三日月堀のぶろぐ

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~武田一族の伝承が残る時宗の道場~ 法蓮寺 (東京都八王子市川口町)

2016年02月14日 | 東京 社寺

先日いつもお世話になっている城逢人 のししんさんと、八王子の法蓮寺に行って来ました。
法蓮寺は河口山宝地院と号し、嘉元2年(1304)に時宗2世他阿真教により創建されたと伝えられています。本尊は阿弥陀如来で昭和55年(1980)の修理の際に発見された胎内名に、永徳2年(1382)6月晦日に河口はやとがこの仏像を修理し堂を寄進した、と記されていたそうです。応永年間(1394~1427)の川口氏11代兵庫助幸季が入道して与阿(時宗の法名)と名乗った等、この寺は歴代川口氏の信仰を集めたと同時に中世多摩地区の時宗の根拠地でもあったようです。


〇本堂北側墓地より川口氏館を望む
川口氏館は法蓮寺から南へ川口川を挟んだ調井台(ととのいだい)と呼ばれる台地上にあったようです。
写真で見ると本堂屋根の向こう側辺りが館跡でしょうか(^^;
現在館跡には石碑が建ってますが、遺構は無いそうです。今回館跡には立ち寄らなかったのですが、後から後悔しています(>_<)

〇法蓮寺と武田氏の伝承
法蓮寺には武田氏に関する伝承が残っています。

武田氏滅亡の際、仁科信盛の娘小督(玉田院)が叔母の松姫(信松院、武田信玄5女)に連れられて八王子に逃れてきました。小督はこの法蓮寺に住んでいた、ということです。横山に玉田寺を開き、慶長13年7月29日に死去し去年29、法蓮寺の位牌には「南無阿弥陀仏玉田寺生一房」「慶長13戊申年7月29日75才」とあるそうです。位牌の存在は後から調べていて知ったので、現在法蓮寺にあるのかどうか確認出来ませんでした (._.) 
墓石は現在大横町の極楽寺にあります。
※この伝承(新編武蔵風土記稿より引用)については、小督の年齢の相違や法蓮寺にいた時期など不明な点があります。

〇参考資料
・八王子市史 下巻
・歴史と浪漫の散歩道「改訂版」八王子市文化財ガイドブック
武田氏家臣団人名辞典 東京堂出版