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緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初夏の上野散策:東京国立博物館(通称「東博」)を散策する

2012年07月17日 18時42分46秒 | 台東・上野周辺


上野公園を象徴である「東京国立博物館」、通称「東博」。江戸時代のこの場所は三代徳川家光が造り上げた東叡山寛永寺の敷地が広がっていました。現在でも東博の本館の建物の裏側には寛永寺時代から続く日本庭園が広がっていて、紅葉の時期になると一般に公開されています。なぜ徳川の菩提寺の一つでしかなかった寛永寺跡地に、明治当時の国の威信をかけて投資して日本初の博物館が造られたのかに迫ってみます。




東博は上野公園の北端部、寛永寺に隣接した場所に敷地が広がっています。開園時間は午前9時から午後5時までで、午後4時半までに入場する必要があります。正面玄関脇にある受付で600円を支払って入場します。入口に常駐してる係員の方に入場券にスタンプを押印してもらって敷地内に入ることができます。




敷地の中央部に建っているのが「本館」です。東京国立博物館の前身たる帝室博物館が寛永寺に建てられたのは明治14年(1881)、赤レンガ造2階建ての建物でした。関東大震災によって倒壊後の昭和12年(1937)に建て直されました。設計は公募によって募集され、銀座4丁目の和光の建物などを設計した渡辺仁氏が担当しました。




正面玄関から見て右側に建っているのが「東洋館」です。谷口吉郎氏による設計で、この建物の歴史は意外と新しく1968年(昭和43年)に開館しました。中国、朝鮮半島をはじめ、東南アジア、インド、エジプトなどの美術品を展示しています。展示室は10室。2007年4月の独立行政法人化以降は「アジアギャラリー」の別称を付しています。




左側に見えるのは「表慶館」です。1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館しました。設計は宮廷建築家の片山東熊氏です。建物は重要文化財に指定されていて、石造及び煉瓦造2階建て、ネオ・バロック様式の建物です。イオニア風の柱と石の白壁が遠くからでも目立ちます。




1872年(明治5年)の3月、その前年に設置された文部省博物局により、日本最初の「博覧会」が湯島聖堂大成殿(現在の東京都文京区湯島)で開催されました。当時の広告や入場券には「文部省博物館」と明記されており、これが日本の「博物館」の始まりでした。東京国立博物館はこの年を創設の年としています。展示品は、翌1873年(明治6年)開催のウィーン万国博覧会への出品予定品が中心でした。




平日の昼過ぎ、特別展も開かれていない東博の敷地内は閑散としていました。1873年(明治6年)、「文部省博物館」は太政官正院の「博覧会事務局」(1872年設置)に併合され、場所も湯島から内山下町(現在の東京都千代田区内幸町)に移転します。この年は4月15日から3か月半に渡って博覧会が開かれました。2年後の1875年(明治8年)、「博覧会事務局」はふたたび「博物館」と改称され、内務省の管轄となりました。




本館と表慶館の間の散策道を歩いて平成館へ向かいます。1877年(明治10年)、上野の寛永寺本坊跡地(後に東京国立博物館の敷地となる)で第1回内国勧業博覧会が開催されました。これは当時の「富国強兵・殖産興業」の国策に沿って開催されたもので、この博覧会の展示館の1つである「美術館」は、日本で最初に「美術館」と称した建物として知られています。初代館長の町田久成は、「内山下町の博物館は手狭であり、火災等の危険も大きい」として博物館の上野公園への移転を陳情していたが、この年に太政官より上野移転の裁可を得ました。




1881年(明治14年)、上野公園の寛永寺本坊跡に煉瓦造2階建の本館が完成します。イギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏の設計で、この本館は、同年上野で開催された第2回内国勧業博覧会の展示館として使用された後、翌1882年(明治15年)3月から博物館の本館として使用されるようになりました。4年前の第1回内国勧業博覧会の際に建てられた「美術館」の建物も新博物館の「2号館」として活用されましたが、関東大震災で本館・2号館共に大破することになります。




1889年(明治22年)、「帝国博物館」と改称します。この時、京都と奈良にも帝国博物館が設置されています(開館は京都が1897年、奈良が1895年)。この頃から美術系博物館としての性格が強まります。1923年(大正12年)の関東大地震では、コンドル設計の本館のほか、当時存在した2号館、3号館が大破して使用不能となり、本館復興までの十数年間、陳列は表慶館のみで行われました。復興本館の建設は1932年に着工、1938年に開館しました。これが現存する東京国立博物館本館(重要文化財)です。




敷地内のやや奥まった場所にある現代的な建物は「平成館」です。皇太子徳仁親王(浩宮)の成婚を記念して1999年(平成11年)に開館。1階は考古資料展示室と企画展示室、大講堂などがあり、2階は特別展会場となっています。この平成館の建物は緑はちょうど3年前に訪れたことがあります。




2009年の3月31日から6月7日までここ平成館の特別展示室で開催されていた『興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」』です。当時は平日にも関わらず大混雑していましたが、ハイライトである「阿修羅像」を観ることができたので、その時の感激を今でも思い出します。関東地方に住んでいながら、奈良県の国宝を間近に観ることができる。やはり首都圏で生活しているというのはそれだけで「特権」なのかもしれませんね。




平成館を後にして本館の建物の前に戻ってきました。鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式は昭和初期の日本で流行った建物の造りで「帝冠様式」と呼ばれています。1930年代のナショナリズムの台頭を背景に、モダニズム建築に対抗して日本で発生した建築様式であり、現代的なビルに日本の伝統的な屋根を載せた非常に特徴的な意匠を持ちます。「軍服を着た建物」という異名をもつ建築物様式としても知られています。




当時の日本は関東大震災後の不況に伴い、大陸進出が叫ばれるなどナショナリズムが高まっていた時代でした。日本国内ではこの様式の建物は意外と少なく、新京の関東軍総司令部など、むしろ満州国などの外地に多く建てられたそうです。この本館をそばで見上げていてもその迫力が伝わってきます。




敷地内を出てJR上野駅へ向かいます。国立科学博物館と国立西洋美術館へ寄ってみたいと思います!!!




東京国立博物館の北側に現在の「寛永寺」の敷地があります。江戸時代は今よりも敷地が広かったですが、そのほとんどが現在は上野公園になっています。

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