気の向くままに!

思いついたことを気の向くままに記載します。限定した話題はありません。

芸能人の復帰

2010-11-29 12:57:01 | Weblog
先日も99の岡村がテレビに復帰しました。われわれ国民の知るところではありませんが、同じ芸人は「復帰しなければよいのに」とか、若手の頭を押さえて出られないようにするとか言っています。このような言葉は本音なのでしょう。今回の岡村の復帰に快く思っていないものもいるのでしょう。それでもテレビの画面では復帰して良かったといわなければならない。これも辛いものがあります。このようなことは芸能界だけではないわけです。どの社会にもこのように思っているのです。はっきりと口にできるのが芸人の世界であると思います。ジョークですまされる部分があるだけに口にできるのでしょう。

孫の公式戦!

2010-11-15 14:24:33 | Weblog
孫の今年の公式戦が終了しました。今年は4戦3勝1敗でした。1敗は全国大会の1敗でした。全国大会はベスト8まで勝ち進みベスト4で敗退。その他の公式戦はすべて優勝で、昨日の大会が今年の最終戦で優勝しました。まだ小学校2年生で幼児から県大会3連覇中です。少し天狗になっています。地方大会では負けないと思い込んでいるようです。いつか敗戦する時も来るでしょう。勝てない時期もあるでしょう。そのような試練を乗り越えて本当に強い選手になってほしいものです。これがすべてではないわけですが、何か勝てるものがあることは良いのではないでしょうか。手前みそですが、彼の運動神経は良い方であると思います。それだけにがんばって自分のものにしてもらいたい。スポーツでなくともよいのですが、私が見るところ目立つものはスポーツです。それだけの素質は持っているように思います。

尖閣諸島沖事件の映画化

2010-11-12 13:23:58 | Weblog
中国の工作船が我が国の海上保安船に意図的に衝突してきた。目的は我が国の新政権に対するけん制と新政権の実力をはかるためであった。ところが中国としては意図していなかった出来事が起きた。それは海上保安官が工作船との衝突をビデオに収めていたことであった。中国政府は衝突の内容を知ろうと我が国に外交官を何度も派遣した。その時にビデオの存在を知ることとなる。中国はレアアースの輸出制限を事件以前に行うとしていた。このれを機会に闇ブローカーが政府に圧力をかけ中国との間でアースメタルの輸出規制を行わないこと。その代わりにビデオを一般に公開しないとの約束を取り付けた。ところが政府の意図に反して野党は個々ぞとばかりに政府を責め立てた。しばらくして海上保安官が事故のビデオをインターネット上に流失してしまった。これに怒った中国はレアアースの輸出縮小を実施すると我が国政府に通達してきた。困ったのは我が国政府だけでなく闇のブローカーである。海上保安官が流出しても政府はいまだに公開を行わないとしてメンツを保とうとしている。これにより中国との関係修復を図ろうとしている。ブローカーが政府の後押しをしながら中国政府とも裏取引を画策している。闇のブローカーとしてはこの儲かる話を不意にできない。もちろん我が国にも大きな経済的打撃がありどうしてもレアアースの輸出縮小は避けたいわけである。このような筋で映画を作るのはいかがなものであろう。結末はめでたしめでたしで終わるか、それとも途中で終了するか製作段階の課題であろう。

尖閣諸島沖事件!

2010-11-10 14:40:32 | Weblog
尖閣諸島沖事件に続きそれを記録したビデオ流出事件と中国がらみの事件が続いています。さて今回はこの事件に関して少し空想的なものにしました。まず尖閣諸島沖事件は中国の反日勢力の工作員が意図的に起こしたものであります。ビデオを見ますとそれが明らかです。このように想像したい。中国国内で反日感情を掻き立てるには我が国との摩擦を用いればよいわけです。だから工作員として漁船に乗り込み事件を起こした。沖縄の海上保安官によって漁船が確保され乗組員全員逮捕された。とりあえず乗組員は無関係として釈放されたが船長だけは釈放されなかった。取り調べの段階で何度か中国政府要人が我が国を訪問している。これは中国の抗日的な勢力によるものである。その結果政府との密約により船長の釈放も決定した。我が国政府の決定に不満を持っている勢力が尖閣沖事件のビデオをインターネットに意図的に流し政府の責任を問う形をとった。こう考えると007の映画のようになる。これを映画にしない手はない。ぜひこの題材を映画にしてもらいたい。異常記したものはあくまでも映画として成立させるものであり現実とは異なるものであります。こう想像するのはいかがなものでしょう。結構面白い映画になるのではないでしょうか。ただ我が国ではこのような政治的な題材を扱うことはあまりないわけです。どこにその視点を置くかで放映できるものになるように思います。今まであったこの種の映画に似ているだけに興味あるものになるのではないでしょうか。

芸能人の苦労って!

2010-10-25 13:51:00 | Weblog
芸能人の自叙伝ばやりである。苦労した話とか貧乏時代の話が満載である。何を言っているか問いたい人がごまんといるであろう。おいらなど一生苦労のしっぱなしで、なおかつ貧乏であるという人からすれば、このような本など馬鹿にしている気にはならないであろうか。小泉元首相が努力すれば報われる社会にするとかしないとか言いましたが、努力して報われた人にあまりお目にかかったことはない。だいたいが努力しないで社長になったいするのが多いような気がする。努力することが馬鹿らしい社会であるとも感じる人が世の中に増えているのであろう。大会社の社長は何かしら悪いことをして偉くなったに違いない。まじめにやっている人が社長になった話も聞かない。町工場の社長はどちらかといえば社員とさほど変わりはない。世の中このような社会では誰もがんばる気にはならないのではないか。

すし!

2010-10-24 14:47:13 | Weblog
すしといえばいまや回転ずしが主流です。おいらも家族でときどき出かけます。握りといえば江戸前すしです。江戸すなわち現在の東京の前浜で取れた魚をネタに握ったすしが江戸前です。これはおいらが言うまでもないわけです。江戸前といえば当然東京湾でとれた魚を指すわけです。江戸前のすしは仕事がしてあるといわれていたそうです。たとえばマグロのずけとか煮アナゴやエビを煮たものなどなどそれぞれ手を加えたものだったそうです。この辺りは受け売りです。確かに若かりし頃その名残のすしを食べていた気がします。煮アナゴやエビなどにはつめがつけてありました。最近は煮アナゴにはつめが塗ってありますがエビなどには塗ってない。ほとんどが刺身で食べる形に変化してきています。これも時代の流れなのでしょう。刺身が家庭でも一般的に食べられるようになったことから江戸前もそれに沿ったものが好まれるようになってのではと勝手な想像をしています。最近ではまたマグロのずけなど仕事をしたものが一部出ているようです。だからどうだという話ではなく、時代の変遷で同じ食べ物でも手の加え方が変わるものであり、さらに大衆化していくものであると感じる今日この頃です。話のタネに昔ながらの江戸前を一度食べてみたいものであるが、地方に住まいするおいらにはそのような機会すらない。江戸前と異なり大阪のすしは押しすしである。おいらも最近は食べたこともないし見たこともない。小鯛の押しずしやでんぶを使ったものなど数多いのである。こちらは生ものはなくすべて手が加わっている。酢でしめたりたいたりしてそれからすしに使うのである。今でも田舎に行けばその土地の食材を使った押し牛が存在する。我が家でも母親がイベントのある時は押しずしを作っていたものである。おいらが住まいする地区ではもはや押しずしを作る家庭もほとんどない。イベントのときは出前ですしを取ることになってしまっている。今ではいろんな食べ物がありすしでなくともよいわけである。すしは昔からイベントなどでしか食べられないごちそうであった。紺の血のように簡単に回転寿司に行ってというわけにはゆかず家庭で主婦が手作りするのが一般であった。江戸前のすしを食べようと思えばかなりの覚悟がいる食べ物である。値段はすべて時価と書かれどれだけ取られるか恐怖でもあった。サラリーマンがそ簡単に鮨屋の暖簾をくぐれるものではなかった。それぐらい高級な食べ物でもあった。いまや家族そろって回転ずしに行って腹いっぱい食べられる時代でもある。

テレビコマーシャル、キットカット!

2010-10-21 14:40:00 | Weblog
キットカットのコマーシャルを黒木メイサが行っています。このコマーシャルには黒木メイサと名前が出ています。このようなコマーシャルはあまり見たことがありません。画面の隅に小さく出る場合はありましたが、キットカットのような大きく名前が出ることはなかったと記憶しています。このコマーシャルて言うのはある意味革命的です。何度も放映されればキットカットが黒木メイサになります。黒木メイサを他の番組で見てもやはりキットカット思い出します。これは考えたと思いました。特においらなど芸能界に興味ないものでもあれだけ大きく名前が出ればテレビで黒木メイサを見かければキットカットになります。一種の洗脳なのでしょうか。それほど大げさなものではないにしても、思い出すことは事実です。かなり有名な芸能人がコマーシャルしていても誰であったか理解できずそのままです。芸能界に興味あるのは本当がごく一部かも知れません。おいらが中心的な考え方であると思っていませんが、仕事がそがしくてそのようなことにかまっていられないのが現実でしょう。それだけにイメージは刷り込まれる気がします。

我が家の家庭菜園

2010-10-20 13:02:27 | Weblog
我が家の家庭菜園も虫に食われながらがんばっています。そろそろ収穫できるものも出てきています。まずねぎ、ホウレンソウなど収穫時期を迎えています。白菜は来月下旬ごろに第一弾が収穫できるのではないでしょうか。白菜らしく巻きが入ってきています。大根は12月の末ごろになるのかも知れません。おいらがいう時期はあまりあてにならないようです。だいたいいつごろ収穫できるか近いせずに栽培しています。それなりの楽しんでいます。子供が来るころに白菜が収穫できるとよいと考えています。こちらの思いは野菜にはつたらないのがたまにきずです。今年の酷暑で野菜の端境期がずれ込み野菜の高騰を招いているようです。おいらには理解できな事柄ですがいずれにしても安くなればよいのでしょう。よく考えてみますと野菜はさほど値上がりしていないのではないでしょうか。ここ何年も値上がりした記憶はありません。野菜は工業製品と異なる取引方法で市場で値がつきます。重要と供給の関係で値段が決まるわけです。おおざっぱに感じるに、平均値とでもいうものを頭で考えてみますとあまり値段が上がっていません。ある意味物価の優等生でしょう。前記しましたが、重要と供給の関係でい肘的な値段変化はあります。それは仕方ないにしても農家がこれでやれるというのですからたいしたものです。工業製品を少し安くしなさいと言うと企業はやっていけないといいます。これもおかしな話です。少しは農家経営を見ならないさい。こう言っておくと消費者にとっては良い話が聞けます。ただデフレとやらで値段が下がると刑期が悪くなる。デフレスパイラルになるなどと恫喝されます。勝手といえば勝手な話ですがね。値段を高くしていくことは企業経営にとって安定感が出ています。利益面でも利益を出しやすい環境になることは事実です。そこに胡坐をかいてはこれからの企業経営はやっていけないのでしょうね。

いやなものを見てしまった。

2010-10-17 15:53:32 | Weblog
京は孫の拳法の試合であった。上の孫が2位、下の孫が優勝であった。この大会で反則負けが何度も出ている。確かに武道の試合には反則は起きやすい。しかし、反則負けは良くない。その一つが下の孫の試合であった。後味悪い試合である。結果的には彼は優勝したわけであるが、試合をしたかったと言っていた言葉に彼の勇気を見た気がする。子供の試合であるだけに周りが防御し反則を行わせないように工夫すべきであろう。反則は意図的と思えうものもある。意図的な反則であれば遺憾である。何をしてもよい時代はこのように作られていくのであろう。孫への反則よりもそれを防御できなかったことに腹が立つ。また意図的である搬送であればスポーツの崩壊であろう。

京都!

2010-10-12 07:51:04 | Weblog
父が亡くなり、翌年の春京都に行きました。観光を兼ねてお礼が言っていないところがありまいりました。西本願寺には行きましたが清水には行きませんでした。仮に言ってかも知れなくとも私は行かなかった。最近清水のイメージ悪いんです。これは私の中でのイメージです。説明がつかないからどうしようもありません。お礼に行ったわけで観光があまりできなかったことが残念です。今回の京都では西本願寺が印象的でした。ちょうど修復の最中で一部見学はできませんでした。逆に考えれば修復を行う機会はそうあるわけでなく幸運であったのでしょう。清水に行かなかったわけですからお参りもしてこなかったわけです。これが現実です。