五兵衛について、知りたいと思ったので最近「童門冬二・海の街道」という歴史小説を読みました。作者の主観も入っているかもしれませんが、五兵衛の人柄が細かく描かれています。
五兵衛は、今までの蝦夷の交易を大きくはみ出して、異国との交易に乗り出すこととなりました。
五兵衛が生きた時代頃の日本の実情は、地上の道ですら数え切れないほどの関所が設けられており、藩や国の境界だけでなく士農工商という、身分差で人間同士の境界がつくられていました。
このことに、五兵衛は「人間の本来持っている可能性や自発性を、狭い檻の中に閉じ込めてしまうことになりわしないか。」
「そこには、人間に対する不信と嫉妬の念、邪な意志が潜んでいるのではないか。このまま舳先をまっすぐに向けて走りつづけたら何が現れるだろうか。」五兵衛はいつもそんな思いにとらわれてもいたように描かれていました。
海図を心に描き、おぼろげな異国の様子を掴んだ中で、五兵衛の頭では想像もつかないような様々な可能性が横たわっているような気がしてならなかったようです。外国とのやりとりが、見つかったらとうていタダでは済まないのですが、五兵衛の胸の中には、いつも
「海に国境はない」その言葉を胸に「海は広大で、水面がどこまでもひとつにつながっている。」
そのことに、希望を持ち、大きな勇気を得て行動していたようです。
五兵衛はいつか、自分の手で海の国境を外したいと、思っていました。
ある日、交易のために上陸した外国で最初、品物を持って上陸した時、木の陰にチラチラと人影が見えたのですが、五兵衛の姿を見ると、現地の人は奥へ逃げ込んで二度と姿を見せませんでした。
五兵衛は何とかして、ここの人たちと交易をはじめたいけれど、あまりしつこく追えば、こんどは武器を持ってきて、殺されるかも知れないし・・・
そうされないためには、品物だけを置いて沖合で待ち、そして夜が明けたら、どの品物を持って行ったかを調べる。そういうことからはじめてこれが成功しました。
置き残された品物のかたわらをみると、ラッコの皮や、熊の毛皮、さらに磨き抜いた玉を皮の紐でつらぬいた飾り物などが、山となって置かれていました。
品物を手に取って声を上げる乗組員たちに「ここに住んでいる人たちのお礼だよ。持って帰ろう」といったそうです。
「黙って持って帰っていいんですか?」と不安がる乗組員に「いい。今までにも何度もそうしてきた。これが本当の北前交易なのだ」
乗組員たちは互いに顔を見合せましたが、そういう五兵衛の口調には、いいようのない重みがありました。
主人である五兵衛が〝本当の北前交易″といったその意味がはじめてわかったからでした。
五兵衛は、単に利益を追求する海の商人ではありませんでした。
「海に国境ほない」ということばを、ことばの通じない人間同士が実現する時、はじめにどういう方法をとればいいかを、自分なりに考え、自分の手で実現したのでした。
見たことのない地の住民とは、たとえ会ったとしても、おそらくことばも通じません。
突然向かい合えば、武器を取って殺しにかかるかもしれず、五兵衛はそれを警戒しました。
だから、夜の闇にまぎれて品物を岸に置き、そしてここに住む人が出て来ても近付かず、自分たちの船は遠く沖合に置きながら反応を見てました。
住民たちは安心して、岸に並べられた品物を吟味し、必要なものは持ち帰えりました。
沖に船があれば、住民たちは岸に並べた品を捨てられたものとは見ず、船の人間が夜のうちに置いて行ったと考えるだろう。
品物にはそれぞれ代価があり、それは支払わなければならないという気持ちを持っているにちがいない。
きっと、代金の代わりに現地産の品物を置いてくれるだろう。例え、最初は持ち帰ってしまったとしても、品物のよさがわかれば、きっと現地の物と交換してくれるようになるにちがいない。
そうして物々交換が始まりました。
ラッコや熊の毛皮や、宝石の類はとてつもなく高価なものだが、そういう値を知っているのか知らないのか、住民たちには欲がなく、ありったけのものを持ってきて置いて行きました。
五兵衛の胸には、そういう住民たちの気持ちがひしひしと伝わりました。
必要な品物を得られれば、最大のお礼を差し出す住民の心情が、何ともいえず純粋なものとして伝わったのです。
その感じを胸の中で噛みしめることが、銭屋五兵衛の生き甲斐でした。これを、「本当の北前交易だ」と告げたのでした。
はじめてこの交易を目の当りにした組員は、涙ぐみました。
こんなことは信じられず、あったとしても、それは頭の中で考えることで、実際に実現されるとは思ってもいなくて、人間の世の中に、こういう美しいやりとりがあるとは思わなかったのです。
ところが銭屋五兵衛は、そうではないことを示し、そして、そういう人間に出会えば、日本人の方も美しい心を持つ人間にすぐ変り得るのだということを教えました。
銭屋五兵衛は、ことばの通じない外国の原住民と、物と物とを交換することによって、未知の人間同士の交流のキッカケをつくろうとしたのだと思いました。
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