生かして生かされて生きる

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ほとんど私用メモ帳化してます

カリスマ 名声 地位 名誉

2006年02月24日 | 心の話
 

「自ら強力であって、かつ後継者が強力であるという真のリーダーは、

 一般に信じられている大人物とは、見た目も行動も大きく異なる。

 カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。

 彼らは、勤勉さと献身によってリーダーとなる。

 権力を集中せずにチームをつくる。

 操作によってではなく、真摯さによってリーダーとなる。」

        (ドラッカー わが軌跡より ex週間ダイヤモンド)



仕事意欲にガソリンを注ぎたいときに目を通すドラッカーやナポレオン・ヒル、デールカーネギーなどのさらっと述べられる名言にしばしば「はっ」とさせられる。
そしてそれらは仏教とは何の関係もないのに関わらず、仏教と同じ事を言っているときがある。きっとキリストの意見とも変わらない時もあるだろう。
そもそも真理は、別にただ一箇所、ただ一人にくくられているものではないのだ。

ちなみに題名の語呂がバランスよくできました。
声に出してみてください。

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92 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-02-27 14:17:46
御無沙汰してました。



本当に宗教に関係の無い人の言葉に

素晴らしい発見がありますね。



わたしは多読なのですが、遺稿になった

宇宙工学博士カールセーガン博士の

「宗教と科学」

(創価学会では「科学と宗教」を後に出しました。)

え:q@d

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本って素敵ですね。 (あやや)
2006-02-27 14:32:22
投稿押しちゃいました。すみません。



カールセーガン博士の本はたくさんあります。

が、「コンタクト」は有名で映画にもなりました。セーガン博士に捧ぐが最後の字幕に入りました。私の空っぽの頭は満たされました。



マザーの言葉も素敵で落ち着きます。



カール博士の「宗教と科学」の厚さは膨大でしたが、充分に考える頭を持たせてくれました。

図書館で借りられます。^^
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ふええ (みれい)
2006-02-28 00:46:30
あややさん



宇宙工学というだけで「なんだろう?」なのですが、とても興味があります。

そして読み応えありそうですね~。



宇宙と科学と宗教。限りなくマクロの世界から限りなくミクロの世界まで。

人間の価値観なんてふっとんじゃいそうです。



コンタクトはテレビで見た気がします。



ところで、私も考える力というのは大事だと思います。

考えて、常に最善を選択しながら前へ進んで

ゆくわけですね。



科学と宗教とか、幸福の科学とか、科学を宗教にどのように引用してるのか、これまた気になるところです。

(ちなみに幸福の科学の方が本を配っていたので読んでみたら、一見筋が通っているようにもみえるのですが、実際かなり都合よくごった煮で、結局組織の正当化、な印象でした。そのまま信じてしまうと信者になるわけですね)
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ちっちぇ~ (三九郎)
2006-02-28 14:02:19
>人間の価値観なんてふっとんじゃいそうです。



ふっとばっせ、ふっとばっせ。

ほんまほんま。時間も空間も超マクロから見てみたり

超ミクロで考えてみたりしてたら、

ほんまちっちゃいちっちゃい自分がおって、

あれっ、何考えてたんやろ?って頭ん中真っ白。

一生懸命悩んでたんが、なにやってんねんって気が楽になる。

おおこの感じが宗教ちゃうか?とか。





でも、たまには、気が重~くなったりして。
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わかるわかる~ (みれい)
2006-02-28 23:40:32
三九郎さん



そうそう、そう思います。

気が重くなったり、軽くなったり、気がそれたり、気が変わったり、移ったり、集中したり、気が強くなったり、弱くなったり。「気」ってなんでしょうね^^



「病気」も気が病むと書く。

気を元に戻すと「元気」。



お題目も念仏も座禅も、どこかしらに定める効果はある気もします。



私は人からよく元気をいただく。

木や空や風や星からもいただくよ。

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どうもです (Leo)
2006-03-01 00:28:01
みれいさん



わめさんの掲示板ではLibraさんや私をフォローしていただいた感じになって

しまってすんませんでした。



Libraさんが最近興味をもたれたというアンベードカルについて著書を少し調べてみました。



アンベードカル 著 『ブッダとそのダンマ』 について

http://page.freett.com/leo020503/dhamma.html

(法律家でもある(つまり合理的な方)アンベードカルの仏教理解はLibraさんの

仏教理解と近いものがありました)



(すでにご存知かもしれませんが...)

アンベードカルは被差別カースト出身でものすごく頑張ってアメリカの大学を出て

弁護士の資格もとってインド独立の憲法の草案も作っただけでなく、

被差別カーストをひきつれて仏教に集団改宗するという本物のリーダーでした。



アンベードカル

http://www.tabiken.com/history/doc/A/A295L100.HTM



私は今までインドの被差別カーストにはあまり関心がなかったのですが、宗教や哲学は

そのような差別を受ける人にとって意味がなければ万人にとって意味があるとは

いえないと思いました。



アンベードカルの後継者は日本人僧侶でこれまた鎌倉時代の祖師が現代に

タイムスリップして来られたような強烈な人です。
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わお! (みれい)
2006-03-02 00:45:50
Leoさん!来て下さって嬉しいです^^



Libraさんの言葉をLeoさんが咀嚼してくださるのがとても助かっています。

Leoさんのフォローは例えるならば、

美味しいご飯が美味しいおかゆになるくらい、

元の風味を壊さずにやさしくなってます。

あと、こちらはまだまだなのでフォローになっているのかどうかわからないです^^;

こちらこそお世話様です。



インドで仏教復活運動(というかカースト対策)についてはうかがったことがあるのですが、アンベードカルという名前は初めて知りました。

私の知っている限り、アウトカーストの方の仏教化がほとんど占めているらしく、アンベードカルさんの意に反して「仏教はアウトカーストが行うもの」という間違った先入観が多くのインド人に入っているようですね。(違ったらご指摘ください)



また何かの本(ど忘れ)で、そのインドでの仏教運動に日本のお坊さんが法華経を持ち込んだばっかりに、インドで仏教が受け入れられなくなった、ということを読んだことがあります。

そのご紹介くださったお坊さんとは別の方だとは思いますし、詳しいことが書かれていない(そもそもそれが中心の本ではなかった)ので、話の根拠もないのですが、気になったものです。

カースト問題や差別問題に法華経を出すならばよくよく気をつけなければと思いました。



カーストの中には、不可蝕民(その人たちに触れてはいけない)だけでなく、その家に生まれたら代々一生泥棒をしなければならないカーストや、一生口を聞いてはいけない、一生地面を転がり続けなければならない、などなど、「なんだそりゃ」なものもあるらしく、それがいまだ行われていることにびっくりです。

ブッダが荒行をしていた頃(手塚治虫のマンガ参照)を考えると、そのころも今から見たらなんだそりゃなことが沢山あったのだろうなと思います。



>宗教や哲学は

そのような差別を受ける人にとって意味がなければ万人にとって意味があるとは

いえないと思いました。



これこそ仏教の教えゆえの意見だと思います^^

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ああ (みれい)
2006-03-02 00:51:51
>これこそ仏教の教えゆえの意見だと思います^^



仏教ゆえではないのかも。

インドでのマザーテレサの死を待つ家の行いはキリスト教ゆえでしたし。

その想いは共通するものかもしれません。
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みれいさん、こんばんは。 (Leo)
2006-03-02 01:50:48
>私の知っている限り、アウトカーストの方の仏教化がほとんど占めているらしく、

>アンベードカルさんの意に反して「仏教はアウトカーストが行うもの」という

>間違った先入観が多くのインド人に入っているようですね。(違ったらご指摘ください)



ヒンドゥー教の枠組みであるカースト制、その中の被差別から離脱するために

アウトカーストの方々の仏教への改宗は切実なものがあると思いますが、

アウトカーストでない方々は切実でないので仏教への改宗を考えないと思います。

その結果(インドでは)「仏教はアウトカーストが行うもの」という認識がなされて

いてもおかしくないと思います。



>また何かの本(ど忘れ)で、そのインドでの仏教運動に日本のお坊さんが

>法華経を持ち込んだばっかりに、インドで仏教が受け入れられなくなった、

>ということを読んだことがあります。



インドへは日蓮宗やその他の法華経系の教団の布教もあるようですが、

(どの法華経系がインド人にとって抵抗感があるのかわからないですが、

 南アジアでは部派仏教がスタンダードだとするとそういう非難があっても

 おかしくないかもしれないです)

アンベードカルの後継者とされているのは佐々井師という方なのだそうです。

佐々井師は真言宗の出身なのに日蓮聖人と法華経が好きというように面白い方のようです。



http://tanizoko2.hp.infoseek.co.jp/sasai_syuurei.html

「佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)」

「真言宗の僧なのにいつも団扇太鼓をたたき「南無妙法蓮華教」を唱えているのも、仏教教理学を

 深く学んだ上で(師はパーリー語もわかるので、仏教教典を原語で読むことが出きる)、法華経

 の教えと日蓮が好きだからと言うのが理由らしく、宗派にこだわらないキャラクターが良く出て

 いて可笑しい。」



http://www.geocities.jp/surmale_y/sasaiji.html

「佐々井秀嶺老師の話」

「1960年代に高尾山薬王院よりタイに派遣され、2年の修行の後1967年インドに渡る。

 インドのラージギルにて2年の修行後、ナグプールに拠点を移し、 現在はインド仏教の

 最高指導者として、不可触民など虐げられた人々を中心に仏教に改宗させる事により

 解放している。 「インド仏教の頂点に立つ男」という題名で2005年2月に日本のTVで

1時間番組が組まれた。」



B.R.アンベードカル 著、山際素男 訳 『ブッダとそのダンマ』光文社新書、光文社、2004年

の最後に佐々井師が一文を寄せているのですが日本仏教界を叱責し、天理教、霊友会、立正佼成会、

創価学会、天台宗、日蓮宗、真宗、禅宗(これらはインドへの仏教布教で佐々井師と対立している

教団)を名指しで非難してます。

逆にこれらの教団は佐々井師を話題にしたくないのではないかと思います。



私もつい最近まで知らなかったのですが、インド仏教界はインド仏教界で結構ものすごいことに

なっているのではなでしょうか。

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P.S. (Leo)
2006-03-02 01:59:28
>逆にこれらの教団は佐々井師を話題にしたくないのではないかと思います。



たとえ各教団でアンベードカルが話題とされても佐々井師を話題にしないという感じですね。



あまり関係ないのですが...

池田氏はインド・ブンデルカンド大学からアンベードカル博士記念

社会科学部の終身名誉教授称号を授与されたのだそうです。



(これについてはアンベードカル博士もびっくりされるのではないかと思います)
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