ウチの紫陽花
今日は母の祥月命日です。
そして、ミルちゃんの3回目の月命日。
数日前から心が千々に乱れています・・・
11歳のミル(撮影:2011年7月28日)
ミルちゃんが旅立ってからなんだかんだと忙しく過ごしていました。でも、心は抜け殻のようでした。
ひと月前にミルちゃんの気配をほとんど感じることがないと記しましたが、相変わらずそうなのです。
夢も2回ほど見たのですが、それっきり・・・(ToT)
頑張りすぎるほど頑張ったから、きっと今はまだ休息しているんだよ、と夫さん。
「休息中〜」(撮影:2011年6月25日)
私はいまだにミルちゃんに謝っています。
頑張らせてごめんね、と。
穏やかに過ごさせることを目指していたはずなのに、色々とお薬を飲ませたり輸液をしたりして、かえって辛い思いを長引かせてしまって本当にごめんね、と。
ミルちゃんは私たちの気持ちを汲んで精一杯頑張ってくれました。
叶うならば月誕生日を迎えて欲しいという願いを叶え、それから4日も私たちのそばにいてくれました。
何度も死線を彷徨いながら復活してくれました。
本当にすごい子でした。
「すごい子ですか〜?」(撮影:2011年8月5日)
コメントをくださるななだいさんのブログでペットのエンジェルタイムのことを知りました。
エンジェルタイムとは、死期を悟ったペットが飼い主にいつも以上に甘えたり、最後の力を振り絞って元気な姿を見せるなどの行動を取って、飼い主の別れの挨拶をする時間のことを言うのだそうです。
ななだいさんのななちゃんも亡くなる3日ほど前からななだいさんご夫妻の姿を見かける度に可愛らしい声で鳴き、ご飯も良く食べたのだとか。そのときがエンジェルタイムだった、ななちゃんは一所懸命にお別れの挨拶をしていたのだ、と思われたそうです。
ミルちゃんの場合はいつがエンジェルタイムだったのかとずっと考えていました。
今から思うと、2月17日に抜歯手術をして生還し、それからミルちゃんのエンジェルタイムが始まったのだと思います。
抜歯後、しっかりご飯を食べて私たちを安心させてくれました。
傷口の膿も止まり、久しぶりに夫さんに甘えてグルグルも言いました。
穴が空いていた傷も塞がってきて、快復を期待させてくれました。(手術後の経過についてはこちら)
ところが、抜歯後10日が過ぎてから、だんだん食欲を失い、抜歯3週間が経った頃にはガクンと調子が落ち・・・
深夜にもうダメかと抱きながら泣きながら「もういいよ、いっぱい頑張ってくれてありがとう、ありがとう」と語りかけ・・・
そんなことが二度ほどありました。
そんな状態でも21歳3か月の月誕生日を迎えることができ、奇跡だと思いました。
穴が空いていた頬の傷もほとんど塞がりました。
そして3日後の3月17日にもう一度奇跡を見せてくれ、その翌日に旅立ちました。
私たちはこの間のミルちゃんの生きる様に崇高さを見ました。
このような経過からこの4週間がミルちゃんのエンジェルタイムだったと思います。
最後の力を振り絞って快復を思わせる元気な姿を見せ、それから時間をかけて私たちにお別れの覚悟をもたせてくれたのです。
亡くなる3日ほど前には横たわったまま、そばで見守っていた夫さんに「ニャッニャッ」と鳴きました。ちょうど部屋に戻ってきた私もその声を聞きました。本当に久しぶりに聞いた、そして最後のミルちゃんの声。
あれが私たちへの力を振り絞っての挨拶だったのでしょうか。
やっぱりあっぱれミルちゃんです。
「あっぱれですか〜?」(撮影:2011年8月10日)
そろそろちゃんと気持ちを切り替えなければと思います。
そうじゃないとミルちゃんも悲しむしがっかりするのではないか、と。
これからもきっとミルちゃんを思って泣くのでしょうが、そう心がけるだけでも一歩進むことになるのかな・・・?
「きっとそうだよ、お姉ちゃん」(撮影:2017年10月28日)
ミルちゃん、ゆっくり休憩してね。
心置きなく休んだら、いつか私たちに姿を見せに来てね。
ミルちゃん、ずっとずっと大好きだよ、愛しているよ♡
ミルちゃんが夫さんに初めて会ったのはミルちゃんが2歳のとき。
猫好きな夫さん、仕事で関西に来たとき、ミルちゃんに会いに私の家(実家)に来たのです。
ミルちゃんに対面し、私がお茶を出そうと部屋を出て戻ってくると・・・
夫さん、流血していました!
ミルちゃんに噛みつかれたのです(オーマイガー!)
ヒト好きでお客さんが来られると必ず顔を出すフレンドリーなミルちゃんなのに、です (@_@)
手当しながら一体全体何をして噛まれたの?と。
どうやら抱っこしたいとついて回っていてやられたようです。
驚くやら可笑しいやら・・・(^_^;)
生後3か月半頃のミル(撮影:2000年4月2日)
生後5か月頃のミル(撮影:2000年5月)
同
さて。
そんな最悪の出逢いだったミルちゃんと夫さん。
翌年に一緒に暮らすようになりました。
こちらに移り住み、まず北斗を連れて来て、それからミルちゃんも。
北斗はすぐに夫さんに懐きましたが、ミルちゃんはというと・・・
夫さんに会ってすぐに「シャー!!!」
あの時のあいつだーーーー!と思い出したのでしょう。
それからは、夫さんが近寄ろうとする度に「シャー!」やら「フゥゥーーー」やら。
本来は気持ちの優しいミルちゃんだから、きっといつかは夫さんに懐くようになるだろうと思うも、なかなかそんな兆候は見られません。
猫が好きなのに猫に嫌われてガッカリする夫さんが気の毒で・・・
ひと月経ち、ふた月経ち、相変わらず「シャー!」やら「フゥゥーーー」やら (^_^;)
ご飯はなるべく夫さんにあげてもらうようにしました。
そして3か月が経とうとした頃・・・
私が外出先から帰ってきたとき、いつも玄関まで迎えに来ていたミルちゃんの姿がありません。
訝しく思いながら2階に上がり、夫さんの部屋を除くと、ミルちゃんが夫さんの足元にいました!?
正確に言うと「電気マット」の上に・・・
1月の厳寒の夕方にお姉ちゃんが出かけてしまい、寒いのが大嫌いなミルちゃんは暖を求めて夫さんの電気マットに来たのです。
帰宅するまで数時間、夫さんの足元で蹲って私を待っていたそう。
それからです!
ミルちゃんが変わりました。夫さんを受け入れたのです。
そうなると、甘えん坊のミルちゃん♡
以前の「シャー!」やら「フゥゥーーー」はまったくなくなり、夫さんに甘えるようになりました。
一件落着で心底ホッとした私です。
3歳のミル
カーテンレールを歩いています! (@_@)
ミルちゃんの夫さんに甘える度合いは年々増していったように思います。
最初は夜はベッド下に置いた籠で眠っていたミルちゃん。と言っても、気候の良いときだけですが(苦笑)
寒くなると私の右腕に乗っかって眠っていました。私は身動きが取りにくくガリバー状態で寝ていたっけ。
それが、だんだん眠るときは夫さんに散々甘えてから私のところに来るようになり・・・
晩年は川の字だったっけ。
5歳のミル
そんなミルちゃんでしたが、今年1月に調子を崩してからは私の横でずっと眠るようになりました。
体調の不安から私のそばが安心と思ったのでしょう。
でも、きっと、体力が許せば、夫さんに甘えてから私のところに来たかったのだと思います。
本当に本当に甘えん坊でした。
本当に本当にもう一度逢いたい、抱きしめたい。
一緒に暮らして21年2か月ほど。長く長く共に過ごし、私の人生の泣き笑いをそばで見守ってくれたミルちゃん。
まだまだ語りたいことが山ほどあるのですが、一旦この辺りで・・・
今日はミルちゃんの幻の21歳6か月の月誕生日です。
ヒトで換算すると102歳になっていたのですね。
ミルちゃんの想い出を少し綴りたいと思います。
ミルちゃんは生後10日ほどの1999年12月24日に動物病院の玄関先で保護されたニャンコです。
ミルちゃんに初めて会ったのは生後25日のとき。私の膝の上ですぐにリラックスしてチュッチュッチュッチュッしていました。白くてフワフワしていたから白い肉まんを連想して「パオパオちゃん」と呼ばれていました。
私は先代ハッピーを12月13日に亡くしていたので、12月14日をミルちゃんのお誕生日に決め、また、ミレニアム目前に産まれたので「ミル」と名付けました。
ベビーミル(撮影:2000年1月28日)
ミルちゃんを保護してくださった動物病院は保護猫活動をされているので病院にもご自宅にもたくさんの猫がいました。
ミルちゃんは大人の猫に混じり、時には大人猫を踏みつけてまでご飯を一所懸命に食べる逞しい子猫だったそうです。
生後50日くらいで引き取る予定でしたが、私が赤ちゃん猫の扱いに慣れているなら、成猫に揉まれるより早めに引き取られて育つほうが良いかも、と動物病院の奥さまから提案がありました。
私は、チンチラペルシャのお産に5度立会い、乳母?をした経験があったので、その提案に従い生後39日のミルちゃんを連れ帰ることになりました。
迎えに行った日、奥さまのお顔が少し曇っていました。朝からミルちゃんの尻尾が気になる、と。成猫と何らかのトラブルがあったか、もしくはケージの扉に挟まったのかも、と。痛がったりはしていないけれど、治療してから引き渡したほうが良いのではとおっしゃいましたが、原因が成猫の場合もあると考えると予定通りに連れ帰りたいと申し出ました。
連れ帰ったミルちゃん。まったく物怖じせず、すぐに馴染みました。ご飯もしっかり食べ元気いっぱい。
でも、翌日、念のために動物病院へ連れて行くと、なんと尻尾の先は骨折していました。もしかしたら壊疽して尻尾の先を失ってしまうかも、との診断でした。お顔も真菌症に罹っていました。
でもでも、ちゃんと尻尾は壊疽することもなく、お顔も綺麗になり、胸を撫で下ろした私です。
可愛いミル(撮影:2000年1月30日)
思い返せば、ミルちゃんは不思議なニャンコでした。
一生涯ノミがついたことがまったく無かったのです。
そして、ミルちゃんの被毛を撫でるとこちらの手がツルツルになりました。
ハンドクリーム代わりにミルちゃんを撫でることもあったっけ・・・(=^・^=)
ああ、もう一度ミルちゃんをナデナデしたいなぁ・・・
ソファの上で(撮影:2000年1月30日)
長くなるので今日はこの辺りで。
次もミルちゃんのことを記すつもりです。
今日はミルちゃんの2回目の月命日です。
もう2か月が過ぎたのですね・・・
この間、ミルちゃんの気配はほとんど感じませんでした。
いっぱいいっぱい頑張ったので、きっと今はまだ疲れを癒やしているのだろうね、と夫さんと話していました。
二度ほど夢に見たのですが、一度目は母と一緒だったような・・・
でも、まだお顔がぼんやりした感じ、まだまだ休息が必要なイメージでした。
二度目の夢はちょっと不思議な夢。きっと願望なのだろうなぁ・・・いつか記す気になれればと思います。
ニルちゃんをくわえた若い頃のミルちゃん
母と一緒に夢に出てきてくれたのは、良かったぁ、であり、やっぱりねぇ、なのです。
実は、18日は母の月命日なのです。
ミルちゃん、3月17日の夜11時半頃からもうだめかという状態になっていました。
私はずっと辛そうな呼吸をするミルちゃんに「ありがとうね、もう頑張らなくて良いんだからね」と言い続けていました。それが、日付けが変わる10分ほど前に持ち直し、そして、18日を迎えたのです。
まるで18日が母の月命日だから、17日ではなく18日に、とミルちゃんが決めたように感じました。
そして、18日の夕方にミルちゃんは旅立ちました。
私がミルちゃんにお薬とお水を飲ませなければ、もしかしたら急変などなかったのかもしれませんが、でも、やはりミルちゃんが決めた日は18日だったと思えてなりません。
ミルちゃんは私の連れ子?で3歳まで実家で暮らしていました。
母にはすごく甘えていて、母のそばで指吸いをするのが常でした。
母に甘えるミルちゃん
実家を離れてからは、指吸い対象、つまり甘える先は母から夫さんに変わりました。
不思議なのは、私の前では滅多に指吸いはしなかったのです。私に指吸いを見せるのはプライドが許さない風でした(苦笑)私は甘える対象ではなかったのですねぇ・・・( ´Д`)=3
夫さんに甘えるミルちゃん(撮影:2017年9月30日)
同
ミルちゃん、今は母のそばで「チュッチュッチュッチュッ」と指吸いしているのかなぁ?
寝る時に夫さんの腕のなかで指吸いするのがお気に入りだったミルちゃんが夫さんのそばで最後に甘えたのは2月、抜歯から1週間ほどしてのこと。その時の記事はこちら。
調子が悪いときは私のそばから離れなかったミルちゃんが、その日は自分から夫さんの方に移動し、カラーを付けていたので指吸いはできなかったけれど、グルグル甘えていました。あれが、私たちがミルちゃんのグルグル甘える声を聞いた最後でした。
もう一つ記したいと思うことがありますが、ここまでで涙腺崩壊。なので、またの機会に・・・
実家での北斗とミルのツーショット(撮影:2003年)
ハイビスカス
今日、今年初めてハイビスカスが咲きました♪
ハイビスカスのそばに信楽焼の狸が鎮座しています。
狸とハイビスカス
狸を見ていて10年前のことを思い出しました。
ミルちゃんが必死に網戸を開けようとするシーンです。
「なんとしても網戸を開けてやる〜!!!」(撮影:2011年4月20日)
爆笑ものですね ♫
懐かしい記事はこちらです。
さてさて。
今日14日はミルちゃんの月誕生日だった日。
21歳5か月になっていたんだなぁ・・・
先日、お友だちのたぶさんが羊毛フェルトのミルちゃんを作って届けてくださいました。
まさにサプライズ! 小さいミルちゃんを見て涙がこぼれました。
その場でミルちゃんの毛を足して、最後の仕上げをしてくださいました。
お帰り、ミルちゃん〜♡
元気だったかな〜♡
会いたかったよ〜♡
目はミルちゃんの目と同じ緑色、ピンク色のお鼻、そして立派なヒゲもあります。
すごいのは、ミルちゃんの毛色を再現してくださっていること!例えば、右前足は少し縞が入っている、右前足より左前足に白が多く入っている、後ろ足ももは薄茶、足は白、等々。そして、背中に本物のミルちゃんの毛が。
お顔は上を向いています。
ミルちゃん、いつも私を見上げて「ご飯ください〜〜〜」と訴えていた、あの角度なのです。
在りし日のご飯をくださいと訴えるミルちゃん(撮影:2019年10月14日)
同(撮影:2016年12月14日)
やっぱり可愛いなぁ〜 (*^^*)
ちびっこミルちゃんは、今は祭壇にいます。
祭壇のちびっこミルちゃん
お顔をこちらに向けたちびっ子ミルちゃんに鼻をくっつけてチュッとしています。サプリを飲ませるために対面したとき、いつも鼻をくっつけていたように・・・
ちびっこミルちゃんの隣にはちびっこ北斗も。こちらもたぶさん作。北斗の2年目の命日の日に届けてくださいました。
その時の記事はこちら。
仲良しだったふたりが並んでいますね。
たぶさん、ありがとうございました。
細かなところまでミルちゃんに似せてくださり、ミルちゃんが帰ってきたようで本当に嬉しかったです。
寂しくてたまらない時にちびっこミルちゃんをナデナデして心癒やされていますよ〜。
「たぶさん、僕の分身を作ってくださりありがとうございました♡」
(撮影:2019年11月9日)
4月も終わろうとしています。
ぼんやりした、それでいて何かと忙しい日々でした。
先日、近所のニャンコさんをナデナデしました。
抱っこしたらずっしりとしていて、ニャンコってこんな重さなんだ、としみじみ。
最晩年は2キロほどになっていたミルちゃんの抱っこした感触が手に残っていて、元気なニャンコとあまりにも違いすぎて・・・
本当に本当に頑張ったミルちゃんだったなぁ (=^・^=)
ミルちゃんを偲んでタオルハンカチを手に入れました。
今治タオルハンカチ
ミルちゃん色、ミルちゃん似のシルエットに「mille」と刺繍をいれていただきました。
ミルちゃんタオルハンカチ♪
ミルちゃんの後ろ姿を探してみました。
2011年1月18日のミル
2010年5月12日のミル
11歳と10歳の後ろ姿。あの頃はふっくらしていたなぁ・・・
勝負タオルハンカチにしようっと!(笑)
実は、北斗が亡くなったあとに「ほくと」と刺繍をしたタオルハンカチをいただきました。
涙が予想されるとき (^_^;) には必ず使っていて、今ももちろん大切にしています。
宝物の一つ
さて。
先日、胸を打たれるブログ記事に出逢いました。
ブログ主のかるほさんはミルちゃんのためにたくさん泣いてくださったのだとか。
有り難くて有り難くて、記事を読み号泣してしまいました。
同記事にうさぎ界のスーパースターと言っていいくらいの超高齢のうさぎさんについても記されています。
15歳7か月のうさぎのマロンちゃん、飼い主さんの帰宅を待って、それから旅立ったとのこと。
かるほさんもニャンコを飼っていらして、先代ニャンコのポンちゃんとのお別れについても記されています。
病院へ行く途中で「にゃーん」とひと鳴き、それがポンちゃんの声を聞いた最後だったのだとか。
その後ポンちゃんは、お父さんの帰宅を待って待って、そして会えて安心して旅立ったのだそうです。
北斗も、夫さんが帰るのを待ち、夫さんに見守られて旅立ちました。
そのとき、私は慌てて獣医さんに電話していて、それがかるほさんと一緒だったのが、妙におかしくもあり・・・(ToT)
さらにです。
かるほさんがミルちゃんの旅立ちを知って大泣きしてくださった日から、二代目ニャンコのビビちゃんが、それまではこたつの自分用の毛布で寝ていたのに、しばらくはかるほさんに添い寝してくれたそうです。
またまた号泣。
本当に動物は、いえ、ヒトと暮らすペットは、ヒトの気持ちがわかり、そして寄り添ってくれるのですね。
かるほさん、ミルちゃんのためにたくさん涙してくださり、素敵な記事を書いてくださりありがとうございました。
ミルちゃんのことをもっと書きたいと思いつつ、今回もこれ以上は書けそうもないです。
気を取り直し、最近の銀ちゃん写真で笑顔になりましょう!
パッカ~ン(撮影:4月22日)
「おやつ欲しいです〜」(撮影:4月25日)
神戸は緊急事態宣言下で迎えるゴールデンウィークとなりました。
どうぞ皆さんもくれぐれもお気をつけくださいませね。
今日はミルちゃんの初月命日です。
ひと月が経ったのですね・・・
在りし日のミル(2011年1月18日)
晩年のミルちゃんには抱っこしたときにはいつも「ミルちゃんはお姉ちゃんの宝物だよ」と言い聞かせていました。
その宝物を失ってしまい、心に穴が空き腕をもがれたような思いのなかで日々を過ごすうち、ミルちゃんの存在がまるで幻だったように感じるようなときがあります。
21年以上も私の側に当たり前に居てくれた大き過ぎる存在だったミルちゃん・・・
ずっと何気にミルちゃんの姿を確認するのが常だったため、ついミルちゃんが居た場所に目を向け、姿がないことに愕然として、を繰り返しています。
寄り添ってくれる銀ちゃんや辰太のためにも元気でいなくてはと思いつつ、まだまだダメ状態の私です。
抱っこされるミル(2011年2月8日)
そんななか、お友だちから初月命日に温かいお心をいただきました。
ミルちゃん似の茶トラ白猫の可愛いポストカードが添えられて♡
大好きな紫色のお花に心洗われるようです♡
ビタミンカラーのお花は元気づけてくれます♡
ありがとうございました。早速祭壇に供えさせていただきました。
今日の祭壇
普段は北斗とミルちゃんの骨壷や写真や置物、ジュピ太とジュピ太郎の写真で賑やかです。
お空に行ってしまった兄弟たち
今日は特別な日で祭壇の様子がちょっと変わっちゃったけれど、みんな、ミルちゃんが頂戴した優しいお心遣いの素晴らしいお花に大喜びしていますね〜♡
ほっくんとミルちゃんの骨壷が並ぶ様子は仲良しだったふたりの姿を思い出させます。
ふたりで熟睡中(2010年4月21日)
北斗に乗っかっているミルちゃん(2011年5月10日)
ミルちゃんのことをいっぱい書きたいのに、書きながら涙が溢れてどうにもなりません。
また別の機会にと思います。
ラストにお花を贈ってくださったお友だちお気に入りのミルちゃん動画をアップします。
撮影:2015年9月12日
15歳9か月目前のミルちゃん、お腹を壊して食制限中で不満たらたら、フードが入ったタッパーで抗議しています。(記事はこちら}
優男風のミルちゃんの意外な強さが現れた動画です。
懐かしくて可笑しくて泣き笑いしちゃいます〜 (=^・^=)
10歳の誕生日を迎えたときのミル
今日はミルちゃんの初七日です。
まだまだダメですね (ToT)
21年1か月と24日間、ずっと一緒に過ごしたミルちゃんなのです。
ぽっかり空いてしまった穴が塞がることはあるのでしょうか。
まんまる顔のミル(撮影:2011年1月28日)
亡くなった日、ミルちゃんが一週間ほど横たわっていた夜の寝場所(ヒトのベッド下)に猫ベッドを置き、その中にミルちゃんを安置してワンチュン一緒に眠りました。
銀ちゃん、ミルちゃんが眠る猫ベッドの2m上を見ていました。銀ちゃんにはミルちゃんが見えるのかなぁ・・・漠然と思った私です。
連れ帰った翌日からミルちゃんがいない現実に打ちのめされています。
起床して、まずお薬を飲ませ、ご飯を食べさせ、サプリを飲ませ、MAGケアをさせ、またご飯、ご飯、お薬、ご飯、サプリ、MAGケア、ご飯、お薬、サプリ等々。目まぐるしい一日だったのが、なんにもしなくて良くなったのです。
それに、いつもミルちゃんの居場所を気にかけていました。今どこにいるかを把握するのが常でした。夜、眠るときにはミルちゃんを連れて、でした。
今、ベッドで窮屈な思いをしないで眠ることができるようになったのですが、それがまた寂しい。
ミルちゃん、若い頃は自分の猫ベッドで寝ていたのに、いつの間にか、私の脇で眠るのが当たり前になっていました。寒いときはヒトのベッドの中。少し暖かくなると私の枕を折半。さらに暑くなると、お布団の上・・・重かった〜(苦笑)もっと暑くなりエアコンを入れるようになると、寄り付かなくなりました(笑)ゆったり眠れるようになったけれど、ミルちゃんの様子が大いに気になりかえって落ち着かなかったっけ・・・
懐かしい想い出です。
「真夏は籠で寝ることもありましたよー」(撮影:2017年8月23日)
うんうん、そうだったね。でも、エアコンついたら籠からも脱出してたねー(笑)
さてさて。
ミルちゃんの祭壇には素敵なお花が飾られています。
ミルちゃんへのお花
本当に有り難く、お空のミルちゃんも喜んでいますね♪
そして、私を気遣ってお友だちが本を贈ってくださいました。
『ペットたちは死後も生きている』
もう少し気持ちが落ち着いたら読みたいと思います。
ありがとうございました。
別のお友だちが心配してお電話をかけてくださいました。色々お話して励まされました。
皆さんの優しさに涙です。
「お姉ちゃんがお世話になります」(撮影:2017年8月23日)
ミルちゃん、北斗お兄ちゃんとミルちゃんが結んでくれたご縁にお姉ちゃんは本当に励まされているよ。
ミルちゃんがいない寂しさには耐えなくてはならないのだね。
でも、あれだけ頑張ったミルちゃんを思うと、お姉ちゃんも頑張らなくてはならないね・・・
11歳のミル(撮影:2011年7月23日)
ミルちゃんの旅立ちに際し、たくさんの温かいお気持ちをいただきありがとうございました。
優しいお心に触れる度に涙にくれています。
ミルちゃんは本当に多くの方々に愛され、見守っていただいたのですね。改めて感謝申し上げます。
ミルちゃん、旅立った翌日に澄み切った青空の下で春の陽射しを受け、お花に囲まれてお空に向かいました。
素晴らしいお天気に恵まれ、ミルちゃんはやっぱり凄い子だなぁ、と・・・
お友だちがミルちゃんにお花をお供えしてくださいました。
ミルちゃんの祭壇
ミルちゃんの可愛い写真。写真立ての一つはオルゴール(有り難いいただき物です)で曲は「虹の彼方に」。その手前には抜歯した歯4本。
骨壷のそばにミルちゃんお気に入りの縫いぐるみの「ニル」ちゃんが。21年前のものでもうボロボロ。(ニルちゃんのことはこちらとこちらとこちら)
美しいお花には本当に心癒されます。ありがとうございました。
さて。
辛いですが、旅立つまでのことを記録として認めます。
3月12日
ブログをアップした後しばらくして嘔吐。ミルク摂取量は目標の2/3弱の17g。嘔吐後はぐったりで、いつ旅立ってもおかしくない状態なのかも?
3月13日
無事に朝を迎え、ミルクも飲んだので、先生にご相談。舌が動くなら老衰じゃない、輸液をしたほうが良いとのことで、吐き気止めと輸液と栄養剤フェロビタを処方。午後すぐに輸液。ミルク摂取量は18g。しかし、夜遅くに嘔吐。
3月14日
無事に月誕生日の朝を迎えることができ感涙。朝に輸液。午後にミルク2gとフェロビタを与えるも、しばらくして嘔吐。
3月15日
午前中にミルクとフェロビタを溶かせた水を与えるも嘔吐。先生からは輸液をする方がミルちゃんの身体は楽になるとのことで輸液。結局ミルクは1g摂取。
3月16日
吐き気止め、輸液、ミルク2g摂取、嘔吐無し。
3月17日
手術を受けて4週間目。日向ぼっこ、ミルクは前日より増えて4g、フェロビタ、新たに抗生剤サワシリン、輸液、嘔吐なし。少し快方に向かう?
このような経過でした。
ですが、17日の夜11時過ぎ頃から奇妙な咳をするように。11時半頃には容態が急変。咳がひどくなり心臓の鼓動が弱くなり、覚悟しました。「ありがとう、ありがとう、もう、頑張らなくても良いんだからね」と泣きながらミルちゃんに話しかけていました。11時50分頃に静かになり、逝ってしまったのかと思い鼓動を確かめると、驚いたことに鼓動も呼吸も落ち着き、息を吹き返していました!
そして、18日。
静かに朝を迎えました。サワシリンとサプリ、ホリゾン、フェロビタ少々を摂取させ、先生に昨夜の状態を説明すると、輸液はもうしないほうが良い、と。昼過ぎから呼吸が少しづつ荒くなってきて、また奇妙な咳をするように。今日一日保つかどうか不安に。そして、午後4時25分、お水少量とお薬サワシリンを飲ませると嘔吐し急変、5分後に私の腕の中で旅立ちました。
生前最後の写真(撮影:午前10時16分)
とても頑張ったミルちゃんでした。
17日夜に息を吹き返したのには本当に驚きました。ここから快方に向かうのかな?と微かに期待を抱きもしました。
ですが、やはりギリギリだったのですね・・・(ToT)
手術して3週間目頃から食欲が落ちてきたミルちゃん。
それでも3月7日までは自力で少しは食べていました。
自力で食べる最後の姿(3月7日)
3月10日までは自力で歩いていました。
最後の歩く姿(3月10日)
寝たきりになってから1週間後に旅立ちましたが、その期間、ミルちゃんに良かれと思うケアに手を尽くしつつ覚悟することもできました。この日の旅立ちは「頃合い」だったのでしょう。
お骨になったミルちゃんを連れ帰った後に先生がウチに寄ってくださいました。
ミルちゃん、先生からたくさん褒めていただきました。そして、先生はお顔が腫れたままではなく、腫れが引いて綺麗になってからで良かった、と。
本当にそうなのです。手術して傷を治すのに体力を消耗してしまってこのような結果になってしまったのかもしれませんが、手術しなければあの痛々しい顔が続き、もっと体力消耗して早かったかもしれません。
仕方がなかったのでしょう・・・
ミルちゃんへの想い、またミルちゃんのエピソードなどは、また次の機会に・・・
旅立ちの際にいただいたコメントへのお返しは、申し訳ないのですが、少しずつさせていただきますね。
2016年9月1日 16歳のミル
昨日、3月18日午後4時半、私の最愛のミルちゃんが旅立ちました。
たくさんの応援と温かいお心をありがとうございました。