塩ノ山の東麓、塩川の左岸に位置し、屋敷の東側には青梅街道が通っています。付近には武田信春館跡や金山衆の一員であった古屋清左衛門屋敷があります。また屋敷の東隣には臨済宗向嶽寺派の昌寿院があります。
『甲斐国志』士庶部は「村田弥三」の項を立て、元亀二年の深沢城攻めに軍役衆として活躍し武田家朱印状を所蔵している旨を記しています。古くから金山衆関係者の一人と言われており、また村田昌継を願主とした千野の飛宮造立のための慶長年間の願文もあり、この頃村田氏がこの地域で勢力を張っていたことがわかります。
千野鳥居原のある村田氏の宅地内が比定されており、東西68メートル、南北38メートルのほぼ方形の形状をもちます。北側には土塁と用水がめぐり、土塁は幅約3メートル、高さ2メートル程度を測ります。屋敷の東北土塁状には五輪塔などが多少残ります。明治3年宅地内より吹金17粒が出土しています。
〇屋敷北側の土塁と水路
〇屋敷西側の石垣
石垣は当時のものではないと思うのですが、隙間なくビッシリと積まれていました(^_^;A
〇飛大(飛宮)神社
屋敷跡の南方にあり、永禄3年武田信玄より府中八幡勤番を命じられた社のひとつです。
〇屋敷跡付近から望む塩ノ山
写真手前には太陽光発電用のパネルがズラリ~並んでいました。
この日は曇り空でったのでどれくらい発電していたのかな・・・(^^;;)
屋敷跡を示す解説板・石柱などはなく、屋敷跡に沿ってぐるりと巡ってみたのですが、遺構と分かるものは北側にある土塁と水路くらいでした(^_^;)
飛大神社は前を素通りしてしまい参拝しなかったのですが、後で調べてみると武田信成が抜隊禅師を開山として向嶽寺を創建した際、境内の大木を仏殿の棟木として寄進したそうで武田氏とも深い関わりがある神社のようです。
〇参考資料
・塩山市史 通史編 上巻
・塩山市史 資料編 原始・古代・中世
・山梨市史 通史編 上巻
・図解山城探訪 山梨峡中・峡東地区資料編 宮坂武男著