昨夕、美山を拠点にして京都新聞社の記者として活躍された井上年央さんの送別会が京都府立ゼミナールハウスで開催されました。6年前から美山へ単身赴任され美山・京北をフィールドに取材・発信されてこられましたが1月で退職されたので、京北の人達で送別の夕べを持とうという催しでした。美山でも同様に送別会があったそうです。
今までは知らなかったのですが、井上さんは京都新聞社でスポーツ関係で活躍されたそうで、退職後も様々な活躍をされています。「京都スポーツあらかると」でいろいろ発信もされています。そこに簡単なプロフィールも載っています。
井上さんは実によく取材された。私が担当する職場の西の鯖街道講座も取材して頂いたのですが、近くならオートバイに乗り、また少し距離があれば格好いい車で街道歩きを追いかけて頂いた姿を思い出します。京都新聞は平成の合併後は京北のニュースは市民版に、美山は丹波版に載る様になったのですが、この市民版に載る記事について、当日出席されていた右京区長の藤田裕之さんが挨拶の中で、右京区に関する記事では京北の情報が多く、それ以外の合併前の右京区の記事より多かったのではないかしらとの感想を述べておられたほどです。
送別会ではあったが、この機会に井上さんの経験から見た京北について話をして貰おうと事務局を務めた我が職場の理事長がお願いし20分程お話し頂きました。私は勤務中でしたが会場に入ってその2/3程を聞くことが出来ました。キーワードは「京北は広い」。市街地から1時間も走れば空気も水も美味いこの広~い自然の里という立地を活かすべき、という事と理解しました。
会場を移しての宴会場で私は接待業務で忙しかったのですが、その狭間に列席された今の京北をリードされているお歴々と少しだけ話する機会に恵まれました。右京区長の藤田裕之さんから声を掛けていただいた時はびっくりしました。というのはお互いに面識はなかったのですがSNSでの交流があり声を掛けて頂きました。藤田さんはよく現場に足を運んで居らるし、なかなかの企画マンとの印象です。栗尾トンネル開通のあかつきにはこうしようとかいろいろ考えておられます、そのアイディアは今は秘密としましょう。私の答は、京北で進められている「花ふるさと京北」を象徴する様に、トンネルを出ると花一杯だった、との雰囲気を作りだせたらと答えました。藤田さんは京都市右京区役所のページに、「藤田区長の部屋」というのをつくっていろいろ発信されています。素晴らしいですね。
地元から新聞記者がいなくなる、ということはどうしても地元の情報がマスメディアに発信される機会が少なくなるということでしょう。ある知り合いは、情報発信の過疎化を心配していてくれます。インターネット時代とはいえ、新聞などのマスメディアの存在力はまだまだ絶大です、特に年配者においては、それとご当地の様なブロードバンド過疎地ではそれが顕著だと思います。これを嘆いていても仕方が無い、自ら様々な情報発信をするしきゃない、というきっかけになればいいのですが、果たして情報発信の重大性を認識されている人はどれだけおられることでしょう。
この送別会に出席された京北の文化財を守る会会長の石井さんをお迎えに上がったのですが、車中いろいろ面白い話を聞かせて貰えました。美山と京北は文化的に違いますねと持ちかけたときに、同じ京北でも弓削と山国でも違うよと、苗字などを挙げて若狭からと京都からの影響などについて話して頂いたのが心に残りました。4人の方々をお迎えに京北の南方面を走ったのですが、皆さんのそれぞれの活動について話し出すと、そのまま車を何処かへ走らせながら色々聞きたい気持ちにさせられてしまいます。
話は急転、9・10日は、京都駅構内の「駅ナカ」に西の鯖街道の店が出店します。9日は私も売り込みに参加します。京都駅の地下鉄改札口の近くです。ぜひお越し下さいませ。こんな時刻に書いて何人の人に読んで貰えるのか分かってるんか(*_*)まあ、1%でも可能性があれば挑戦しないとね。
Amazonに注文した、「鰤のきた道」ー越中・飛騨・信州へと続く道、が昨日届いた。ぱらぱらとめくったが、これは良さそう、面白そう、楽しみ。野麦峠越えのところに、ボッカのベテラン権太さんでも遭難死したゴンタ沢という記事もある。昔の苦労やそこから生まれた知恵、これを読み始めたら早朝からの仕事に影響が出そうなので早く寝ないと。今宵はこれまでにしとうございます。
文化や風俗の違いは幾らかはあっても、共通点は遥かに多い筈ですし、人々の交流もどの地域よりも強くある、と思います。
今更、何を申しても始まりませんが、双方の地元の人達は、今ではどの様に考えておられるのでしょうか。
地理的に移動する訳ではありませんが、行政区が異なるのは最大の問題点に思えます。
ただ、そうした現実を踏まえて、京北町の将来を真剣に考えて居られる方々も多く存在するとの由、何よりと力強く感じます。
一つだけ、私の疑念があります。京北町と美山町には共通の郷土誌「北桑時報」が存在しています。大正時代から連綿と続く、日本有数の歴史の長い郷土誌です。
ただ、両地区が分裂してからは購読者も減り続け、かつては年3回発行が今は2回になって、細々と発刊されている状況です。
こんな歴史と伝統のある有数の地元の情報(啓発)誌が、何故もっと注目され活用されないのか、と離れた所に居る私には不思議でなりません。mfujinoさん自身も余りご関心が無い、と失礼ながらお見受けしております。
この機会に、皆さんで真剣に取り上げて見られては如何ですか。幾らでも活用の方法はありますし、読者を増やし発行回数を増やせば、地元の貴重な財産として光り輝くものと、私は確信しておりますが。
井上記者や右京区長さんのことなどは、全く知りませんでした。井上さんが京北や美山のことについて様々な発信をされるのは、寧ろこれからこそ、期待していいのではないでしょうか。記者時代に収拾したいろいろな話を是非ともまとめていただきたいと思います。右京区長なども普段から「お役人」とレッテルを貼ってしまっているので、認識を新たにしました。
おー、ついにブリ街道にも進出。越中から飛騨、信濃への道、中途半端なものではありませんね。厳冬期に活動していたとしたら、途中で命を落とす人も多かったでしょうね。駅ナカ、行きたいなあ。
京北と美山は北桑田郡という共同体で一緒に明治から生きてきました。平成の合併の後は京都市と南丹市という行政区に分かれました。これは住民の真意がどうだったのかは分かりませんし、それが良かったのかのかはまだ判断できません。ただ私はこの事にあまり拘っていません。というのは少なくとも京北の人が京北町として、また美山町として行政区として生きていかないと判断された結果です。これはあくまで行政区としてどうなったかであり、本当に文化的に繋がりがあるのであれば行政区とは関係無しに一緒に生活していけるでしょう。例えば若狭の諸町は福井県という行政区に属していますが、実際の経済や生活は福井県より京都や大阪との結びつきの方が多いと思います。若狭の人は越前には向いていない様に感じることがあります。これを拡げて日本全体で考えた場合、九州などは中国や韓国とどんどん交流する経済文化圏になっているでしょうし、東京への意識より強くなるかも知れません。国家や地方の行政区というものは住民に強力なそして強制的な影響を与えますが、一方、経済や文化面ではじわじわとその時代時代の流れに応じた動きになっていくと思います。
北桑時報のことですが、当地に帰って来て、お、頑張っているなあと思いましたし、今まで果たしてこられた功績は素晴らしいものがあります。今後も生き延びて欲しいものだと思っています。これは編集者がどういうメディアとして活きていくかと考えておられるのかという問題であり、それを読者がどう考えるかということでは無いかと思っておられるかということでしょう。私も読者になっていますし、地元の団体名簿などは私の活動に貴重な情報を提供して貰っています。今この編集方針を云々する力は私にもまだ明確に持ち合わせていません。大切にしたいメディアだと考えているいることには変わりはありません。
私が今回ほんの少し美山と京北の違いや同じ京北の中での弓削と山国の違いに触れましたが、こういう違いがあるあるというのだという一側面だけです。何がどう違うか、それが何に起因しているのか、これを考えると、「街道」の問題に行き着く様な気がします。西の鯖街道ということに関わってきました。先日「鰤街道」の本も届けられました。街道は物資を運ぶのですが同時に文化を運びます。鯖や鰤は、もっと根源的には塩などがどう運ばれてどういう生活文化圏がつくられて来たかということを考えるのは楽しいものです。しかし今や航空機の時代であり、車で行き来出来る時代です。自分のところで採れた産物をどの様な手段を使ってより多くの人に届けようとするか、それが街道を考えることの要因の一つだと思います。それが新しい空の街道、海の街道、陸の街道を生み出して行くのでしょう。当然文化も変わってきます。それは行政区にも影響を及ぼすでしょう。
道草さまに大切なことを提起して貰ったので、思いつくままに、支離滅裂、余分なことまで書いてしまいました。具体論に落とし込めていない抽象論で答えになっていないかもしれません。ごめんなさい。
上にも書きましたが、今この人が通信部から去られて初めてその力を感じています。しかし嘆いているだけでは何にも生まれないし、地元の人間はどう発信するかということでしょう。新聞やテレビの力は絶大なものがありますのでそれを便りにしなければなりませんが、今後どう発信をしていくかという事を自分たちで考えて行かなければならない時代になっている事を再認識させてくれるきっかけになるのではと前向きに考えて行こうと思います。
私は勤務中で井上さんの話の締めの部分を聞き逃したのですが、右京区の藤田区長さんが区長の部屋で;
「人が減るのは悲しい、集落の活動が減るのは悲しい、しかし、人々の誇りが無くなったら、その時は終わりだ」、とどのつまり、「やるのは地元の人間だ」という言葉で締めくくられました。そのために行政がどう関わるのか、という課題も提起していただいた思いです。
と報告して頂いています。井上さん、ええこと言うてくらはったなあという思いです。これに関しては、高野誠鮮氏講演録を一度読んで下さい。行政のあり方で良いモデルを提供して貰っていると思いますので。2月19日の記事にその在りかを載せています。
鰤街道の本はいいっすね。雪の野麦峠を50~90kgの鰤を背負って越えたボッカの話には心打たれます。ヨーロッパではアルプス越えですね。アルプス越えをした人達は今forwaderとして大きく成長した国際的な会社として生きています。自分たちの産物を狭い範囲で考えるのでなく地球儀を見ながら戦略を考えている農民や漁民も沢山いらっしゃることでしょう。
「ボッカの権太も落ちた難所」、ベテラン権太さんでも遭難死した難所は今「ゴンタ沢」の名が残っているそうです。徘徊堂さまが徘徊に疲れて行き倒れになったら、何という地名が残るでしょう(^_*)
>京都駅構内の「駅ナカ」に西の鯖街道の店が出店します。
まあ、そうなんですか♪ こちらは常設で毎日開店なさっているのでしょうか?嬉しいな^^ぜひ寄せていただき、これからはヨモギ餅とかワラビやサンショウ、蕗などの山菜があれば嬉しいな。こうして口コミやネットで広がり、長く盛況であることを願っています。
新聞はK新聞と地元の新聞しかとっていませんが、丹波版では美山町の記事が一番多く載っているように思います。行政区は一朝一夕に決まったわけではないでしょうし、当時はこれが最善の策だったのではないでしょうか?頑張っていられる姿にいつも心打たれます。
京都駅構内での駅ナカ店、西の鯖街道の店は月に2日だけです。3月は9・10日の二日間でして、私は初日の当番でした。今後も毎月第2金・土曜の出店になるでしょう。よく売れるのは、やはり鯖寿司です。美山のよもぎ餅も品切れになります。新しく開発された商品も出ています。このコーナーには府下のあちこちの店がかわりばんこに出店していますので、京都駅を通られるときには是非ひやかしに覗いて見てください。JRの東地下改札口、地下鉄改札口の前です。ただささ舟さまが書かれている商品、そうか、なるほど、提案してみよう。
今日は、いや昨日は雪舞う我がふるさとの神社やお墓、はては個人宅の庭などあちこちを古い石造物に詳しい方を案内して勉強させて頂きました。私を含めて殆どの人が気付かない石造物にこれだけ愛着というか興味を示される素晴らしい人との時間を過ごすことが出来ました。何かに没頭することの楽しさ、素晴らしさ触れることが出来ました。
新聞ですが、丹波版にこれからどれだけ美山のニュースが登場するかウォッチしていて下さい。市民版では京北の記事は減っている様に思います。行政区は人為的要素が多いと思います、それなりに根拠はあるのでしょうけれど、、その制度が生活の実態に合わなくなれば変えていく柔軟な思想も必要ではないかと思います。人間がつくったものは人間が作り替えたら良い、既得の利害に振り回されるなんてまっぴらごめん、次の社会を目指したものに作り替えていかないと発展がないのでは、と考えています。