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昨日は恒例になった友人が釣ってくれた鮎を味わいながらのミニ同窓会だった。我が小中学校時代の同級生がここにログハウスを買って遙か関東から別荘生活を楽しんでいる。昨年まではレストランが会場になっていたのだが、今回は彼女の滞在中にそのベランダを借りての開催になった。
大堰川河畔の山裾に立つこのログハウス、実はこの6月の夕刻バーベキューをするからと声を掛けて貰ったことがあるが、折しもホタルの季節、電灯を消すと河畔を飛ぶホタルはなかなかの風情だった。実はその時、厚かましくもこのオーナーたる我が同級生Kちゃんの旦那にセカンドライフの楽しみを我が職場の会報誌に書いて貰う様依頼し快諾して頂き、今号に掲載させていただいた。ここを拠点に京都の寺社巡りやゴルフ、それに大好きなカラオケ、若狭湾までドライブして新鮮な魚を仕込んだりと楽しまれている。
さてその会場に各自準備して貰った食材や飲み物をもって参加者が到着。しかし目玉は鮎だ。鮎釣りを楽しんでいるO君とT君が釣りためていてくれた。今年は解禁日は好調だったが、最近は雨も降らない猛暑の連続で水量も少なく、どうもよく釣れないようで、T君は数日前の午後半日を費やしたが4匹しか釣れなかったよと言っていた。
早速台所に入り串刺しをし、焼いてくれた。焼き上がるまでの間にはちょっとした鮎講釈も入る。焼くにはU字溝を少し傾けて焼くのが良いと聞いたが、今回の様に普通のBBQ設備でも十分と言っていた。焼き上がってみんな喜んで食し始めたが、私はそんなに鮎が好きという訳ではなく、我が食べ跡の皿を見て、一番汚い食べ方だと酷評されてしまった。MちゃんやMちゃん女性陣が食材を仕込んでくれたのだが、野菜は自分の畑で採れた新鮮なものを下ごしらえしておいてくれ、牛肉は登喜和で仕入れてくれた贅沢なものだ。
何やかんやと喋って呑んだ。呑んで喋ったと言うべきか。お昼に集合しお開きは陽も落ち少し暮れかけていたようだが詳しくは覚えていない。翌朝U君が電話をくれ、俺ちゃんと会費払ったかな?と言う。幹事をしていた私だが、うん昨夜Mちゃんに食材費をちゃんと払ったか確かめたら、大丈夫頂きましたよ、って言ってたから大丈夫だろうと何ともあやふやな返事をする頼りない幹事であった。
それにしても昨夜は久しぶりに爆睡出来たのは嬉しかった。
会場のスペースもあり参加者を絞り込んだのだが、この会に誘いをかけるのに電話を使うのが殆どだった。この為に電話した回数は何十回になるかしら。全員メルアドを持っていてくれたら良いのだが、また掲示板でものごとを進められたらどんなに便利だろうにと痛感した。
・先日、会報誌の編集をしていて素晴らしい人と知り合いになれる嬉しさ、に少しふれたが、一昨日と今夕、またまたそれを実感した。そうだあの人に原稿を書いて貰おうと電話をしたら、分かった、と電話を切って一時間もしないうちに原稿が届いたのにはびっくりした。軽快なタッチでの短く味わい深い随筆だ。もう一つ、今夕頂いた原稿は連載ものを依頼していたのだが、なんと全部を纏めて長~いのを一気に書いて頂いた。これまたびっくり。この方、退職後あちこちの講座に参加、またウォーキングや農作業も楽しまれている。元気を頂いた。かくありたいと羨ましくまた尊敬の念を持って読ませて頂いた。
・このブログにコメントを書いて頂いている鎌倉街道さまが歩く会のお仲間について触れられていたが、ネットで検索すると、荒山孝郎さん(74)、がヒットした。三浦雄一郎氏のエベレスト登頂最高齢の記録を一時塗り替えられたり、七大陸最高峰登頂をこのお歳でなしとげられた人だ。そういえばかの伊能忠敬も退職後あの大事業を成し遂げた。キーワードはやはり「目標」だと思う。立派な目標を持ちたいと思う。自分に課題を与えその実現に向かう姿こそこれからの時間を充実させてくれるはずだ。
今回鮎ミニ同窓会に参加してくれたメンバーは「常識」をわきまえ、前向きに生きている同僚だと判断でき、幹事をした甲斐があるというものだ。類は類をもって集まるというが、前を向いた常識のある類の人と付き合っていける幸せを感じている。contribution という素晴らしい言葉がある。寄付, 出資;寄与, 貢献, 助力;寄稿, 投稿,発言といった訳語が出てくるが、上手く表現できないのだが、私にはこの日本語訳では表せていない言霊を感じる。第一苦労して釣った鮎をみんなに振る舞おうという心意気も感じるし、それは嬉しいことだし、お~いと声を掛けたら、ありがとう、で、僕は何をしたらいいいのという返事をしてくれる友人を持ったことは幸せである。その爪の垢こそ煎じなかったが、写真の様な、鮎を焼く炭の様な暖かい心、を頂いた日記としておこう。
この初夏の頃に京北トレイルを歩きましたら、川のあちこちにはワイヤーが張られているのが目に付きました。川鵜の防御策でしょうか。天候の異常に加え、最近は鮎の天敵も増えているようです。
そんな状況の中で、鮎の塩焼きパーティを楽しまれたのは、やはり持つべきものは善き友人と申せます。その中でも、同級生とは付き合いも長く、気心もよく知れています。そして、「俺、お前」の関係の中でも、mfujinoさんが強調されていますように「常識」が根底にあるからこそ、豊か交流が保てるのでしょう。そんな級友を多く持っておられて羨ましく思います。この言葉は貴重なご進言と、以て瞑すべきと捉えております。
なお、ログハウスは柏原から魚ケ渕へ入る所にある建物でしたら、私も通り掛かりに拝見したことがあります。持ち主の方は周辺を殊のほかお気に入りのご様子で、かつて近辺に縁のあった私としましても、他人事ながら嬉しくなります。
お書きになっておられる会は趣向も趣向、これ以上に趣向を凝らすということは不可能なのではないでしょうか。皆さんの歓談の声が聞こえてくるようです。メンバーの皆さんも素晴らしいですね。幹事というものはやってみると、こちらは無償でしているのに文句をいわれたりしてうっとおしいことがあります。小生なども、的はずれな文句の手紙を同一人から3通連続で送られたことがあります。2通目と3通目は読まずに破り捨てましたが、やはり気分は悪いものです。けれども、このメンバーの皆さんならそういう心配はゼロですね。
道草さまが仰る様に、俺お前の中でもやはり根底に常識があるから長い付き合いが出来るのだと思います。今回はContributionという言葉の意味を色々考えています。単語帳的な覚え方をすれば「貢献」なのでしょうが、contributionには自分が参加する社会とどう向き合うのかということを教えてくれる様な気がしています。
今年の鮎は前半は極めて順調だった様です。友人は八月に入った方が美味いよ、と言っておりました。ところがどういう訳でしょう、最近はとんと駄目なようです(*_*)網を入れる漁の解禁日も近づいてきましたが、果たしてどうなりますやら。少しは期待を寄せているのですが。
鮎の食べ方ですが、骨を抜く人もいますが、基本は頭から丸かじりが基本であります。でも先日は私は骨を残してしまいましたので酷評されたわけです(*_*)
80名強中男女6名だけが小学校の時と同じ住所近くに住んでおりますが、その6名は同窓会にほとんど出席しません。なんと同窓生の中に美空ひばりの息子の実母が居ました。数年前に亡くなられましたが、小学校の時にはよく遊びました。
鮎を釣ってきて食す会を鎌倉ですることはできそうもありませんが、かってはよくバーベキューなるものを自宅や海でしました。30数名集まったこともあります。でも、同じ趣味を持った人の集まりですと話しが合うので場が盛り上がるのです。場を提供する方は大変でしたが、楽しかったですね。
mfujinoさんのお住まいのところには、かなりの人数の同窓の方が今もお住まいのようで、良いことも悪いこともお見とうしの人ばかりなのでしょ?
この仲間は忘年芋煮会をしたりしている気の置けない仲間です。当初は我が家でやっていたのですが、私が掃除もしなくなったりで他の家に移ったりレストランを利用する様になっています。今回はKちゃんの別荘のBBQ設備を使わせて貰おうと白羽の矢が当たった訳です。何もかも参加者が準備するから会場だけを貸してと話を進めましたが、それでも会場提供者には迷惑をかけたことと思います。こういった会はやはり誰かに負担が集中しないようにしないといけない、とO君と打合せたのですが、電話を受けたら、俺は何をしたらいいのという返事や、何か持って行くものは、という返事が返ってくるのが、私が常識人と判断した基準でした。そうでない人間もおりまして、我が気分を害したりしました。結果的にはその常識人ばかりの集まりとなった訳です。これが類は類をもって集まるということかもしれませんし、やはり何でも後味の良い人間と付き合う様になるのでしょう。
これは自分の耳にいたいことも言ってくれる友とどう付き合うかという話とは別の次元の問題だと考えています。
我が同級生は例に漏れず中学や高校を卒業後殆ど都会へ出てしまいましたが、それでも私の様にUターンしたものも含めると20%を少し越える位が郷里に残っています。
わが分校は卒業時28名でしたが今は20名になり、さらに健康で出席できる者は今年は11名でした。この中の半数位は「ストレスたまってへんか」と声を掛け合って半日ほどアロマにいったり、どぼ漬けやお惣菜を持ち合って我が家に集まったりしています。たまに話達者な村の住職(同級生)が高野山の胡麻豆腐が手に入ったから、と声を掛けてくれ、ミニミニ同窓会が弾みます。
「常識」なかなか自信がありません^^
気のおけない連中が集まると時間の経つのが早いですね。それとどうしても飲む量が増えてしまいます^_・ 常識って言葉を本文で使いましたが、徘徊堂さまへのコメントに書いたとおりで大した意味はありません。ただ同じ釜の飯を食った人間で気軽に話が出来ても、基本を外されるとどうしても疎遠になりやすいもんだと愚痴ってみたんです。
ミニミニ同窓会、羨ましいなあ。ささ舟さまのどぼ漬け食べた~い。先日朝市の当番の時同窓生のSちゃんの漬けた茄子の漬け物を切って貰ったんですが、なかなかのものでした。泉州の水茄子が忘れられず、水茄子も栽培してよ、って苦労もしらず勝手なリクエストをしてました。
今日はね、いや昨日は宇津峡の下流を走っていて落石を踏んでしまいパンク、それもタイヤ二つをやられてスペアは一つしか無く、JAFに来て貰い運んで貰いました。雨の中少々苦労したり、大阪へ行くのに3時間はロスするは、タイヤ代も馬鹿にならずえらい臨時出費です。でもこういう時に優しい人と出会えたのは心温まりました。
あゆの言葉は数多く、鮎、年魚、香魚、阿由、安由、細鱗魚、銀口魚、王魚、黄頬魚、国栖魚、渓鰮、阿諛でしょうか。それにしても美味しそうです。神功皇后が隼人征伐のために出た途中の地で詠まれた長歌が、
日本書紀(やまとぶみ)に『「日本書紀 巻第九 気長足姫尊(おきながたしらひめのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう)』
夏四月の壬寅(じんいん)の朔(つきたち)にして甲辰(こうしん)(三日)に、北 火 前 国(きたのかたひのみちのくちのくに)松浦県(まつらのあがた)に到りまして、玉島里(たましまのさと)の小河(おがわ)の側(ほとり)に進食(みをし)したまふ。是(ここ)に皇后、針を勾(まげ)て鉤(ち)に為(つく)り、粒(いひぼ)を取りて餌(ゑ)にして、裳(みも)の縷(いと)を抽(ぬ)き取りて緡(つりいと)にし、河中(かはなか)の石上(いはのうへ)に登りて、鉤(ち)を投げ祈(うけ)ひて曰(のたま)はく、「朕(われ)、西(にしのかた)、財国(たからのくに)を求めむと欲(おも)ふ。若し事を成すこと有らば、河(かは)の魚(うを)鉤(ち)を飲(く)へ」とのたまふ。因(よ)りて竿を挙(あ)げて、及(すなは)ち細鱗魚(あゆ)を獲(え)たまひつ。時に皇后の曰(のたま)はく、「希見(めずらし)き物(もの)なり」とのたまふ。故、時人(ときのひと)、其処を号(なず)けて梅豆羅国(めずらのくに)と曰(い)ふ。今し松浦(まつら)と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。是を以ちて、其の国の女人(おみな)、四月の上旬(かみのとをか)に当(いた)る毎に、鉤(ち)を以(も)ちて河中(かはなか)に投げ、年魚(あゆ)を捕ること、今に絶えず。唯(ただ)し男夫(おのこ)のみは、釣ると雖(いふと)も、魚(いを)を獲(う)ること能(あた)はず。
神功皇后は年魚でありますが、別称ではあゆにかけて占いをしたことから『鮎』の字が書き添えられたとか。古きこと、様々なことを思い出されます。
愛宕神社鳥居もとの平野屋さんの鮎は保津峡の天然鮎です。僕はいつもアタマからガブリとすべて平らげるほうですが、このお写真はいかにも美味しそう、蓼酢などつけなくとも、お塩だけで充分美味しいでしょう。
胡散臭いことがらも、煩わしさも、鮎の仄かなる古代の香りを直接楽しめば、それはそれできっと大なる喜びであったのでありましょう。だんだん!
我々にとってはやはり季節を感じさせてくれる魚です。ダムが出来て天然遡上しなくなったのは戦後ですが、それ以前にも不漁の年もあったようですし。鳥居本など嵐山界隈へ鮎を運んだことで名付けられたのは鮎の道、これは今の日吉ダムのあたりから運ばれた道をいうらしいのですが、当地は木材の供給地としての禁裏御料でありましたが、他にも色々なものを献上していた様で、その中でも献上鮎は有名です。水を替え替えの道中は苦労が多かったことと思います。
この秋には山国荘から平城京へ運ばれた米、それを再現する企画がありますが、献上鮎を再現するのも意味があるのではとも考えています。
塩を尾っぽにたっぷりと振りかけて焼くのがいいそうです。尾が焦げないしその塩が身全体に行き渡るそうそうです。
友人が釣ってくれた鮎を目の前で講釈を聞きながら焼いて頂くという雰囲気はやはり何者にも代え難い良い雰囲気であります。
ここに生活しているとそう感じないのですが、ふと考えますに、自然の中で旬のものを気のあった友人と語らいながら食するというのは、やはり贅沢なのかもしれません。