京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

保津川ライブスチームクラブ

2009-08-31 00:32:58 | まち歩き

京都人からすれば、亀岡を「京都」と呼ぶのは許し難いことだろう。生粋の京都人にとっては、上京・中京・下京だけが京都であり、左京・右京・東山・北区はぎりぎり許せても、その他の区、宇治なども「京都」の呼称にふさわしくないということになるらしい。しかし私は大阪人。亀岡は京都府なのだから、ここに書いて悪くはないはず・・・。

亀岡駅北口から、北へ徒歩7分。右手に保津川下り乗船場を見て、正面に旧亀岡商工会館、その西隣に目指す操車場はあった。森博嗣の小説好きの友人が、その小説家の趣味である鉄道模型にまで興味を広げ、行ってみようと私を誘ったのである。

そこは、製作した蒸気機関車模型を実際に動かす、大人のための場所。乗り鉄、撮り鉄などの分類で言えば、模型鉄ということになるらしい。その中でも、実際に作る人たちをモデラーと言う。保津川ライブスチームクラブのメンバーの話では、その方の社交ダンスの友人である大阪・安正金属の社長が、この土地を取得し、提供しておられるらしい。

200mのエンドレスのレールが二条。かなりの広さである。亀岡駅北側は田園風景が広がっており、遠くに見える山も、なかなかいい。転車台や、作業場、駅舎、ホームまである。写真は、駅舎。「保津川駅」とあるが、保津川駅で降りたことがないので、これが実際のものと似ているのかどうかは分からない。

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さて、今日の眼目は、今月中旬の大阪・阪神百貨店「鉄道模型フェスティバル2009」に出品されていた佐藤隆一氏による「ワシントン4-4-0 1867」の、初操業を見ることである。写真はWASHINGTON。

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09_008 石炭を入れる所は、こんな様子。

この、部品も、エンジンも、全て佐藤氏が作っている。さきの森博嗣のブログによると「西の名人」とのこと。

石炭を小さなスコップで投入し、ガソリンを染み込ませた木切れに火をつけて、動かし始めた。先頭に乾電池剥き出しのモーターを取り付け、しばらくの間、ものすごい煙を排出させている。と見る間に、手前から元気の良い蒸気が噴き出し、走行準備は整った。佐藤氏が一回りして、微調整。その後、連結器を取り付け、私たちも乗せてもらった。びっくりするほど滑らかな走行。鉄橋を渡るときもそれらしい音がするし、大人が夢中になるのも分かる。

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佐藤氏にいろいろ聞いた。CADで設計図を描いて、金属板を加工し、組み立て、彩色。文字や飾り模様などは、PCでシールを作成するとのこと。完成までに14年かかったこと。百貨店に出品した多くの作品は、本業の時計屋さんの店舗内に置いていること。「どんなときが一番嬉しいですか?作っているときと、出来上がったときと、こうやって走らせるときと」という質問には、「部品が思った通りに仕上がって、きちんと合ったときかなぁ」と答えてくださった。物を作る人は、やはり、作っているときが一番楽しいものなのだ。仕上がった満足、動く楽しさ、というものもあるけれど、作る過程、それが楽しい。それはとてもよくわかる。

奥様とも話をさせて頂いた。関西テレビの「よ~いドン!」で「となりの人間国宝」に認定された取材の話や、海外の模型雑誌に載った話、エンジン製作だけ頼まれるという話、岡山や白馬で走らせた思い出・・・と、話は尽きない。そして「すごいでしょう」と佐藤氏を褒める、その様子がとてもいい。きっと、奥様の理解あってこそ。

京都・七条の模型店のオーナーも来られた。自作の蒸気機関車を走らせる人、電車を走らせる人も。ここでは毎週日曜に、こうして趣味の人が集まり、自慢の機関車を走らせているのだそうだ。ワシントンを「宝物みたい」と評する奥様は、「もう、外を走らせないで欲しいわ」と言っておられたし、佐藤氏の作品を、ここで見ることができたのは幸運だった。

朝日新聞PR版『あいあいAI京都』から、取材が来た。来月あたり、記事になるのだろう。

二時頃に、片付け始める。機関車と運転席は、それぞれ、線路つきの枠に入れられ、自家用車に載せられた。

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近くに住んでいるのに、こういう所があるとは知らなかった。鉄ちゃんではないけれど、きれいな作品を見せていただいて、とても満足。誘ってくれた友人にも感謝。

9.16追記:

同クラブは、9/20(日)・21(月)10:00~15:00、第二回公開運転会を開催する。通常、毎週日曜日は会員らが不定期に操車するが、この両日は、会員のほか関西在住のライブスチーム所有者の作品が集まるとのこと。作品を見て楽しむだけでなく、体験乗車もできる。趣味の大人だけでなく、乗り物好きの子どもにもオススメ。亀岡駅北側のコスモス園も、そろそろ見頃かもしれない。


下鴨納涼古本まつり

2009-08-14 00:02:39 | まち歩き

古本まつりがあるのは知っていた。けれど、暑いときにわざわざ戸外の古本市に行く気がしなかった。そもそも、よほど手に入れたい絶版図書がない限り、古書店には足を運ばない。

そんな私が、今年は「11日から16日まで下鴨納涼古本まつり」というテレビのニュースを見て出かけてみようという気になったのには、理由がある。ニュースを見る前日に、『夜は短し歩けよ乙女』を読んだからだ。この本の第二章で、まさに、その古本まつりの情景が描かれていた。

西ノ京円町から、市バス205に乗り、糺の森下車。南へ下りてすぐのところに「古本まつり」の幟を見つけ、そこから東の小道を入ると、すぐ馬場に辿り着く。そこから南へ約250m、両脇はテントが立ち並び、良書を求める人でごったがえし・・・と書きたいところだが、お客は、非常に少ない。10時開場で、この写真は11時撮影。

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東側のテントを、北から南へ順に見ていく。萩書房で発見!『ラ・タ・タ・タム-ちいさな機関車のふしぎな物語-』。これって、『夜は短し歩けよ乙女』で黒髪の乙女が探す、あの絵本!思わず、裏に名前を書いていないか、確認してしまった。お話も、立ち読み。小説では「絵がとても幻想的で美しく・・・」と書かれていたけど、私の好みではなかった。せっかく出合ったけれど、買わずに元に戻す。森見登美彦ファンは、下鴨納涼古本まつりに行くべし。きっとまだ、『ラ・タ・タ・タム』はある。それに、小説に出てくる古書店も実在。怪しい古書店はなかったが。それに、テント内に取り付けられた裸電球。曇り空が一段と曇ってきたとき、裸電球に照らされたテントの中の世界は、何か違うもののようだった。

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今日の京都は、34度。ここは、左右の大木が枝を張ったその下にテントを設営しているので、暑さはそれほど気にならなかった。・・・なのに、上半身汗でびしょびしょの人が。

人が少なくて見やすいことも良かった。雨も降らなかったし。・・・一渡り見るのに2時間。テントなしの台もあり、雨が降ったら大変だ。ブルーシートはあちこちに準備されていたけれど。

難を言えば、テントに取り付けられた雨よけのビニールシートに、ムカデを見つけたことぐらいか・・・。それでも、虫は少ない。何故?蚊取り線香もお香も見なかったのに。蚊に悩まされることもなく時間は過ぎ、じっくり本を選ぶことができた。結局、一冊だけ購入。帰る頃には人出も増え、それらしい感じに。

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ついでに河合神社と下鴨神社を参拝。河合神社には、この前知恩寺で見つけたのと同じ魔除けがあった。但し、ここのは片方が、その波型で、もう片方はよくある桃。

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下鴨神社は久しぶりで、御手洗川の辺り、ずいぶん感じが変わったような気がした。もっと鬱蒼と木が茂っていたような記憶があるのだが・・・20~30年前のかすかな記憶。

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ルーヴル美術館展-17世紀ヨーロッパ絵画-

2009-08-07 00:58:24 | アート・文化

今夏は、京都、大阪の二箇所でルーヴル美術展が開催されている。ルーヴルは、二度しか行ったことはないが、とても見きれるものではなかった。ミロのヴィーナスに出合えなかった代わりに、サモトラケのニケの姿は、三度目にしたことを思い出す。

地下鉄東山駅を上がり、三条通を東に進んだ何軒かの店で、まだ前売り券を扱っていた。

京都市美術館前景。

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09_010 さて、京都市美術館における展覧会は、そう、17世紀ヨーロッパ絵画だった。バスに乗っても、地下鉄でも「これぞルーヴル」のキャッチコピーがついたポスターを目にし、「そうだ、ルーヴル見に行こう」という気にさせられてしまった。ところが、この時代、私の好きな絵画ではなかった。

その上、鑑賞客の多さ、話し声、靴音、それに殆どが人物画。とにかく人の多い美術展は嫌いである。じっくり見られない。

チケットにも、カタログにも、同じフェルメールの『レースを編む女』があり、その小さな絵の前には人だかり。他にも、何度戻っても、人だかりでまともに見られない絵(17世紀フランドル派『襲撃』)があった。展示場所に問題があったのだろうか?

昔々のルーヴル体験、今日観た中で、記憶にあったのは、ベラスケスの『王女マルガリータの肖像』と、ファン・ダイクの『プファルツ選帝侯の息子たち』。スペインのマルガリータ王女の肖像は、さまざまな年齢のものを、あちこちの美術館でよく見る。かわいらしかったから沢山描かれた訳ではない。家族が絵画好きだったからという訳でもない。どうやら、これらは婚約相手に贈る写真の代わりであったようだ。

「宮廷肖像画は、その相当数が、ヨーロッパ各地に発送されるために作られた。支配王朝は絶え間なく、その構成員の肖像画を送りあっていたからである。(カタログp.130)」

つまりは、お見合い写真の役目を果たしていたということだろう。

マルガリータ王女は、15歳でオーストリアのレオポルト1世と結婚し、22歳で亡くなった。夥しい肖像画を作成され、絵画史上、最も有名な王女の一人である彼女は、こんなにも早く命を落とした。そんなことを思いながら絵を見ると、悲しげな表情に見えてくる・・・。

帰りに、疏水の橋の上から東山を望んだ写真を一枚。

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水面に両岸の木の緑が映って、あとは青空だけが足らない。

大阪・国立国際美術館のルーヴル展は「美の宮殿の子どもたち」との副題。古代エジプト、古代オリエント、古代ギリシャ・エトルリア・ローマの絵画・彫刻・美術工芸品・素描・版画が来ているらしい。しかも、京都の71点に対し、大阪は200点。見応えがありそうだ。京都・大阪の距離なら、両方見に行こうという人は多いだろう。

これだけの量を貸し出してなお、ルーヴルは通常通り開館できる。35000点が展示されているというのだから。見きれない、見つけられない、どこをどうみていいのかわからない、という者にとって、国内でテーマを絞って企画され、展示されるこのような機会は、大変ありがたい。ただ、混みすぎる・・・。