定年後、定着した60代の自由を謳歌!

 定年を迎え60歳代に入る。第2の人生として輝ける10年を大いに楽しんでいる。 M爺

シルクロード雑学大学自転車走行練習

2011-05-18 10:35:08 | シルクロード
 2011.5.14-15で「シルクロード雑学大学19次遠征隊」のメンバーを含む13名で自転車走行練習を行ってきました。大月ー八ヶ岳往復の山岳コースでした。新緑がまぶしいすがすがしい季節の中、笹子峠をめざしました。

   スタート前

  スタート直後.mov


 「笹一」の酒蔵で最初の休憩 11Km地点
笹一の休憩地点.mov

   大太鼓の展示

 いよいよ往路の「笹子峠」の入り口にさしかかりました。ここから6Kmの登りでした。落石が多い中ゆっくりと登り始め、無事全員登坂できました。サポートカーは落石や倒木を拾って捨てながらゆっくり進みました。峠をクリアーしたあとの下りは快適そのものでした。

   笹子の下り.mov

 全員が86Kmぐらいの行程を無事走行して、先ずは温泉へと向かいました。ゆったりと温泉につかったあと「水洋山荘」へ移動して焼肉パーティとなり至福の時を迎えました。

  翌朝水洋山荘にて

   近所のケンさん宅の前で


 翌日は風光明媚な南アルプス、八ヶ岳、富士山を見ながらの快適なダウンヒルでした。 
   南アルプス

  復路は「石和温泉」経由、笛吹川添いののどかな風景を見ながらの快適なライドでした。  いよいよ笹子峠に向かっての登りが始まります。

笹子峠まで10Km地点

 復路の笹子峠

 1泊2日の八ヶ岳ロングライドも大月駅でゴールとなりました。お疲れ様でした。この日は「なるしまフレンド」のチームが100名ほど同じ甲州街道に繰り出していましたので峠の登りは自転車でごった返していました。メンバーのみなさんも大いに刺激されたのではないでしょうか。峠のライドをまだまだ多くアタックして行きたいものです。
                             以上



 

沖縄の世界遺産、アメリカ軍基地および離島の海

2011-05-04 22:39:58 | 旅行
 2011.4.22-4.27と沖縄旅行をしてきた。久しぶりでの夫婦の旅であった。「沖縄」と聞くとどうしても歴史の中の1ページを思い出さざるを得ない。つまり太平洋戦争の最後の激戦を行った所であるという事実である。今回はそんな沖縄の悲劇と世界遺産の鑑賞および美しい海を見てくる旅にした。

 沖縄の世界遺産は9つのスポットを1つにまとめて世界遺産としている。

    沖縄世界遺産
  

 
   座喜味城跡(読谷村)1420年代に有力な按司(あんじ)であった護佐丸が築城
   
   座喜味城にある沖縄最古といわれるアーチ型の石門
石門の前
 

 世界遺産の一つ「識名園」。1799年に造営された王家の別邸の庭園である。
   識名園.MOV   

1945年の4月アメリカの沖縄本土上陸を最初に防衛した場所。嘉数の高台にあるトーチカである。「トーチカ」とは鉄筋コンクリート製の防御陣地である。この中で待機しながらアメリカ軍を迎え撃ち日本を守っていた人達がいたということでる。沖縄の悲惨な戦争を象徴するような遺構であった。
   トーチカ
   記念碑
  

普天間基地の遠望。周りは街で囲まれている。

   普天間
   

 初日に泊まった読谷村にある高級ホテルから見たビーチ

   日光アリビラホテルからの写真  


 ここから北東35Kmのところに名護市辺野古がある。辺野古といえば普天間基地を辺野古へ移すという自民党政権時の約束を、民主党が大言壮語して「少なくとも県外」とした曰く付きの場所である。辺野古地区はいろいろ聞くに及んで代替基地としての要素を充分に含んでいる事が分かった。つまり現有の普天間基地をそっくり移転しても余りあり、近くにある弾薬庫にも直結する。さらには海浜であるゆえ桟橋を設ければ戦艦も停泊できることになる。勿論基地が全てなくなるのが一番良いわけであるが、アメリカが極東の重要基地沖縄を手放す訳がない。そんな事も判断できない政治の甘さをつくづく感じさせられた。

  基地と世界遺産の後は本島の離島、渡嘉敷島を訪れた。高速艇で35分で行ける小さな島である。さんご礁が多く水も澄んでいる美しい海である。おなじみの「クマノミ」が愛嬌を振りまいて楽しましてくれた。

   クマノミ
   

「海がめ」もいて一緒に泳いだり、草をついばむところをじっくりと観察できた。
    海がめ
   

沖縄。この魅力にあふれた悲劇の島。日本に返還されたのはつい最近1972年の事である。嘉手納基地の騒音をじかに聞いてきたがF16戦闘機のタッチ・アンド・ゴーの爆音は耳をふさがなくてはならないくらいであった。そんな日常茶飯がここ沖縄の現実である。日本の面積の0.6%の土地に75%の軍用地がある沖縄。もう一度われわれ県外の人も見つめなおす必要があると思う。

 これは「安保が見える丘」と呼ばれている場所である。嘉手納基地の全貌を見渡せる位置にある。     
   安保が見える丘(小学生が先生のお話を聞いていた)
   

  沖縄の複雑で悲惨な歴史に触れたが、海の美しさに見せられながら一路東京へ帰ってきた。
             
                  以上