いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

昨夜のNHK特集ドラマ「太陽の子」

2020-08-16 13:48:20 | 三浦春馬
戦時下では、軍から原子爆弾の開発を命ぜられ、
苦悩しながら苦労していた科学者たちもいたんだ。
太平洋戦争末期の、
京都帝国大学の物理学研究室を基にしたフィクションで、
私は科学者になれなかったが、一応は理系卒だから、
気持ち的には、わかる方だと思うので、
柳楽優弥演じる主役の若い科学者に共鳴する所が多かった。
柳楽さんは理系ではないが、
科学者の狂気がにじみ出ていて、さすが役者さんだ。
あと、母親役の田中裕子さん、すごく久し振りに見たが、
相変わらず上手い。

そして、春馬さん。
ネットでも話題になっているが、
自死の現実とあまりにシンクロした台詞やシーンの数々。
戦地から一時帰宅し、
「ただいま 戻ってまいりました」
と登場した。
その後、海岸で入水自殺を図り、
兄(柳楽さん)に連れ戻され、
「怖い…。怖いよ…。でも俺だけ死なんわけにはいかん…、
死なんわけにはいかん…」
と慟哭する。持ち直し、
「いっぱい未来の話をしよう」
と言いながらも、その後、再び戦地に赴いた。 
母と兄への”最期の手紙”には
「再び帰らざる出撃命令が下りました。
今に及び、何も心残りはありません。
この手紙がつく頃、戦果を上げてみせます。
裕之(春馬さんの役)はお国のため、笑って死にます。
母上と兄上の幸福をお祈りします。
ありがとう。さよなら」
エンディングでは、
「三浦春馬さんは7月18日にお亡くなりになりました。
謹んで哀悼の意を表します」
と追悼テロップが流れた。
おいおいおい…😭 
春馬さん、素のイケメンを感じさせない熱演だった。

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