花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

星に願いを

2010-09-23 23:09:39 | 日記
最近、交際範囲の広いチビ雄くんです。母は彼の軽いのりがそうなるのかと思っています。
クラスの友達だけでなく、公園で知り合った4年生の男の子とか、出入り激しくてあっけにとられてます。いいんですけど、トラブルもそれなりにあります。が懲りにずに今日も公園で5年生と遊んでました。本当は、保育園からの仲良しだった友達と約束して遊ぶ予定だったのだけど。そのお友達のお父さんは旦那の友人の知り合いでkちゃんと同じ年のお兄ちゃんがいるので、お母さんとは顔なじみです。でも年中さんの時に、おばあちゃんが悲しい事件で亡くなってニュースでも取り上げられました。悲しい事件だったので、どうして亡くなったかは言わなかったし、知っている人も少ないのじゃないかと思いますけど、私は旦那から聞いてました。事件だと、亡くなっても言いにくいですね。

どんな事件だったかと言うと、大阪中央区の弁護士事務所で事務員として働いていたおばあちゃんは、家を出た母親の居場所を、聞き出そうと宅配便を装って事務所を訪れた男に、頭などをハンマーで数十回殴られて平成19年9月に亡くなりました。犯行後、商品券や住所が書かれたノートなどを奪って逃走し、後日、出頭しました。犯人は弁護士やおばあちゃんを殺してでも、母親の居場所を聞き出そうと数日前にハンマーを購入し血がついても目立たない黒い服装を選び、着替えを用意していたという、何とも痛ましい事件です。

被告は捜査の途中から否認を続け、初公判で「事務所には行っていない」と無罪を主張したものの、公判で殺害を認め「申し訳ありませんでした」と述べ、弁護側の最終弁論で「被害者と口論になり、我を忘れた結果、殺害してしまった。強盗目的ではない」と刑の軽減を求めていたけれど「無防備の被害者をハンマーで何度も殴った計画的で残忍な犯行で、遺族らの心情を逆なでするなど真摯な反省も見られず、刑を軽減すべき事情はない」と大阪地裁は、無期懲役の判決を言い渡しました。
被告は交通事故に遭い、賠償金約1億円を得たり、母親の資産数千万円や兄の年金も自由に使い、約15年間で1億円以上を使い果たすなど、浪費などもあり預金は急激に減って行き、平成14年には、被告から日常的に虐待されていた母親を市が福祉施設に保護し、弁護士が母親の年金などの管理を請け負い、生活費に困窮したため母親の資産である分譲マンション売却のために居所を聞き出そうと犯行でした。

このおばあちゃんの弟さんは中之島で教会の牧師さんをされていて判決後の新聞のコメントに「事件前、親身に被告の相談に乗っていた姉も早く罪を認めてほしかったはず。ごめんなさい、という思いで日々過ごしてほしい」と語ったそうです。

弁護士の業務は、偏って仕事をするために相手から場合によっては恨まれやすいという性質があるそうで、おばあちゃんは、「誰かにつけ回されてる」と言っていたとか・・・

宅配便だとドアを開けて詰め寄られ殴られ、どんなに痛くて恐かったことか。事務員として業務をしていて、相談にも乗ってあげていたこのおばあちゃんを、自分の母親とダブらせてしまったのか?母親にお金をせがんでもらないから、駄々をこねるのがエスカレートし、本当に身代わりになったかのような事件で、そこまで危険を伴う仕事とは誰も思わなかったでしょう。

遺族である弟さんが、教会の牧師であるからか、犯人に対して憎しみや悔しさなどは向けないような言葉で、罪を犯した者にも施しを与えるかのような感じです。
罪を憎んで人を憎まず。牧師さんだから、できる、言えることばなのかなぁと思います。
本当に素直な気持ちで「ごめんなさい」が心から言えたなら、家族も辛さも少なくなるだろうに、犯行を否認したり反省の態度が感じられないと、ただただ、悲しいものでしょう。

弟さんは、牧師として今も教会にいらっしゃいます。人の命の重さや存在を大切にする方に起こった身内の不幸は「神様は本当に公平なのか?」と思ってもおかしくないけど、きっとこの方は「公平です」とおっしゃいそうですね。
殺されたお姉さんには何の罪もないでしょう。被告の母親の身の安全のために守秘義務を通しただけです。
肉体と共にある生命の中には魂というような命のつきることのない心があるのじゃないかと思います。
肉体は人の手によって生き続けることができなくても、亡くなった人の心までは死ぬことはないのでしょう。人の心まで亡くなったと思ってしまったら、本当に悲しいでしょうけど、この度の別れはいつかまたこの地球に迎えられるまでの旅のはじまりなのじゃないかなって思えたらいいなぁと。
目に見える肉体と同じ世界を体験できていた命は亡くなってしまったけど、心はいつまでも生き続け、時を得てまた新しい命としてこの世に還って来れると思うと、いく分は心が安らぐような気がします。

恐らく、この牧師さんの心の中はとても広くお持ちでいらっしゃるような気がするので、悲しいけれど、心の世界を心の目で見て受け取ることができるから、最後まで真面目に仕事をして、親身に接していたお姉さんには、懸命に生きただろうから神様の慈悲があり苦しむことなく安らかに眠れているだろうと思っているのでは。。。と思います。

誰しも、予期せぬ別れを経験したことがあると思います。でも、この世とあの世は眼には見えないけど、きっとどこかで、繋がっているのでしょう。そして心の中も思いによって、自由に繋がることができるなら、亡くなった人が安らかに穏やかに、天国の神様の側にいけるように、思い遣りをかけてあげ良い旅になるように思ってあげたいです。

その思いがきっととても大切で、悲しむことや憎しんでも亡くなった人の耳にはその声は聞こえないのじゃないかなって思います。

誰も耳にしたいのは、心地良い音楽や優しい言葉、何よりも自分たちが生きていたことを認めてほしい言葉じゃないかと思います。
その亡くなった人を認めてあげられる言葉は、同じ時間を過ごしてくれたこと、出会ったことへの感謝の言葉であるのではないかと。。。

もう亡くなってしまった人を認めようと、過去のできごとを褒めてあげても思い出が溢れてまた、恋しくなってしまいそうです。だから、認めてあげる言葉は「あなたと出会えてよかった。ありがとう」がいいんじゃないかなって。

キョンキョンの歌の聞き過ぎかもしれませんけどね。

チビ雄くんは今日も夕方にご帰宅になり、私の膝にべったりしておりました。
最近、何故か急にべったりするので「重いからやめてー」と言うのですが、なんでしょう「やめてー」というと逆に喜んでするのがチビ雄くんです。

はぁ。なんで赤ちゃん返り?と思いつつ今だけだかんねーと思っております。

今日もありがとうございます。