実は先日、おじさんが亡くなりました それは、女性会の旅行から帰って来た翌朝のこと
8月頃からかな口からモノが食べられなくなって、従兄(おじさんの息子)いわく「ジリ貧だね」少し前から意識も無くなってしまい2週間ほど前にお見舞いに行った父は「手を握っても、握り返さなくなっちゃった。」先週あたりからはもう、かなり厳しい状態だったようですが・・・今思えば、私をせいせい旅行に行かせてくれたのかなぁとそんなふうに思ってしまいます。実は、おじさんにあげたかったおみやげがあって昨日、お悔やみに行った時、おばさんに渡してきました。それを目で見て、少しでも元気になってもらえたら・・・と思ったのですが間に合いませんでした残念です。
当時の大蔵省造幣局に勤めていたおじさんは真面目で、堅い感じで、あんまり話をしないので親戚衆の中でも、話し掛ける人も少なかったみたいなんだけどなぜか私には、笑顔で話しかけてくれて・・・業種が近かったせいか、私もとても親近感があったので、おじさんとはホントにた~くさん話をしました目をつぶって思い浮かぶのは、笑顔で話をしたイメージしかありません今は亡き、従姉のゆみちゃん(おじさんの娘)が切り盛りしていた長野の太陽館でエプロンしてお料理を運んでくれましたお料理の品数ドッサリの民宿で、いつも食べきれるギリギリのボリューム馬刺しのおいしさは、ここで教えてもらいましたお皿を置く位置とかにもゆみちゃんが拘ってたのでおじさんは、置く場所にも気遣いを見せていましたゆみちゃんに見張られてたカモあと、食器洗いに拭き上げ片付けやお掃除なんかもやってたと思います堅い職場で働いてた、真面目で寡黙なおじさんが笑顔で話をしながら食事を出してくれる、その姿がとても印象的でした
ゆみちゃんが亡くなる、たしかその前の年に脳梗塞で右半身が不自由になり、車いすの生活を強いられ・・・それでも懸命のリハビリの成果利き腕の反対・左手で自分でご飯が食べられるようになり言葉は出ないけど、みんなが話していることは分かるし頷(うなず)くし、新聞にも目を通していました左手で自分の名前も書けるようになりましたまた、おじさんが使っていた防災ベッドのことでNHKから取材を受けテレビで放映されたのも、今年に入ってからのこと(たぶん)。私が国体に行く直前に病院が変わることになり、心配していましたが・・・国体が終わってからすぐにおじさんのお見舞いにそしたら、おじさんすごく元気で今までとまったく変わりないじゃん口から食べられないのは、かなり厳しいはずだけど涙流して、声を出して喜んでいたのがつい最近のこと。なんだか最近のことがいろいろありすぎて亡くなったことが受け入れられない状態ですが今日、お通夜です
太陽館で撮った写真があったなぁと、おととい引き出しから押し入れの奥まで探したんだけど出てきた写真に、おじさんは写っていませんでした写真はきっと、おじさんが撮ってくれたんだと思います口数は少ないけど、そういうさりげない気配りができるおじさん。晩年は不自由なことも多かったと思いますが・・・先に逝ったゆみちゃんと天国で再会して、たのしくおしゃべり・・・おしゃべりはやっぱしてないカモ天国の太陽館で、ゆみちゃんにあーだこーだ言われながら、お料理出してるかも
おじさん、いままでありがとう
おじさんのご冥福を、心からお祈りしています
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