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5人の作者の皆様へ、
今日職場にみなさんが書かれた「消えた村の記憶と記録」という立派な本が届きました。
あれは昨年の6月でしたっけ、一緒に廃村八丁へ行きましたね。先生の運転される車で卒塔婆峠まで行きましたので、そこからは楽な歩きだと思っていましたが、<八丁村は(中略)今はハイキングコースとして活躍しています。けれども、八丁があった場所はとても山奥にあり、のどかなハイキングというよりも「登山」のコースといったほうがいいかもしれません>と書いておられるのを読み、皆さんにとっては少々きつかったのかしら。皆さん元気に歩いておられたのでとてもそんな感想を持たれたとは見えませんでしたけれど。
この本の<はじめに>には;
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私たちは「子どもの村アカデミー」というクラスで、一年間、「消えた村」について調べました。・
日本全国には、私たちが知らない廃村がいっぱいあります。その中でも、学校から近いところにある福井県内の、勝山市と大野市にある三つの村を中心に調べました。「なぜ村は消えてしまったのか」「人々はどんな生活をおくっていたのか」など、一年を通して、それぞれの村を深く追究した本となっています。
私たちの通う「かつやま子どもの村小・中学校」は自由な学校です。机に向かうだけの勉強をするのではなく、演劇・木工・料理など、体と頭をいっぱいつかって学習します。その中でも、「子どもの村アカデミー」はとくに変わっており、担任がいないクラスです。自分たちで細かいところまで調べ追究します。どうしても大人に頼らなければならない車の運転などはまかせますが、そのほかは自分たちで進めます。現地に行って確かめてみたり、当時の方にお話を聞かせていただいたりして、資料だけではわからないことも、たくさん知ることができました。
この本は、そんな変わったクラスが一年間かけて調べた「消えた村研究」の集大成です。
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と書かれていますが、地元勝山市や大野市近くの、中野俣、横倉、西谷村を皮切りに、ここ京都の八丁村、徳山村(岐阜)、脇の畑村(滋賀)、東ノ川(和歌山)までも足を運ばれて、消えた村を実際に見て、また地元の人の説明を聞いて勉強した成果をこの「消えた村の記憶と記録」という171頁の本にまとめて発表されたのですね。
封筒を開けて八丁村のところを見つけて読みましたが、他に比べてちょっとページ数が少ないかなあ、と思い、帰られた後いろいろな資料を送って上げたらなどと反省しています。しかし廃村ではあの小屋に居られた佐野さんというおじさんが、熊の顔を覚えていて、友達みたいなものだ、などと話して下さったことを覚えていますか。資料で調べることは大切ですしこれを欠かしてはいけませんが、実際その地に足を運んで人の話を聞き、体感するということをしっかり実践されていることはとても立派なことだと感心しました。
実地調査から帰られてすぐそのお礼の手紙を頂いたり、本を書くのでそこに名前を出してもいいかと聞いてきたり、そして今回本を送ってくれたり、大人でもきちんと出来ないステップをふまれていることに感心しました。私は今、年度末の仕事に忙しくてすぐには読めませんが、そのうちに必ず読ませて頂きますね。楽しみです。
勉強は教えて貰うのではなくて自分でするもの、という基本を中学生から実践されている皆さんは、大人になってからその真価を発揮されるのではないでしょうか。社会には○×で解決出来ない問題ばかりですから。最後の<自分たちが消えた村>の部分を少し読ませて頂きましたが、きちんと問題点を掴んでおられるなあと感心し、皆さんの研究の充実ぶりが伺えます。今、日本の田舎は過疎化がどんどん進んで、様々な問題を投げかけていますが、この問題点に挑み実際に活動されている方が大勢おられますのでその仲間になって活躍されることを祈っています。その為にはまだまだ勉強されることが山積しています。私が指摘したいのは、世界、です。国際的な視点をもって考察して頂きたいと思っています。こう言ってもよく分からないと思いますが、機会を作って今回各地を廻られた様に、外国にも足を運んで自分でいろんなことを体験し考えられることを望んでいます。
5人のうち3人の方のご卒業おめでとうございます。新しい世界でもこの姿勢で頑張られることと思いますし、在学の2人はさらにその研究を深められることを祈っています。
かつやま子どもの村中学校
子どもの村アカデミー
長田のっこ・田村志織・水上蘭・三宅一輝・稲垣雄亮さま
丸山真生さま
京都の廃村八丁へ一緒に行った藤野 満より
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自分達で考えた研究課題に挑み、学習したことを立派な本に共同でまとめ上げられた、かつやま子どもの村中学校、子ども村アカデミーの5人の作者と指導された先生への手紙を書き、このブログに掲載しました。
赤ちゃんが縁側で這い這いしている時、落ちたら危ないよと後ろから引っ張るのではなく、もしそこから落ちたときに怪我をしない様、庭に下りて危険を回避して上げる様に準備しておくのが親や教育者のすること、子どもはこれで危険を学習し成長するのだという教えを受けた私には、今の教育を考えるときその一つの姿を見せて頂いた気持ちでいます。
一般の学校では、試験問題を解く教育が大勢ではないかと危惧しているのですが、生徒が自分で考える姿勢を重んじた教育をされている学校もあるのだと、皆さんにも知って頂く一助となりたいと思ったからです。
詳しくは;
http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/
http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php
を一度訪れてみて下さい。
縁側で這い這いをする赤ちゃんのたとえ話、全く同感です。乱暴な言い方ですが、男の子は一度ぐらい海や山や線路(笑)などで死ぬような目に遭ったという経験も大事なのではと思います。
勝山の子供たちは、本当に良い体験をされたと思います。そういう人の中から、またまた各地に隠れている色々な話を掘り起こす人が出てくると期待しています。
子供の五感に働きかける機会を与えるのも親の仕事かなあとも考えますね。徘徊堂さんの仰る様な自分の限界に挑戦することも大切ですしね。ただ研究やスポーツにおける基本の段階では強制して上げることも必要ですし。
そんな哀しい現実が日本各地に発生し、これからも増えつつあることでしょう。
私達は、そんな場所を単なる散策の過程として、気楽に通り過ぎるばかりです。その場所で学び掘り起こし、人間の生きる課題を実践的に考える。
こうした、本当の生きた勉強をすることは、いつか自らが生きる上で必ず役に立つのでしょう。
終戦直後に「山びこ学校」という実践的な綴り方教育が評判になりました。それを指導した先生はやがてその寒村を去り、その成果は霞の彼方へ消えてしまつた様です。
この過疎の学習は、そんなことがなく、いつか必ず実を結ぶだろうと信じます。
自分達の今までの生活をすててしまうには自発的なものや他律的な原因があるでしょうし。ダム湖の下に沈むので仕方なしに出て行くということもあるでしょうし、他へ移ればもっと良い世界があるだろうという希望をもってというスタイルもあった事でしょう。その背景や社会的状況なども勉強されていると思います。
要は自分で考えて、自分で問題にぶつかるスタイルを実践された生徒さんに拍手を送りたくてここにアップしました。たまたま廃村をテーマにされたのでしょうが、テーマを決めてその研究をどう進めたかが次につながる要素だと思うのですが。
「やまびこ学校」については聞いたことがある様な無い様な…