京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

先斗町自転車駐車場

2010-07-26 22:49:37 | まち歩き

四条河原町の銀行へ行くのに、先斗町自転車駐車場を利用した。木屋町通で駐車場を見かけたので行ってみると、そこは「先斗町バイク駐車場」。どうやら違うみたいだと思いつつ事務所に目を向けると、親切なことに事務所の方が出てきてくれた。駐輪場の場所を聞くと、木屋町通を南へ二本目、紙屋橋を渡ってすぐの、旧小学校校庭に入り口があると教えてくださった。さて、行こうとすると、バイク駐車場の壁に、駐輪場案内板が出ているのを見つけた。なんだ、ここに書いてあったのか。目の前に書いているのに、事務所の方を煩わせてしまった。

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校庭の一部だけが駐輪場として使用され、富小路六角自転車駐車場(464台+バイク66台)よりも、狭い(328台)。そのせいか、立地の良さのためか、自転車はぎっしりで、危うく置けないところだった。

京都市駐車場案内:http://www.kyotopublic.or.jp/annai/annai2/bicycle_shed/ponto/pontcyo.html

10_002 システムは、富小路六角と同じ。ゲートの手前で車輪を溝に合わせて「自転車」ボタンを押すと、駐車券が発行される。

帰り際に場内の精算機で150円(入庫から24時間以内)を支払い、ゲートで支払済みの駐車券を読み取り機にかざすと、ゲートが開く。

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こちらは、入ってきたのとは別の、西側の出口。高倉小学校の第二教育施設?結構遠いけれど。この門の脇に、住所表示があった。ここは「中京区河原町通四条上る下大阪町」。

河原町通はすぐ目の前、四条通までは徒歩3分程度。すごく近い。しかも、御池通から自転車通行禁止の河原町通でなく、木屋町通を走ればいいのだし。

用事が済んで、河原町通をFamilyMartのところで東へ曲がった。東へ入ると、ちょっと怖いような店が軒を並べていることがあるが、駐輪場の前には、たん熊が、そして瓢正。

10_010 懐かしい。20年ほど前、木屋町を歩いていて、ふとみつけた瓢正で飲んだことがあった。どうやら夜は常連さんの店のようで、一見で入ってきた私たちは、浮いていた。居心地も悪かったが、料理はおいしいので、いつものように飲んだ。お品書きには料金が書かれていなくて、少し心配になりながら。小芋の煮物が絶品だった。二人で3万。手持ちで足りて、ほっとしたものだ。昔の話。


御手洗祭

2010-07-23 23:58:11 | まち歩き

下鴨神社(境内末社:井上社)の御手洗祭(足つけ神事)は、今年は7/23~26の期間の5:30~22:30に行われる。

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お正月ほど多くはないが、木陰の参道には露店が並び、祭の雰囲気。

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鳥居の脇のテントは、加茂みたらし茶屋。

みたらし団子は帰りに買おう・・・・・・と、通り過ぎる。

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楼門の提灯を目にして、みたらし祭は、夜に来るべきなのだと了解した。舞殿も橋殿も、真新しい提灯で飾られている。

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橋殿の北側にはよしずで屋根を設けた、みたらし神事入り口が見える(写真上・左、写真下)。

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このロープに沿って並ぶほど、夜は人出があるのだろう。板敷きで靴を脱ぎ、備え付けのビニール袋に靴を入れて、入り口で初穂料を支払うと、細いロウソクを差した棒を手渡される。目の前、左手の池に続く傾斜は人工芝を敷いて滑らないように配慮され、やがてコンクリートの池底に敷き詰められた丸石が足に当たるようになる。冷たい。昼の2時なのに、水がかなり冷たい。朝一番に来なくて良かった。

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太鼓橋をくぐった先にあるのが井上社(写真下・右)。川両側の石垣にロウソクがあり、手に持ったお供えのロウソクに火を移して南側に並んだロウソク立てに並べた。

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北の階段を上がって足を拭いて靴を履き、ご神水を受けて、井上社に参拝。ここでは足の健康祈願の足形や、神水、みたらしお祓守などが売られている。ご加護を求めてのお守りは当然だが、入り口でタオルを売ればいいのにと思う。「賀茂御祖神社井上社御手洗祭/平成22年7月23日~26日」などと入れて。フタバアオイの葉の形をしたハンドタオルでも。

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ここにたくさん吊るされていたポスター、これは駅などに貼っているのだろうか。私は見かけなかったが・・・・・・。

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井上社の祭神は瀬織津媛命で、人々の罪や穢れを祓い、それらを川や海に流すとされる祓神である。湧き出る水がみたらし池となり、その水の上に井上社ができた。神力が付加された湧水に足をつけて禊をし、無病息災を願う、というのがこの祭の本義である。みたらし池に湧き出た泡を象って、みたらし団子ができたという話は、[加茂みたらし茶屋]の記事に書いた。また、今ではもう水は湧かない、ということも。

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楼門脇の「納涼市」矢印方向へ行くと、「涼し処」とあり、宝泉堂、下鴨茶寮、西利が店を出していた。宝泉堂の「申餅」を買った。小豆の茹で汁で搗いた小ぶりの餅につぶあんが入っている。普通に美味しい和菓子だったが、葵祭のお菓子と添え書きがついていた。鳥居に戻って、みたらし団子を買えばよかった。

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宵山

2010-07-17 00:41:28 | まち歩き

昨日も一昨日も雨降りで、宵山の人出はもう一つだったらしい。今日(16日)は、雷のおまけつき夕立の後、少しだけ気温が下がり、風も出て、こんな夜に宵山に行かなくてどうする、という感じ。御池通に7時頃に着き、新町通を南へ。御池を挟んだ北側からも、道の先に八幡山の提灯があかあかと見え、心が浮き立ってくる。

10_002 八幡山辺りで屏風飾りが見られた。そういえば、夜だけ屏風祭りに参加するお宅もあるらしい。

10_005 写真右は、八幡山町会所に飾られていた左甚五郎作の鳩。夫婦円満の印、か・・・・・・。

北観音山、南観音山と南下する。雨もよいだったから、山の周囲にはビニールがかけられ、前懸け、後懸け、胴懸けなど、よく見えなくて残念。

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徐々に混んできた。人を避けて東へ。山伏山、橋弁慶山を見て、烏丸通へ出た。来てみるまで知らなかったが、烏丸通は歩行者天国になっていて、道路両脇に屋台がズラッと並び、壮観。

10_015 烏丸を四条まで下り、長刀鉾の粽を買おうとしたのだが、既に売り切れ。そこで四条を引き返し、室町通を上がる。

10_017 すぐに見えるのが私のお気に入りの菊水鉾。この通りには山伏山、鯉山、黒主山、役行者山がひしめき、時間のせいもあってなのか、混んで混んで疲れた。連れとはぐれないように気を使うし、何と言っても、他人の汗ばんだ腕が密着するのはお互い気持ちのいいものではない。

あちこちの町会所では、浴衣を着た小学生が祭のグッズを売るのに、独特の節をつけ声を合わせて客を呼んでいる。こういうものを見ると、地域に根づいた祭なのだと改めて思わされる。

道路の両脇に屋台が並んでお好み焼きだの焼き鳥だの、牛肉ステーキだの煙を上げて焼いている。その上、あの人の多さ。それほど気温は高くないはずなのに、かなり暑かった。灯の入った提灯はきれいで、祭の雰囲気もいいが、通勤ラッシュ並みの混雑は勘弁。粽は売り切れていたし、喉を潤すのに食べたい!と思ったジェラートも売り切れ。これからは、人の少ない昼に行こう。2時間半歩き続けて、結構疲れた。

喉を潤すと言えば、上海万博できゅうりを齧る中国人の様子がテレビで流れていたが、宵山の屋台できゅうりを見た。冷やしパインのように棒に刺さった丸ごとのきゅうり。漬物らしいが、水分補給ならぬ塩分補給?八坂神社の神紋(三つ巴紋・木瓜紋)の木瓜紋がきゅうりの切り口に似ているから、祇園祭期間の7月には、八坂さんに遠慮して京都人はきゅうりを食べないと聞く。それなのに、なぜここで?


祇園祭・伝統芸能奉納

2010-07-15 23:09:11 | まち歩き

雨が続いて、山鉾建てを見に行けなかった。月曜日、所要で京都駅に行くと、提灯が飾られ祭囃子が流れていて、少しだけ祇園祭の雰囲気だった。「そうだ、パンフレットを貰いに行こう」と、新しくできたJR京都駅2階改札前の観光案内所へ。以前のCafé Du Monde向かいよりも、この場所の方が、断然いい。駅の南北通路の中ほど、伊勢丹入り口の隣。

10_033ということで、そこで京都市観光協会発行の『京都祇園祭』パンフレットを入手。一緒に置いている『京都新聞・祇園祭特集2010』は、祭りの周辺を知るのに良い。

京都新聞の特集号「主な行事日程」に、「15日/伝統芸能奉納/八坂神社 午後3時」と記載されているのを見て、やっと晴れたことだし行ってみた。

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南門正面の舞殿には神輿三基が鎮まり、午後8時からの神霊を遷す神事に備えている。

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舞殿から拝殿にかけてテントが準備され(写真上・左)、境内には真新しい提灯が多数かかっていた。

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南門脇の能舞台で、次々と伝統芸能が奉納された。「伝統芸能保存会」による挨拶の後、なぜか国家斉唱、今様、詩吟、日本舞踊、琴演奏、詩吟、狂言・・・・・・。

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10_017 能舞台前にしつらえられた長椅子の半分は外国の方々。きっとパック旅行で、「伝統芸能」を見に来られたのだろう。やけに日本人が少ないと思ったが、奉納が始まると、すぐに理由が分かった。ひとことで言えば発表会。日本舞踊の単独の舞だけ見応えがあった。浴衣は地味すぎたけど。彼女の舞が終わったときだけ、隣に立っていた背の高い外国の方が私の耳元で盛んに拍手をしていた。私も素人だが、もっと見慣れていない人でもわかるということだ。5時になったので、狂言が始まる前に帰宅の途に着いた。

10_029 昨日の鴨川は納涼床のすぐ下まで水が迫っていたとニュースになっていたが、水嵩を増した高野川の濁流もすごかった。川幅一杯に水が流れ、1m以上の雑草で覆われていた中洲は見えなくなり、もう少しで川沿いの遊歩道が冠水するほど。強くなる雨の中、恐ろしいほどの音を立てる川を見ながら急ぎ歩いていたとき、川の段差で水しぶきが沸きあがるような光景を目にした。今日の川の様子が、これ。夕方から、また雨が降り始めた。明日の宵山は、明後日の巡行は、せめて曇りであってほしい。


白峯神宮・精大明神例祭

2010-07-07 23:57:48 | まち歩き

七夕。どこかで何かしていないかと探して行ったのが、球技上達祈願で有名な白峯神宮。今出川通を自転車で行き、御所を越えた辺りから、ポツポツと雨が降り始める。

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提灯にも幕にも軒丸瓦にも、菊の御紋。それもそのはず、ここは崇徳院を祀る神社だ。崇徳院と言えば、百人一首の「瀬をはやみ・・・」、それに落語も思い出すが、恋愛などというロマンチックで華やかな世界とはかけ離れた、不運で悲しい後半生だった。保元の乱で讃岐に配流され、そのまま1164年に崩御。讃岐の白峯山陵に葬られたが、その後朝廷にも京にも良くないことが続き、怨霊伝説を生んでいる。祟る神は鎮魂せねばならない。京に御影堂ができるが、応仁の乱で消失してしまった。この崇徳院の霊を京にもう一度祀ろうとしたのが孝明天皇だった。1868年8月、飛鳥井邸を社地とし、創建したのは明治天皇。後に淳仁天皇(道鏡事件で淡路島へ配流)の霊も合祀している。孝明天皇も、平氏が台頭して朝廷の力が弱まったのは、崇徳院の祟りと思ったのだろうか。霊を祀れば、明治維新前夜の不安定な状況を打破できると考えたのだろうか。

この地には、蹴鞠をこととする飛鳥井家が、邸宅内に精大明神を祀っていた。精大明神は「蹴鞠の神様」と言われ、国内はもちろん世界を相手に戦うサッカーやバレーのチームからもボールを奉納されている。それにしても、この神の名前を『古事記』や『日本書紀』で読んだ記憶がない。滋賀県大津市平野神社の祭神も精大明神だが、これは「7世紀、西洞院滋野井に祀られた精大明神を松本の狐谷に移し」たものだそうで、ルーツは京都だ。西洞院はこの白峯神宮の二本東の通りで、滋野井は府庁の南西角辺りか。鎌倉時代、「滋野井」の近辺に蹴鞠の達人藤原成道が住んでいて、その孫・宗長は蹴鞠の難波家、雅経が飛鳥井家の祖という。大津の方は難波家の筋というから、両者の精大明神は同じということになる。

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公式HPには2時半から例祭だと書いていたが、突然の雨で、開始時間を10分ほど早めたのかもしれない。私が到着した22分には、もう雅楽の音がしていた。雨はどんどん強くなり、風もあって、舞殿の庇では雨除けにならないほど、どこから降っているのかわからないほど、後ろからも右からも左からも、ときには前からも、雨の飛沫がかかる。

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本来なら舞殿西側の鞠場で行われる蹴鞠奉納も、舞殿で行われることになった。梶の枝につけた神聖な「枝鞠」を、鞠場に放つ「解鞠の儀」。順に鞠をあらため、試し蹴り「小鞠 」の後、8人で蹴鞠を行った。

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広さや天井の制約があるせいか、なかなか続かない。蹴鞠というよりも、この装束を見て楽しんだ。絽の水干に、紬の袴。革沓の色も違う。技の程度によって、この装束の色目が決まっているらしい。確か300ぐらいと言っておられたような・・・・・・。この辺をもっと詳しく聞きたかった。ずっとマイクで解説をされていたが、雨音が大きくてよくわからないところもあり、少し残念。

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4時半からは、子どもたちによる小町踊りがあったらしい。雨が小止みになったのを見計らって、その前に帰った。それにしてもよく降った。