、私の英語脳と日本語脳の違いでこの翻訳が悪いのではない、となります。しかし逆に修士以上の学歴を持っている方々が、この日本語文書の理解に難をするならば、翻訳に問題がある可能性、もしくは世界レベルの看護倫理教育が修士以上の教育に浸透していない可能性、この2つの疑いが浮上するとなると思います。とても興味があるので教えてくださいね〜コメントを楽しみにしています。

冒頭写真: 居酒屋にて。一升瓶を注文しちゃった。残りは持ち帰ることができると言われたので、グラスで頼むよりお得かな?と。ワインよりでっかいからバケツが小さくて笑える〜ほぼ日本の2倍ちょっとの値段を払いましたわ。美味しかったよ。 


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