私が和太鼓に出会ったのは8歳のとき。
神洲太鼓神社に祀られた『天宇売女命(あめのうずめのみこと)』を背後に、約30人の子ども会の子供達が集まって、太鼓の練習に励んでいました。その内容の大元は主に北陸加賀百万石に伝わる『加賀太鼓』でした。
そして、その加賀太鼓を本場の加賀の先生から学び、子ども会の子供に教えてくれていた『神洲太鼓青年部』に所属していた先生が2名いました。今も私が演奏している加賀太鼓スタイルの演目『楓』の原曲を教えてくれた先生。・・・彼らは実家が経営する建設会社の社員で、大工職人さんでもありました。
あれから約30年近く経った今。
活動拠点が北九州に移った神洲太鼓ですが、大太鼓を演奏する機会が多くなったのをきっかけに、2尺6寸の平胴太鼓を正面から打てるようにしたいと父に相談したところ、太鼓のことが分かる職人さんにお願いするのが一番良いだろうということになり、その当時の先生と感動の再会をすることが出来たのです
写真は、恩師と、職人芸を超える緻密な出来栄えの太鼓台とともに。
世界でひとつだけの手作り太鼓台、組み立て式であるにも関わらずどっしりとしていて、どこか凛としています。
このように時代を超えて、太鼓を通してまた人と人の繋がりが動くことに感動と驚きを覚えた私でした。
太鼓に心から感謝です
神洲太鼓神社に祀られた『天宇売女命(あめのうずめのみこと)』を背後に、約30人の子ども会の子供達が集まって、太鼓の練習に励んでいました。その内容の大元は主に北陸加賀百万石に伝わる『加賀太鼓』でした。
そして、その加賀太鼓を本場の加賀の先生から学び、子ども会の子供に教えてくれていた『神洲太鼓青年部』に所属していた先生が2名いました。今も私が演奏している加賀太鼓スタイルの演目『楓』の原曲を教えてくれた先生。・・・彼らは実家が経営する建設会社の社員で、大工職人さんでもありました。
あれから約30年近く経った今。
活動拠点が北九州に移った神洲太鼓ですが、大太鼓を演奏する機会が多くなったのをきっかけに、2尺6寸の平胴太鼓を正面から打てるようにしたいと父に相談したところ、太鼓のことが分かる職人さんにお願いするのが一番良いだろうということになり、その当時の先生と感動の再会をすることが出来たのです
写真は、恩師と、職人芸を超える緻密な出来栄えの太鼓台とともに。
世界でひとつだけの手作り太鼓台、組み立て式であるにも関わらずどっしりとしていて、どこか凛としています。
このように時代を超えて、太鼓を通してまた人と人の繋がりが動くことに感動と驚きを覚えた私でした。
太鼓に心から感謝です