瀧澤美奈子の言の葉・パレット

政を為すに徳を以てす。たとえば北辰の其所に居りて、衆星の之に共(むか)うがごときなり。

来るべき世代の歌

2017年10月17日 | ひとりごと
 ホメロスの『オデュッセイア』に次のようなくだりがある。

 ”神々は、来るべき世代が何か歌うことをもてるように、人間たちに不幸を用意する”

 いろいろな解釈ができる一文だと思うが、ふだん漠然と感じていることを言い当てているようで心に響く。「来るべき世代」という言葉から、変化する時代環境を想像し、私などはどうしても科学技術の進展の負の側面のことを思ってしまう。

 天地(あめつち)のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今
 雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに

 いずれも湯川秀樹の作である。湯川秀樹はもちろんノーベル物理学賞を受賞した核物理学者だが、多くの短歌を詠んだ。前者は広島と長崎に原爆が投下されたときのもので、宇宙が生み出した原子を我々の力によって砕いてしまった畏れと悔恨の念が伝わってくる。後者は米国が1954年にビキニ環礁で行った水爆実験によって第五福竜丸の乗組員が被爆したときに歌ったもので、世界の核開発競争という異常な時代のなかで、ついに犠牲者を出したことへの悲しみが伝わってくる。
 人類の叡智の極みである科学知識に端を発した原子力は人類に多くの福音をもたらした。が、一旦そのパンドラの箱が開けば、人の道からはずれた者の手に渡るのは、遅かれ早かれ時間の問題で、その者に利用されるときの危機的状況は計り知れない。1939年にオットー・ハーンとリーゼ・マイトナーによって発見された原子核分裂の現象は、80年近くたった今また、世界に暗い影を落としている。私たちは現在まさにその真っ只中にいるが、いくらルールを作ったとしても、世界でたった一人、そういう不心得者が独裁的な力を持つだけで十分であるという事実が重く心にのしかかる。そして、パンドラの箱は原子力だけでなく、他の分野でも次々と開かれつつある。
 
 冒頭のオデュッセイアの引用で、”神々”を”科学”と置き換えることは科学の負の側面だけを見ることになり、あきらかに適切でない。しかし、開かれたパンドラの箱と不心得者との接触を遮断することを担保する根本的方法がないということを考えるとき、この言葉の重さを改めて感じてしまう。
 

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