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あのね!あまねがね!

ねこの『あまね』成長記録。連れずれなるままの日常日記の自分へのメモ残し

フォークソング&Jポップス黄金時代 7/15

2025-03-04 15:56:03 | アルバム ジャケット

■Disc 7 

 1 君といつまでも  (加山雄三) 1965(昭和40年) 

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売されレコード販売350万枚の大ヒットを記録した。

加山雄三のニックネームは「若大将」。

これは東宝映画の「若大将シリーズ」で主演を務め大ヒットした事による。

歌手、俳優、ギタリスト、ピアニスト、作曲家、画家とマルチな才能を持つ。

父親は俳優の上原謙。母は女優の小桜葉子。妻は女優の松本めぐみ。

母方の高祖父に明治の元勲・岩倉具視がいる。

歌手としては、代表曲は多数あり日本のシンガーソングライターの草分け的存在である。

そんな順風満帆な加山にも不遇の時代があった。

1965年パシフィックホテル茅ヶ崎が倒産。監査役だった父とともに巨額の債務を抱えた。

10年で返済するが、その間はクラブ、キャバレー回りをし質素な生活をした。

その後はドラマで活躍し、俳優、歌手に活躍した。

現在、御年81歳で元気にご活躍されています。

 2 夜空の星  (加山雄三) 1965(昭和40年) 

「君といつまでも」のB面曲。

バックの演奏は寺内タケシとブルージーンズです。

 3 お嫁においで  (加山雄三) 1966(昭和41年) 

シングル8作目。

ヒットにより同名のタイトルで映画化もされている。

主演は加山雄三。まさに歌謡映画そのもの。

 4 旅人よ  (加山雄三) 1966(昭和41年) 

シングル10作目。

「夜空を仰いで」のB面曲。

演奏は加山雄三とザ・ランチャーズ。

 5 空に星があるように  (荒木一郎) 1966(昭和41年) 

東海ラジオ『星に唄おう』主題歌、第8回日本レコード大賞新人賞受賞曲。

荒木一郎は俳優・音楽家・小説家・芸能事務所オーナー・マジック評論家。音楽はシンガーソングライターから楽曲提供・劇伴担当など幅広く活動し、ギター、キーボード、ドラムスの演奏ができるマルチプレイヤーである。

母親は女優の荒木道子。元妻は女優の榊ひろみ。

現在81歳で活動中です。

 6 バラ色の雲  (ヴィレッジ・シンガーズ) 1967(昭和42年) 

シングル3作目。60万枚を売り上げ大ヒットとなった。

尚、1978年には再発売盤(両A面シングル『バラ色の雲/亜麻色の髪の乙女』が発売された。

 

 7 亜麻色の髪の乙女 (ヴィレッジ・シンガーズ) 1968(昭和43年) 

シングル5作目。60万枚を売り上げ大ヒットとなった。

ヴィレッジ・シンガーズは1966年にデビューしたグループサウンズ。

2002年には島谷ひとみによるカバー曲がヒットした。

尚、この歌には原曲がある。

青山ミチ「風吹く丘で」であるが、本人の不祥事により発売1日前に発売停止となってお蔵入りとなっていたのである。

そして2011年に青山ミチのアルバムの中で45年ぶりに発売された。

原曲 青山ミチ版「風吹く丘で」

島谷ひとみ版 

 8 時には母のない子のように  (カルメン・マキ) 1969(昭和44年) 

カルメン・マキのデビューシングル。

17歳とは思えない妖艶な雰囲気、歌唱力、哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。

累計100万枚を超える大ヒットとなり、紅白歌合戦にも出場したが、ステージには裸足にジーンズ姿で登場し非難を浴びた。

元々はアングラ演劇の寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」に入団し舞台レビューしたが、音楽関係者の目に留まり歌手デビューした。

これ以降も個性派歌手として活動し、6枚のシングルと3枚のアルバムをリリースする。

…が、1970年に突然「ロックへの転向」を発表。

以降は女性ロッカーとして現在まで活躍されています。

B面は「あなたが欲しい」。

私はこちらの曲も好きでした。

 9 何故に二人はここに  (Kとブルンネン)  1969(昭和44年)

Kとブルンネンのデビューシングル。

Kは日本人の大学生。ブルンネンはアメリカ人でアメリカンスクール在学中だった。

デビュー後、1970年11月までに、計5枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした。

なお、その後の二人の消息は不明である。

デビューシングル「何故に二人はここに」は、後に浜田朱里がカバーしている。

また、5枚目のシングル「あの場所から」は、後に朝倉理恵、柏原よしえ、南沙織がカバーしている。

浜田朱里版

10 秋でもないのに  (本田路津子)  1970(昭和45年)


本田路津子のデビューシングル。

続いて『風がはこぶもの』、『一人の手』などのヒット曲を出し、森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。

1972年のNHK連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌『耳をすましてごらん』でお茶の間にも親しまれ、NHK紅白歌合戦にも2回出場した。

1975年に結婚を理由に引退し渡米した。

両親がキリスト教徒の影響もあって、フォークシンガーからゴスペルシンガーへと変革した。

1988年帰国して以降、国内外の教会のコンサートなどで神の愛を歌い、賛美歌の歌い手として現在も活躍している。

11 知床旅情  (加藤登紀子) 1971(昭和46年) 

 東京大学在学中の1965年に第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝し翌年デビュー。

1970年に「知床旅情」が140万枚を売り上げ2度目の日本レコード大賞を受賞した。

尚、森繫久彌盤の「しれとこ旅情」は1965年に発表しやはり40万枚を売り上げている。

夫は全学連の藤本敏夫で「獄中結婚」で話題となった。残念ながら2002年に58歳で亡くなられている。

御年81歳で現在も活動されています。

元々は民謡「さらばラウスよ」に森繫久彌が歌詞を追加した。

1960年に「しれとこ旅情」を発表した。

 

12 今日までそして明日から  (よしだたくろう) 1970(昭和45年) 

アメリカへの憧れから発展した政治性がない東京のカレッジフォーク

それに対抗するように発展した反戦等政治性が主体の関西フォーク

そんな政治色を強め閉鎖的になっていく関西フォークに異を唱えたのが「よしだたくろう」。

歌の内容を政治色から恋や人間関係など政治色のない「個人的な内容」に変えました。

吉田拓郎をはじめ、かぐや姫、井上陽水、中島みゆきらが作り出した「政治から離れた個人的なフォークソング」はニューミュージックと呼ばれるようになり、たくさんのヒットを記録します。

この曲はシングル3作目。

なぜ「わたしは今日まで生きてきました」ではなく、「わたしは今日まで生きてみました」なのか等、禅問答のような歌詞である。

吉田拓郎」はフォークを日本ポップス界の王道に引き上げたパイオニア的存在です。

 

13 結婚しようよ  (よしだたくろう) 1972(昭和47年) 

「今日までそして明日から」の次に発表したシングル。

それまでのアンダーグラウンドの音楽だったフォークをメジャーに押し上げた名曲で「J-POPの原点」とも評される。

40万枚を売り上げ大ヒットとなった。

当然、従来の政治性の強いフォークソングファンからは激しい「帰れコール」を浴びたが、その後の日本のフォークソングに新しい流れを生み出した。

 

14 旅の宿  (よしだたくろう) 1972(昭和47年) 

「結婚しようよ」の次に発表したシングル。

シングルとしては唯一オリコンチャート1位を記録したシングルで、売上げ70万枚は自身最大のシングル・セールスを記録した楽曲である。

 

15 風と落葉と旅びと (チューインガム) 1972(昭和47年) 

チューインガムは、実の姉妹であるフォークデュオ。

シングルデビュー曲である。

1985年に活動を停止されています。

16 雪 (猫) 1970(昭和47年) 

1972年のデビュー2作目の曲。

作詞作曲はよしだたくろう。

1975年4枚目のアルバムを発表して解散する。

2004年秋 - 田口清の十三回忌法要で、メンバーが集まったことがきっかけで、約30年の沈黙を破り本格的に再結成。

17 少女 (五輪真弓) 1972(昭和47年) 

五輪真弓のシングルデビュー曲。

五輪真弓と言えば「恋人」。東南アジアで最も人気のある曲である。

キャッチフレーズは「たくろうと並ぶ日本フォーク界の最重要人物!」。

「和製キャロル・キング」と謳われ、日本女性シンガーソングライターの草分けと呼ばれた。

 

18 地下鉄にのって (猫) 1972(昭和47年) 

「雪」に続くデビュー3作目の曲。

作曲はよしだたくろう。

 

19 あの場所から (朝倉理恵) 1973(昭和48年) 

デビュー曲で自身最大のヒット曲。

1979年までシングル10曲、アルバム3枚を発表するが、その後は消息不明。

Kとブルンネル版

柏原芳恵版

 

20 煙草のけむり (五輪真弓) 1973(昭和48年) 

4枚目のシングル。

21 岬めぐり (山本コウタローとウィークエンド) 1974(昭和49年) 

「山本コウタローとウィークエンド」としてはデビュー曲。

40万枚を売り上げ、グループとしては最大のヒット曲となった。

山本コウタローは大学在学中に「ソルティーシュガー」のメンバーとして活動し、1970年に「走れコウタロー」をリリース。

100万枚を超える売り上げを記録し日本のコミックソングの代表作となった。

22 シンシア (よしだたくろう&かまやつひろし) 1974(昭和49年) 

「シンシア」とは元祖アイドル「南沙織」の愛称で、彼女のクリスチャン・ネームでもある。

南沙織の6枚目のシングル盤「早春の港」を耳にしたよしだがこの楽曲に感銘を受け、アンサーソングとして制作したのが本楽曲であり、現役ミュージシャンが同時期に活躍するアイドルに捧げた歌という点が特徴である。

23 白い冬  (ふきのとう) 1974(昭和49年) 

ビュー曲。

北海道出身の2人組のフォークデュオ。

1992年に活動を停止されています。


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