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思川流域の城館巡り 小山市編 その3

2016年06月04日 | 栃木 城址

思川流域の城館巡り 小山市編 その2の続きです。

〇安房神社と掘割状遺構(栃木県小山市粟宮)
小山の城と城下を守備するのが祇園牛天王社とすれば、その外縁を守護するのが安房神社と日枝神社であろう。安房神社は、平安時代に編纂された『延喜式』にみえる古社である。小山氏の重臣としてみえる粟宮氏は、安房神社の社家をつとめてきた家柄と考えられ、喜沢日枝神社にも関係有していたようである。安房神社は小山市当主だけでなく、古河公方家からも崇敬されていたことが知られる(第66回企画展 戦国時代の小山 小山市博物館展示図録)

千駄塚古墳前の古道を1.2キロメートル程北上した場所に安房神社があります。
参道から神社西側を迂回しながら北上する古道があり、案内板に「鎌倉道」とありました(^_^)
この古道をテクテク歩いていると、右手に掘割状の遺構を発見!
遺構は神社裏手の参道付近まで交わるように伸びており、土塁を伴った2重の堀跡のようにも思える地形でした。
小山義政の乱の際、鎌倉府軍に属する烟田重幹軍忠状に「粟宮口で連日合戦」とあります。
日枝神社背後には現在土塁が有り、神社の北側からは「コ」の字状の堀などが発見(日光道西遺跡)されています。
安房神社にも城下を守る防御施設があったのでしょうか(?_?)
詳細は分かりませんがまったく情報がない中で偶然発見した遺構、嬉しいサプライズでした~

   


〇宮内の土塁(栃木県小山市粟宮)
粟宮宮内北遺跡内に「宮内1号土塁」「宮内2号土塁」があります。
祇園城下への出入口である四ヶ口(南口)の一部とされています(栃木県埋蔵文化財調査報告第336集 千駄塚浅間遺跡・粟宮宮内遺跡 栃木県教育委員会)

粟宮神社からの古道を北上し小山クリニックの西方に向うと現在分譲住宅地の裏手に宮内1号土塁がありました~
宮内2号土塁は藪の中で今回は探索を断念しました(._.)
土塁の年代は不明のようですが、同じ遺跡内からは側溝をともなった路面幅約8メートルの中世の古道(奥大道の本線と推定)が発見されています。
続く~

 

〇参考資料
・戦国時代の小山 小山市博物館展示図録
・「南北朝期の都市小山と城館群」小山氏の盛衰 松本一夫著 戎光祥出版
・「遺跡が語る中世の小山」下野小山氏 松本一夫著 戎光祥出版
・中世を道から読む 齋藤慎一 講談社現代新書
・角川日本地名大辞典 栃木県
・中世小山一族 パンフレット 小山市役所企画政策課歴史のまちづくり推進担当
・おやまわが街ガイドマップ web 埋蔵文化財情報


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
点から線へ (小頭@和平)
2016-06-05 12:04:01
こんにちは。

ブログ更新お疲れ様です。
いろいろと調べていて、点(事象)と点が結びついて一つの線(仮説)が浮かんできたときは嬉しいですね。

境内北側の二重堀も意外性がありましたね。
境堀などですと一重ですが、僅かに土塁も付随していたので想像が広がります^^
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線から面へ (みかづきぼり)
2016-06-05 13:09:08
小頭@和平さま

こんにちはー
あの二重堀、幅もありましたし粟宮氏の居館は何処だろうとか、頂いた資料とにらめっこしながらいろいろ妄想を膨らませています(^-^ ;)

関東地方も梅雨入りしましたね。
あと2回ほどで小山の在庫を放出する予定です。
毎度コメント頂きありがとうございます!
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