北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

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2013-07-08 23:11:48 | 随想・近況
七月に入りました。今日は近畿地方も梅雨明け宣言の様です。雨の少ない梅雨でございました。そして猛暑の季節が続くことでしょう。ちなみに我が家の午後3時頃の気温は34℃でした。

投稿しないと忘れ去られてしまいそうなのでちょっと書きます。このブログの右の欄にツイートというのがありますのでそこも読んで下さいね。出来るだけ写真も入れます。

2日と6日には、高浜七年祭、を見に行きました。高浜の祭り込める思いを感じました。

7日には西の鯖街道の幹線道、龍ケ坂から茶呑峠のコースを歩きました。古道は残っていますね。古道かどうかは歩いて見ないと分からない。


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2 コメント

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茶呑峠 (徘徊堂)
2013-07-09 14:35:21
 小生は茶呑峠から龍ヶ坂という方向でしか歩いたことがありません。一時期は道が荒れていました。立派な地蔵さんがありますね。国境尾根、大森方面、余野方面、そして京北方面には二つ、あそこは五差路になっていますね。昔茶店があったというのもよく理解できます。
 こう暑いと、北山の清流に沿って歩いて、周山ビールを野みたいですね(結局そこに行き着く)。
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茶呑峠は歩きの時代の国道一号線 (mfujino)
2013-07-09 15:42:58
徘徊堂さん、そうですか、茶呑峠から龍ケ坂、都会からの方はこういうルートになりますよね。我が大阪時代も歩いたのですが素晴らしいやん、と思ったのですが、帰郷後何回か歩いたらどうも荒れた感じでした。しかし今回歩きますと、きれいに古道が残っているなあ、という感じでした。荒れてませんでしたね。ユリ道ですから崩壊などが無い限り大丈夫で、昔に心を馳せて歩きました。

茶呑峠ですが、大森方面、余野方面、天童山、そして鳴ノ堂方面と下村の稲荷谷を下るルートと五つに分かれますね。大森から下村へは余野へ出てから余野坂(?)を通ったのではという仮説を持っているのですが、この茶呑峠にある古い石標には、みぎ やまぐに ゆげ ひだり しもむら しゅうざん と書かれていましたのでやはり周山への道としても利用された様です。

ここのお地蔵さんは屋根に覆われているせいか、きれいな姿の儘ですね。背中まで彫りが入っているので背中を覗いて見たのですが、確かにきれいに平面に彫られていて、コオロギみたいな虫の安眠を妨害してしまいました。

もう一点、当日は山国神社の対岸にある日吉神社から登りました。以前このブログでも触れましたが、私は龍ケ坂への上りは中江からよりもこの日吉神社からのルートの方が人の往来は多かったと思っています。我が兄貴が指摘したのですが、その後いろんな人に聞くと同じ考えに多く合います。

西の鯖街道歩きで言えば、私は、福谷坂、棚野坂、知井坂とこの龍ケ坂・茶呑峠のコースが自然や歴史を感じることの出来るルートだと思っています。近々西の鯖街道を歩きたい人の為の情報をここでシリーズで発表します。その為にはまたまた旧高浜街道をじっくり記録を取りながら歩かねばなりません。ルート軌跡を残すGPS端末も買った方がいいだろうなあ、しかしそのデータと地図との関係はどうなのだろう、地図自体の正確性を検証出来る楽しみもあります。道中の歴史や昔語りなども知って欲しい気持ちもありますし、石山峠などの旧道を探る苦労も待ち構えています。相当の聞き込みも必要になりそうです。
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