2011.4.22-4.27と沖縄旅行をしてきた。久しぶりでの夫婦の旅であった。「沖縄」と聞くとどうしても歴史の中の1ページを思い出さざるを得ない。つまり太平洋戦争の最後の激戦を行った所であるという事実である。今回はそんな沖縄の悲劇と世界遺産の鑑賞および美しい海を見てくる旅にした。
沖縄の世界遺産は9つのスポットを1つにまとめて世界遺産としている。
沖縄世界遺産
座喜味城跡(読谷村)1420年代に有力な按司(あんじ)であった護佐丸が築城
座喜味城にある沖縄最古といわれるアーチ型の石門
石門の前
世界遺産の一つ「識名園」。1799年に造営された王家の別邸の庭園である。
識名園.MOV
1945年の4月アメリカの沖縄本土上陸を最初に防衛した場所。嘉数の高台にあるトーチカである。「トーチカ」とは鉄筋コンクリート製の防御陣地である。この中で待機しながらアメリカ軍を迎え撃ち日本を守っていた人達がいたということでる。沖縄の悲惨な戦争を象徴するような遺構であった。
トーチカ
記念碑
普天間基地の遠望。周りは街で囲まれている。
普天間
初日に泊まった読谷村にある高級ホテルから見たビーチ
日光アリビラホテルからの写真
ここから北東35Kmのところに名護市辺野古がある。辺野古といえば普天間基地を辺野古へ移すという自民党政権時の約束を、民主党が大言壮語して「少なくとも県外」とした曰く付きの場所である。辺野古地区はいろいろ聞くに及んで代替基地としての要素を充分に含んでいる事が分かった。つまり現有の普天間基地をそっくり移転しても余りあり、近くにある弾薬庫にも直結する。さらには海浜であるゆえ桟橋を設ければ戦艦も停泊できることになる。勿論基地が全てなくなるのが一番良いわけであるが、アメリカが極東の重要基地沖縄を手放す訳がない。そんな事も判断できない政治の甘さをつくづく感じさせられた。
基地と世界遺産の後は本島の離島、渡嘉敷島を訪れた。高速艇で35分で行ける小さな島である。さんご礁が多く水も澄んでいる美しい海である。おなじみの「クマノミ」が愛嬌を振りまいて楽しましてくれた。
クマノミ
「海がめ」もいて一緒に泳いだり、草をついばむところをじっくりと観察できた。
海がめ
沖縄。この魅力にあふれた悲劇の島。日本に返還されたのはつい最近1972年の事である。嘉手納基地の騒音をじかに聞いてきたがF16戦闘機のタッチ・アンド・ゴーの爆音は耳をふさがなくてはならないくらいであった。そんな日常茶飯がここ沖縄の現実である。日本の面積の0.6%の土地に75%の軍用地がある沖縄。もう一度われわれ県外の人も見つめなおす必要があると思う。
これは「安保が見える丘」と呼ばれている場所である。嘉手納基地の全貌を見渡せる位置にある。
安保が見える丘(小学生が先生のお話を聞いていた)
沖縄の複雑で悲惨な歴史に触れたが、海の美しさに見せられながら一路東京へ帰ってきた。
以上
沖縄の世界遺産は9つのスポットを1つにまとめて世界遺産としている。
沖縄世界遺産
座喜味城跡(読谷村)1420年代に有力な按司(あんじ)であった護佐丸が築城
座喜味城にある沖縄最古といわれるアーチ型の石門
石門の前
世界遺産の一つ「識名園」。1799年に造営された王家の別邸の庭園である。
識名園.MOV
1945年の4月アメリカの沖縄本土上陸を最初に防衛した場所。嘉数の高台にあるトーチカである。「トーチカ」とは鉄筋コンクリート製の防御陣地である。この中で待機しながらアメリカ軍を迎え撃ち日本を守っていた人達がいたということでる。沖縄の悲惨な戦争を象徴するような遺構であった。
トーチカ
記念碑
普天間基地の遠望。周りは街で囲まれている。
普天間
初日に泊まった読谷村にある高級ホテルから見たビーチ
日光アリビラホテルからの写真
ここから北東35Kmのところに名護市辺野古がある。辺野古といえば普天間基地を辺野古へ移すという自民党政権時の約束を、民主党が大言壮語して「少なくとも県外」とした曰く付きの場所である。辺野古地区はいろいろ聞くに及んで代替基地としての要素を充分に含んでいる事が分かった。つまり現有の普天間基地をそっくり移転しても余りあり、近くにある弾薬庫にも直結する。さらには海浜であるゆえ桟橋を設ければ戦艦も停泊できることになる。勿論基地が全てなくなるのが一番良いわけであるが、アメリカが極東の重要基地沖縄を手放す訳がない。そんな事も判断できない政治の甘さをつくづく感じさせられた。
基地と世界遺産の後は本島の離島、渡嘉敷島を訪れた。高速艇で35分で行ける小さな島である。さんご礁が多く水も澄んでいる美しい海である。おなじみの「クマノミ」が愛嬌を振りまいて楽しましてくれた。
クマノミ
「海がめ」もいて一緒に泳いだり、草をついばむところをじっくりと観察できた。
海がめ
沖縄。この魅力にあふれた悲劇の島。日本に返還されたのはつい最近1972年の事である。嘉手納基地の騒音をじかに聞いてきたがF16戦闘機のタッチ・アンド・ゴーの爆音は耳をふさがなくてはならないくらいであった。そんな日常茶飯がここ沖縄の現実である。日本の面積の0.6%の土地に75%の軍用地がある沖縄。もう一度われわれ県外の人も見つめなおす必要があると思う。
これは「安保が見える丘」と呼ばれている場所である。嘉手納基地の全貌を見渡せる位置にある。
安保が見える丘(小学生が先生のお話を聞いていた)
沖縄の複雑で悲惨な歴史に触れたが、海の美しさに見せられながら一路東京へ帰ってきた。
以上
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