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生かして生かされて生きる

日々感じる事 気になる言葉
宗教問わず信仰について考える
ほとんど私用メモ帳化してます

カリスマ 名声 地位 名誉

2006年02月24日 | 心の話
 

「自ら強力であって、かつ後継者が強力であるという真のリーダーは、

 一般に信じられている大人物とは、見た目も行動も大きく異なる。

 カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。

 彼らは、勤勉さと献身によってリーダーとなる。

 権力を集中せずにチームをつくる。

 操作によってではなく、真摯さによってリーダーとなる。」

        (ドラッカー わが軌跡より ex週間ダイヤモンド)



仕事意欲にガソリンを注ぎたいときに目を通すドラッカーやナポレオン・ヒル、デールカーネギーなどのさらっと述べられる名言にしばしば「はっ」とさせられる。
そしてそれらは仏教とは何の関係もないのに関わらず、仏教と同じ事を言っているときがある。きっとキリストの意見とも変わらない時もあるだろう。
そもそも真理は、別にただ一箇所、ただ一人にくくられているものではないのだ。

ちなみに題名の語呂がバランスよくできました。
声に出してみてください。

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92 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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今夜は辛丹波呑みすぎたかも、明日はどぉちっだ~♪ ()
2006-03-26 03:01:16
いろいろあってどんどん変わってきたし、これからも変わっていくと思うよ。

夫婦の呼吸みたいなものも。



国内の音楽療法は聖路加の日野原じっちゃんがリードしとります。

いろんな側面と、アプローチのしかたあるようよ。それにレクレーション的

だとか「癒し」系なんかのモノもあるし。どれも一概に否定できるものじゃ

ないよね、って思うよ。



私なんか他人様の土俵だけで悪態ついてる。がはは。

みなさんありがとうございます。って、許されてるわけじゃないっか。。。

みれいさんありがとう。
返信する
京都はんなり (みれい@祇園に穴場知ってまっせ)
2006-03-25 03:12:38
融通。



「融通無礙」かなりテーマですね。



歩さん夫婦のありかた、いいですね。

そして、そう思える歩さんがいいですね。



音楽療法は知らないジャンルです。

私が通った催眠療法でも中でいろんな分野に分かれるそうなので、音楽療法にもいろいろあるのでしょうね。



>どこでもいいじゃん、頭の中以外なら。



いや~自分の掲示板持っていないので借りないといけないし・・・

ペガサスさんとこ借りたら困るだろうなぁw



・・・いや、その歩さんの言葉がひょっとして答えか?



今度記事で禅僧名言集でもやれたら面白いなぁと思います。

そしたらコメント欄まるごと自由に使いましょうかね。
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ごめんちゃい ()
2006-03-25 00:56:28
あいたたたた、たった二人しか知らないなかで、みんなって書いてしまった。

自分で常に分母分子の質量をなんーて言ってるくせにお粗末。



音楽療法は妻の専門のひとつ。

あれはオモシロイ可能性を秘めていると思うよ。何にしても実践学(という

より実践楽?)で臨床学だ。決して統計学や分析学じゃないと思う。そのう

ちそういう時代も経ることと思うけど。



理論や定義を捨て置いたりバカにするのことはないけれど、実践というか、

これからどうすんべ~って、自信を持ってでも、或いはとりあえずでも何を

するかを決めることを最重要視している。私も妻も。

このへんの価値観がほぼ一致共有できているから、考え方ややることは違っ

てもなんとかうまくやっているんじゃないかな~。今は、がはは。



マザーテレサ。私もいくつかコメント(というより言葉の引用紹介)したな

あ。なつかしの考えよう板の頃。

http://blog.livedoor.jp/fookoo/archives/2002-10.html#20021020
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最高尚宮「毅然としつつも融通を」 (歩@京都府下某所に出張中)
2006-03-25 00:55:26
みれいさん



「野狐禅と無事禅」

どこでもいいじゃん、頭の中以外なら。
返信する
とほほ (みれい)
2006-03-22 02:50:05
訂正 ブログ解説→ブログ開設 



Leoさんのブログなら意味的には合いそうな気もするけど(いいわけ^^;)



>歩さん



>じゃあ、どうするか。わからない。ほっとけないから現状の一般論や常識を

ベースにしつつエイヤー、あるいは南無三とやってみる。あるいはグっとこらえる。いずれにしても現実に対峙することから始めようと思っています。



私も同じく、今出来ることからやっているという感じです。

特に私は至らないことばかりで自分ではどうにもならない事も多々あるし、結局皆さんの力借りまくりなわけですが。3歩進んで4歩さがってみたり。



よかったら野狐禅と無事禅について教えてください。えーと、場所はどこがいいかな・・・



返信する
あら (みれい)
2006-03-21 22:45:16
↑みれいです
返信する
Unknown (おっ)
2006-03-21 22:44:40
>歩さん



モルモンでもエホバでも、なんでも、信者はみんないい人ですよ。やはり問題は教義にあります。

カルトの共通点は「排他性」(自分の教団だけが正しく、他は間違っているとする。)がわかりやすいですね。

2世3世はその狭い価値観に生まれ育つ為、教義を離れて生きるのが大変なのも共通したりします。

以前私はキリスト系カルト被害者のMLに参加していたのですが、そこで一番深刻そうなのはモルモン2世でした。

とにかくがんじがらめの教義ですね。

エホバは輸血問題のほかに子供へ体罰ムチ奨励などもあるそうで、親が悪かったら悲惨です。

統一教会は高金額の被害(日本は特に)や合同結婚式などもあげられますね。



ちなみにモルモン、エホバ、統一教会はそれぞれ「キリスト教の正しいのはうちだけ」としていますが、正当なキリスト教からは「キリスト教ではない」と公式声明を出されているそうです。



>Leoさん



解説おめでとうございます

さっそくリンクさせていただきます^^







>あややさん



同感です。

私もマザーテレサに感動してブログに書きました。



http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/e/86c562e98144d7c63e1840a4ca4cafb4

返信する
Leoさん有難うございます。 (あやや)
2006-03-21 17:21:59
Leoさん笑ってしまいました。本当の事ズバリですね。

釈迦の譬え話を盛んに学会で使うのは

【貧女の一灯】でしょう。財務が近くなるとこればっかり

貧しい会員からお金吸い上げるにはこれが発揮するでしょう。

釈迦を手のひらに乗せて遊んでいる学会は罰当たりもいいとこですね。
返信する
P.S. (Leo)
2006-03-21 15:25:02
いやはや、また書きすぎてしまいました。



ブログ悩まずにボタン一発で開設できました。結構そんなもんです(笑)

http://blogs.yahoo.co.jp/leo020503
返信する
歩さん、こんにちは。 (Leo)
2006-03-21 10:38:38
>ただ何でも「がんばらないで(簡単に略し記述します)」も、ひとつのアプ

>ローチにしかすぎないことは認識する必要があると思います。



疲れた人は「頑張らない」、エネルギーを得たい人は「頑張る」ではないかと思います。

エネルギーを得たい人に「頑張らない」では元気が出ないですし、疲れた人が「頑張る」

のはきついです。たとえば音楽療法に今と同じ気分の音楽を聴くのがよいというのがあるそうです。



あややさん、こんにちは。



釈迦が去年の暦で役立たずであるならば、日蓮聖人は先月の暦で役立たず、創価は昨日の

暦で役立たずになります。今日を歩むのは自分しかないです。

他方では年月でかわらない知らなかった(創価でない)価値があるようです。

(創価の中で釈迦を紹介しようとした人がいたけど抑制されたようです、利益宗教だから

仕方ないのですね...)



>マザーは決してキリスト布教をしたのではなく

>死に行く人がどの宗教で埋葬してほしいのかを聞いて

>そのとうりにおこなってあげたのです。



本当に尊いことですね。



ある弟子が病気で他の弟子からほうっておかれた時、釈迦が直接看病したことがあったそうです。



私は色々書いていますがこんなこともあると紹介しているだけで、個人が学び選び選択する

自由が大切だと思っています。



>ここに偉大な小さな体の聖女をみるおもいがいたします。

>遺留品は2枚のサリーと聖書そしてロザリオ、小さな

>ベッドでした。



宗教の本来の目的は利益を得ることでなく心がきれいになることなのだそうです。

聖人(せいじん)といわれる人の生涯にはそれがありますね。
返信する
あやや (マザーテレサ女史について)
2006-03-21 09:54:51
マザーテレサの生まれた家は代代のカソリック教会の信者でした。母親は人の面倒をよくみるかただったようです。

修道女になるのがマザーの意志だったようです。

修道院では地理の先生をしながら生徒たちに人気があったそうです。当時のインドは目をおおうばかりの悲惨の状態でした。マザーは一人街にでて捨てられた死体や息たえる寸前の人に「貴方は充分愛されています」

マザーの心には「貧しいひとの中にイエスキリストはおられる」の信念があったからこそ、蛆虫で汚れた人の体も献身に介抱できたのです。



そのような方が仏教者の中にいたのか私はしりません。

                  

マザーは決してキリスト布教をしたのではなく

死に行く人がどの宗教で埋葬してほしいのかを聞いて

そのとうりにおこなってあげたのです。



ここに偉大な小さな体の聖女をみるおもいがいたします。

遺留品は2枚のサリーと聖書そしてロザリオ、小さな

ベッドでした。
返信する
創価学会風見鶏 (あやや)
2006-03-21 08:40:23
【釈迦は去年の暦でやくたたじゅ】

なんども学会から言わされてきました。

だからもう、なにがあっても信じません。

御都合でコロコロ変わり

要はしっかりとした教義がなかったということです。

なんせ利宗教なのですから、創価学会は。

これからもでしょう。

                          
返信する
モルモンってそんなにヘンか?統一教会も知ってる人、みんないい方なんだよね。 ()
2006-03-21 04:59:24
みれいさん、Leoさん

コメントありがとうございます。



私も実体験や実感のないものをどうこう言えない部分もありますが、二次的

なというか見聞や自分なりの想像力のベースにここでの思いやお考えを加え

収めておこうと思います。

それがどういう形で昇華してくるかは、私にも想像つきませんが。がはは。



ひとつ。

「がんばれ」「がんばらないで」の留意事項。これは、現在の一般的に言わ

れている範囲では理解しているつもりです。症例というか現実的な面での関

わりがあったりするものですから。

ただ何でも「がんばらないで(簡単に略し記述します)」も、ひとつのアプ

ローチにしかすぎないことは認識する必要があると思います。臨床心理学と

か学術面においてもいつ「がんばらないで」はダメだ。という傾向がでると

も限らないと思っているのです。そうやって科学技術文化って培われてきて

いるものですから。

じゃあ、どうするか。わからない。ほっとけないから現状の一般論や常識を

ベースにしつつエイヤー、あるいは南無三とやってみる。あるいはグっとこ

らえる。いずれにしても現実に対峙することから始めようと思っています。



ちょっと尻切れトンボ。ありがとうございました。

返信する
マザーテレサのインド国葬はキリスト教式で行われた。 ()
2006-03-21 04:50:41
ネコも杓子も。

正確には「禰子も釈子も」



禰宜(神道)の子も釈尊(仏教)の子も。
返信する
みなさん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-21 02:25:19
少し気になったのでお話ししてみます。



日蓮聖人は法華経を最上位とみなす天台の見解から出発して釈迦仏教を宣揚しようとしていたのですが、

(実際ご自分を「釈子」と名のられています)

後の世の人(日蓮正宗系-創価のルーツ)に絶対的な本仏として祭り上げられてしまったのですね

(これは悲劇といえます)。



○日蓮は『法華経』=釈迦仏と主張(末木文美士)

http://page.freett.com/Libra0000/120.html



○しゃくし【釈子】(『仏教哲学大辞典』)

http://page.freett.com/Libra0000/058.htm



それに本来仏法を護るための指導が教団や指導者を護る指導にすりかえらたのですね。

(仏教守護のための自負なども含まれていたわけですが)



それに対して法華経の宗教性とは呪縛からの解放であるという現代の研究者の見解があります。



○呪縛からの解放─法華経の宗教性(友岡雅弥)

http://page.freett.com/Libra0000/042.htm



驚くことに日蓮聖人の釈尊指向が寸鉄でちゃんと語られていたことがありました。

(驚くべき一瞬の時代でした)



○大聖人「釈尊に還れ」(『聖教新聞』寸鉄) 

http://page.freett.com/Libra0000/067.htm

「大聖人「釈尊に還れ!」

 恩師「大聖人に還れ!」

 ここに創価の万年の道。」



鎌倉時代には時代の限界もありその時代の考え方があったわけですが、現代では釈迦の実像がよく知られています。

(別に日蓮聖人に拘る必要はないですが)現代において釈迦を学ぶということは日蓮聖人にも反するものでないです。



その釈迦の中心的な思想(仏教独特の思想)には縁起や無我などがあります。

(仏教は本来なにがなんでも勝つとか敵を撲滅するという思想ではないです)



(根本まで行ってないですがちょっとだけ洗い流してみました)
返信する
おはようございます。 (あやや)
2006-03-20 08:15:26
みれいさん、私お釈迦さま大好きですょ



日蓮さんの「法華経を捨つるは地獄の業なるべし」とか       「悩乱するもの頭破作七分」とか



その他オドロオドロしてる御書の中身には悩まされました。

その解決を見出してくれたのが

「創価学会体験記」でもかきましたが

2006年2月10日の【法華経は釈迦の直説ではない】でのコメントです。                   

お陰様ですっきりいたしました。と同じに釈迦の科学的

な洞察に驚きました。



学会では釈迦は去年の暦と同じに役立たずと「折伏教典」

に載せていたからです。会員も盛んに他宗を非難しておりました。



亡くなった日蓮さんには罪はないでしょうが被害者

甚大なので、根本から洗い流したしだいです。



戸田会長の「仏とは生命だ」も怪しくなりました。

菩薩以上はないのです。仏とはやはり亡くなった人が正解と思います。仏の文字は人偏にムとかきます。



仏教伝来を仏ほっとけ532さんと暗記しました。                             

返信する
日蓮 (みれい)
2006-03-20 05:05:52
>Leoさん、

いろいろ調べてくださってありがとうございます。

参考になります。

翻訳はエキサイトも使ってみました。

やはり無料翻訳はよくわからないですね(汗)



>歩さん



私もLeoさんも、今の創価学会で問題が生まれていなければ、おそらく学会の話には関わらないとおもいます。

今でも学会で苦しむ人や悩む人がいる。

それならば何かの対処を、と考えているまでです。

苦しんでいたらとりあえず手を差し出そう。

原因は無明である場合もあるし、個人同士の問題もあるし、学会そのものが原因のこともあります。



日本でも海外でも、脱会または非活動になった元信者達がカルト・宗教被害者のケアにあたっています。

日本は、国をあげての宗教被害の対策がない国です。あと、キリスト系にあって仏教系にないのが、「既成教団からの具体的なケア」です。個々で対応するしかないのが現状のようです。それすらままならないようですが。



元信者が、実際現場でしかわからないようなしゃれにならない出来事に直面した体験を元にケアに取り組むわけですが、宗教団体を離れてダメージを昇華して、そこの宗教問題に取り組める人も少数です。

怒りや悲しみの昇華に「明るく」とか言ってられない現状もあるわけです。

Leoさんの存在はそんな中でも仏教や日蓮御書に精通されていて、なおかつ宗派に括られないロジカルさも大事な存在だと思っています。



ちなみに歩さん、何年か前にうちの地域だったらすごい圧力的な攻撃を学会員さんにされていましたよ。

うちの旦那寺の元住職も学会員さんに攻撃されたし。そこにうちの母も含んでいたわけですけどね。

親戚をあげて謝りにいったわけですが。

今はそういうこともないと思いますが、そちらの地域で無事で何よりです。

そんな母を受け入れて葬儀のお経をあげてくださったお寺も太っ腹だと思います。

(あっひょっとするとうちの地域民主党が圧倒的に多かったのはそういう影響もあるのかも)



>あややさん



日蓮さんが嫌いなわけですね。

嫌いな人、結構いるとおもいます。

アクが強いと思います。



お釈迦さんはどうですか?

私はお釈迦さんは好きです。

なので仏教も好き。

釈迦の教えが広まってほしいと思います。

返信する
Leoさんへ (あやや)
2006-03-19 22:26:03
お気遣い無く、私は大丈夫です。

日蓮さんより魅力ある人見つけましたので。



日蓮さんをよくしらないで聞きかじりしている人には反発してしまいますが、

日蓮さんの性格の悪さを知らない人って多いですね。

これは皮肉でもなんでもないです。率直な個人の感想です。

返信する
補足 (Leo)
2006-03-19 22:25:40
今から思うとあるきっかけから活動抜けることができたのですが、抜けるのも大変(抜けさせない場合が多いから)だし時間かかる場合があります。

キツい世界だったと思います。
返信する
歩さん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-19 20:28:28
>兄貴面して勝手に親バカのようなことをこれでもかこれでもかと傲慢にも述

>べてしまってましたね。私の妄想で迷惑というかご不快感を与えてしまった

>かと、反省しております。



いえいえ。傲慢とも不快とも思ってないですが、疑問なのでレスしましたです。



>ご自身で舟に例えて顛末予想はされているので、現在はそれを読み流すばか

>りです。



人(身内等)を助けて、自分は沈むというやつですね。

映画でないのでそうロマンチックにはいかないのでしょうね。

(単に私の妄想なんです)



あと、学会に抵抗感のある方には「頑張りましょう」でなく「頑張らなくていいんですよ」

というアドバイスがよいのではないかと思います。

癒しというか自分を取り戻すというか努力しない頑張らないという時間が必要だったりします。



別の話ですが昔私が学会に入会するとき「嫌になったらいつでも辞めたら」とアドバイスしてくれた

非学会員の方がいたのです。当時は「何言っているんだ」としか思いませんでしたが、今考えると

その一言で片道特攻のようにならなくて済んだのだと、感謝してます。







あややさん、こんばんは。



あややさんは日蓮聖人が嫌いなようなのでこちらでは引用しないようにします。

あまり理解せずにすみませんでした。

返信する
私はアンチです。 (あやや)
2006-03-19 19:47:23
超アンチ創価学会と自負してます。



お気楽と違って、2世3世の問題に直面なさった方でなければアンチの気持ちはわかりませんね。



日蓮は嫌いです。気の毒に思ってでもです。



大げさな人嫌いですので「主であり師であり親であり」自分で言う人いませんからね。



返信する
あ、いつの間に ()
2006-03-19 17:28:09
って、かぶてっる~。

といってもだいぶ時間差ありだ。

トロさまる出し。がはは。
返信する
ふぁいてぃ~ん、友&愛 ()
2006-03-19 17:21:14
白黒はっきりつけられるのも創価チックでこそばゆいです。



私は創価学会に入信することはないと思います。

それは私にとって信仰的な面で大切にし守りたいものがあるからです。



それは創価学会にしても他の仏教各派にしても、キリスト教やイスラム教や

その他もろもろの考えと対立するものではなく、愛和できるうるものと信じ

ています。宗教観の違いは大きな違いであり、そこには途方もなく深いミゾ

やそれを培ってきた、それぞれの大切な歴史や文化があると認識しています。



大きなことはできませんが、個人レベルでできることとして、出会う方々と

いろいろな話を聞いたり考えを述べたりする機会をできるだけ増やすよう努

力しているつもりです。小さなひとつひとつの人間関係を大切にしていくこ

とがモットーのひとつでもあります。



そして自分にできることは、実生活において仕事としての事業を行い続ける

こと。授かった子ども達が自立できるよう扶助していくこと。地域社会や関

わりのできた場、生活の場としての家庭も含まれるかもしれません、ででき

ることをやっていくこと。自分を律するために座禅したり勤行したり本読ん

だり短歌作ったり韓ドラ見たり歌ったり踊ったりネットしたりしてます。



独りよがりに陥ったり、自分で抱え込みすぎるのが、まだまだ甘く直してい

きたいポイントなのですが、互助の精神が自助、ひいいては自立を促す。正

しい正しくないよりも明るいかどうかを優先。お互いに不満の残る妥協を強

いない。まあなんとかなるじゃろ、とにかくやってみよー、朝令暮改OKO

K。な~んて具合です。



創価学会が宗教法人でなく社会団体のような形で何かしらの活動を行い(例

えばSGIとしてでもいいのですが)、それに賛同したくなったら会費とか

供託金とか拘束条件や諸々の環境を考慮して、参画したりするんじゃないで

しょうか。

つまり、創価学会というものは私自身にとって直接必要なものではありませ

ん。私の自己実現自己表現のために必要になる場合もありうるという存在で

す。

このようなスタンスで対応したり私自身が参加している組織はいくつもあり

ますよ。年一くらいからほぼ毎週くらいまでかかわり方は様々ですが、例え

ば社会奉仕組織とか、キリスト教系のボランティア団体とか、倫理法人会な

んか毎月会費払って役までしゃしゃり出てやってたりしますよ。まだ、その

ようなレベルに創価学会は入っていないだけです。誰でも参加できて、対象

が広く一般向けかどうかが自分なりの参加基準でしょうか。



現実的には、創価学会は私にとって必要な存在でもあるんですよ。

それは妻にとって信仰としても必要な存在だからです。私には妻という存在

がかけがえのない大切な大切なものだからです。



ということで相変わらず前置きが長~い。がはは。



あややさん

私は現在、創価学会に【入信】する気持ちは全くありません。

御書は、ご自分で最も生かせるような解釈ができたり、そういうような文献

等にめぐり合えるとよろしいですね。またその時は、自信をもってどんどん

アピールされるといいと思います。それが日蓮スピリットだと思います。

但し、そのアピールのやり方やスタンスはご留意されるといいのではと思い

ます。そこが創価学会にずーっとつきまとっているイメージでしょうから。

また、その解釈そのものを「鳩摩羅什の非情な訳」のように誰にも言わせな

いためには原典に直接あたり、がばあって理解するしかないかもしれません

ね。ご自分の解釈であるなら言われてもまだ自己責任とりやすい。気持ち的

にですよ。他者のものだった、どこかで責任転嫁したくなっちゃうもんです

から。

まだまだ、あややさんも私も努力が必要ということです。頑張りましょう。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。



Leoさん

兄貴面して勝手に親バカのようなことをこれでもかこれでもかと傲慢にも述

べてしまってましたね。私の妄想で迷惑というかご不快感を与えてしまった

かと、反省しております。

文章での表現はほんと難しいですね。組織に残ったらどうか、それも一つの

モヤモヤ(理論的に構築されているのにやめれない、いや実はやめたくない

のか?もっと完璧に納得されたいのかな?それで迷っていらっしゃるのかな

などと感じてしまってたのです)払拭の打開策としてはアリかも、というの

がその時の率直な感想直感だったのです。

これが面と向かってなら「じゃあ、やめたら。」と簡単にすませるのですが

ね~。

ご自身で舟に例えて顛末予想はされているので、現在はそれを読み流すばか

りです。たいへんなんだなあ、ご自分の気持ちとタイミングをご自身で納得

できるものであればいいなと、切に思っております。

アッゲスミダ。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。あんにょ~ん。ありがとう。
返信する
補足 (Leo)
2006-03-19 17:08:42
>私は創価の悪い面が強迫観念というかトラウマになっているので



こういう書き方をすると単に私がビョーキと思われるかもしれないですが、

要するに創価の悪い面に強い懸念を持っているということです。



少しは創価はよくなっているかなと身内の学会員に尋ねたり、たまに聖教を

読んだりするのですがあまり変化ないですね。



(私がまだバリ入っているころにネットで知り合った)ある良識派の学会員さんでさえ

組織が硬直していると仰ってます...
返信する
歩さん再考 (Leo)
2006-03-19 16:40:08
歩さんのご発言再読してみたのですが、要するに創価にムキになることないよということですね。

以前掲示板でお父様がご病気のとき手かざしの宗教の方にもやってもらったと仰って

いたのでかなり宗教に寛容なお方と思います。

(学会に入会していないというのもポイントとおもいます)



私は創価の悪い面が強迫観念というかトラウマになっているので、創価や宗教について

突っ込んで考えたり(出来れば客観的にそういうことをやりたいと思っています)

することがあるのですが、歩さんから見ればなにコムズカシイことやってるのだろう

という感じになるのですね。



それと、あややさんが仰った、

>それと現代に通じるものかお考え下さい。

ですが、通じるものがある場合があります。これなどです。

師であっても「誤りのある者」は捨てろということです。



「師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理によるべきなり」

(「曾谷殿御返事」、『御書』、pp.1055-1056)
返信する
歩さんへ (あやや)
2006-03-19 09:54:16
歩さんの奥様が学会員で、歩さんは非会員なんですね。



なぜ入信しないのですか?

そんなに学会が宜しければ会員になったら宜しいのにと思いますョ。



それから御書ですが、学会解釈では本意が掴めません。みんな努力してるのです。



返信する
歩オッパー、こんにちは。 (Leo)
2006-03-19 09:40:48
研究調査の対象がブログプロバイダ(キャリア?提供者?)であることは読み

>取れてましたよ。それでLeoさんらしいと思ったんです。



ん?「ガンジー・キング・イケダ」展の評判をネットで調べたらあれだけしか

なかったってことで、たとえば学会員のこと考えるときは身近な学会員を念頭に

置いてますけど。



>なんか、Leoさんの聡明で優しさあふれるお気持ち人格をもっと外世間(自分



皮肉はやめましょう(^^;



>の外側)に向けられてもいいんじゃないかと思っちゃうんですね。



創価のトピックスではかなり突っ込んだりしますけど、それは創価の一部の危険性に

懸念するためであって、普通の生活ではケロっとしてますよ。



>ちなみにLeoさんは、私の禅系を認めていただけますか。



ええ。道元、相田みつを を含めて禅系は参考になることがありますね。



歩さんは会員外で財務やったり会館でスピーチしたりして理解者というお立場

なのですね。



私の感想では歩さんは禅系のお話を除いて、バリ系の傾向とかわらないところが

あるというか。歩さんは以前私に組織に戻ったらとかも言ってましたね。
返信する
バリF ()
2006-03-19 04:12:05
研究調査の対象がブログプロバイダ(キャリア?提供者?)であることは読み

取れてましたよ。それでLeoさんらしいと思ったんです。



私はご存知のとおり創価学会員ではありません。

ある意味折伏はしてるかも。十如是は物事を考える時の切り口として使えるよ

とか、法華経の常不軽菩薩はさあ、とか、今の現状ってこの喩えに近いじゃん

とか、法華経読んでみるものいいかもよ~とか人に薦めたり、スピーチなんか

で引用することもあるります。それで「読んでみました」なんての程度では、

これはまあ下種くらいか。ついでに(そうついでに)般若心経とか、修証儀と

か、座禅なども語ったりしてる。禅語引用すればネタはいくらでもあったりす

するしね。でもその都度調べ再確認していたり、口から出任せではないけれど

複合混乱型解釈の場合も多いし。

創価学会に入会を促すことは直接はしたことないけれど、間接的にはわからな

いよ。踏みとどまった人はいるかも。やっぱ禅を語るヤツはヘンだとか、がは

は。



選挙は公明党に投票したことは国政地方ともにないけれど、応援はあるよ。関

連っても同族企業だけどそこから公明党市議も出してる。県議さんとかも来る。

情報交換やらこちらから注文もつけたりしている。まあ、イラク問題や年金な

どは雑談の域をでないけど。最近は商工関係も少しずつチカラをつけてきてい

るので今後は期待している点もある。

まあ、地方の中小企業はこんなもんで、自民系も民主系も公明系も適度なバラ

ンスを保ちながらお互い付き合っていますよ。私は、その時その時で今回の争

点はこれで、この党この人を推すって決めちゃうタイプなので、その間は互い

に失礼ないよう注意はしているつもり。



財務は一度したよ。と言っても私が直接できるわけでなく、妻に渡した。父親

が脳管出血で倒れた時、妻の身内や友人が真摯に唱題してくれたので御礼の気

持ちとして1万円。

他の宗教機関等へは、お賽銭や寄付(地元とかいろいろあるじゃん)なんかで

なんだかんだで年間1~2万位か? 旦那寺とかへは法事やなにか行事がある

時だけスポットだ。座りに行く時は食事代とか飲み代とか、まあ消費する人が

誰だかわかってる(自分を含めて)から、まあその間の生活費実費だ。



こうしてみると立派なFだなあ。それ以上か、じゃあバリF。がはは。



誰に怒られるか。

第一に私。

次に創価学会以外で悩みを抱えている人いっぱいいると思いませんか。



この場だからなのかもしれませんが、Leoさんの場合も、創価学会内での話に

終始していて(絞り込んで語られているのかも)その他は想定外なのかなあと

感じるんですね。ご自身と創価学会という関係がすべてになっているように、

思えてならないことが多いです。

なんか、Leoさんの聡明で優しさあふれるお気持ち人格をもっと外世間(自分

の外側)に向けられてもいいんじゃないかと思っちゃうんですね。

的外れかもしれません。また失礼なことを述べているかもしれません。

お節介ももうチトましなものを休み休み言え~って思われるでしょうか。



Leoさんが感じる創価学会に対する思いを十分わかりえてないかもしれません

が、若干なりとも認識はしているつもりです。



幸いなことに、私の周りには創価学会員を含め良識的というか、愉快な方が

多く恵まれていると常々感謝しております。

生涯これまで、囲まれたことは一度しかないですし、200人を越える創価

学会員の中、ひとり外部のものとして地元の創価文化会館で本尊を背に聖教

新聞に関するスピーチもさせていただいた(四面楚歌ならぬ四面創価)こと

もありますよ。このへんは少し特殊なケースでしょうから、ただの自慢話に

しかなりませんね。



ネットでも、禅をからめて語ってどうこう言われたことはない。めんどくせ

ー、よーわからん、特に突然結論らしきものを持ってきて、論理滅茶苦茶、

オナニー野郎だやっぱ天魔だ、位には思われていることもあるかも知れません。



言わさないコツがあるのです。

行かないことです。来たら、いやだったら逃げればいい、イチ抜けたすれば

いいと思っています。



ちなみにLeoさんは、私の禅系を認めていただけますか。

禅系ってのもニュアンス的なものですし、そもそも禅ってなんなんだ~って

のはありますよね。
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先人の言葉の通じさせ方を考えてみるのが現代人の勤め ()
2006-03-19 04:09:30
あややさん、こんにちは。



御書、ちらちらとは読んだことありますが、すべては読んだことありません。

原文ではしんどいのでどうしても訳本や解説本が中心となるでしょうか。

法華経は年間4回を目標に全品読誦しています。



経典や先人の書いた書物、あるいは和歌などの芸術作品をそのまま楽しんだり

味わったりすることも好きですが、それを現代の自分にどう照らし合わせるか、

それを自分でどう活かすかということが肝要なんだろうと思います。



ああ、このことはこういう場合に励みになるぞ、とか、この精神は見習いたい

ものであるとか。ここちょっとおかしいけど、こういうふうに解釈すれば使え

るかもとか。

現代に、というか今の自分や社会に合わないものや必要でないと思われるもの

は、スルーするだけ。時に茶化したりもするけど。だって面白いから。でも、

常に社会も自分自身も変わっているので、その判断は一時期のものであるから、

毎日同じ文章読んでも自分の解釈やその活かし方が変わって当然、なんて思っ

ているんですね。

それが、私の古典や文献(現在のもの含む、もっと言えばこのみなさんのコメ

ントなども)へ対峙する際の基本的スタンスです。それで、自分の考え方や観

点の移動なんかを雑多にでも集めておくと、自分史としてもおもしろいかも、

なんて思いで、ログだけをあつめたブログを作ったりしてる。

http://blog.livedoor.jp/fookoo/



前置きが長くなりました。

あややさん、ありがとうございます。

日蓮さんは私にとってとても魅力的な人物です。是非少しずつでも御書やその

他の書物などに触れていきたいと思います。



四条金吾殿御返事の「ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経ととなへ給へ」

とか十字御書の「蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大

地よりをたり、さくらはをもしろき物、木の中よりさきいづ、やうきひは見め

よきもの下女のはらよりむまれたり、月は山よりいでて山をてらす、わざわい

は口より出でて身をやぶる、さいわいは心よりいでて我をかざる」なんてのは

好きですね~。優しき目と笑い、それに教訓と強い信念を感じます。

見習いたいものです。



あややさんは、日蓮さんのどんな言葉文章や行動が好きですか。
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歩さんへ (あやや)
2006-03-19 00:42:38
歩さん、日蓮さんの御書を最初からじっくり

お読みすることをおすすめいたします。



それと現代に通じるものかお考え下さい。
返信する
P.S. (Leo)
2006-03-19 00:03:00
外国の留学生のブログ の件



記事の前後を見ると(日本人で)イギリスに留学していたようです。
返信する
P.S. (Leo)
2006-03-18 23:56:31
英語版はこれを見つけました。



一部このような部分がありました(私は英語が得意でないのでおかしい部分があるかもしれません...ご容赦)。



「しかし、池田とは誰ですか? 創価の独特なプロパガンダ文学を子供でいっぱいの学園キャンパスで行う

 この男と彼のグループを誰か調査しましたか?」



「学会がそれらのガンジーキング池田展を世界中で人々が選んで見に来るられるようにすることはよいのですが、、

 学童にそのようなあからさまな出世を見せ付けるのは、不正直で、失礼で(本当に殉教した2人へ)、明白に悪いです。」



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Andy Hanlen's Blog



May 22, 2004

Gandhi-King-Ikeda, What's Wrong With This Picutre?



From the Imperial Valley Press Online:



“Recently an elementary school in El Centro received a "peace garden" from a controversial Buddhist sect known as Soka Gakkai. Present at the dedication ceremony were school officials, city officials, including the mayor of El Centro, and county supervisors.

”Around the garden are plaques that can be seen from the street with the names of Martin Luther King Jr., Matahma Ghandi and Daisaku Ikeda. There are three trees planted in the center of the garden representing King, Ghandi and Ikeda. Around the center circle is a path. Around the path are other plants and trees that represent the community. The symbolism, with the exception of King and Ghandi, is troubling. The community/people revolves around (but are separated from) King (deceased), Ghandi (deceased), and Ikeda (alive and well). But who is Ikeda? Did anyone research this man and his group beyond Soka's own propaganda literature before letting them onto a school campus full of children?”



Read the entire article:

http://www.ivpressonline.com/articles/2004/05/20/opinion/ed05.txt



I have, more and more lately, refrained from criticisms of the SGI, as it just doesn’t concern me anymore, and if they want to do goofy stuff, that’s their business. It’s their organization. I have some lingering affection for the SGI-USA, and some very close friendships with a number of individuals who are part of it, but organizational doings are just not of that much interest to me lately.

But when I saw this (above) I got bugged. It bothers me because of the obscenity of falsely teaching children that Mr. Ikeda is somehow on a par with world-class leaders, and martyrs, like Gandhi and King. Now someone is going to have to answer those kids' questions. If that happened in the school where my kid attneds, I would raise holy hell.

It's fine for the Gakkai to trot their Gandhi-King-Ikeda exhibit around the world where people can choose to come see it or not, but to thrust such blatant self-aggrandizement upon school children is dishonest, disrespectful (to the two true martyrs represented) and just plain wrong.

Please note that I do not write this out of some kind of hatred for Mr. Ikeda (I have none), or resentment toward the Gakkai (likewise, none). I say what I say because I value truth and oppose falsehood, most especially in teaching children.



Cheers!



Andy

Posted by andy at May 22, 2004 04:04 PM



http://www.fraughtwithperil.com/mt/mt-tb.cgi?__mode=view&entry_id=72

(元リンクが表示されないのでキャッシュ参照)

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みれいさん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-18 23:18:12
「ガンジー、キング、池田」展の件、このような記事をみつけました。

海外評価というか留学生のコメントと国内のものしか見つからなかったです。



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Sillyscurry: November 2003 (外国の留学生のブログ、元のリンクは消失しキャッシュを参照)



今回の選挙でも公明党の果たした役割が・・・などと相変わらず日本での学会の影響力は相当なものがあるみたいっすね。創価学会は国内組織のそれ以外に国際的な組織も持っているようで、いわゆるSGIと言われるのがそれのようです。たしか大作氏は現在はSGIの会長だったはず。まあそういう感じで国際組織を持っていることは承知していたのですが、今日学校の食堂で学生らしき人が配っていたチラシに小さいながら衝撃的な一文が。



ブッシュの頭頂部から右に目を移すと「Ghandi King Ikeda Photo Exhibition」の文字。「ガンジー、キング牧師、大作先生」ですよ。



実はこの「ガンジー、キング、池田」の三段堕ちコピーは、去年の夏大学の合宿で行った長野の追分からの帰り、軽井沢鉄道(とかいったはず)の車両の中で発見したSGIグラフ(学会の雑誌ね)のつり広告で見たことあるんですわ。そのときはただバカだな~って笑ってたけど、今回はちょっとひいちゃった。だってマジっぽいんだもん。怖いですよ、嘘も言い続ければ本当のことのように認識されますからねぇ。せめて将来日本の紙幣に「海外ではガンジー、キング牧師と同じくらいの評価をうけている」とかいって彼の肖像が載らないことを祈ります。仮そんなことになったら、日本やめます。

そのチラシ自体はもうすぐロンドンにブッシュが来ることから、彼のやり方などへの抗議活動の宣伝チラシで、どこの大学でもやってそうな感じ。早稲田でもそうだったけど、やはりこういう活動をやっている人たちの裏にはなんらかの怪しげな組織が関わっている場合が多いのね。



(後略) (「ガンジー、キング、池田」展の記事と無関係のため)



Posted by kitamura_genko2

November 14, 2003 12:33 AM commnets (0) | trackback (0)

2003年11月12日





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凡人日記 2002年 (国内)

2002/4/17

● 公明党-創価学会に寄す・平和主義と平和の行動

それにしても、かつて「人間的社会主義」を掲げた公明党の姿は、その面影もありません。

「聖教新聞」では、連日、創価学会の平和主義と池田名誉会長の世界各地の教育機関、自治体での名誉職授与式が掲載されています。その中でもひときわ目を引くのが、国際的キャンペーンの「ガンジー・キング・イケダ」展の開催です。非暴力平和主義のガンシ゜ー、人種差別根絶のアーサーキングと並んで世界民衆対話運動の「イケダ」の活動がキャンペーンされています。もちろん、キャンペーンの開催そのものをとやかく言うものではありませんが、「聖教新聞」にはこの間のアフガン戦争や有事法制についてのコメントや取り組みの記事はほとんどなし。この言っている事とやっている事のかい離にはすざましいものがあります。

戦前、国の戦争遂行政策に抵抗する宗教者、宗教団体への弾圧と解体が行われ、その中で多くの宗教者が大政翼賛会に巻き込まれ協力をしていきました。いまとり返しのつかない事態が進行する中で公明党はもとより、学会の中心的理念といわれる平和主義が本物だったのか否かも試されているのではないでしょうか。

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P.S. (Leo)
2006-03-18 22:08:40
>私は歩さんって幸せな方だと思います。周りには良識的な学会員ばかりなのですね。

>歩さんの禅系を認めていらっしゃるのですし。



ちょっとこれは誤解を招くかもしれないので。補足を。



一般には外部の方には過激な発言をしないですね(池田先生を護るため石ころになる金城会を見習えとか、

人間革命の真髄は革命は死なりとか(別に本当に死ねといっているのではなく覚悟を求めるものですが)、

仏敵撲滅とか、池田先生を護れば自分が護られるとか...軍国教育の変形みたいなもの)。



私には(LibraさんやA.S.C.さんのようにネットで知り合った方以外に)学会員の幼馴染がいるのですが、

小学校高学年で少年部(いまでいう未来部)に行かなくなったということをあとで聞きました。

また私に向かって池田先生がどうのこうのとか学会がどうのこうのと一言もいわなかったです。

幼馴染は勤行はしてましたが、私には学会が神道なのか仏教なのかわからなかったです。

宗教をよりどころにして頑張ってるんだなと思いました。

まあこんな風に傍からみたら一般的に普通の宗教に見える場合もあるでしょう。



なので、歩さんが学会にはあまり問題がないと思われていてもおかしくないし、

特に影響を受けてないのであればあまり気にすることもないことのだと思います。
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歩さん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-18 19:46:57
>やろうと思うんだけど結局保留になってしまって、また研究するとは。

>え、Leoさん。らしいけど、やるの?やらないの?がはは。



掲示板やブログにおじゃまして書き込むことが多くなったので最近

ブログやろうかなと思ったのです。研究というのは皆様のブログは何に使っているのか、

どれが使いやすいか調べる(その結果どのブログを使うか決める)ってことで。



>創価学会のない(関わりのない)世界では、それなりに平和で余計な悩みが少ないと思う

>という思いは、これ甘すぎ。怒られちゃうよ~。



歩さんは、折伏、選挙、財務とかやられているのでしょうか(非学会員だからやられてないですね)。

創価学会の中に入らなければわからないこともあります(座談会や個別の会員はそれほど不自然で

ない場合があるので)。

それに一体「誰に」怒られるのでしょうか。よくわからないです。



>でも一般的に

>普通のことじゃん」ってところで止まっているよう感じるので、次の一歩のメッセージを

>期待してたりします。



養老氏が無思想を語ったように「普通のことじゃん」が一番と思います。

歩さんのウケを満たせないのですがこれは仕方ないです。

(歩さんのウケを狙っているのではないので)



私は歩さんって幸せな方だと思います。周りには良識的な学会員ばかりなのですね。

歩さんの禅系を認めていらっしゃるのですし。
返信する
秘密クラブ (歩@四半世紀前は大学生)
2006-03-18 18:53:55
KKK怖い。桑田・清原・えーっと。フリーメイソンはG。なんつって。

昔、キーハンターでKKKを真似た悪者グループ出てきて、一時期夜が怖かったな。



秘密クラブ、好きですね~。

四谷の古いビルの地下にあったビリヤード。プールは2台。

四つ玉しなかくて、黒ネコ一匹と女管理人である太った老婆。

見てないようで、学生には禁止されてたマッセをやる真似するだけで咳払いひとつ。

秘密クラブって呼んでた。クラブとしか書いてない店。

階段登って新宿街道出たとき、いつも雲に隠れた太陽の光が目に痛かった。
返信する
ちょっとだけツッコんどこ。 ()
2006-03-18 18:52:29
やろうと思うんだけど結局保留になってしまって、また研究するとは。

え、Leoさん。らしいけど、やるの?やらないの?がはは。



創価学会のない(関わりのない)世界では、それなりに平和で余計な悩みが少ないと思う

という思いは、これ甘すぎ。怒られちゃうよ~。

創価学会内部というかアンチvsシンパの中では通じるかもしれないど、それを差っぴいた

時に、そこで何を与えるかですよね。よく述べられているポパーの思想や解釈も「それ普

通じゃん。いやLeoさんの創価学会に対するイメージはこの逆なんだろうな。でも一般的に

普通のことじゃん」ってところで止まっているよう感じるので、次の一歩のメッセージを

期待してたりします。



Leoさんも韓ドラ好き? 私ハマってんでーす。

今度チャミスルなんぞ呑みながらチャングム話など。

月2くらいの更新だけど。情報:gooも使いやすいよ、livedoorもなかなか。



http://blog.goo.ne.jp/zarikin/
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Nの悲劇 ()
2006-03-18 18:50:29
あややさん



私は法華経が釈迦の教えと思っていたのが日蓮の悲劇とは思えません。

これでは日蓮は権威主義になってしまう。

釈迦(権威)→法華経(権威者の解いた教え)の構図。

私の日蓮に対するイメージからすると、もし法華経が釈迦の直説でないとわかっても南無

妙法蓮華経だと思いますよ。そして釈迦も同じく尊敬帰依できる対象だったと想像します。

釈迦を尊する教え(釈迦に限らずすべてを尊し慈しむ教えが法華経にも説かれていると思

います)でもあるわけです。

次に、誰が訳したのであろうが、法華経の精神は仏教ことに大乗系の教えのエッセンスは

数多く含まれています。その教えに巡り合え、自らを「法華の行者」と言わしめたくらい

のものですから全く悲劇ではなかったのではと感じます。



権威主義的な教えやもののとらえかたを教え込まれた方において、その人の信じていたり

あるいは身についていた権威が覆され、その結果、自堕落になったり攻撃的になったりす

ることがあれば、それを悲劇と呼ぶことはできるかも知れません。



日蓮一番(すでに権威)、法華経は日蓮が一番といったから一番(これまた権威)、日蓮

は法華経が釈迦の最後の説だから一番といった(釈迦という権威の最後の説という権威が

かたまった権威ある教えを説いてくれた大権威。もうよくわからねや)ってのが、ぐらぐ

らと。

法華経の中に釈迦の教えが綿々と入っているし、そこから拡張した内容も入っている。と

いいとこ取り気質の私は、そう思います。詠み人知らずでも法華経は法華経って感じです。



法華経好き~、日蓮さん好き~、道元もっと好き~、お釈迦様ありがたいなあ感謝。

って私です。
返信する
こんなカリスマ! (青空)
2006-03-18 13:05:26
カリスマ 名声 地位 名誉



すごい反響ですね。



最近は、ガンジー・キング・イケダの名前を見るたびに、後世の方が、権威付けの宣伝にガンジー・キングの名が利用されるような感じがして、嫌になります。



そこで、この方たちと優るとも劣らない方を紹介したいと思います。



身近な カリスマです。



その名も ”オヤジ” です(爆)



そう、偉人・賢人・変人の影には 必ず オヤジ が居る。



ガンジーキングだって、イケダもそうですね。



立派な オヤジの存在がいる。



結局、その



カリスマ性(只の昭和シングルの亭主関)

名声(と言っても、会社・町内会レベルですが・・・)

地位(オヤジですが、何か?)

名誉(昔々の自慢話の類です)



※注意 ()はうちのオヤジの場合です。



等の影響が、私の価値観に多大な影響を与えているのですね。



家庭の長”オヤジ”



大黒柱”オヤジ”



頼りにしてます”オヤジ”



怖い存在 地震雷火事”オヤジ”・・・



だから、あえて言いたいね。



日本の”オヤジ”頑張れ!!



置き去りにされている



哀愁漂うオヤジの背を見て



成長しろ! 男子諸君ってね。
返信する
みれいさん、こんにちは。 (Leo)
2006-03-18 10:19:46
>リンクOKです。こちらこそ宜しくです。



ありがとうございます。



>あと、もし「ガンジーキングイケダ展」の海外評価の日本語訳の記事

>(あればハワイ大学とスタンフォード大学の)がありましたら教えてください。



私も少し調べてみましたが「ガンジーキングイケダ展」の海外評価の日本語訳の記事

は見つからなかったです。ハワイ大学とスタンフォード大学のホームページには

ガンジー・キング・イケダ関係の記事確かにありますが「評価」といえる記事ではないように

思います。また、日本語訳がないとしたらGoogleなどの自動翻訳(自動翻訳の結果はヘンな

日本語の場合が多いですが)を利用するのも手かと思います。



The Gandhi/King/Ikeda exhibit(スタンフォード大学)

http://www.stanford.edu/group/wpb/gki.html

スタンフォード大学でのガンジー・キング・イケダ展



UH President Dobelle Receives \\\"Gandhi, King, Ikeda Award\\\" (ハワイ大学)

http://www.hawaii.edu/cgi-bin/uhnews?20020918102437

ハワイ大学の学長がガンジー・キング・イケダ賞を二度受賞



大学当局の記事はあたりさわりのない記事なので、どこか掲示板などで学生などの

「生の声」の記事がないか探して見ます。



学会の指導に日本は邪知謗法の国だから折伏、外国は悪国だから摂受というのが

ありますが、日本では学会の評判がよくないから敵対者を攻撃、外国では評判が

知られてないから宣伝という意味なのですね。
返信する
いえいえ遠慮なく (みれい)
2006-03-18 00:54:11
Leoさん



個人的にはどんどんこちらに書いてくださっている方が参考になる事が多くて助かります^^

コメント欄ではもったいないくらいですけどね。

いっそこっちのブログの本記事に書いていただきたいくらいなわけですがw



リンクOKです。こちらこそ宜しくです。

書写もこないだLeoさんの所見に行って確認済みです。



私の学会に対する考え方とか、宗教に対する考え方とかは、知識は及ばないものの、非常にLeoさんと共通する事が多いです。



養老さんの本はいいですね。死の壁も読みました。

以前ぱるぱるさんに教えていただいたのが懐かしいなぁ。

第三文明の表紙が80年代を醸し出しているような気がするのは私だけでしょうか。



ヒットラーの映画も観てきました。

ヒットラーの演じっぷりも驚きですが、考える事がとても多い映画でした。

観客がほとんど男性だったのはもったいないです。



うちの近所の学会員さんと学会のおかしいところについて話したとき「中にいるとわからないこともあるからね」なんて話もされていましたが。



あと、もし「ガンジーキングイケダ展」の海外評価の日本語訳の記事(あればハワイ大学とスタンフォード大学の)がありましたら教えてください。

海外の友人に尋ねられましたが自分で検索できませんでした。



国といえば、その友人に聞きましたが、

キリスト圏に住んでいるその友人の国では、宗教団体の維持費は国から出ているそうです。ということは税金で徴収ですよね。

(信者数に応じて出るそうでやはり一番出るのはカトリック。信者はあまり寄付をしないで済むそうそうです)

これはカルチャーショックでした。

他に建築する場合などは日本の檀家制度のように信者から募金を募るそうです。

日本にはない宗教に対してのシステムがあり、やはり国民の宗教意識もちがうのだなぁと思いました。

返信する
Leoさん御紹介有難うございます。 (あやや)
2006-03-18 00:04:38
養老猛司氏はいってます。

「もう私は人間を相手にしたくない

虫を相手にして暮らすつもりだ」と。



お察しいたします。
返信する
みれいさんへ (Leo)
2006-03-17 23:36:46
われながらまた(一方的に?)書きすぎてしまいました。自分のブログをつくった方がよさそうです。



何回もブログ作ろうとしましたが、どのプロバイダがよいか迷ってしまって

結局保留になってしまってたです。研究してみます。



事後報告になりますが、みれいさんのブログのLibraさんのご発言を私のホームページにに書写しました。

(Libraさんのご発言をまとめておくと、あとから見たときにわかりやすいのです)



あとみれいさんのブログのへのリンクを私のホームページに入れてよろしいでしょうか。

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雑誌と映画(顔文字エラーで再投稿) (Leo)
2006-03-17 23:01:39
『第三文明』2006年4月号

http://www.daisanbunmei.co.jp/3rdc/new.htm

の観察。



「特集 仲間っていいぞ」

これって組織正当化モードか...



「姜尚中speaks historical films第10回 『ヒトラー~最期の12日間』」

なかなか良い映画を紹介してます。



姜尚中氏はキリスト教の方のようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E5%B0%9A%E4%B8%AD



宗教団体とヒトラーは全然関係ないということでそういう映画紹介を行っても

問題にならないのでしょう。



私はこの映画観ましたが強烈でした。(ショックなシーンもあるので要注意)

ある宗教団体も銃器や兵器を用いない戦争をしているのかもしれないとふと思いました。



ヒトラー 最期の12日間 (2004/独=伊=オーストリア)

http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=16296



「「20世紀最大の悪魔」呼ばわりされる人物を弱者に優しく、小心者の夢見がちな男として

 描くこと。しかし、それゆえに彼がヨーロッパを震撼させ、自他国民ともに多くの

 人民を夢の犠牲としたことは決して焦点をぼやけさせられることはなく、

 他ならぬ「人間の所業」としての多くの犯罪が浮き彫りにされたことは評価されるべきだろう。」
返信する
雑誌と映画 (Leo)
2006-03-17 23:00:32
『第三文明』2006年4月号

http://www.daisanbunmei.co.jp/3rdc/new.htm

の観察。



「特集 仲間っていいぞ」

これって組織正当化モードか(>_<)



「姜尚中speaks historical films第10回 『ヒトラー~最期の12日間』」

なかなか良い映画を紹介してます。



姜尚中氏はキリスト教の方のようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E5%B0%9A%E4%B8%AD



宗教団体とヒトラーは全然関係ないということでそういう映画紹介を行っても

問題にならないのでしょう。



私はこの映画観ましたが強烈でした。(ショックなシーンもあるので要注意)

ある宗教団体も銃器や兵器を用いない戦争をしているのかもしれないとふと思いました。



ヒトラー 最期の12日間 (2004/独=伊=オーストリア)

http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=16296



「「20世紀最大の悪魔」呼ばわりされる人物を弱者に優しく、小心者の夢見がちな男として

 描くこと。しかし、それゆえに彼がヨーロッパを震撼させ、自他国民ともに多くの

 人民を夢の犠牲としたことは決して焦点をぼやけさせられることはなく、

 他ならぬ「人間の所業」としての多くの犯罪が浮き彫りにされたことは評価されるべきだろう。」
返信する
みれいさん、あややさん、皆さんこんばんは (Leo)
2006-03-17 21:43:31
>かすかな望みとして戦前戦中の日本が戦後よりよい国になったように

>(愚かな戦争に負けたが、国が完全に滅びたのでないように)マシな状態に

>なって欲しいと思っています。



これはハッキリ言って私の妄想ですな(お恥ずかしい(^^;)。



>であるならば、経典や宗祖の御書の意味は本来はどうであったのか確かめるとか

>現代に通用する部分とかためになる部分だけを選ぶ(マイ教学)というのも

>アリではないでしょうか。



そのように書きましたが別に仏教に拘らずに自分の宗教(あるいは無宗教)を持てばよいと思います。



次は本の話。

書店で面白そうな書籍見かけたのでリンクを紹介します。(まだ買って読んでないですが...)

読まれた方がおられたらコメント下さい。



○ 養老 孟司 『無思想の発見』ちくま新書

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062807/



無思想の思想というのは透明な思想ということで個人が思考停止しない限り一種の思想と思います。

で、無思想は仏教のことだというのが書評にちらり。



○ 末木 文美士 『仏教vs.倫理』ちくま新書

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062874/



この本もなんか気になってます。

返信する
leoさんへ (あやや)
2006-03-16 21:02:44
Leoさんありがとうございます。

釈迦以前はヒンドゥー教でした。インドは階層級がひどくて、下階層の蔑視は相当なものだったのです。死体が犬に食われようが、死体が道端に放置されていた有様です。何千年前からの様子でしょう。

釈迦はこの有様を目にし説法を続けたのです。

それも対話式に。



悲惨な状況のインドだったからこそ、釈迦の話は

胸をうつのです。イスラムにしろあの砂漠地帯に住む民にとって技術は素晴らしいものがありました。キリスト以前のユダヤ教の戒律は厳しくて犯したものに対して

石打の刑があり、それを止めさせようとしたのが

イエスキリストなのです。



弱者救済の為の信仰がいつしか弱者を脅す宗教に

なっていることに、腹がたちます。
返信する
追伸 (Leo)
2006-03-16 00:33:34
書きすぎたといいましたが、またちょっと書きます(^^; (雑多なことを書きます)



宗教団体を「国」にたとえてみましたが、国に税金払えば社会福祉が受けられる

などなどメリット(戻ってくるもの)があるのですが、宗教団体(よほど慈善活動している

団体は別ですが)にいくら寄付しても満足感以外のメリットはありません。



キリストの時代のユダヤの人々がローマの支配にどうやって対抗していたかというと、

税金の不払いと皇帝を崇拝しないということとローマの神を信じないということでした。



次は法華経の話。法華経は色々な解釈があると思いますが...

書籍の抜書きを見つけました。



『法華経入門』(菅野博史)

http://wiki.livedoor.jp/ottdef/d/%CB%A1%B2%DA%B7%D0%C6%FE%CC%E7



「釈尊の真意はどこにあるかという根本の問題を明らかにしようとしたものである.

 それは一仏乗の思想,つまりすべての衆生が平等に成仏できるという思想である.」



「古代の社会において人間の平等を説くことは衝撃的で危険な思想であった.

『法華経』における平等思想は,すべての人の成仏の可能性の平等を指摘することに

 よって示されており,この点は神のもとでの平等を説くキリスト教とは異なるが,

 別のタイプの宗教の平等思想を示しているのである.」



宗教団体によっては経典や宗祖の御書を都合のよいところだけ引用して

「組織のために尽くせ~組織に貢献しろ~組織はすごいんだ~」ということを

やってしまっていると思いますが、極端な話をすると教学というのはそうやって

いくらでも合成できるわけです。



であるならば、経典や宗祖の御書の意味は本来はどうであったのか確かめるとか

現代に通用する部分とかためになる部分だけを選ぶ(マイ教学)というのも

アリではないでしょうか。



「組織のために尽くせ~組織に貢献しろ~組織はすごいんだ~」なんて

やっている宗教団体は西洋の自由・平等・博愛の精神に100年も200年も

遅れているばかりだけでなく、古代の法華経の精神(平等思想)にも反している

のですね。(法華経読みの法華経知らずということで... ←自戒を込めつつ)
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皆さん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-15 23:23:02
ちょっと熱くなって書きすぎてしましました。すんません。



『創価学会放棄宣言』拝見しました。確かに一理ありますね。



では、では。

返信する
あややさん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-15 00:05:41
>Leoさん大変失礼致しました。(汗

>随分おこごましいことを申しまして。



いえいえ。



>人それぞれ事情はありますが

>もう学会には絶望しております。

>

>脱会する人のお手伝いをしています。



了解です。



宗教は本来人を幸福にするためのものなので、それに反するのであれば

遠ざけたり放棄するのは当然です。やるのもやめるのも自由と思います。



沈む船にたとえると、沈みそうな船には最初から乗らないか、ぱっと

降りてしまうしかないです(航海に出る前に)。



私の場合は身内に学会員がいてすぐに辞めそうにないので、沈む前に

ぎりぎりで一緒に船を降りるか、運命を共にするしかないと思っています。

(ちょっとタイタニックぽくなってしまいますが...)



かすかな望みとして戦前戦中の日本が戦後よりよい国になったように

(愚かな戦争に負けたが、国が完全に滅びたのでないように)マシな状態に

なって欲しいと思っています。



よくない「国」があったら、逃れるもよいし(これはあややさんのお考え

と思います)、愚かな支配者がいるのであれば対抗するために何かする

(先人を参考として知恵を使う)というのもよい(これは私の考えです)と思います。



私は一世だからわかることがあるのですが、創価学会に入っていると

確かに根性はつきますが、創価学会のない(関わりのない)世界というのは

それなりに平和で余計な悩みが少ないと思います。



(参考資料)

指導者の実像

http://page.freett.com/leo020503/note007.html

(Googleで検索したらこの文章が「指導者の実像」として引用されていましたが、

私がつけたページの題名で原書の章名などではないです)



戸田会長が白馬に乗ったとか、創価学会 E(男)は池田氏ですが

(色々な宗教団体の実態の紹介の本で匿名の人はA、B、C...と順番に記号をふられている)

美化されている学会員に知られている姿とは異なり科学も倫理もない様子です。
返信する
P.S. (Leo)
2006-03-14 23:25:43
上はLeoです。
返信する
Unknown (みれいさん、こんばんは。)
2006-03-14 23:25:07
>きっとそういうグループまたは集会が他にも、表社会や裏社会でもあるのだろうと思います。



友人からちょっと聞いた話だと創価学会抜きの各宗教団体の寄り集まりの会合や飲み会が

あるとか。



>「秘密結社」という言葉にワクワクしませんか?←子供か



ワクワクするですよ。

フリーメイソンは博愛精神はよいですが儀式はちょっと抵抗があるです。
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Leoさんへ (あやや)
2006-03-14 22:02:01
Leoさん大変失礼致しました。(汗

随分おこごましいことを申しまして。



人それぞれ事情はありますが

もう学会には絶望しております。



脱会する人のお手伝いをしています。

『創価学会放棄宣言』で発言しています

別名 道 と申します。

宜しくお願い致します。
返信する
フリーメイソン (みれい)
2006-03-14 19:32:00
>Leoさん



フリーメイソンの説明ありがとうございます。

本当にすごい人が集まっていますね。

きっとそういうグループまたは集会が他にも、表社会や裏社会でもあるのだろうと思います。

「秘密結社」という言葉にワクワクしませんか?←子供か





>あややさん



LeoさんはHeyHeyのジョゼさんでもエンジョイライフのわめさんでもないですよ。そのお二人もとても素敵な方ですが、Leoさんは世間にブログが出来る前から学会問題に取り組んでいる情報通の方です。

私も3~4年前からお世話になっています。



いい創価学会員さん、私はいると思います。信仰を持ちつつ内部改善を願う方は意外と覚めていると思います。話もきちんと通じるし会話も成り立つし。多分そんな方は無理な勧誘もないのでしょう。

けれど、学会や池田さんに盲信的に心酔しきっている人はいい悪い関係なくもうアヘン中毒患者みたいなもんだと思います。

んで、「いい人だとしても善意でもアヘンを撒き散らすことになるからよくない。またそれを生む組織はもっとよくない。アヘンを抜くには脱会するしかない」と言うことですよね?

そこが問題で、どうやったらその中毒被害(本人や第三者)が出ずに済むか、私もとても気になる所です。

大きな組織なので簡単につぶれることは無いと思うし、つぶしたとしても同じような信者は変わらず残ると思います。ですが、改善してゆくことは出来るのではないかと思っています。すぐにというわけにはいかないと思うのですけどね。

組織の問題としてこんなのもありますね。

メサイヤコンプレックス

http://yukitachi.cool.ne.jp/column/c012messiahcomplex.html



切ない話です。

返信する
@法華経は正法眼蔵よりはわかりやすいかも(^^; (みれい)
2006-03-14 17:52:23
わお!Libraさんもようこそ!(^▽^)

たまにと言わず何度でもふらりとお越しくださいませ。

またお勉強させていただきます。

まだ飲み込めていない部分は重複するかもしれません。



>2.「日蓮は何の宗の元祖にもあらず」



なるほど。

親鸞さんが「私は弟子をとらないし、自分の宗派を作るつもりもない」と言っていたのに浄土真宗が出来上がり、道元さんが「宗派は必要ない。ただ僧堂があり、修行に励むことが大事なのだ」と言っていたのに曹洞宗と名前がついたのと同じように、後の方が(布教のため?)グループ化したというわけですね。

それにしても日蓮さんの場合は名前がついてしまうあたりやはり本人のインパクトは相当だったのだろうと想像しちゃいます。



>3.「反・自文化中心主義」としての相対主義

>ここにあるのは、問題の捉え方の多元性であり、解の多元性であって、コミットメントの相対主義とか、価値の相対主義ではない。われわれは問題を共有するなかで、よりよい解決に向けて討論を続けていくことができる。討論を続けていくためには、立場を共有することではなくて、問題を共有することこそが大事なのである。ここにあるのは、再度言うが、相対主義ではなくて、多元主義である。

http://freett.com/Libra0000/039.htm

より。



相対的な物事の見方にもいろいろあるのですね。

実は「相対」という考え方の中でも正しい見方(中心というのかな?)こそが法華経に書かれている思想の中の伝えたいことのひとつなのではと思ったりもしています。そして今回のLibraさんのご意見があって個人的に納得した部分もあります。



>日蓮が原理主義者と間違われやすいは、おそらく、日蓮の折伏[*2]が誤解さ

れやすいからなのだとおもいます。



確かに、イスラム教も決して原理主義ではないのにイスラム原理主義者を生んでいますし、他の宗教や宗派でも原理主義は生まれているようです。



先に言うと、原理主義が必ずしも悪いと言うわけではなく、よくテロなどを起こす原理主義者の姿は原理主義の中でもかなり末期の悪い状態のものだそうです。いろんな原因があって必然的に原理主義が生まれたけれど、その未来は方向によっては必ずしも悪いとは言い切れないかもしれません。



細胞分裂することは成長や新陳代謝の大事な要素だけど、何か原因があり異常分裂して腫瘍にもなるし、分裂も止まらず度を越せば癌になり体を蝕む。いつもと違う分裂はもしかして進化にもつながる。けれど基本的なDNAは同じ。ひょっとして原理主義というものもそういうものかもしれません。まあ今の所要注意ではあるわけですが。



日蓮さんの場合、原理主義者ではないとしても原理主義になりうる要素を多く残したのではと思います。(他を否定し自説を啓蒙する姿勢などはやはり最も気をつけるべき点で、いろんな宗教団体にも言えることだと思う)

親鸞さんの所にも熱狂的な信者さんがいらっしゃるようですが、それも及ばないくらいの勢いを日蓮原理主義の方は持っているようで。

やはり、信仰の仕方と布教の仕方が重要だと思いました。

そこが日蓮さんの「後世へ残し足りなかった部分」で、現代で徹底的にフォローすべき点かもしれません。そこを日蓮宗などは早くからフォローを始め、日蓮正宗や創価学会系からはLibraさんがおおいに補っているのかも。

ところが学会のフォローの仕方にはまだ疑問が残るわけです。なんだかツギハギチックな印象。



また逆に、「原理主義を批判する原理主義なアンチ」も必然的に(?)生まれていると思います。これはアンチ側が気をつけねばならない点になってくるでしょうね。



そんなわけで私自身は折伏に関わる「勧持品を掘り下げて考えてみる」というLibraさんからいただいた宿題はまだ進行中です。まずは現在法華経の本(現代語訳)3人の著書を同時読みしてます。



それにしてもLibraさんが御書の日蓮さんの言葉を引用されるのをみると、

「え!日蓮さん、ちゃんとそういう話してたんだ!」という発見がしばしばあります。

返信する
Leoさんへ (あやや)
2006-03-14 15:17:34
ごめんなさい、上は私あややややでした。                         

返信する
Unknown (Unknown)
2006-03-14 15:11:41
Leoさんはもしかしたらheyheyのジョイさんかしら?まちがってたらごめんなさい。

わめさんかしら?

以前あきあこさんの所でお話したような気がします。



Leoさんの名前は「ジャングル大帝」のLeoからかしらと勝手に想像してます。



良い学会員、悪い学会員なんていません。

申し訳ないのですが、良き人ほど目が覚めないのです。

究極としては根本を信じて止まないということです。その信じる対象が大きな過ちをおかしていたなら、悪い学会員と変わり有りません。



根本から洗い流すしかないのです。

kousanのプログで学会首脳部のでたらめ

池田氏のやくざ的本質も見抜けないことにイライラしてます。



知人の方は親戚の方が面倒みることになったようです。



科学性も倫理も、元々なかったのです。

それよりも脱会して一からやり直した方がすっきりします。
返信する
P.S. (Leo)
2006-03-13 23:50:28
上はLeoです。



>上の方の組織がちょっとおかしいなーと思っています。



おかしいというのは論理あるいは科学性と倫理の欠如ですね。

(上に立つ人ほどそれらが必要なのではないでしょうか)
返信する
Unknown (あややさん、こんばんは。)
2006-03-13 23:46:32
Leoと申します。



私は男子部の活動に参加していたことがあるのですが、(ご存知と思われますが)

折伏という名目で勧誘と、啓蒙という名目で聖教の拡大と、会合と、財務と、選挙と、

ほんのちょっと御書学習会がありました。今は全く組織に顔を出していません。



学会は貧乏人と病人の集まりだったという昔の人の話もありますし、

以前はお金がないのだったら時間で奉仕しろとか、悩みのある人を連れてきなさい

という指導があったのですが、入会を断るというのは時代が変わったのでしょうか。



少なくとも(私のように)折伏、新聞啓蒙、会合、財務、選挙をしたくない

人には意味のない組織と思います。一方で活動してても良識的(常識的)な人もいますし、

活動しなくとも心の支えとして信仰している人もいます。上の方の組織がちょっと

おかしいなーと思っています。



入会を断られた方のこと、創価学会で頑張りたいほどのエネルギーが

あるのであれば、そのエネルギーを自分のためでも身近な人のためでも(社会のためで

も)有効利用して、よくなって欲しいと思います。
返信する
みれいさん、歩さん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-13 23:06:46
フリ-メイソンの話題は「考えよう」掲示板でSGIさんという方が池田氏がフリ-メイソンと

親しいかメンバーの可能性があるということで非難的に仰っていたと思います。



調べてみると友愛団体のようですね。メンバーはすごい方々がおり入会資格もそれなり

のようです。



フリーメイソン(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3



「入会資格として何らかの真摯な信仰を要求」

「世間での評判が良く、高い道徳的品性の持ち主であり、健全な心に恵まれ、

 ロッジ会員の投票によって承認されること」

返信する
あやや様へ (Libra)
2006-03-13 01:57:53
 あややさん、こんばんは。コメントありがとうございました。



 「法華経はシャカの直説ではない」というのは全く正しいとおもいます。と

はいえ、法華経が、初期経典にかなり精通した人によって創られたというのも

たしかなことだろうとおもいます。問題は、法華経を創った人の仏教理解が正

しいかどうかということですが、これは学者によっても意見が分かれるところ

だとおもいます。ですから、あややさんが、「法華経はシャカの思想とは程遠

い」と主張されたとしても、そのご主張じたいは、現在の学問的状況において

通用するとおもいます。



 もっとも、わたし自身は、法華経の中心思想を支持しています(法華経の中

で主張されていることのすべてを支持するわけではありませんが)。「法華経

はシャカの思想とは程遠い」ともおもっておりません。日蓮の中心思想につい

ても同様です[*]。



 「創価学会員の中に日蓮原理主義者が少なからずいる」というのは全く正し

いとおもいますが、それは本来の創価学会の理念(牧口の思想)に反している

というのがわたしの認識です。



 また夏ごろにはここにお邪魔しようと考えています。もし何か疑問などがあ

りましたら、そのときにじっくりとお話できれば幸いです。



  [*] 法華経について

    http://page.freett.com/leo020503/bbslog3_002.html
返信する
ribra様、恐縮です。 (あやや)
2006-03-12 21:06:53
ribraさまのような学問のあるお方とお話するのは、大変緊張いたします。

未熟ものの話で大変恐縮ですが、

多方面にわたり、日蓮さんの手紙を拝見いたしまして、穏やかさと激口の繰り返し。



「法華経は釈迦の直説ではない」も、信憑性も帯びてきました。



日蓮宗の信者の方は、「日蓮さんは、死んで仏さんになったんだからそれでいいんですょ」

とニッコリ話します。

これでいいと思うんです。



ところがどっこい学会正宗においては、今だ

日蓮さんの亡霊にしがみついておるのです。





原理主義とは



宗教上の原典を絶対視する主張態度の事。



その特定の思想、物事などに固執する人々を指して



「○○原理主義=フアンダメンタリズム」



「○○原理主義者=フアダメンタリスト」



               ○○辞書より







日蓮さんの悲劇は、釈迦の教えとおもっていた

法華経が、鳩摩羅什の創作であったということと



釈迦とは程遠い鳩摩羅什の非情な訳であったということです。



これが現在の私の日蓮さんに対する考えです

拙い話ですが宜しくお願い致します。
返信する
日蓮は原理主義者か (Libra)
2006-03-12 15:27:17
 日蓮は「文証」に加えて「理証」も「現証」[*1]もいいますから、原理主義

者とはいえないとおもいます。



 日蓮が原理主義者と間違われやすいは、おそらく、日蓮の折伏[*2]が誤解さ

れやすいからなのだとおもいます。



 みれいさんが、ヴェルナー・フートという方の「原理主義者〔中略〕は、他

者に対しても自分の中に浮かんでくる疑念に対しても、対話を拒む。」[*3]と

いう言葉を紹介されています。



 日蓮の遺文を読めば、日蓮が「他者に対しても自分の中に浮かんでくる疑念

に対しても、対話を拒む」ような人物ではないことは明らかだとおもいます。



 もちろん、日蓮が依拠したものの中には、日蓮の時代には通用したとしても、

今となってはもう通用しないものが少なからずあります。そのようなものにい

まだにしがみついている人は「狂人」[*4]というしかないでしょう。「狂人」

には「対話」は不可能だとおもいます[*5]。



 日蓮原理主義者というのはたしかに存在しているとおもいます。しかし、そ

のことによって、日蓮自身が原理主義者だったということには必ずしもなりま

せん。





 [註]



  [*1] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/97



  [*2] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/84



  [*3] http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/e/f0f917865456dc2c0ad624cc54b6766d



  [*4] 精神の健全さと病気の違い(カール・ポパー)

     http://page.freett.com/Libra0000/112.html



  [*5] 対話主義と可謬主義(Libra)

     http://freett.com/Libra0000/z023.html
返信する
みれいさんへ (あやや)
2006-03-12 12:39:03
みれいさん、そうなんです。

知人が、断られてよかったですょ。

娘さんがいるのですが、娘さんが驚く程気立ての

良い子で、下手をすると犠牲になっていたとおもいます。ホント恐い世界です。

逃げるが勝ちと言う言葉もあります。



庶民の知恵でしょうね。ではでは                           



返信する
ここへははじめて書きます (Libra)
2006-03-12 06:44:34
 みなさん、おはようございます。



 あまりにもいい雰囲気なので、わたしも今日だけ参加しちゃうことにします。



 今の話題とは全く関係ないものを含めて、以下に、3点だけ書いてみます。





1.「反・権威主義」としての仏教



 ある経典によりますと、シャカは、「教典の権威によってとか、〔中略〕

『この人こそ私たちの先生だ』という考えによって導かれてはなりません。」

といっています[*1][*2]。



 「カリスマ性なるいかがわしいもの」によって導かれてはならないというの

が仏教の基本だといってよいとおもいます。創価学会の創立者である牧口も同

じようなことをいっています[*3]。



 しかしながら、創価学会の現状をみますと、残念ながら、「カリスマ性なる

いかがわしいもの」によって導かれてしまっているようにおもいます[*4]。





2.「日蓮は何の宗の元祖にもあらず」



 「日蓮さんだけは鎌倉仏教の中でも特殊な存在ですね。日蓮さんだけ宗派に

自分の名前つけてるし。法華経宗でいいのに。」というみれいさんのご発言に

ついて。



 日蓮のある遺文には「日蓮は何の宗の元祖にもあらず」[*5]とあります。日

蓮が「宗派に自分の名前をつけ」たということはありません。



 四条金吾に対して、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と

鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」[*6]といってい

ますから、日蓮自身は、みれいさんがおっしゃるように「法華経宗でいい」と

おもっていたのだとおもいます。





3.「反・自文化中心主義」としての相対主義



 わたしは、小河原誠先生が批判対象とされているようなかたちの相対主義[*7]

が大嫌いです。しかし、同じ「相対主義」という名の下に語られる思想の中に

は、これとは正反対のものがあるようです[*8]。浜本満先生がいわれるような

「反・自文化中心主義」としての相対主義ならば、わたしもほとんど賛成でき

ます。



 もっとも、わたしは、浜本満先生とはちがって、「かなわない夢なら見ない

ほうがまし」などとはおもいません。



 夢には、人類的なレベルのものと、個人的なレベルのものがあるとおもいま

すが、人類的レベルの夢としてなら、「かなわない夢」を大いに見るべきだと

わたしはおもいます。



 「人類的レベルの夢」というのは、たとえば、フッサールの以下のような夢

のことです。



  ─────────────────────────────────

  たとえ学問が、最終的には自ら洞察せざるをえないように、「絶対的」な

  真理の体系の実現に事実上至ることがなく、その真理を繰り返し変更する

  よう強いられるとしても、学問はやはり絶対的な真理または学問的に真正

  な真理という理念を追いかけ、それゆえ、この理念に近似的に接近して行

  こうとする、無限の営みの地平のなかへ入り込んでいくことになる。学問

  は、この近似的な接近とともに、日常的な認識と自分自身とを無限に乗り

  越えていくことができる、と考えている。



  (フッサール著・浜渦辰二訳『デカルト的省察』、岩波文庫、2001年、

    pp. 34-35)

  ─────────────────────────────────



 これに対して、「個人的レベルの夢」というのは、たとえば、アルブレヒト・

デューラーの以下のような夢のことです。



  ─────────────────────────────────

  しかし、わたしよりも有能な者が真実を推察し、その仕事の中でわたしの

  間違いを証明して、論破できるようにするために、わたしが学んだ僅かば

  かりのものを世に出そうと思います。ここにおいて、自分がその真実の明

  らかにされるに至る手段になったということに、わたしは喜びを感じます。



  (カール・R・ポパー『確定性の世界』〔田島裕訳、信山社、1998年〕の

    88ページから孫引き。)

  ─────────────────────────────────



 人類的レベルの夢としては、「かなわない夢」を大いに見つつ、個人的レベ

ルの夢としては「つつましやかな夢」を見ればよいとわたしはおもいます。そ

うすれば、「事を急ぎ過ぎる」こともありませんから。





 [註]



  [*1] ブッダと「汎批判的合理主義」(小河原誠)

     http://page.freett.com/Libra0000/048.htm



  [*2] アンベードカル 著 『ブッダとそのダンマ』 について(Leo)

     http://page.freett.com/leo020503/dhamma.html



  [*3] 信仰的模倣時代から理性の時代へ(牧口常三郎)

     http://freett.com/Libra0000/024.htm



  [*4] 創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)

     http://freett.com/Libra0000/056.htm



  [*5] 「妙密上人御消息」、学会版、p. 1239。



  [*6] 「四条金吾殿御返事」、学会版、p. 1118。



  [*7] 相対主義批判(小河原誠)

     http://freett.com/Libra0000/039.htm



  [*8] 差異のとらえかた--相対主義と普遍主義--(浜本満)

     http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/research/published/relativism.html

返信する
うんにゃ。>歩さん (みれい)
2006-03-12 03:11:05
>歩さん、



フリーメイソン、そういえばどこかで話が出たような気も。以前職場で話が出たことがありますが、KKKと区別がつかなかった私でしたw。

さっきちょっと検索して、リアル版ミクシィみたいな印象です。ちがうか。



私も秘密クラブは知らないこともないですが、私が知っているのはもっと隠微なほうです・・なんて。





>あややさん、



横レスすみません。

入会を断られた方は、借金を負っているということが直接の原因だったのでしょうか?

またはそれを話したら遠まわしに何かと理由をつけて断られたとか。断り文句がちょっと気になりました。もしご存知でしたら参考に教えてくだされば幸いです。



いずれにしても、良かったんじゃないでしょうか。

断られた事により、ご本人があらためて仏道を学ぶきっかけとなって行くと良いですね。

入るもご縁、入らないもご縁。出るもご縁。

「人生、やり直しはきかないけど、見直しは何度でも出来る」と私はとあるご住職に説いていただいたことがあります。

その方も、あらたな一歩を踏み出しますように。



Leoさんと歩さん、接触がありそうでなかったのですね(^▽^)

これまた読んでいてわくわくするツーショットですw





ふと思ったのですが、ここのブログはコメント欄が実は結構面白い。

いろんな方がつけてくださるコメントが実に奥深くて勉強になります。
返信する
P.S. (2) (Leo)
2006-03-11 23:38:44
>現状私は創価学会を安易に信じてしまって協力していたという反動から

>論理あるいは科学性と倫理というものに注目してますが、宗教は全否定でないです。



韓ドラ「大長今/宮廷女官 チャングムの誓い」観てるんですが、料理を政治の「具」

にするチェ一族に対して、ハンサングンとチャングムは科学的ぽさ(創意工夫)と

倫理があるですね。病気をわずらう明の使者にヘルシー料理を出してお手打ちになる

ところだったハンサングンとチャングムですが皇太后に認められたし、

皇太后はもし王様に間違ったことがあったら申し上げよと王様の「可謬性」を認めるんですね。

(そういえばチャングムは科学的ぽさ(創意工夫)だけで失敗をやらかしてハンサングンに

 老サングンの看病のため寺に行かされました...)



また韓ドラとは全然関係ないですが(確か)「零戦に欠陥アリ」という番組でも零戦の

設計者が科学性と倫理の欠如を述懐したことを紹介してたと思います。

返信する
P.S. (Leo)
2006-03-11 22:42:45
>アンベードカル博士と佐々井師には正直驚き人間捨てたもんじゃないという思いを

>新たにしました。



佐々井師は佐々井爺とも呼ばれているようで、これがホントのG-SHOCKということで。
返信する
歩さん、お久しぶりです。 (Leo)
2006-03-11 22:36:37
>インド行ってみたいですね~



そうですね。

ナグプール行ってあとはチェンナイに行ってタミル映画でも観ようかな。

(私のような人間は一度インドへ行くと多分日本には戻ってこない...(^^;)



>Leoさん、お久しぶり~、お元気そうでなによりです。

>って、もう見てないか?



サンダーバード5号のSOS傍受のようにネット系は時々チェックしておりますです。



>あと一ヶ月「18年後」になりますね。



20年後に語り合うというお話しですね。



現状私は創価学会を安易に信じてしまって協力していたという反動から

論理あるいは科学性と倫理というものに注目してますが、宗教は全否定でないです。

少なくとも心理学的効果は認めます。(←こういう言い方をしますが私自身100%

論理あるいは科学性と倫理が具現されている人間ではないですのであしからず(^^;)



それから私は日本の宗教指導者(幹部)には失望しているのですが(私の知っている範囲の方々ですが)

アンベードカル博士と佐々井師には正直驚き人間捨てたもんじゃないという思いを

新たにしました。



>既成仏教が佐々井師の話にふれたくない、というのは各宗門ともごく一部の心情的なものとしてはあるかもしれません。

>どこにでもバリ系ショートテンパラチャーはいるものです。



佐々井師がアンベードカル博士著『ブッダとそのダンマ』新書版の後書きに一文を寄せて日本の既存仏教界を

叱責していたんで一体何事が起こっているかと思ったんですよ。

アンベードカル博士や佐々井師を評価している既存仏教界の方々もおられるのですね。



>ただ批判されたから触れたくないってのは、あまりないと思いますよ。



ふむふむ。



>このことちょっとアタマの片隅にあって、創価学会今世紀中にインドで1億人予想をしてたんです。



インドの仏教徒は現状で数千万人とか1億人とかいわれているようですね。

アンベードカル博士と池田氏の肖像は似てなくもないから(輪郭、眼鏡、紺色系の背広)とか

要するにそういうことですか?(違うかな?)

返信する
Unknown (あやや)
2006-03-11 22:21:33
歩さん、ご指摘ありがとうございます。



私の知人が借金を背負いなんとか打開したく

学会員に入信したいむねを言ったそうです。



断られたそうです。



貧しいことは卑下にはならないとおもいます。

金持ちでも根性悪い人は結構居ますから。



私は超貧乏人ですが恥じてはいません。



あしからずお願い致します。
返信する
アンベードカル博士記念社会科学部ってのもアンベードカル博士は知ってるのかなあ。 (歩@長文連投スマソ)
2006-03-11 17:10:44
アンベードカル博士記念社会科学部ってのもアンベードカル博士は知ってるのかなあ。



このことちょっとアタマの片隅にあって、創価学会今世紀中にインドで1億人予想をしてたんです。



【歩の大胆予想】の第五弾

http://blog.livedoor.jp/fookoo/archives/11114719.html
返信する
インド行ってみたいですね~ ()
2006-03-11 17:03:16
Leoさん、お久しぶり~、お元気そうでなによりです。

って、もう見てないか?



あと一ヶ月「18年後」になりますね。考えよう板の「日蓮正宗のアナクロニズム」スレでのお約束。2年ほどでお互いたぶんきっと大きく変わっているでしょうから、18年後が楽しみです。

いや自分がどう変わっているのか、仕事でもこれからやりたいことややろうとしていることいっぱいあるし、その中でたくさんの人に出会えるものと期待しているし、子どもたちも間違いなくイロイロあることだろうし、妻や私も確実に年とっていくわけだからね~、楽しみは多いです。



前置きが長くなりました。

佐々井師のこと、知ってますよ~。

というか直のお弟子さんを。っても直接お話したことはありませんが、そのお弟子さん(たぶんインド人)の講演会を聞いた。そのお弟子さんが属している臨済宗の禅寺に参禅している某社社長に誘われて。

アンベードカル博士(という名前は忘れてしまってました)のお話や、自分が座禅をするようになったいきさつ(同じく佐々井師を慕ってきていた曹洞宗僧侶に教わったらしい)や、佐々井師が弟子の禅修業、日印の仏教振興のためにいろいろ手を尽くしていまの寺にを紹介してくれたなど。いろいろ。



既成仏教が佐々井師の話にふれたくない、というのは各宗門ともごく一部の心情的なものとしてはあるかもしれません。どこにでもバリ系ショートテンパラチャーはいるものです。

ただ批判されたから触れたくないってのは、あまりないと思いますよ。

わざわざ触れない、例えば各宗派が創価学会でも天理教でも庭野日敬でもいいのですがわざわざ語らないのといっしょでは。日蓮の四箇格言を目の前で論じられても、みんなニコニコして聞くことと思います。

ひとちひとりの僧侶にあっては、宗派問わずオープンに様々な宗教者の軌跡や言葉を引用されますよ。佐々井師なんかも出てくる。インドに~って。



各宗派の流れをくむカルト的な過激なグループは存在していますが、大きなところで止め処ない論戦をやってるのは仏教関連ではこの界隈が一番強烈かも。やっぱ創価系なのか正宗系なのかわかりませんが、元気のいい人がネット上にそこそこいるってことでしょうか。



禅宗の僧侶、法華経好きはメチャ多いですよ。日蓮好きも。
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フリーメイソン、実は得意分野?>みれいさん ()
2006-03-11 17:00:12
何千年も続く宗教ってわけじゃないけれど、、、



以前、どこかの掲示板か何かでフリーメイソンの話題があったよね。

レスつけられないまま話題も自分の記憶も流れていっちゃたんだけど、

入会するのに宗教的制約ないから創価学会なんかも交流あるのでは。



ナポレオンや周恩来もフリーメイソンだからねー。

ユダヤ教寄りに思われているけどキリスト・イスラムでも仏教でもオッケーよ。



アメリカで行ってた大学は本場だった(創設者がアメリカフリーメイソンリーの父?)

こともあり知った人入ってるもん。って自分でカミングアウトだからね。

誰が入っているか人のことは絶対言っちゃいけない。

ハイ、私は入っていません。えっへん(自慢するな)
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相手があるという思い。 ()
2006-03-11 16:58:37
あややさん、こんにちは。



「今の創価学会が貧乏人を相手にしないそうです」という話は

創価学会シンパvsアンチ(ああ内部外部のようにヤな表現だ)の枠組では

大いに相手にされる表現だと思います。

しかし、一般社会というとちょっと大袈裟で曖昧になりますが

創価学会シンパvsアンチ以外では、それこそ相手にされない表現ではと思います

それ以上に、言ってる方が眉をしかめつられることが多いのではないかと感じます。



それが事実の場合もあるだろうし、そう感じた人もいるだろうし、

逆にそうでない場合もあるだろうし、そればかりじゃないんじゃないって感じる

人もいるわけです。

「貧乏人」という言葉を出すだけで、あらヤダ、あんまりそんなことはクチに

出さない方がスワリがいいんだけど、って心の中で思われている人も多いのでは。

ある面、真実(経済的環境)から目をそむけたりオブラードにくるんでいる面も

ありますが、傍若無人に人様の財布の中身を語ったり自分をさらけ出しすぎるのは

礼を失する場合があると思うのです。



創価学会に限らず誰しもに、経済環境は様々な事実と様々な思いがあるでしょう。

例えば、えーっと年収300万でも幸せを感じる人もあれば貧乏だと思う人もいる。



気になる表現だったので、私の思いを少し述べさせていただきました。
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上 私です。 (あやや)
2006-03-11 11:51:10
神と霊・・・・・目からウロコが驚きでした。

拝さまの解説はすごいとおもいます。静かに講義を聞きたいので・・・一度ご覧下さい。
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Unknown (Unknown)
2006-03-11 11:44:21
そうですね。釈迦は一般人と違いすでにインドの基礎的な原始的なものから何かを学んでいたように思います。王子ですからね、あの当時すでに最高な学習を学んでいたと思うのです。



『虚空漂浪記』の拝一刀斉さんの所は大分煮詰まった話になってきています。



イエスにおいても物語はともかくとしても

人間は平等でありと人間愛を徹底的に訴えまし

た。神と

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そうそう (みれい)
2006-03-11 03:16:41
>何千年と続く宗教にもう一度頑張ってもらいたいです。科学も勿論ですが。



同感です。と同時に、普遍的な宗教も、目立たないだけ(むしろ目立たないように)で、決して無いわけではないです。

静かに、けれど流れを止めずに続いてますよ。

そしてそれらは科学と離れることなく、見事に科学を包括しながら存在しているようです。
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ライブドアはまさに (みれい)
2006-03-11 03:09:54
あややさん



日本は見事に経済信仰ですね。



>今の学会は貧乏人相手にしないそうです。



そうなんですか?

カルトについて書かれた本にもありましたが、規模を広げようとする宗教団体はターゲットもそこそこ裕福な層になるそうです。やはりお金を吸い取るためでしょうね。

それにあわせて御利益も「布施が多いほど功徳も大きい」とか、「商売繁盛」などの現世利益とか、うたわれていくわけですね。



組織の成長度合いに応じて教義とターゲット層が変わっていくという、なんとも商売上手な宗教団体といったところでしょうか。



「やせる」とか「きれいになれる」とかと同じように、「人生が変えられる」「生き生きとした自分になれる」とか、現世利益は一つの「商品」といえるかもしれません。叶うかどうかは結局本人次第なわけで。

幹部信者はある意味『経営陣』なわけで。



まあそうだとしても相互会社みたいなもんなので、害がなければいいですけど・・・



それにしても、お釈迦様の教えはどのあたりに・・・

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Unknown (あやや)
2006-03-09 17:41:01
今の世の中、

拝金主義と危惧してしまいます。

学会がそうですものね。

そんな考えが何となく蔓延しているようなきがします。



困っている人に目をつぶる。

今の学会は貧乏人相手にしないそうです。

道理で、金銭の貸し借り、なしなのに

財務だけはしっかりやれ、功徳があるぞ、ですものね。詐欺も見抜けない会員。





何千年と続く宗教にもう一度頑張ってもらいたいです。科学も勿論ですが。

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原理主義 (みれい)
2006-03-06 00:08:22
あややさん



日蓮とルターは原理主義という意見もどこかで聞いた事があります。

不思議なことに、日蓮系では創価学会、ルターのほうではエホバの証人、いずれも原理主義の匂いを含みつつ爆発的に大きくなっているようですね。



そもそも日蓮さんだけは鎌倉仏教の中でも特殊な存在ですね。日蓮さんだけ宗派に自分の名前つけてるし。法華経宗でいいのに。



原理主義についてはさらっと書いてみましたが、

http://blog.goo.ne.jp/mirei-2005/e/f0f917865456dc2c0ad624cc54b6766d

今後の展望次第でイスラム原理主義のようになるかどうか、要注意な感じです。



顕正会なんかはモロにそんな感じですが、御書も法華経も原理的に扱ってはいけないものだと思っています。

宗教のこわいところですね。



先日テレビで4大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教)が手をとりあって皆で同じ祈りを捧げよう、という試みがスリランカの仏教のお坊さんからはじまった、という番組をみました。

こういうのにとても賛同します。
返信する
御無沙汰してました。 (あやや)
2006-03-05 10:47:08
ビデオショップで「コンタクト」借りられますが

今整理すると大変おもしろい内容がふくまれています。



セーガン博士が嘆いているのは

宗教原理主義者たちのことです。

紀元前科学はギリシャの小さな島で発見されました。武器を斧に変え、日時計を作り、新しい

発見をしていきました。

図書館なるものもできました。

館長は女性でした。所が無残にも宗教者達によって図書館は焼き討ちされ、女性館長はひきずり

まわされ跡形もなかったそうです。科学は500年

遅れたそうです。



日蓮も原理主義者です。                                 

返信する
インド人もびっくり・・・ (みれい)
2006-03-02 22:42:26
さすが情報通Leoさん。



佐々井さんのお名前で検索してたら動画があったので見ました。

本当に、番組特集は去年ですね。

現役の方とはこれまたびっくり。

どうなっているんでしょう?インド。



>佐々井師は真言宗の出身なのに日蓮聖人と法華経が好きというように面白い方のようです。



この方、ホントに現代版日蓮さんみたいな感じです。

顔つきもなんだか似てる気がする。

日本の宗教界に対しての批判に関してはLibraさんもいつもおっしゃっているように、内容とそのありかたが重要なのでしょうね。



そして自由っぷりがいいですね。

まあ禅宗でも日蓮さん好きとか、真宗でも道元さん好きとかいるかもしれませんが。



私が以前お話を伺った真言宗のお坊さん二人もとても変わっていて明るくて博識でした。

共通なのかわかりませんが、あんまり宗派にとらわれていない気がします。

で、当たり前ですが、他宗に対して寛容的なので、他宗教にも博識な方も存在しますよね。



既成仏教では宗派の規則に縛られて出来ないこともあるでしょうし(それがメリットにもデメリットにもなるのでしょうが)、宗派を離れて新しいことをする方に対しては日本の宗教界の方も慎重にならざるを得ない気もします。

だとしても、そういった枠を離れてカーストに取り組むのはすばらしいとおもいます。



>あまり関係ないのですが...

池田氏はインド・ブンデルカンド大学からアンベードカル博士記念社会科学部の終身名誉教授称号を授与されたのだそうです。

(これについてはアンベードカル博士もびっくりされるのではないかと思います)



「名誉」が付いていればとりあえずいただいておけば後で忘れた頃に「事実」のほうが変わるのかしら?と思いました。ガンジーさんの扱いはどうなるのでしょう?

なんだか節操がないような・・・



こちらでも不可蝕民とアンベードカル氏について取り上げられていて読みました。

http://www.wound-treatment.jp/next/dokusho52.htm



この方の日記というかいろんなコラムがちょっと興味深いです。

返信する
P.S. (Leo)
2006-03-02 01:59:28
>逆にこれらの教団は佐々井師を話題にしたくないのではないかと思います。



たとえ各教団でアンベードカルが話題とされても佐々井師を話題にしないという感じですね。



あまり関係ないのですが...

池田氏はインド・ブンデルカンド大学からアンベードカル博士記念

社会科学部の終身名誉教授称号を授与されたのだそうです。



(これについてはアンベードカル博士もびっくりされるのではないかと思います)
返信する
みれいさん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-02 01:50:48
>私の知っている限り、アウトカーストの方の仏教化がほとんど占めているらしく、

>アンベードカルさんの意に反して「仏教はアウトカーストが行うもの」という

>間違った先入観が多くのインド人に入っているようですね。(違ったらご指摘ください)



ヒンドゥー教の枠組みであるカースト制、その中の被差別から離脱するために

アウトカーストの方々の仏教への改宗は切実なものがあると思いますが、

アウトカーストでない方々は切実でないので仏教への改宗を考えないと思います。

その結果(インドでは)「仏教はアウトカーストが行うもの」という認識がなされて

いてもおかしくないと思います。



>また何かの本(ど忘れ)で、そのインドでの仏教運動に日本のお坊さんが

>法華経を持ち込んだばっかりに、インドで仏教が受け入れられなくなった、

>ということを読んだことがあります。



インドへは日蓮宗やその他の法華経系の教団の布教もあるようですが、

(どの法華経系がインド人にとって抵抗感があるのかわからないですが、

 南アジアでは部派仏教がスタンダードだとするとそういう非難があっても

 おかしくないかもしれないです)

アンベードカルの後継者とされているのは佐々井師という方なのだそうです。

佐々井師は真言宗の出身なのに日蓮聖人と法華経が好きというように面白い方のようです。



http://tanizoko2.hp.infoseek.co.jp/sasai_syuurei.html

「佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)」

「真言宗の僧なのにいつも団扇太鼓をたたき「南無妙法蓮華教」を唱えているのも、仏教教理学を

 深く学んだ上で(師はパーリー語もわかるので、仏教教典を原語で読むことが出きる)、法華経

 の教えと日蓮が好きだからと言うのが理由らしく、宗派にこだわらないキャラクターが良く出て

 いて可笑しい。」



http://www.geocities.jp/surmale_y/sasaiji.html

「佐々井秀嶺老師の話」

「1960年代に高尾山薬王院よりタイに派遣され、2年の修行の後1967年インドに渡る。

 インドのラージギルにて2年の修行後、ナグプールに拠点を移し、 現在はインド仏教の

 最高指導者として、不可触民など虐げられた人々を中心に仏教に改宗させる事により

 解放している。 「インド仏教の頂点に立つ男」という題名で2005年2月に日本のTVで

1時間番組が組まれた。」



B.R.アンベードカル 著、山際素男 訳 『ブッダとそのダンマ』光文社新書、光文社、2004年

の最後に佐々井師が一文を寄せているのですが日本仏教界を叱責し、天理教、霊友会、立正佼成会、

創価学会、天台宗、日蓮宗、真宗、禅宗(これらはインドへの仏教布教で佐々井師と対立している

教団)を名指しで非難してます。

逆にこれらの教団は佐々井師を話題にしたくないのではないかと思います。



私もつい最近まで知らなかったのですが、インド仏教界はインド仏教界で結構ものすごいことに

なっているのではなでしょうか。

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ああ (みれい)
2006-03-02 00:51:51
>これこそ仏教の教えゆえの意見だと思います^^



仏教ゆえではないのかも。

インドでのマザーテレサの死を待つ家の行いはキリスト教ゆえでしたし。

その想いは共通するものかもしれません。
返信する
わお! (みれい)
2006-03-02 00:45:50
Leoさん!来て下さって嬉しいです^^



Libraさんの言葉をLeoさんが咀嚼してくださるのがとても助かっています。

Leoさんのフォローは例えるならば、

美味しいご飯が美味しいおかゆになるくらい、

元の風味を壊さずにやさしくなってます。

あと、こちらはまだまだなのでフォローになっているのかどうかわからないです^^;

こちらこそお世話様です。



インドで仏教復活運動(というかカースト対策)についてはうかがったことがあるのですが、アンベードカルという名前は初めて知りました。

私の知っている限り、アウトカーストの方の仏教化がほとんど占めているらしく、アンベードカルさんの意に反して「仏教はアウトカーストが行うもの」という間違った先入観が多くのインド人に入っているようですね。(違ったらご指摘ください)



また何かの本(ど忘れ)で、そのインドでの仏教運動に日本のお坊さんが法華経を持ち込んだばっかりに、インドで仏教が受け入れられなくなった、ということを読んだことがあります。

そのご紹介くださったお坊さんとは別の方だとは思いますし、詳しいことが書かれていない(そもそもそれが中心の本ではなかった)ので、話の根拠もないのですが、気になったものです。

カースト問題や差別問題に法華経を出すならばよくよく気をつけなければと思いました。



カーストの中には、不可蝕民(その人たちに触れてはいけない)だけでなく、その家に生まれたら代々一生泥棒をしなければならないカーストや、一生口を聞いてはいけない、一生地面を転がり続けなければならない、などなど、「なんだそりゃ」なものもあるらしく、それがいまだ行われていることにびっくりです。

ブッダが荒行をしていた頃(手塚治虫のマンガ参照)を考えると、そのころも今から見たらなんだそりゃなことが沢山あったのだろうなと思います。



>宗教や哲学は

そのような差別を受ける人にとって意味がなければ万人にとって意味があるとは

いえないと思いました。



これこそ仏教の教えゆえの意見だと思います^^

返信する
どうもです (Leo)
2006-03-01 00:28:01
みれいさん



わめさんの掲示板ではLibraさんや私をフォローしていただいた感じになって

しまってすんませんでした。



Libraさんが最近興味をもたれたというアンベードカルについて著書を少し調べてみました。



アンベードカル 著 『ブッダとそのダンマ』 について

http://page.freett.com/leo020503/dhamma.html

(法律家でもある(つまり合理的な方)アンベードカルの仏教理解はLibraさんの

仏教理解と近いものがありました)



(すでにご存知かもしれませんが...)

アンベードカルは被差別カースト出身でものすごく頑張ってアメリカの大学を出て

弁護士の資格もとってインド独立の憲法の草案も作っただけでなく、

被差別カーストをひきつれて仏教に集団改宗するという本物のリーダーでした。



アンベードカル

http://www.tabiken.com/history/doc/A/A295L100.HTM



私は今までインドの被差別カーストにはあまり関心がなかったのですが、宗教や哲学は

そのような差別を受ける人にとって意味がなければ万人にとって意味があるとは

いえないと思いました。



アンベードカルの後継者は日本人僧侶でこれまた鎌倉時代の祖師が現代に

タイムスリップして来られたような強烈な人です。
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わかるわかる~ (みれい)
2006-02-28 23:40:32
三九郎さん



そうそう、そう思います。

気が重くなったり、軽くなったり、気がそれたり、気が変わったり、移ったり、集中したり、気が強くなったり、弱くなったり。「気」ってなんでしょうね^^



「病気」も気が病むと書く。

気を元に戻すと「元気」。



お題目も念仏も座禅も、どこかしらに定める効果はある気もします。



私は人からよく元気をいただく。

木や空や風や星からもいただくよ。

返信する
ちっちぇ~ (三九郎)
2006-02-28 14:02:19
>人間の価値観なんてふっとんじゃいそうです。



ふっとばっせ、ふっとばっせ。

ほんまほんま。時間も空間も超マクロから見てみたり

超ミクロで考えてみたりしてたら、

ほんまちっちゃいちっちゃい自分がおって、

あれっ、何考えてたんやろ?って頭ん中真っ白。

一生懸命悩んでたんが、なにやってんねんって気が楽になる。

おおこの感じが宗教ちゃうか?とか。





でも、たまには、気が重~くなったりして。
返信する
ふええ (みれい)
2006-02-28 00:46:30
あややさん



宇宙工学というだけで「なんだろう?」なのですが、とても興味があります。

そして読み応えありそうですね~。



宇宙と科学と宗教。限りなくマクロの世界から限りなくミクロの世界まで。

人間の価値観なんてふっとんじゃいそうです。



コンタクトはテレビで見た気がします。



ところで、私も考える力というのは大事だと思います。

考えて、常に最善を選択しながら前へ進んで

ゆくわけですね。



科学と宗教とか、幸福の科学とか、科学を宗教にどのように引用してるのか、これまた気になるところです。

(ちなみに幸福の科学の方が本を配っていたので読んでみたら、一見筋が通っているようにもみえるのですが、実際かなり都合よくごった煮で、結局組織の正当化、な印象でした。そのまま信じてしまうと信者になるわけですね)
返信する
本って素敵ですね。 (あやや)
2006-02-27 14:32:22
投稿押しちゃいました。すみません。



カールセーガン博士の本はたくさんあります。

が、「コンタクト」は有名で映画にもなりました。セーガン博士に捧ぐが最後の字幕に入りました。私の空っぽの頭は満たされました。



マザーの言葉も素敵で落ち着きます。



カール博士の「宗教と科学」の厚さは膨大でしたが、充分に考える頭を持たせてくれました。

図書館で借りられます。^^
返信する
Unknown (Unknown)
2006-02-27 14:17:46
御無沙汰してました。



本当に宗教に関係の無い人の言葉に

素晴らしい発見がありますね。



わたしは多読なのですが、遺稿になった

宇宙工学博士カールセーガン博士の

「宗教と科学」

(創価学会では「科学と宗教」を後に出しました。)

え:q@d

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