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南英世の 「くろねこ日記」

平成を総括する


明治・大正・昭和が長・短・長だったから今度は短いか、などという口さがない冗談で始まった平成は結局30年続いた。憲法を守り、第二次世界大戦を反省してひたすら平和を願い、国内外の戦没者の慰霊に積極的に取り組む明仁天皇の姿に心打たれた人も多い。思えば平成は近現代において初めて戦争を経験せぬ時代でもあった。

さて、その平成は日本にとってどういう時代だったのだろうか。そもそも昭和史とか平成史とか言っても、それは日本だけで通用する時代区分であり世界史的には意味がない。そのことを承知の上で平成史を振り返ってみたい。

平成が始まった1989年はバブルがピークに達した年だった。翌1990年には株価が暴落し、その後日本は長期の経済停滞に入る。いわば平成とは日本経済が右肩下がりに転落し続けた時代であったともいえる。長期不況からいかに脱出するか。それが平成のメインテーマだった。

そこで持ち出されたのがアメリカ流の「新自由主義」の考え方である。1989年にはベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談が開かれ冷戦が終結し、アメリカの一人勝ち状態が鮮明になった。そのアメリカでは1980年代から競争原理を重視する新自由主義が急速に台頭していた。

戦後の日本は「平等」を追求しすぎた。経済の効率を高めるには、アメリカに倣ってもっと「自由競争」を重視すべきだという考えが支配的になった。その結果、規制が緩和され、すべての分野で競争・競争・競争の時代が始まった。

賃金はそれまでの年功序列型から成果主義になった。高い給料が欲しければ「頑張れ!」、競争に負ければ「自己責任」。自己責任の名前で弱者が容赦なく切り捨てられる時代に変わった。1989年には労働組合が再編され、新しくできた「連合」は旧同盟が主導権を握り、経営者べったりの「御用組合」になってしまった。組合の力をそいだあと、賃金切り下げの圧力はさらに強まった。

非正規雇用が急速に増加し、外国人労働者を導入し、「働き方改革」という名前で残業しても残業代を払わなくてもよい制度が導入された。給料が下がる中、旦那ひとりの給料では食えない時代がやってくると、今度は「一億総活躍」と名付けて「女性も働くべし」とばかり「女性活躍推進法」なるものを成立させた(2017年)。女性も活躍できる時代と言えば聞こえはいいが、要は家計の足しになるように女も働けというだけの話である。

こうして賃金というコストを抑える一方、税金というコストの削減についてもまた財界は抜かりがない。消費税が初めて導入されたのは1989年である。その後次第に引き上げられ現在は8%。もうすぐ10%に引き上げられる。財政赤字の折、消費税引き上げもやむを得ないと考える人も多いかもしれない。しかし、消費税引き上げに一番熱心なのは財界である。消費税引き上げの代わりに法人税を引き下げてもらうためである。

実際この30年間、消費税は徐々に引き上げられる一方で、法人税はどんどん引き下げられてきた。何のことはない。消費税引き上げは財政再建のためではなく、法人税引き下げのためだったのである。

平成とは何であったのか。一言で言えば、「会社の繁栄があって社員の幸せがある」「国家の繁栄があって国民の幸せがある」という戦前の全体主義への回帰の時代ではなかったのか。1999年には「国旗国歌法」が成立し、2013年には「特定秘密保護法」が成立した。憲法改正はその総仕上げである。
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