山梨で鹿の食害が顕著になってきてからもう20年くらい経過しています。
なにせはじめてのことだったので「鹿」ではなく、「地球温暖化」などといわれる専門家も
多かったようです。現場をずっとみていればわかることなのに。
今のコロナと似てますね、、、
それから保護柵を設置してみたら効果絶大で、多くの希少種の保護に役立ってきている。
自然じゃないと批判するひともいるけど、なにが本当の自然かよくよく聞いてみたいものだ。
私も最近わかったことだが、
保護柵は鹿には効くが、盗掘やいい写真をとりたいというひとの欲望には勝てない。
保護柵が切られていたり、保護柵内のロープで仕切られている中を植物を踏みつけながら歩く人の姿を
よく目にする。人の欲望は鹿よりもやっかいだ。
ましてやブログで紹介し、その行動を助長する人もいる。
場所や希少な花の名前を書かなければいいのに書いてしまう。自分の売名行為としか思えない。
可愛い写真をとるためにまわりの植物を踏みつける人は身の回りにも多い。
スマホ派のかたはそういうかたが身の回りに多い。
もう一方、山梨でもロープや保護柵はあるが継続して管理されておらず、保護がないがしろになっている
場所も目にするようになってきている。柵が倒れたり、壊れたりして放置されてる。
柵を設置するのは簡単だとはいわない。お金も労力もかかる。またその時だけ行政のように協力して
くれるスポンサーもいることもある。
ただそれを維持管理して、花を守っていくには全く別の概念が必要となる。それを知らないというか
経験や他の成功事例から学んでない人が多い。ほんとうに残念なことだ。
今消えようとしている花を守るにはもちろんすぐに保護する必要がある。
でも大事なのはそれからだ。
その花を未来永劫守り育てていくには多くの人の力が継続的に必要になる。
ほんとうに守りたい花は最低でも月に二回くらいは気になって柵を見に行きたくなる。
そうでない人はその花をどう思ってるんだろうか?
中途半端はほんとうによくないと思う。
ほかのほんとうに守りたいひとたちが手を出せなくなるから。
さらに自分だけでできないなら、共感する多くの人を動かし続けるモチベーションが必要ではないだろうか?
多くの人を巻き込んで守っていく努力が重要だ。
それをこれからじっくりと考えていきたい。