三日月堀のぶろぐ

お城・歴史の記事がメインのぶろぐです〈(_ _)〉

高坂館跡・高坂二番町遺跡見学会に行って来ました

2018年02月16日 | 現地説明会

先日埼玉県東松山市の「高坂館跡・高坂二番町遺跡」遺跡見学会に行って来ました。

★高坂館跡
高坂氏の居住した館であると云われています。
高済寺周辺の東西165メートル、南北225メートルの範囲に所在し、寺の西側に折れをもった堀と土塁が残っています。これまでの発掘調査から土塁・空堀とも数度にわたり改修されている事が分かりました。
館の年代は南北朝期以降(14世紀頃)と考えられていましたが、現在のような形状となったのは土塁や堀の規模から戦国期(15世紀末~16世紀末)と考えられるようになってきました。
記録には明応3年(1494)伊勢宗瑞(北条早雲)が明応の政変において「高坂在陣」、永禄4年(1461)北条氏康が「高坂に着陣」とあることから永禄松山合戦の際にも整備されたと考えられます。

〇出土した館跡の堀
今回の調査では東西方向に走る上幅約5メートル、深さ3メートルの薬研堀が出土しました。
周辺の調査結果と合わせるとこの堀が高済寺西側の堀と繋がっていたようです。
土塁・虎口の存在は確認出来なかったようですが、崖端をもう少し調査するそうです。



〇高済寺に残る土塁と空堀
高済寺西側を南北に通りながら残っていて、土塁は長さ100メートル・高さ約2~6メートル・幅約4メートルで空堀は幅約8メートル・深さ3メートルで巡り、今回検出された空堀と繋がっていたようです。
土塁の北端は物見台状に盛りあがっていますがこれは古墳を取り込んでいて、江戸時代に陣屋を構えた加賀爪氏の墓があります。




★高坂弐番町(二番町)遺跡
高坂館跡の南に隣接し、区画整備事業に伴う発掘調査により中世期の遺跡が発見されました。
これまでの調査で堀や井戸・掘立建物、遺物はかわらけや中世の陶磁器類が大量に出土している事から中世の館跡の存在が明らかになってきました。
遺物の年代から12世紀末~13世紀の遺構と考えられます。
※今回の調査は南北に長い2つの遺跡「高坂館跡・高坂二番町遺跡」があるのですが、南側の「高坂二番町遺跡」は昨年10月に調査を終えてすでに埋め戻されています。

〇館跡と推定される高坂子育て支援センター周辺の段丘
子育て支援センター北側辺りに館があったようです。
記録には高坂2番町遺跡に館があったという記載は残っていないとの事です。



〇溝(堀跡)から出土したかわらけと古銭
今回の調査では東西方向に走る溝が検出されています。
深さ1メートル前後、逆台形の堀で、下層からかわらけが出土していて12世紀後半から13世紀前半に機能した溝であると推定されます。高坂二番遺跡の館跡に関連する遺構である可能性があります。


高坂館跡に残る土塁や空堀は戦国期のものと推定されています。
また高坂弐番町(二番町)遺跡では12世紀末~13世紀の館跡の存在が分かってきました。
改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」では高坂弐番町(二番町)遺跡を14世紀前半に滅亡した高坂氏の居館の可能性を記しています。

※発掘調査の内容については今後の調査・研究で遺構の年代など変わる可能性があります。

〇参考資料
・遺跡見学会配布資料
・改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」 埼玉県立嵐山史跡の博物館

※H30年2月22日追記
東松山市のホームページから遺跡見学会配布資料のPDFがダウンロード出来ます。http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/soshiki/kyoikubu/bunkazai/kankobutsu/index.html


平成29年度滝の城の発掘調査現地説明会は中止になりました

2018年01月29日 | 現地説明会

2月3日に行われる予定だった埼玉県所沢市の滝の城の発掘調査の説明会、私も参加申し込みしたのですが先日降った雪の影響で今回は中止になりました(._.)

毎年参加していて今回もどんな新しい発見があるか楽しみにしていたので残念ですが、所沢市文化財保護課さまの御厚意で当日配布予定だった現地説明会の資料がPDFでダウンロード出来ます。

所沢市のホームページ ※2月8日追記 リンク先が変わりましたhttp://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/bunkakyoyo/bunkazai/kenshiteibunkazai/bunzai_20100126153048508.html

また以前の発掘調査(滝の城整備事業1~5次調査)については、所沢市埋蔵文化財調査センターが販売している「所沢市埋蔵文化財調査センター年報」で概要になりますが確認する事が出来ます。

所沢市のホームページ
http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/bunkakyoyo/bunkazai/kankoubutu.html

 


新井堀の内遺跡と伊奈氏屋敷跡の発掘調査説明会に行って来ました

2017年12月17日 | 現地説明会

※平成30年3月10日追記
埼玉県埋蔵文化財調査事業団の「ほるたまメール倶楽部」や産経新聞など一部報道資料によると昨年12月25日に新井堀の内遺跡から大甕に納められた埋蔵銭が見つかったそうです。銭を収めた甕の大きさ・埋蔵銭の量共に国内最大級と考えられるそうで、甕の中には墨で文字が書かれた木簡が納められていたそうです。

昨年の遺跡見学会が12月16日に行われたので、見学会の後に埋蔵銭が見つかったのかな(^_^;) 
3月14日から18日まで熊谷の埼玉県文化財収蔵施設にて埋蔵銭が特別公開されるそうです。http://www.saimaibun.or.jp/

 

昨日、新井堀の内遺跡見学会と伊奈氏屋敷跡の発掘調査現場説明会に行って来ました。
まずは新井堀の内遺跡から・・・

〇新井堀の内遺跡(馬場堀の内・黒浜堀の内・堀の内・野口氏館) 埼玉県蓮田市黒浜馬場
岩付城主太田資正の家臣野口多門の居館と伝わっています。
蓮田駅東口黒浜線道路建設に伴う発掘調査で、戦国時代の掘が2条と井戸跡などが見つかりました。堀の形状は2条ともV字形の薬研掘で南北方向に並列に掘られており、同じ時期に存在した二重堀だったようです。遺物はカワラケや陶磁器、そして応永十年(1403)の紀念銘が彫られた宝篋印塔の基礎などが見つかっています。堀にともなう土塁の存在について説明会担当の方に伺ったのですが、耕作地で攪乱されており土塁の痕跡を確認する事は出来なかったそうです(._.)

   


〇伊奈氏屋敷跡 埼玉県伊奈町小室
徳川家康の家臣で関東郡代伊奈氏の祖である伊奈熊蔵忠次が、天正19年(1591)小室の地に築いた陣屋跡です。今回の調査は2の丸跡と呼ばれる平場の地盤・堀・近年の土盛の関係を明らかにする為に試掘坑を設け確認しました。
まだ調査途中のようですが現在分かった事は
・平場を作る前も台地であった。
・平場中央並びに周囲の土盛りは土塁の積み方(版築)とは違うそうで近年のものである可能性が高い。
・また周囲は堀(または低地)になっている。
・1600年前後の陶磁器が出土していることからその時期に造成が行われたと考えられる。

 

現場説明会の後は伊奈氏屋敷跡の見学ツアーがあり、30分程かけて屋敷跡を見学しました。伊奈氏屋敷跡は私有地が多いのですが見学路が整備されていて空堀や土塁などの遺構を堪能出来ました(^^*)

   

両説明会では発掘調査の担当の方に色々なお話を伺う事が出来ました。特に伊奈氏屋敷跡では地味かもしれませんが小さい事の積み重ねが次に繋がる、今後に希望が持てるお話もありました。行政そして地域の住民のみなさんが一帯となって史跡保存にむけた取り組みを期待したいと思います<(_ _)>


滝の城の遺物

2017年02月08日 | 現地説明会

先日参加した滝の城跡第5次発掘調査現地説明会ですが、これまでの発掘調査でみつかった遺物も展示してありましたので、いくつか紹介したいと思います。


城山神社社殿の改築工事に先立って行われた発掘調査(第7次調査 平成2年度)で見つかった本郭四脚門の部材ですが、樹木の種類は不明です。




整備事業に伴う発掘調査(第2次 平成24年度)で見つかった鉄製の鋸(のこぎり)です。
二の郭の土塁裾、四隅にピットを伴う土坑から見つかりました。
大きさは30センチ×5センチほどで、鋸の刃も見て取れます。


〇滝の城では本郭四脚門跡・馬出し虎口の門跡・三の郭・整備事業に伴う第4次調査などでウズマキかわらけが見つかっています。
扇谷上杉氏の領域(南関東)でよく見つかるかわらけですが、扇谷上杉氏との関係については現在様々な研究があるようです(._.)

写真のぶろぐ掲載については、所沢市埋蔵文化財センターより許可を頂きました。
ありがとうございました <(_ _)>


滝の城跡第5次発掘調査現地説明会に行って来ました

2017年02月04日 | 現地説明会

埼玉県所沢市の滝の城跡第5次発掘調査現地説明会に行って来ました~

今回の調査場所は大型土塁1・2で、第4次調査で見つかった堀跡の延長が見つかり、堀底から障子掘の遺構が検出されましたw(°o°)w
遺構はT字状の畝で、高さ60センチ・傾斜角およそ60度、畝と畝の間は3メートル四方の平底との事です。
また大型土塁1と2の間は通路ではなく、スロープになっている、との事でした。
その他、大型土塁1・2は盛土して造成され、土塁上には遺構は検出されなかったようです。
遺物は今回の調査ではほとんど検出されなかったそうです。
今回見つかった掘は中堀へと続くので、中堀も障子掘の可能性があるそうです。
障子堀は調査後埋め戻されてしまいますが、今後の整備で復元してくれるかも・・・(^^ゞ

〇参考資料
・現地説明会配布資料

※滝の城跡整備事業に伴う発掘調査の概要(第1次~第4次)は「所沢市埋蔵文化財調査センター年報」で確認出来ます。