ブログを再開して間がないからか、下書きが消えてしまうという不運に見舞われた。カテゴリーは追加されているのに、追加後に書いたものが消えるなんて。
神泉苑立て看板の「五位鷺」より、謡曲ほか国文学関連に現れる神泉苑を確認してみた。
以上、南側の立て看板。五位鷺の内容は、次のHPに詳しい。
銕仙会 能楽辞典:鷺 | 銕仙会 能楽事典 (tessen.org)
the能ドットコム:能・演目事典:鷺:あらすじ・みどころ (the-noh.com)
神泉苑HPでも同様、五位鷺について言及している。
一方、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』に見える話は神泉苑にとってありがたい話ではない。
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[一四五]穀断の聖、不実露見の事
昔、久しく行ふ上人ありけり。五穀を断ちて、年ごろになりぬ。
帝きこしめして、神泉に崇め据ゑて、ことに貴み給ふ。木の葉をの
み食ひける。もの笑ひする若公達集まりて、この聖の心みんとて、
行きむかひて見るに、いと貴げに見ゆれば、「穀断ち、幾年ばかり
になり給ふ」と問はれければ、「若きより断ち侍れば、五十余年に
まかりなりぬ」と言ふを聞きて、一人の殿上人の言はく、「穀断ち
の糞はいかやうにかあるらん。例の人には変りたるらん。いで行き
て見ん」と言へば、二三人連れて行きて見れば、穀糞を多くひりお
きたり。怪しと思ひて、上人の出でたる隙に、「ゐたる下を見ん」
と言ひて、畳の下を引きあけて見れば、土をすこし掘りて、布袋に
米を入れて置きたり。公達見て、手をたたきて、「穀糞の聖、穀糞
の聖」と呼ばはりて、ののしり笑ひければ、逃げ去りにけり。その
のちは、行方も知らず、長く失せにけりとなん。
※『宇治拾遺物語』 (新潮日本古典集成)より全文引用
ただしルビ・傍注は省略
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一読して概要を掴めるので、口語訳の必要はないだろう。
同書の頭注に、『今昔物語集』巻28第24話が「これと同話に当る」とあり、その原典が「『文徳実録』斉衡元年(八五四)」の記述だとしている。つまり、史実を説話(教訓)として語り伝えてきた、ということである。
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○乙巳 備前國貢一伊蒲塞 斷穀不食 有勅安置神泉苑 男女雲會
觀者架肩 市里爲之空 數日之間 遍於天下 呼爲聖人 各々私願
伊蒲塞仍有許諾 婦人之類 莫不眩惑奔■ 得月餘日 或云
伊蒲塞夜人定後 以水飮送數■米 天曉如廁 有人窺之 米糞如積
由是■價応時■折 兒婦人猶謂之米糞聖人
*『日本文徳天皇実録』(国立公文書館デジタルアーカイブ巻五・巻六 p.34)
ただし読み取れない文字は■で表示
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備前国から献上された穀断ちの在家僧が、帝によって神泉苑に据え置かれて都の人々の崇敬を集めていたが、実は穀断ちは嘘だった、その後は女子どもから「米糞聖人」と呼ばれた、という内容である。冒頭で述べたように、いい話ではない。が、ここからは神泉苑の由緒――帝が崇める僧を据える場所だったこと――が読み取れる。
ついでに、全文引用した『宇治拾遺物語』(新潮日本古典集成)の頭注について
参考書籍は初版なので、もしかしたらすでに訂正済みかもしれないが、頭注17に神泉苑の場所を「神泉苑町」としているのは誤りで、「門前町」が正しい。
2024年3月6日追記:新潮日本古典集成新装版(令和元年6月発行)を書店で確認したところ、訂正されていなかった。基本的な校正ミス。