時の旅人 ver.02

旅のこと、食のこと、そして我らがユーミンのことなどなど。日々思うことをつらつらと綴っていきます。

くしゃみ連発

2011-03-31 15:11:17 | つれづれなるままに
花粉症です。

前の職場、目の前が素敵な杉林でして、まんまと発症しました。

それから毎年ひどいです。
飲み薬は眠くなるんで飲みたくない。鼻シューで何とかしのいで。これも喉痛くなるんですが、鼻がスーッと通る快感には代えられません。

こうしてブログ書いてる今も鼻をすすって、目がしょぼついてます。
ひどい顔をしてるに違いない。ひどい顔してアイスココア飲んでます。
喫煙コーナーにいるから尚更だ。一刻も早くここを出よう。


明日から新年度。
新しい職場に着任します。
あの恐ろしい杉林のある職場へ。

笑い種

2011-03-29 22:32:31 | つれづれなるままに
さっきも震度4の余震がありました。
頻度は少なくなったような気がしますが、まだまだ油断できませんね。

僕はもともと地震に敏感なほうなんで、ちょっとの揺れでも反応してました。
まだ震災から間もない頃、夜中に余震が起きて、寝てる親の顔を蹴飛ばして玄関まで逃げ、後で笑い種にされました。
「親を置いて自分だけ逃げるのか~」と。
親どうのこうのって云うより、とにかくビビりなんですよ。

ただ、これほどまでに余震が多いと慣れてしまいます。揺れててもジッとしてることができるようになりました。

これって危険ですよねぇ。

気持ちの歯車

2011-03-28 16:30:33 | つれづれなるままに
仙石線が一部だけど復活しました。
スーパーも並ばずに一通りの買い物ができるようになりました。
たまに行くバーも通常営業に戻り、また美味しいお酒を提供してくれるようになりました。

そして僕は4月1日付で異動となり、残務整理と引き継ぎを終え、一段落。明日は事務手続きのため新任地に行きます。

いつもの年度末のバタバタした動きと、まだ日常に戻ってない生活とが同居してて、体感したことない落ち着かなさ。いづい。


昨夜はテレビで久々に歌番組を見ました。
普段の歌番組は半ば歌い手の自己満足のようですが、昨日のはしっかり伝わってきました。こちらの心のチャンネルと合っていたからこそです。
自分的には杏里の存在感と、JUJUの「やさしさで溢れるように」の歌唱に感動。
いっときでも気持ちの歯車が動いたような気がします。


きっとこういうことを繰り返して、少しずつ前に進んでいくのでしょう。

がんばろう!宮城

2011-03-26 11:18:33 | つれづれなるままに
震災後、初めて仙台の街に出ました。
JRは動いてないので、近所からバスで。

街は一見何事もなかったように存在してますが、店の開きは3割ぐらいでしょうか。

なのに、人の声はいつも以上です。活気があります。
そしてあちこちに「がんばろう!宮城」。


久しぶりに行ったカレー屋「プティフ」でも「がんばろうカレー」なるメニューでした。
オーナーさんは「ガスが来てないのでいつものカレーとも違うし、これもいつまで出せるか分からない。けど、やれることをやれる限りやっていくしかないしね。とにかく頑張りましょう!」と笑顔で話してくれました。

行きつけの店がやっていたことにホッとし、笑顔に元気が出ました。


物が少ない今、人の気持ちとパワーが試される時ですね。

遡って3月14日

2011-03-24 21:25:55 | つれづれなるままに
相変わらず電気も水道も電話も復旧せず、唯一のライフラインはプロパンガスだけ。

水はご近所の井戸水を汲ませていただき、
暖は石油ストーブ、
ご飯は土鍋で炊きました。

こういう時のご近所の結束は凄いです。
モノだけではなく、いろんな助け合いがなされました。

土鍋ご飯の美味いこと。
この日から20日に電気が通るまでオコゲつきのご飯。忘れられない味です。

貴重な水。洗い水も無駄にはできません。洗い物を減らすために、食器にはラップを。こんな工夫は母ならではです。

ライフラインが整っていないことで不自由はあるけれど、節約したり工夫する大切さを身をもって感じ、徐々にそれが当たり前になってきたのは楽しかったです。


さて、この日は嬉しいことが3つありました。
一つは、叔母が無事に帰ってきたこと。
二つめは、後輩のお母さんの無事が分かったこと。
そして、友達の元気な顔を見れたこと。


叔母の武勇伝は凄いです。まさにサバイバル。

叔母は雄勝に仕事に行ってました。雄勝と云えば津波被害の凄まじかった地区の一つ。
地震直後、仲間と一緒に職場の裏山に登り、町が津波にのまれていく様を見ていたそうです。
夜は20人ほどで焚き火をし、津波で流れてきた鍋と魚と味噌を拾って味噌汁を作ったり。
翌朝山を下りて瓦礫の上を歩き、中学校の体育館が流されたことや小学校の屋上に観光バスが乗っかってる様子を見て、何とも言えずショックだったと話していました。


きっと、生死をさ迷うこんな経験をした人はたくさんいるんだと思います。
この時点では新聞の写真でしか惨状を見ることができませんでしたが、すごい事態になってることにショックでした。仙台市街地にいると何もなかったような錯覚に陥りますが…。

最前線をもう一度目に焼き付けなきゃ。