2010.6.2-6.19でブルガリア、セルビアを自転車で走ってきました。シルクロードを自転車で20年かけて走るという計画の18年目にあたる今回、19名のメンバーが参加しました。私は参加3回目となり、いよいよヨーロッパへと来ました。前回の2回はイラン、トルコでした。砂漠あり、山岳有り黒海沿岸ありと変化に富んだコースでした。そして今回は?
全員集合
今回はとうもろこし畑とか、バラ栽培の畑や豆類の畑などカントリーロードの多い地域を走ってきました。ブルガリアは人口約750万人で日本の1/3の広さです。かつてはバルカン半島を占領していた大ブルガリア帝国でしたがオスマン帝国に支配され、その後ロシアの支配下となり1909年に現在のブルガリア王国として独立しました。
ブルガリア、セルビアの地図.
ブルガリアとトルコの国境からスタートし、ソフィアを経由してセルビアに入りベオグラードが終着点の自転車の旅でした。途中ブルガリアのリラでは世界遺産の修道院を見学しました。
リラ修道院 ブルガリア正教最大の修道院
自転車での最初の宿泊地Haskovo(ハスコヴォ)への登り
Haskovo.mov
Velingrad(ヴェニングラード)近くの湖のパノラマ。別荘が多くあるリゾート地帯
Velingrad.mov
19名の集団走行
集団走行1
干草を載せた馬車を見つけた
干草を載せた馬車
ブルガリアではあちらこちらでコウノトリの巣を確認しました。それでもむかしに比べたらコウノトリの棲息数はずいぶん減ったというガイドの話でした。
コウノトリの巣
いよいよ国境越えとなる
ブルガリアからセルビアへはパスポートの提示だけで比較的簡単に国境を越えることができました。セルビアは人口約1,000万人弱で日本の1/4で北海道ぐらいの国土です。2006年にモンテネグロの分離独立を機に独立しました。ブルガリアからバトンタッチされた新しいガイドとバスの運転手に誘導さ新境地をさっそうと走り出しました。ランチはピクニック風です。
ピクニックランチ
川を渡るのに、鉄道の鉄橋を道路が共用するという珍しいものに出会いました。つまり列車が渡った後に遮断機が上がり一般の車や人が通るというものです。勿論路面は鉄道と同じ高さになっていますが線路と道との隙間がびっくりするほど開いています。間違って車輪を入れると嵌ってしまい落車は免れません。
鉄道と道路兼用の鉄橋
いよいよベオグラードへ向けてのドナウ川の横断です。
ドナウ川横断
ベオグラード到着後翌日市内観光を楽しみました。ベオグラード大学東洋学部日本語学科の生徒との交流は非常に充実したものになりました。我々が日本から持ってきた日本語の書物106冊を寄贈し、たいへん喜ばれました。
ベオグラードのドナウ川
ベオグラード大学のみなさんと記念写真
最後にこの遠征で初めてヨーロッパに入りましたが、ブルガリアにしてもセルビアにしても農家の生活は決して豊かではないにもかかわらず、昼間からテラスで談笑している人達の姿が目に付きました。働いていない青年もいました。
都市部は活気はあるものの、失業者の数も多いので人々の明るさは今ひとつといった感じでした。しかし公園の美しさは日本と同じで広いスペースをゆったりと使っていました。道行く人の服装は解放的ではありました。ただし、セルビアはコソボ自治区を初めベオグラードの街もNATOの空爆にあい、決して癒されているとはいえない雰囲気でした。民族紛争のない日本のありがたさを実感した次第です。 以上
全員集合
今回はとうもろこし畑とか、バラ栽培の畑や豆類の畑などカントリーロードの多い地域を走ってきました。ブルガリアは人口約750万人で日本の1/3の広さです。かつてはバルカン半島を占領していた大ブルガリア帝国でしたがオスマン帝国に支配され、その後ロシアの支配下となり1909年に現在のブルガリア王国として独立しました。
ブルガリア、セルビアの地図.
ブルガリアとトルコの国境からスタートし、ソフィアを経由してセルビアに入りベオグラードが終着点の自転車の旅でした。途中ブルガリアのリラでは世界遺産の修道院を見学しました。
リラ修道院 ブルガリア正教最大の修道院
自転車での最初の宿泊地Haskovo(ハスコヴォ)への登り
Haskovo.mov
Velingrad(ヴェニングラード)近くの湖のパノラマ。別荘が多くあるリゾート地帯
Velingrad.mov
19名の集団走行
集団走行1
干草を載せた馬車を見つけた
干草を載せた馬車
ブルガリアではあちらこちらでコウノトリの巣を確認しました。それでもむかしに比べたらコウノトリの棲息数はずいぶん減ったというガイドの話でした。
コウノトリの巣
いよいよ国境越えとなる
ブルガリアからセルビアへはパスポートの提示だけで比較的簡単に国境を越えることができました。セルビアは人口約1,000万人弱で日本の1/4で北海道ぐらいの国土です。2006年にモンテネグロの分離独立を機に独立しました。ブルガリアからバトンタッチされた新しいガイドとバスの運転手に誘導さ新境地をさっそうと走り出しました。ランチはピクニック風です。
ピクニックランチ
川を渡るのに、鉄道の鉄橋を道路が共用するという珍しいものに出会いました。つまり列車が渡った後に遮断機が上がり一般の車や人が通るというものです。勿論路面は鉄道と同じ高さになっていますが線路と道との隙間がびっくりするほど開いています。間違って車輪を入れると嵌ってしまい落車は免れません。
鉄道と道路兼用の鉄橋
いよいよベオグラードへ向けてのドナウ川の横断です。
ドナウ川横断
ベオグラード到着後翌日市内観光を楽しみました。ベオグラード大学東洋学部日本語学科の生徒との交流は非常に充実したものになりました。我々が日本から持ってきた日本語の書物106冊を寄贈し、たいへん喜ばれました。
ベオグラードのドナウ川
ベオグラード大学のみなさんと記念写真
最後にこの遠征で初めてヨーロッパに入りましたが、ブルガリアにしてもセルビアにしても農家の生活は決して豊かではないにもかかわらず、昼間からテラスで談笑している人達の姿が目に付きました。働いていない青年もいました。
都市部は活気はあるものの、失業者の数も多いので人々の明るさは今ひとつといった感じでした。しかし公園の美しさは日本と同じで広いスペースをゆったりと使っていました。道行く人の服装は解放的ではありました。ただし、セルビアはコソボ自治区を初めベオグラードの街もNATOの空爆にあい、決して癒されているとはいえない雰囲気でした。民族紛争のない日本のありがたさを実感した次第です。 以上