2月28日、京北まちおこし連続フォーラム「京北の明日を考える」の第一弾に出席しました;
講演:刀根 浩志氏による「体験型観光の創出と視点」
報告:京北における取組報告
塔下 守氏による「京北一周トレイルコース」
上西 浩二氏による 「道の駅 ウッディ京北」
という構成でした。
刀根 浩志氏はNPO法人和歌山ほんまもん体験倶楽部の事務局長で、「体験型観光」「ほんまもん体験」をキーワードに出身地和歌山をはじめあちこちで活躍されているそうな。観光カリスマ百人の一人だそうです。
講演全体の報告ではありません。あくまで私の心に残った点をノートする形で書きます:
・観光とは訪れるところの地の力「土地の輝き」を実感してもらうこと。
(これは嵯峨野トロッコ鉄道の長谷川さんも同じ事を言っていたと記憶する)
・「癒し」とはストレスを一時的に解放するのではなく、それに耐える器をその人に与えること。
・「ほんまもん体験」では、準備しない・後片付けしない、やってしまわない(本人にさせる)、褒めすぎない、が三原則。これは自分でやり遂げた、体験した後自分で出来るようになった、という満足を与えられる。
・観光ボランティアガイドがあるが、有料化すべき。「語り部」は語りすぎる。
・ツアーデスクサービスの必要性。
お金をとって作業をしてもらう、限界集落といわれるところ程観光の魅力がいっぱい詰まっている、などの指摘には興味を持った。例えばダイバーが来ないほど汚れていた海にここをきれいにしましょうと呼びかけたら多くの人が集まった。逆転の発想という言葉はあまり好きでないがまあその類に入る話かもしれない。
基本的な考えはやはり上に挙げた「癒し」に対する考え方であろうと思う。きれいな景色、おいしい料理、素晴らしい温泉、などなどは一時的には確かに心を癒してくれるがその旅の終わりには、楽しかったけどまた明日からはあのストレス一杯の日々が待っている、というのが多いけれど(それで明日の元気を貰ったという人も沢山おられるとは思うが、、)心に残り、次の課題を見つける体験を提供するのが本当の癒しではないかという考えだと思う。
お金を払って座禅修行をする、というのが典型例の一つかもしれないと思った。そのためにはやはりそれなりの人物、プロフェッショナルが対応しないと満足は与えられない。
観光をどう定義するかにもよるが、この講演の内容は、「心の満足を与える」のがキーワードになっているのではなかろうかと思う。お客様が何を求めているかをしっかりリサーチしてそれに対してここでは何をオッファー出来るか、その事をじっくり考えて行きたい。
以上メモ的な感想を書いてみました。講演された刀根さんには確かにプロを感じ、有意義な話を聞かせて貰えました。最後の挨拶で石浦紀商工会会長が言っておられた様に我々がどう実践していくか、それを自分に当てはめていきたいと思っています。
続いての塔下守氏の「京北トレイル」に関する報告を聞きました。彼の天真爛漫、山男丸出しの人柄がにじみでた報告で、会場は和やかな雰囲気が漂いました。ただこのコースをどう作り上げるかについて彼が自治振興会の京北トレイル部部長として決断したことは、さすが、と見直しました。
府山岳連盟による当初の京北トレイルのコース案は、京見峠~大森~余野~細野~高雄というものだったそうです。これに対して彼は京北を巡る周回コースを作り上げました。昔の人が生活の道として通った道をつなぐ、周山は外す(実際は周山城趾へのコースも取り入れられましたが、、)などは、山を知り尽くした人間の発想であり、官僚の作文では味わえない凄みのある報告だと感じました。
コース地図の第一刷を渡されましたので、間違いやこれを入れたらとかちょっとした校正をコタツでしていますので運動不足になってしまいます。
「ウッディ京北」はこの春から道の駅になります。道の駅は地方ではやはり玄関口、刀根さんがおっしゃるツアーデスクはここが便利なのではと思わないでもない。情報発信というのを上西氏が挙げておられましたが、果たしてその具体的方策が見えなかったのは残念でした。
何れも我が脳を刺激してくれました。この機会を与えて頂きありがとうございました。
講演:刀根 浩志氏による「体験型観光の創出と視点」
報告:京北における取組報告
塔下 守氏による「京北一周トレイルコース」
上西 浩二氏による 「道の駅 ウッディ京北」
という構成でした。
刀根 浩志氏はNPO法人和歌山ほんまもん体験倶楽部の事務局長で、「体験型観光」「ほんまもん体験」をキーワードに出身地和歌山をはじめあちこちで活躍されているそうな。観光カリスマ百人の一人だそうです。
講演全体の報告ではありません。あくまで私の心に残った点をノートする形で書きます:
・観光とは訪れるところの地の力「土地の輝き」を実感してもらうこと。
(これは嵯峨野トロッコ鉄道の長谷川さんも同じ事を言っていたと記憶する)
・「癒し」とはストレスを一時的に解放するのではなく、それに耐える器をその人に与えること。
・「ほんまもん体験」では、準備しない・後片付けしない、やってしまわない(本人にさせる)、褒めすぎない、が三原則。これは自分でやり遂げた、体験した後自分で出来るようになった、という満足を与えられる。
・観光ボランティアガイドがあるが、有料化すべき。「語り部」は語りすぎる。
・ツアーデスクサービスの必要性。
お金をとって作業をしてもらう、限界集落といわれるところ程観光の魅力がいっぱい詰まっている、などの指摘には興味を持った。例えばダイバーが来ないほど汚れていた海にここをきれいにしましょうと呼びかけたら多くの人が集まった。逆転の発想という言葉はあまり好きでないがまあその類に入る話かもしれない。
基本的な考えはやはり上に挙げた「癒し」に対する考え方であろうと思う。きれいな景色、おいしい料理、素晴らしい温泉、などなどは一時的には確かに心を癒してくれるがその旅の終わりには、楽しかったけどまた明日からはあのストレス一杯の日々が待っている、というのが多いけれど(それで明日の元気を貰ったという人も沢山おられるとは思うが、、)心に残り、次の課題を見つける体験を提供するのが本当の癒しではないかという考えだと思う。
お金を払って座禅修行をする、というのが典型例の一つかもしれないと思った。そのためにはやはりそれなりの人物、プロフェッショナルが対応しないと満足は与えられない。
観光をどう定義するかにもよるが、この講演の内容は、「心の満足を与える」のがキーワードになっているのではなかろうかと思う。お客様が何を求めているかをしっかりリサーチしてそれに対してここでは何をオッファー出来るか、その事をじっくり考えて行きたい。
以上メモ的な感想を書いてみました。講演された刀根さんには確かにプロを感じ、有意義な話を聞かせて貰えました。最後の挨拶で石浦紀商工会会長が言っておられた様に我々がどう実践していくか、それを自分に当てはめていきたいと思っています。
続いての塔下守氏の「京北トレイル」に関する報告を聞きました。彼の天真爛漫、山男丸出しの人柄がにじみでた報告で、会場は和やかな雰囲気が漂いました。ただこのコースをどう作り上げるかについて彼が自治振興会の京北トレイル部部長として決断したことは、さすが、と見直しました。
府山岳連盟による当初の京北トレイルのコース案は、京見峠~大森~余野~細野~高雄というものだったそうです。これに対して彼は京北を巡る周回コースを作り上げました。昔の人が生活の道として通った道をつなぐ、周山は外す(実際は周山城趾へのコースも取り入れられましたが、、)などは、山を知り尽くした人間の発想であり、官僚の作文では味わえない凄みのある報告だと感じました。
コース地図の第一刷を渡されましたので、間違いやこれを入れたらとかちょっとした校正をコタツでしていますので運動不足になってしまいます。
「ウッディ京北」はこの春から道の駅になります。道の駅は地方ではやはり玄関口、刀根さんがおっしゃるツアーデスクはここが便利なのではと思わないでもない。情報発信というのを上西氏が挙げておられましたが、果たしてその具体的方策が見えなかったのは残念でした。
何れも我が脳を刺激してくれました。この機会を与えて頂きありがとうございました。
興味深く読ませて頂きました。特に京北トレイルをご自分なりに発案された塔下さんのリポートは興味深いものです。私もぜひとも聞いてみたかったものだと。
観光という名には凡そ功罪の、罪しか感じられません。有名になりたいばかりに、変な矮小化された部分での喧伝しか見受けられないからです。恐らく民俗学に至っては、どの時代から始まっているのもだとよく説明を受けるのですが、飽くまで現代のモノとしか判定致しません。時代時代によって大きな変遷や変化があるからですが、山形県寒河江市にある慈恩寺に伝わる700年にわたる「舞踏帖(ぶとうちょう)」という祭事の際の、分厚い献立表を調査・探査したことが御座いました。平安末期から江戸時代までの記録で、その地方の情報の第一級資料でありましたが、各時代の飢饉や洪水や台風などによる大きな影響と転換をはっきりと見受けることが出来ました。今日御寺には、谷地の「林家舞楽」が伝承されているのですが、今日に伝わる舞楽の楽人接待の変遷や御祭りの変化がよく把握出来て、大変面白かったんです。
鯖街道という名も、塩街道という名も一応に疑ってかかって差し支えないでしょう。ヒントには違いないのですが、敦賀には宇佐と比較出来るほどの大きな集団の渡来人の一団がありました。気比神社はその名残です。「越」という途方もない北陸一帯の文化の南端を担っているのが京北であるのだと信じます。故郷の、掘り起こしは、実は「道の駅」を作るような単純な訳ではなく、古代から現代への研究の成果と、日本人たる所以の掘り起こしこそが急務で重大な関心事でありましょう。
従って近年よく見受けられる自治体の合従連衡による地名の変更こそ最悪の事態だと認識しています。少ないヒントですら自らで消してしまうのですから。足元の小さな積み重ねこそが、故郷再生の鍵となるのではないでしょうか。今日も勉強させて頂きました。有難う御座いました!
観光ボランティアガイド、やはりガイドする人の個性によって変わってくると思います。遷都1300年の平城京のボランティアガイド、善意はありがたいのですが殆ど「つきまとい」の状況で辟易とした覚えがあります。水郷の里で知られるようになった新旭の針江地区などは有料ですね。
最近は里山へUターンして暮らす「農業+自己x」と言う、自分の時間の半分を農業に、後の半分は自分の好きな事に費やす生き方が話題になっているようです。これでも、物足りないかも知れませんが、要するに生き様の価値観の問題ですから、時間の半分でも本気デ農作業に従事する人が増えれば、これからの日本も大きく変化すると思います。
「輝き」のある所、「輝き」を取り戻せれば、その場所は必ず生き返ると思います。本当に魅力のある言葉です。私の古里の京北でも、様々な取り組みが検討され実行に移されており、嬉しく思います。「京北トレイル」が再編成されて喜んでおります。まだまだ対象とすべき地域も多々あると思います。更なる充実を願っております。美山もそうですし、南丹市へも範囲を広げてください。神吉は元北桑です!
京北町から南丹市は、私にとりましては大切な古里です。私など微力な者ですが、ご協力可能な範囲で少しでも寄与させて戴きたいと思います。
「ふるさと」 井上 靖
〝ふるさと〟という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、どれもいい。
外国でも〝ふるさと〟という言葉は例外なく美しいと聞いている。
そう言えば、ドイツ語のハイマートなどは、何となくドイツ的なも
のをいっぱい着けている言葉のような気がする。漢字の辞典の
援(たす)けを借りると、故園、故丘、故山、故里、郷邑(きょうゆう)、
郷関(きょうかん)、郷園(きょうえん)、郷井(きょうせい)、郷陌(きょうは)、
郷閭(きょうりょ)、郷里、たくさん出てくる。故園は軽やかで、
颯々と風が渡り、郷関は重く、憂愁の薄暮が垂れこめているが、
どちらもいい。しかし、私の最も好きなのは、論語にある〝父母国〟と
いう呼び方で、わが日本に於ても、これに勝るものはなさそうだ。
〝ふるさと〟はまことに、〝ちちははのくに〟なのである。
ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、陽よ。
>「越」という途方もない北陸一帯の文化の南端を担っているのが京北であるのだと信じます。
と書いておられますが、どうなのでしょう?私は越文化の南端というのはどうもよく理解が出来ません。ただここ京北は北と南の文化が行き交った地という面では理解できます。もしかしてそれは西と東の交流地だったかもしれません。そういう意味で京北と美山の違いなどに目を向けることで色々な考察が可能なのかもしれませんね。例えば鰊漬けは美山の食文化で京北にはその文化はありません。また仏教文化や神社などを調べても面白いのでしょうね。
道の駅についてですが、このキーワードは「駅」ですね。station や フランス語の port について少し勉強し直してみようと考えました。何かが見えてくるかも知れません。
観察するのにその風船を高く揚げてみたり、また少し下げて見てみたり、あるときはミクロに観察したりする視点が大切かなあとも考えます。今日もいろいろな示唆をいただきありがとうございました。
高島トレイルには魅力を感じます。おっしゃる様に美山にもコースが出来ると良いなあと思っています。小畑先生などは若丹国境の魅力を掘り起こせと力説されていますが。例えば長老~頭巾~棚野坂~八ケ峰~芦生の北尾根と結ぶコースをつくるという案も成り立ちますね。
今回の京北トレイルのルートは生活の道というのが特徴かもしれません。どんな人がどんなものが通ったのかを考えながらの歩きも楽しみの一つです。この4月東京から来られるパーティはこの出来たてのトレイルをいち早く歩きましょう、そしてちょうど途中の桜も観賞しましょうというキーワードでツアーが構成されていますが、これはさすが全国のコース歩きを楽しまれる人を集客すrツアーを企画するプロだなあと感じました。
ガイド料金については我が会の中でいろいろ提案し話し合ってみたいと考えてみます。その為にもあちこちのグループと情報交換しないといけないでしょうし、先発のプロに教えを請わないといけないと考えています。
> 里山へUターンして暮らす「農業+自己x」と言う、自分の時間の半分を農業に、後の半分は自分の好きな事に費やす生き方が話題になっているようです。
と書いていただいていますが、これは塩見直紀さんの半農半Xという考えですね。かれはあやべ里山ねっとでそれを実践されています。我が甥がその組織で働いています。道草さまお気に入りのかのマドンナの職場でもあります(^_*)
「半農半X」の塩見直紀さんのホームページは;
http://www.towanoe.jp/xseed/
「里山ネット・あやべ」のホームページは;
http://www.satoyama.or.jp/
とちゃっかり広報もしておきましょう
道草さまの故郷たる宇津でもいろいろな動きがあります。栃の木フォーラムもいろいろ活動されてます。あ、そうそう井本さん」、筏のフォーラムに参加されてその一端を今回の集まりで報告されてました。
ちょっとまとまりのないお返事になりごめんなさい。
皆さんの真剣な取り組みを読まして頂き、熱いものを感じました。去年暮れから新年にかけて「ほんまもん体験」に2度参加させて頂きました。
>準備しない・後片付けしない、やってしまわない(本人にさせる)、褒めすぎない、が三原則。これは自分でやり遂げた、体験した後自分で出来るようになった、という満足を与えられる。
長靴を履いて畑で小蕪をひき、冷たい水で洗い、樽に1本づつ並べ、塩の分量を計算して漬けましたね。まさに2度とも、これ三原則に叶っていましたね^^2度とも最高の企画だと思いました。お金を出すからこそ、個々が真剣に楽しみを生み出していくのだと思います。
新旭の針江で、私も1000円で約1時間半の案内をしていただきました。丁度長からず短かからずの時間でお勧めの買い物も出来ました。何よりも良かったことは、町の隅々まで清掃が行き届いてゴミ一つ落ちていないことで、住民の更なる意識が感じられました。
亀岡でもこの時期、町内各家でひな壇の公開と振る舞いをしています。子供らが大きくなれば納屋の隅に置いたままの雛を通りから見えるように飾って見ていただく企画です。土日はイベントもあり、口コミで他所からも結構大勢見えているようです。
京北はまだまだ発掘の場所があるように思います。頑張って下さいネ。
それとガイド料ですけど針絵で1時間半で1,000円ですか、それとも一回1,000円ですか?各地のボランティアガイド料は交通費程度、すなわち1,000~2,000円程度です。歴史探訪でもその恩恵にあずかっているのですが(^_*)。刀根さんはそれでは駄目だと言っておられました。お金を頂くにはガイドも更に勉強することでお客様に更に満足を与えられるという善循環にもっていけるということです。私はツアー会社にガイドを頼まれた時にはちゃんとした日当に相当する料金を頂く様に我がグループで提案しようと思っています。