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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

戦後史の中の平成

2019年04月30日 | 日常の風景
平成から令和に変わる。マスコミはこぞって平成の回顧録を流し、人々はそれを自分の人生と重ね合わせて見ている。しかし、平成の30年間は、平成だけを見ていてもわからない。やはり戦後史の中でとらえる必要がある。

第二次世界大戦以後、日本はアメリカ陣営の一員として出発した。そして経済的繁栄は手に入れたものの、軍事的には「共産主義に対する防波堤」「不沈空母」として、アメリカの軍事植民地としての位置づけに据え置かれた。当初本土にあった米軍基地は「内灘闘争」をきっかけにその多くが沖縄に移設された。1972年に沖縄が返還される以前、沖縄はアメリカの占領下にあったから阻止しようがなく、その状態が今日まで続いている。

日本はアメリカにとって何であったか。アメリカは日本を守ってくれる保護者などという「お人よし」ではもちろんない。アメリカにとって日本は利用価値があるから戦略的に利用してきただけである。アメリカファーストは何もトランプ大統領に始まったわけではない。いつの時代も、主権国家は自国ファーストである。

日本が生き延びる唯一の方法は、アメリカに逆らわないことであった。アメリカは自国に逆らう国を容赦なく叩き潰す。イラクのサダムフセイン大統領がいい例だ。真相は不明だが、日本でもアメリカに疎まれて失脚させられたといわれる政治家は多い。田中角栄、小沢一郎、金丸信、最近では鳩山由紀夫がいる。反対に、アメリカの意向を忖度し、アメリカの利益になるような政策をとる政治家の政治生命は長い。中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三、などである。

平成とは何であったか。戦後74年の中で見れば、アメリカの属州と化し、アメリカの軍事植民地としての性格をますます強めた時代であったといえる。経済的には日米貿易摩擦やバブル崩壊(1991年)をきっかけに、「持ち株会社の解禁」「大規模店舗法廃止」「人材派遣業自由化」「新会社法制定」などの規制緩和が次々に行われ、アメリカ流の弱肉強食が絶対善とみなされるようになった。

また、軍事的には湾岸戦争(1991年)をきっかけに、自衛隊の海外派遣、集団的自衛権の限定的行使の容認など、急速にアメリカへの戦争協力の姿勢を強めている。いま日本では憲法改正を求める勢力が勢いを増しているが、なぜ安倍首相が憲法改正に意欲的なのか。理由は簡単である。憲法改正を一番望んでいるのがほかならぬアメリカだからである。

自衛隊が軍隊として認められれば、アメリカは自衛隊を自国軍の一員として利用できる。そして、アメリカに喜んでもらえれば、安倍政権に対するアメリカのウケはさらに良くなる。憲法改正は右翼の人たちが望んでいるような「自主憲法制定」には決してなり得ない。アメリカは日本の「自主憲法制定」の動きを利用して日本軍の政治的利用を考えているにすぎない。

このような流れのなかで考えると、平成の31年間とは日本がアメリカの「ポチ」と化し、アメリカの属国化をさらに強めた時代だったと見ることができる。「だるまさんが転んだ」という遊びがある。一つ一つの動きはわずかでも、30年もたてば大きく方向転換できる。国民が気が付かないうちに・・・。




平成を総括する

2019年04月27日 | 日常の風景

明治・大正・昭和が長・短・長だったから今度は短いか、などという口さがない冗談で始まった平成は結局30年続いた。憲法を守り、第二次世界大戦を反省してひたすら平和を願い、国内外の戦没者の慰霊に積極的に取り組む明仁天皇の姿に心打たれた人も多い。思えば平成は近現代において初めて戦争を経験せぬ時代でもあった。

さて、その平成は日本にとってどういう時代だったのだろうか。そもそも昭和史とか平成史とか言っても、それは日本だけで通用する時代区分であり世界史的には意味がない。そのことを承知の上で平成史を振り返ってみたい。

平成が始まった1989年はバブルがピークに達した年だった。翌1990年には株価が暴落し、その後日本は長期の経済停滞に入る。いわば平成とは日本経済が右肩下がりに転落し続けた時代であったともいえる。長期不況からいかに脱出するか。それが平成のメインテーマだった。

そこで持ち出されたのがアメリカ流の「新自由主義」の考え方である。1989年にはベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談が開かれ冷戦が終結し、アメリカの一人勝ち状態が鮮明になった。そのアメリカでは1980年代から競争原理を重視する新自由主義が急速に台頭していた。

戦後の日本は「平等」を追求しすぎた。経済の効率を高めるには、アメリカに倣ってもっと「自由競争」を重視すべきだという考えが支配的になった。その結果、規制が緩和され、すべての分野で競争・競争・競争の時代が始まった。

賃金はそれまでの年功序列型から成果主義になった。高い給料が欲しければ「頑張れ!」、競争に負ければ「自己責任」。自己責任の名前で弱者が容赦なく切り捨てられる時代に変わった。1989年には労働組合が再編され、新しくできた「連合」は旧同盟が主導権を握り、経営者べったりの「御用組合」になってしまった。組合の力をそいだあと、賃金切り下げの圧力はさらに強まった。

非正規雇用が急速に増加し、外国人労働者を導入し、「働き方改革」という名前で残業しても残業代を払わなくてもよい制度が導入された。給料が下がる中、旦那ひとりの給料では食えない時代がやってくると、今度は「一億総活躍」と名付けて「女性も働くべし」とばかり「女性活躍推進法」なるものを成立させた(2017年)。女性も活躍できる時代と言えば聞こえはいいが、要は家計の足しになるように女も働けというだけの話である。

こうして賃金というコストを抑える一方、税金というコストの削減についてもまた財界は抜かりがない。消費税が初めて導入されたのは1989年である。その後次第に引き上げられ現在は8%。もうすぐ10%に引き上げられる。財政赤字の折、消費税引き上げもやむを得ないと考える人も多いかもしれない。しかし、消費税引き上げに一番熱心なのは財界である。消費税引き上げの代わりに法人税を引き下げてもらうためである。

実際この30年間、消費税は徐々に引き上げられる一方で、法人税はどんどん引き下げられてきた。何のことはない。消費税引き上げは財政再建のためではなく、法人税引き下げのためだったのである。

平成とは何であったのか。一言で言えば、「会社の繁栄があって社員の幸せがある」「国家の繁栄があって国民の幸せがある」という戦前の全体主義への回帰の時代ではなかったのか。1999年には「国旗国歌法」が成立し、2013年には「特定秘密保護法」が成立した。憲法改正はその総仕上げである。




資本主義の不思議さ

2019年04月24日 | 日常の風景

いま住んでいるマンションの隣に新しいマンション工事が行なわれている。施工は竹中工務店、販売は積水ハウスと三菱地所である。2018年10月1日に、「大手のマンションはなぜ高い?」というブログで、基礎工事に膨大な時間をかけていることがその理由の一つであると書いた。


(2018年10月1日の現場の様子)

それから半年以上がたち、ようやく上物の建設が始まった(上の写真)。完成すれば51階建て871邸が入居する。仮に一邸当たりの平均価格を6000万円とすると、総額500億円を超える工事額である。だが、それだけ大きな工事であるにもかかわらず、現場で働く人は30人ほどしかいない。これもちょっとした驚きである。

しかし、工事現場を見ていてもっと驚くことがある。それは一言で言うと資本主義というシステムの「神秘さ」とでも表現できようか。タワーマンションを買いたい人がいて、それを作って儲けたい人がいる。さらに施工業者の下請け作業をして儲けたい人もいる。これらがあたかも1本のひもで結ばれるように見事につながっている。

大型トレーラーが建築資材を運び込み、それをクレーンで釣り上げる。その作業が終わる頃にはもう次のトレーラーが建築資材を積んで現場で待機している。1分を争うような見事な連携で、少しの無駄もない。完成は2022年の予定だという。



看過できない!

2019年04月23日 | 日常の風景

2019年4月18日、天皇が伊勢神宮に参拝した。そのニュースを伝えたNHKニュース(18日ニュース7)を聞いて仰天した。ニュース内容はNHKのアーカイブで確認できる。

https://web.archive.org/web/20190418093252/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190418/k10011887901000.html

この記事のどこが問題か?
「両陛下は、午後には、皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。」という部分である。

この表現では、皇室の祖先は「天照大神」であったと断定していることになる。従来、「皇室の祖先とされる」とか「皇室の祖先といわれる」などと表現して、断定的な言い方は避けてきたはずである。実際、同様のニュースを伝えた民放は全社そうした表現をとっていたと聞いている。

ところが、NHKだけが皇室の祖先は天照大神であると受け取られる断定的な表現をしたのである。しかも「ニュース7」だけではない。「「ニュースウォッチ9」でも同様の表現をしていたというのだ(こちらのほうは私は直接には聞いていない)。

これはアナウンサーの読み間違えというレベルの問題ではない。皇室にかかわるセンシティブな報道については、当然上のほうのチェックを受けているはずである。それにもかかわらずあえてこういう表現をしたということは、そこに何らかの政治的意図があったと疑わざるを得ない。看過できない重大な問題だ。しかも、だれもこのことを問題視しない。そのことがもっと恐ろしい。

NHKは何時から政府の報道機関になってしまったのか? NHKは国民から強制的に受信料をとり、国民のための報道機関として存在しているのではないのか。官僚に続き報道機関までが政権に「忖度」をするようになれば、民主主義はかなりヤバイ。

最近「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」とか「NHKが危ない」と言った本が相次いで出版されている。今回の報道を聞いて改めてその感を強くした。NHKは「犬HK」であってはならない。

(追記)2019年5月9日
 NHKはこの件につきミスを認め「天皇を神格化しようという特別の意図があったわけではない」と釈明した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190509-00000093-mai-soci





東大入学式

2019年04月15日 | 日常の風景
かつて東京芸大の入学式に、平山郁夫学長が「諸君の中でモノになるのはほんの一握りだろう。しかし、その一握りを世に送り出すために諸君をここに集めた」という意味のことを語ったことがある。東大の入学式の写真を見ていてふと思い出した。

「東大までの人」「東大からの人」、そして卒業後も学歴にしがみつく「東大だけの人」。「あなた、日本で一番いい大学出てるんでしょう」と期待される卒業生。東大卒の看板を背負って生きることは、けっこう大変なのかもしれない。東大はゴールではない。ここからまた新たな競争が始まる。

白浜温泉川久

2019年04月09日 | 日常の風景
昨日(月)は始業式、今日(火)は離任式ということで偶然連休となった。平日の2連休などめったにない。そこで、思い切って1泊2日で白浜温泉の川久(かわきゅう)に行ってきた。



川久はバブルの末期の1991年に建設費用400億円をかけてセレブ専用の会員制ホテルとしてオープン。普通なら1000室も取れるスペースにわずか89室しか作らず、全室スィートルームに。玄関ロビーの柱1本が1億円と言われ、屋根瓦は中国の紫禁城の瓦職人に作らせたといわれる。しかし、2000万円の個人会員権(法人6000万円)はほとんど売れず、あえなく倒産。1998年に北海道の観光会社に30億円ほどで売却された。まさにバブルが生んだ遺産の象徴とされた。



川久に初めて宿泊したのは2004年のことである。このころはまだ ”川久=高級” のブランドイメージが強く、川久に泊まったというだけで話のタネにできた。しかし、今ではすっかり普通のリゾートホテルと化し、我々庶民でも宿泊できる値段に落ち着いている。



全室オーシャンビュー。食事も彩とりどりのバイキングメニューが豊富に並ぶ



ついでに魚釣りにも挑戦。フロントで釣り道具1式を1000円で貸してくれる。1時間ほどで小さいのが1匹釣れた(笑)。



さあ、明日からは授業だ。

誰が日本株を買っているか?

2019年04月07日 | 日常の風景
(年間6兆円ペースで増える日銀のETF買い)


海外投資家は日本株の売買シェアの7割を占める。だから、日本の株価を決めているのは海外投資家であるといっても過言ではない。

外国勢はアベノミクス当初に日本株を積極に買い,累計買越額は2015年には約20兆円に達した。しかし、その後は売り越しに転じ、現在は10兆円弱に半減している。アベノミクスの第三の矢といわれる「成長戦略」に見切りをつけたからだろう。

2018年の海外投資家の日本株売越額は5.3兆円あまりだった。これはブラックマンデー暴落があった1987年(7.1兆円)以来最も高い水準である。その結果、日経平均株価は12%下落した。

外国勢の大量売り越しにもかかわらず、株価がこの程度の下落に収まっているのは、外国人による日本株売りを日銀の上場投資信託(ETF)買いで吸収するような構図になっているからである。

不景気の時、買いオペをおこなうのは金融政策の基本である。従来、買いオペは国債や社債、手形などに限られていた。しかし、日銀は2010年にETF買いを決定した。

現在、日銀は年間6兆円というペースでETF買いを続けており(上図参照)、ETFを通じた保有残高は時価で約23兆円に達している。これは運用目的で大量の日本株を保有する日本生命(9兆円)や第一生命(3兆円)をはるかにしのぐ。

日銀の大量ETF買いの結果、日銀は上場企業の約4割で上位10位以内の実質上の「大株主」となり、そのうちの5社では実質的な筆頭株主になっている。償還期限がある国債とは異なり、ETFは売却しない限り資産に残る。もし、株価が暴落すれば日銀は多額の含み損を抱えることになる。日銀の財務が傷つけば、日本円の信頼が揺らぐ。

何のことはない。政権に忖度し、外国人に儲けさせて、最後の「ババ」を日本が引き受けているだけの話である。人為的な株価維持政策はろくな結果をもたらさない。地震と同じでエネルギーが高まるほど反動もまた大きい。日銀は金融政策の独立性を保障されていると教科書には書いてあるが、修正したほうがいいかもしれない。


初出勤

2019年04月06日 | 日常の風景
いよいよ来週から授業が始まる。そろそろ時間割ができているころかなと思って、昨日初出勤。今年は無理を言って3年生の政治経済(2×3クラス)の授業だけにしてもらった。前年度の週15時間に比べてずいぶん楽になった。

社会科職員室に入ってびっくり。きれいに模様替えがなされている。大きな作業台が設けられ、まるでどこかのオフィスだ。私の座席も場所が変わっていて、気分も新たになる。

机の上に私の著書が置いてあった。大学合格記念にサインして送ってほしいとメモ書きがあった。小論文指導をした卒業生からである。人に喜んでもらえる仕事は最高だ。今年も頑張ろう。

鳥獣戯画展

2019年04月05日 | 日常の風景
中之島香雪美術館で「明恵(みょうえ)」の特別展をやっていた。よく見ると「鳥獣戯画」も特別公開と書いてある。

4年ほど前に京都国立博物館で鳥獣戯画展を見に行ったことがある。さすがに有名な作品だけあって入館するのに2時間待たされた。

https://blog.goo.ne.jp/minami-h_1951/e/587199fcba3cd7f56f05a4dbe9f5d5af

ところが、今回は明恵が主役で鳥獣戯画展はそのおまけである。そのためか意外なほどすいていた。ラッキー!



谷川で水浴する兎と猿、柄杓をもつ兎、猿の背中をさするもう1匹の猿、鹿に馬乗りする兎と、後から水を引っかける猿・・・



以前見たときは「押さないでください」「立ち止まらないでください」という具合で、10メートルほどの巻物をあっという間に通り抜けてしまった。しかし、今回はすいている。じっくりと見た後、もう一回りして2回も見ることができた。

主役を誰にするか、宣伝の仕方一つでここまで違うものかと妙に感心した。鳥獣戯画展、ねらい目ですよ。

今日から6段

2019年04月02日 | 日常の風景
30年ほど前の古い棋譜が出てきた。アマチュア6段の人がプロ8段の人に4子で挑戦したときの棋譜である。

この棋譜を見て思った。現在私はプロに3子で稽古をつけてもらっている。今まで5段で打っていたが、そろそろ6段を名乗ってもいいかもしれない。
ということで、今日から6段で打つことにした。


グリーンブック

2019年04月01日 | 日常の風景

ある人に「グリーンブック」が面白いと言われて、久しぶりに映画を見た。黒人の天才ピアニストがイタリア系で腕っぷしの強い白人の用心棒を雇って、アメリカのディープ・サウスと呼ばれる地域をを車で2か月にわたって演奏旅行に出かけるという内容である。



時代背景となった1960年代のアメリカ南部は特に黒人差別がきつかった。北部で演奏会を開けば南部で演奏するより3倍も稼げるのに、なぜわざわざ南部を回るのか。それは、黒人差別に対する挑戦であり、人々の意識を変えるためであった。映画の中ではホテル、トイレ、紳士服店、レストランの利用など、さまざまな差別シーンが出てくる。ちなみに、グリーンブックとは、黒人を宿泊させてくれるホテルのリストを集めた本である。

今まで、人種差別の実態については知っているつもりであった。しかし、夜間に黒人が出歩いているという理由だけで警察に捕まるというシーンには衝撃を受けた。アメリカの人権の歴史について知る上でも貴重な映画である。

これ以上書くとネタバレになる。くすっと笑わせる場面も準備されている。ともかく、ぜひとも見てほしい映画である。


和暦と西暦

2019年04月01日 | 日常の風景

今日新元号が発表される。マスコミは新元号が何になるか大騒ぎをしているが、そんなに重大なニュースなのかなと思う。個人的には、また和暦と西暦の換算が面倒になるなあという思いしかない。

昭和のときは25を足したり引いたりすればすぐに換算できた。たとえば石油ショックが起きた1973年は昭和48年という具合だ。ところが平成になって換算の仕方がわからなくなった。仕方がないから、パソコンのデスクトップにエクセルで作った換算表を貼り付けている。新元号が2021年から始まるのであれば分かりやすいが、そうもいくまい。

この際、和暦は使いたい人だけが使うことにして、西暦に統一したらという思いを抱くのは私だけではあるまい。そうすればコンピュータソフトの書き換えなどという面倒なことをしなくてもすむ。こんな書き換えは無駄以外の何物でもない。

でも、イデオロギーが絡んでいるだけに難しいかもしれない。和暦の使用には「天皇は日本という領土だけではなく、日本の時間も支配する」という意味を含んでいる。だから右翼の人は、和暦(できれば皇紀)こそが日本の暦であるべきだと思っている。橿原神宮を訪れたとき、今も皇紀が使われているのに驚いたことがある。