瀧澤美奈子の言の葉・パレット

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プランクトンの科学研究、感性への原点回帰(シンポジウム参加の感想)

2018年03月26日 | 今日の出来事
(写真:奥修氏の発表スライドより「珪藻アート」)

2018年3月25日、品川の東京海洋大学で開催された日本プランクトン学会シンポジウムは、ちょっと風変わりで印象深いものだった。
 学会のシンポジウムといえば、たいてい最新の研究成果を披露する場になることが多いが、今回はそもそもそういう目的ではない。なんと、科学者が「感性」や「アート」の可能性を探ろうというのだ。


("Cyrtoidea" from Ernst Haeckel's Kunstformen der Natur, 1904, Wikipedia)
 プランクトンとアートと聞いて、まず私が思い浮かべるのは19世紀に描かれたエルンスト・ヘッケルの博物画だ。数年前、深海の本の執筆にあたり、プランクトンについて調べていて、ため息が出るほど美しい放散虫の超対称な図版にたどり着き、魅了され、わざわざ『Art Forms from the Ocean』という図版を買って眺めた。以来、放散虫は非常に幾何学的に美しい生物だという印象が残った。だからこそ、このシンポジウムにも参加しようと思ったのだ。
 ところが、シンポジウムの最初の話者である東北大学の鈴木紀毅さん(プランクトン学、微古生物学)がまず明らかにしたのは、ヘッケルの図版の科学的な怪しさである。
 ヘッケルが写し取ったとされる放散虫の大部分は150年以上たった今まで、プランクトン専門家がどんなに探しても実物が見つからない。それどころか、最近の研究で、本人のノートに残された放散虫の姿は、図版では装飾が書き足され、しかも完璧な対称性を持つように誇張されたことがほぼ確実視されている。つまり、「極めて対照的な幾何学的美しさ」はヘッケルの想像の賜物であり、いまで言えば捏造である。「放散虫にインスピレーションされた美術」として発表されたのならまったく問題ないが、実物の形を写し取り、種を同定するための資料である「博物画」として発表されたのには大いに問題があったといっていい。 
 しかも、シンポジウムが進むにつれて、プランクトン研究者の告白が相次いだ。プランクトンを研究対象に選んだのは、あのヘッケルの図版の美しさに魅了されたことも理由のひとつであった、ということを。ヘッケルに騙されたのは、私のような素人だけではなかったのである。
 政治的にもなにかと批判のあるヘッケルだが、こうなると、どう受け止めたらいいのか。しかし相次ぐ告白と、その後のご自身の研究紹介を聞いているうちに、ふと思った。ヘッケルがプランクトンの面白さに人々の目を向けさせるきっかけ作りに一役買ったのは確かだと。
 ひるがえって、現代ではヘッケルがやったような捏造は科学者には許されないが、生物にインスピレーションされたアートとして発表するのは楽しい。「論文には使えないと分かっていても、つい美しさに見とれて撮りためたプランクトンの写真や動画を、サイエンスアートに使ってもらえたら嬉しい」という声を休憩時間のプランクトン研究者との会話で聞くことができた。
 さらに、東大大気海洋研の齊藤宏明さん(プランクトン学)は「直感的に美しいと思っていたものが、科学的考察によってさらに高められる」ことを加えた。プランクトンの小さな脚や触毛の一本一本には機能がある。なぜその長さなのか、なぜその向きなのか。その謎を明らかにした上で眺めるプランクトンは、さらに美しく感じるというのだ。
 いま目の前にある植物でも、美しいと感じたその形が機能美という例はたくさんある。そういう理由を知ると美しさに奥行きを感じるものである。知性と感性をおおいに刺激され、楽しいシンポジウムだった。
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