■06
1 これが青春だ (布施明) 1966(昭和41年)
日本テレビ系ドラマ『これが青春だ』の主題歌。
「霧の摩周湖」の次に発表した曲。
2 遠い渚 (シャープ・ホークス) 1966(昭和41年)
シャープ・ホークスは「歌って踊れる異色の混血グループ」として1963年に結成。
シングル2作目の曲。
ボーカルに安岡力也がいた。
1969年に解散している。
3 白いブランコ (ビリー・バンバン ) 1969(昭和44年)
兄弟2人組によるフォークユニット。
デビューシングルでありヒットした。
一時低迷したが、1972年の「さよならをするために」が80万枚の大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出場した。
1976年に解散したが、1984年に再結成。
現在もご活躍されています。
4 ミドリーヌ (ビリー・バンバン) 1969(昭和44年)
シングル3作目の曲。
5 みんな夢の中 (高田恭子) 1966(昭和41年)
デビューシングル曲で50万枚の大ヒットした。
レコード大賞を受賞し紅白歌合戦にも出場した。
1980年に結婚、引退した。
現在は復帰しディナーショー等を行っている。
6 花いちもんめ (はっぴいえんど) 1971(昭和46年)
1971年リリースのバンドの2枚目のスタジオ・アルバム『風街ろまん』からのシングルカット曲。
7 風をあつめて (はっぴいえんど ) 1971(昭和46年)
1971年リリースのバンドの2枚目のスタジオ・アルバム『風街ろまん』の収録曲。
8 雨が空から降れば (小室等) 1971(昭和46年)
1stシングル。
小室等はフォーライフレコードの初代社長。
御年81歳の現在も娘こむろゆいさんとコンサートをされています。
9 自転車にのって (高田渡) 1966(昭和41年)
1stシングル。
高田渡は関西フォークの中心的人物の1人。
残念ながら2005年に56歳の若さで亡くなられています。
10 カレーライス (遠藤賢司) 1972(昭和47年)
2ndアルバム『満足できるかな』収録曲からのシングルカット。
遠藤賢司の好きな食べ物はカレーライス。
カレー好きが高じて1974年には渋谷の道玄坂にカレー店『ワルツ』を開店する。
残念ながら2017年に70歳で亡くなられています。
11 教訓Ⅰ (加川良) 1966(昭和41年)
1970年の「第2回中津川フォークジャンボリー」では飛び入りで「教訓I」を発表し、一躍人気者になった。
翌1971年にURCからこの曲でデビュー。
原詩は上野瞭が1967年に発表した「教訓ソノ一」。
残念ながら2017年に69歳で亡くなられています。
12 出発の歌 (上條恒彦&六文銭) 1971(昭和46年)
「第三回合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル」のグランプリ曲。
続く「第二回世界歌謡祭」でグランプリを獲得し、シングル発売し、70万枚の大ヒット。
その後も俳優として多数のドラマに出演されている。
現在84歳で現役である。
13 だれかが風の中で (上條恒彦) 1972(昭和47年)
この曲は、フジテレビ系列の時代劇『木枯し紋次郎』の主題歌。
14 赤色エレジー (あがた森魚) 1971(昭和46年)
林静一の同名漫画を題材とした曲で50万枚を売り上げるヒットになった。
あがたはよしだたくろうや、泉谷しげる、友部正人とともに"ニュー・フォーク四人の旗手"と呼ばれた。
現在76歳で活動されています。
15 プカプカ (西岡恭蔵) 1972(昭和47年)
西岡恭蔵は1960年代にフォーク喫茶「ディラン」の雇われマスターとなる。
常連客と「ザ・ディラン」を結成したが、ソロを目指して脱退。
1972年にジャズシンガーの安田南に捧げられた曲「プカプカ」発売した。
1999年に50歳の若さで亡くなられている。
16 面影橋から (及川恒平・六文銭) 1972(昭和47年)
「面影橋から天満橋」で始まるイントロ。
聞き覚えがある方が多いのでは?
小室等率いる六文銭に加入し1972年に発表したシングル1作目の曲。
その後は作詞作曲に活躍されています。
現在76歳で活躍されています。
17 ウララカ (大瀧詠一) 1972(昭和47年)
アルバム「大瀧詠一」の収録曲。
大瀧詠一は、歌手はもとより作曲家、アレンジャー、レコーディングエンジニア、著述家等多くの顔を持つ。
残念ながら2013年に夕食後に動脈瘤で倒れ帰らぬ人となってしまった。
18 ケンとメリー~愛と風のように~ (BUZZ ) 1966(昭和41年)
これほど影響を与えた歌はない。
1972年発売の4代目スカイラインのCM曲に採用され「ケンとメリーのスカイライン」といわれる程脚光を浴びた。
3代目C10型は「ハコスカ」と呼ばれ硬派のイメージだったが、4代目C110型は一転して軟派の売り出しになった。
尚、「ケンメリ」は2ドアハードトップ型だが、4ドアセダンも存在し「ヨンメリ」(4枚ドアのケンメリ)と呼ばれた。
ちなみに初代ケン&メリーは陣内たけしとダイアン・クレイ、
二代目〜は前田俊彦とテリー・ミラーであり、全16話まである。
BUZZはこの曲でレコードデビュー。
オリコンチャート19位まで昇るヒットとなり、33万枚を売り上げた。
なお、CMバージョンはレコード化されたものとは歌詞が異なる。
「愛と風のように」の部分を「愛のスカイライン」と替えている。
1982年に解散した。
2007年に再開し現在も活動中です。
19 シクラメンのかほり (布施明) 1975(昭和50年)
自身にとって最大のヒットでミリオンセラーを記録した。
その年のレコード大賞、歌謡大賞など音楽賞を総なめした。
作詞作曲は小椋佳。
小椋佳は当時第一勧銀のエリート銀行員で2足のわらじを履いていたが表立っては活躍しなかった。
この曲が大ヒットした為マスコミが大騒ぎし、銀行内でも問題になったが、上司がかばってことなきを得た。
後に小椋佳自身も歌っている。
20 どうぞこのまま (丸山圭子) 1976(昭和51年)
1972年にデビューし3作目の曲。
アルバム『黄昏めもりい』収録曲の「どうぞこのまま」が有線放送から人気に火が付き大ヒットとなった。
丸山圭子はシンガーソングライターであり、当時ニューミュージックと呼ばれたジャンルで荒井由実と共に名をはせた。
途中、音楽大学の教授を経て1996年から、活動再開。
現在もご活躍されています。
21 ワインカラーのときめき (新井満) 1977(昭和52年)
カネボウのCMソングとして採用されヒットした。
新井満は、電通に入社し環境ビデオ映像の製作に携わるかたわら、小説・歌などの創作活動に入った。
この曲の他にも『千の風になって』を作曲している。
この曲は後に秋川雅史が歌い大ヒットとなっている。
残念ながら2021年に75歳で亡くなられている。
22 青葉城恋唄 (さとう宗幸) 1978(昭和52年)
NHK-FM仙台「FMリクエストアワー」でリスナーから寄せられた詩に曲をつけて歌をつくるコーナーから生まれたのが『青葉城恋唄』である。
さとう宗幸は、学生時代から歌声喫茶でギター片手に歌い、セミプロのフォークソング歌手であったが、この番組でDJを務めていた。
この曲でメジャーデビューし大ヒットした。
76歳になった今も活動されています。
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