京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

護王神社

2009-09-16 00:29:23 | まち歩き

東大路通で所用を済ませ、また知恩寺でも・・・と思っていたら、激しい雨。頭痛もするし無理はすまい、と百万遍からバスに乗り、今出川通を西へ。ふと思いつき、御所西の姉宅へ寄ろうと、烏丸今出川で降りて、烏丸通を南へ下った。

蛤御門の辺りで、雨は小降りになった。すぐ傍に護王神社がある。ちょっと寄ってみた。

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烏丸通沿いの塀の上に、木芙蓉が。いくつか蕾も見つけた。この優しげな淡紅梅色。みごとに咲き誇る様子を見て歩いたら、うきうきするだろうな。濃紅梅色の蕾と、淡萌黄色の葉で、かさねの色目で言うところの、「紅梅の匂」に近い。葉が青色だったら完璧だった。

狛犬の代わりに、猪が、鳥居前と拝殿前を護っている。

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この猪たちの謂れは、神社の由来とも関係がある。 神社の主祭神は和気清麻呂と、その姉、和気広虫姫。和気清麻呂は、道鏡の皇位継承を阻止し、流罪となるも、許されてから後、長く活躍する人物である。宇佐八幡への道中、300頭もの猪が周りを取り囲んで護ったという故事から、明治期に猪たちが建立されたらしい。平安京への遷都を桓武天皇に進言したのも彼。

さきの烏丸通沿いの塀には、いくつかパネルがかかっている。戦前の十円紙幣には、この護王神社が描かれていたとのこと。お札のデザインにも、その時代が反映される。ここの祭神は、皇族による皇位継承の正当性を主張した人物だ。

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社殿は、もと、和気清麻呂造営の神護寺に霊社としてあり、明治19年(1886)現在地に移された。なお、明治7年(1874)に「護法善神」から「護王神社」に改称され、「別格官幣社」となった。別格官幣社とは、国に功績を挙げた人物を祀る神社で、官幣小社と同格らしい。これら近代社格制度は明治4年(1871)に制定されたが、昭和21年(1946)神道指令に従って、廃止されている。

猪の台座にある、この紋(写真左)は何だろう。「尼ケ崎藤」に似ているが、少し違う。門の扉には、大きな菊紋(写真右)が。よく見ると、拝殿や本殿のあちこちに菊紋。「社殿の装飾に菊の紋章を使用することは、当初は官幣社のみに許されていたが、明治7年に国幣社にも許可されるようになった(ウィキペディア)」とあるが、それにしてもきらびやかだ。皇室に対して特別大きな功績があったことを誇示しているのか、それとも「別格」として何か特別な配慮がなされたのか。

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ここは、「足腰の健康・病気怪我回復」のご利益があるらしい。遅かった。足の怪我は何度したことか。先月も、足の裏を切って、縫合したばかり。

さらっと一周りしてから、姉宅へ。姉は午前中、知恩寺の手作り市へ行って来たと言う。そうか、手作り市は15日だった。雨降りだったけど、ちょっと見てくれば良かったな。

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重陽祭

2009-09-10 01:06:18 | まち歩き

昨日(9/8)の夕刊に、市比売神社での「菊の被せ綿」の記事があった。「菊の被せ綿」とは、重陽の節句前日、菊に真綿を被せ、翌朝、露と香りの移ったその真綿で身体を拭って、長寿を保つという、平安時代の儀式である。

重陽の節句、言葉だけは知っているが、どういうものかは知らない。ということで、今日は車折神社の重陽祭へ。

JR嵯峨嵐山駅から、三条通りの表参道目指して30分、道に迷いながらもようやく到着。09_001

三条通、鳥居前にバス停が。

鳥居をくぐると、雅楽の音が聞こえる。

一時開始なのに、5分ほど遅刻してしまった。

さて、社殿では、菊の花をはじめ、次々とお供え物が運ばれる。

宮司さんの祝詞の後、菊の挿頭をつけて菊の花を手にした少女二人が、舞楽を舞う。

09_011 雅楽の演奏は、隣の建物で。

拝殿を人垣が取り囲み、奏者は、進行具合が見えにくくて、どこで終わらせていいか困っている様子。

見物人は200人もいないようだったが、一部、立ち入り禁止の縄でも張っておくべきか。次の写真は、儀式終了後の拝殿。この後、すぐに菊花酒がふるまわれた。

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菊花酒は、菊の花びらを散らした杯に、酒を注いだものである。邪気を祓い、長寿を願うという意味があるらしい。そういえば、祇園祭宵山で上った菊水鉾は、菊慈童に因んだものだった。能の『菊慈童』は、魏の皇帝の臣下が、菊の里で、700年生きている少年と出会う話である。法華経の句を菊の葉に書き付けてできた露が谷川に滴り落ち、その水(酒)を飲んで不老不死の身体を得たのだ。菊は、古来、薬草でもあった。そうして私たちも、菊花酒でアンチエイジングを。

菊花酒も頂き、辺りはすぐに人が減っていった。拝殿は、楓の緑で隠れている。秋は、きっときれいだろう。写真右は、拝殿手前側の花天井。花だけでなく、スイカやカブなど、珍しい絵があった。

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表参道はバス停前から始まるが、裏参道の先には京福電鉄車折神社駅ホームがあった。

09_010 見えるだろうか。桜色の電車が停まったところだ。

帰りには、ここから出て、京福電車北側の道からJR嵯峨嵐山駅へ戻った。

迷わなければ、たったの10分。

ところで、「重陽の節句」について、疑問に感じることがある。「陰陽思想で、陽である奇数はおめでたい数であり、その最大である9が重なるから『重陽』」という説明が散見される。節句というのは、本来、季節の変わり目の邪気を祓うものではなかったのか。その上、陰陽思想というのは、陽が良いとか、陰が悪いとか、そういうものではなかったはず。

「自然界や人間界の変化して止まない現象を、陰と陽の二気の消長(『安倍清明と陰陽道展』2003年カタログ)」に依るものだとしたのが、陰陽思想である。白と黒の勾玉が重なり合った太極図が、象徴するように、二つで一つの世界を成している。両者のバランスが大切ということだ。つまり、奇数が重なると、陽が強くなりすぎてバランスが崩れ、良くない(不吉である)から、それを祓う、という意味だったのではないか。

いつものように、締めは神紋で。一つ引き両と、桜紋。祭神は、儒学者、清原頼業。舎人親王の子孫であり、一族には歌人である清原元輔、清少納言もいる。神紋と祭神との関わりは調べ切れていない。HPには「金運/良縁/学業/厄除け・病気回復/芸能・芸術の神社」とある。普通に生きていく上で必要なものが網羅されている!「約束を違えないこと」を守ってくださるとのこと。今日、私が何を約束してきたか、それは秘密。

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『能へのいざない-能でめぐる京都の史跡と文学』

2009-09-08 22:49:23 | アート・文化

新聞に載っていた講演『能へのいざない』を聴くため、佛教大学四条センターに行ってみた。

HPによると、それは四条烏丸交差点、三井住友ビルの4階。最高に良い立地だ。この写真は、交差点南西角から写したもの。三井住友銀行にはよく行くのに、こんなところに生涯学習の拠点があるとは知らなかった。

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烏丸通入り口からすぐのエレベーターで4階へ。受付、会議室の他に、喫茶・図書コーナーもある。本棚に並ぶ仏教関係専門書は、さすがだ。仏教大事典、知恩院資料集、仏教美術集・・・それに岩波の新日本古典文学大系も。大学図書館並みとは言えないが、普通の公立図書館では揃わないような専門図書が並んでいる。調べ物があるときは、ここに来よう。

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講座は殆ど当日申込制で、定員150名(例外講座あり)、受講料は1000円/回(無料講座あり)。一時間前から受付を始めるが、今日の講座は70人ぐらいだったろうか。初回受講時は、申込書に記入して受講会員証を受け取ってから、受付手前の自動販売機で受講券を購入する。受付で会員証を示し、券を渡して入場。受付で金銭の授受の必要がなく、合理的なシステムだと思った。

夏期講座は、「現代社会を生きる」「仏教を極める」「教養を深める-京都」「教養を深める-歴史・民族・伝統」「教養を深める-文学・芸術」「つどうふれあう」「イベントサークル」「特別企画」のカテゴリーに分かれている。単発モノから月1講座、数ヶ月毎の講座とさまざまなタイプがあり、合計55種類。内容は、京都と仏教で半分ぐらいを占める。事前申し込みが必要ないので、気に入ったものだけ、時間のある時にふらっと来ることができる。

さて、今日の講座は、『正尊』を題材に、観世流能楽師シテ方の河村晴久氏によるものだった。背景の解説の後、録画を飛ばし飛ばし見ながら、説明が入る。作者は、観世小次郎長俊。どうやら、素材をコピーアンドペーストした謡曲らしい。講師は、その素材『平家物語』『義経記』『玉葉』などから、朗読して下さるのだが、これは、手元に資料が欲しいところ。ここのところ通っている大槻能楽堂では、講演レジュメがあり、理解の助けになる。ここでは、その他の講座でも、レジュメや資料は配布されないのだろうか。

『正尊』は、派手な立ち回りがあり、その中で前転や「仏倒れ」(反り返って仰向けに倒れること)が幾度となく見られる。

「怖いので、転ぶのは練習しません。本番だけです。」

また、演者が舞台から退場したように見立てる、後ろ向きに座った姿勢については、こんな風に。

「辛いです。前を向いていたらお客様が見えて、緊張感があって良いのですが、後ろを向くと、それが見えない。気を抜けないので、辛いです。」

意外だったり、なるほどと思わされたり。演者にしか聞けない話、そういうものは確かにある。

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鴨川

2009-09-04 17:49:59 | まち歩き

京都市内を流れる「鴨川」は、東からの「高野川」と、西からの「賀茂川」が今出川通の賀茂大橋で合流したものである。伏見で桂川と合流して「桂川」と名を変え、さらに山崎で宇治川・木津川と合流し「淀川」となって、大阪湾に注いでいる。

起点は、九重桜で有名な常照光寺のすぐ南、桟敷ヶ岳から流れるいくつかの川。北区雲ヶ畑の出合橋で合流して「鴨川」となり、北区神山の山幸橋で鞍馬川と合流してから「賀茂川」と呼ばれる。貴船神社奥宮の創建伝説(淀川を北上して船が着く所に社殿を建てよ、という玉依姫のお告げ)にある通り、鞍馬川は、上流で貴船川と合流している。

この鴨川、河川敷は両側に歩道があり、ベンチもところどころに設置されている。カップルの多い夕方以降は外して、暑さ・寒さの気にならない季節に、ここを歩くことがある。桜の季節以外は、歩くために歩く。それほど楽しい散歩コースではないが、上流を見晴かし、下流を見渡せば、ビルや人波から離れて自然の中にいるような気がするのだ。

四条の書店を覗いてから、久しぶりに四条大橋を歩いてみた。写真は、四条大橋から上流を望んだもの。そうだ、納涼床(5月~)は、9月になってもまだ、あるんだった。

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因みに鴨川の川床は「かわゆか」、貴船や高雄の川床は「かわどこ」と言う。3年ほど前、鷹峯で予約した床は、激しい雨で台無しだったことを思い出す。

川に、建物も空も映り込んでいる。鴨川、こんなにきれいだったんだ。そういえば、能面打ちをしている知人が、鴨川でオオサンショウウオを見つけたと話していた。橋から下を眺めると、浅い水の流れの中で、魚たちが動いているのが見える。

そろそろ帰ろうと、バス停に向かう。四条河原町の交差点には、ビラを配る人多数。いつもなら頭を下げてやり過ごすが、その声に思わず手を出してしまった。「ルーヴル美術館展の割引券で~す」。手には100か200か、割引券の束。腕に提げた紙袋には、まだまだ入っているのだろう。改めて見てみると、主催は両美術館に加え、読売新聞社と読売テレビ。27日の展覧会終了前の追い込みのようだ。黒と金の二色刷りの「割引引換券」。交差点の東西南北で配る4人のバイト料と、印刷代に対して、割に合うものなのだろうか・・・。新聞社なら、紙も印刷も安いということか。でも、割引額はたった100円。どういう目算があって、こういう販促を・・・。費用対効果を知りたいものだと思った。

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