7月14日。この日は1789年パリ市民がバスティーユ牢獄を襲いフランス革命の口火を切った日であり、フランスでは Le Quatorze Juillet まさに7月14日という名でお祝いされています。大阪や京都でもパリ祭といって様々なお祝いがなされていることでしょう。学生時代やビジネスでフランスと関わっていた時代とは別に、今の私の興味は美山・知井の田歌地区にある八坂神社の夏祭りにありました。
先日ある会合の後、Mさんから行こうかと声をかけられ、数年前に神楽を見ただけなので行きたいと思っていたので二つ返事でお誘いを受け、Aさんも誘って3人で出掛けた。
トップの写真が幟立つ八坂神社の風景ですが、道路より下にありますので神社は写っていません。神社に下りてその下を流れる由良川の清流風景を一枚載せておきましょう。鮎師さんの姿も一人見えました。当日は快晴の真夏日ですが、微風があり、少し日陰に入れば猛暑ではありませんでした。
神社裏を流れる清流
新聞情報では11時からということでその15分前には現地に到着しましたが、既にカメラを手にした見物人が大勢集まり、当家を囲んで祭りの準備段階からシャッターをおしていました。
大分待たされ、行列が始まるのは12時半との情報を美山のMさんから聞き、車の中でお握りの昼食をして開始を待ちました。
ここから行列の様子を写真で報告します。ただカメラマンが多くてうまく全体を撮れませんでした。次の解説も参考にして見て頂けたらと思います。
「やせ(鬼)」子供2人、「天狗」「神主」それぞれ1人、手槍を担ぐ「やっこ(奴)」3人、「ささらすり(火男;ひょっとこ)」「お多福」「樽負い爺」「太鼓」「笛」の順に神社に向かう。道中は「やっこ」の「ヤートーセー、ヤートーナ」の掛け声による槍振り、道引の笛・太鼓をたたきながら進む。
行列・やせ・天狗
やせ(鬼)」子供2人、道払いと言い、太い青竹を引きながら歩きます
天狗は一本歯の高下駄を履いています
行列・天狗・神主・奴・ささらすり(火男;ひょっとこ)・お多福・樽負い爺
行列・神主・奴・火男
髭奴は、一番目を「草」二番が「蕾」三番が「花」と呼ばれています
行列・樽負い爺 この祭りのピエロ役と見ました。
道中は「やっこ」の「ヤートーセー、ヤートーナ」の掛け声による槍振り、道引の笛・太鼓をたたきながら進みます。
行列・太鼓屋台
行列・笛
行列・奴のおどり 神社に到着し、鳥居の前でのおどり
さて神前での神事のあと「御神楽」が始まります。しかしここでも大勢のカメラマンに遮られて全体の撮影は無理でした。
まず、村の老人が模範を示す太鼓を笛に合わせてたたく。両手を張り、両足前後して、あるいは回り、あるいはかがみながら単純な太鼓ではあるが、笛に合わせて打ち出す音は、堂々と山谷に木霊してものすごく、人もすごく豪き、少年も勢いよく打ち込む。これを「サンギリ」という。少年のサンギリが済むと「やっこ2人」「やっこ・樽負い爺」による「サンギリ」、「ささらすり・お多福」による「新マクラ」があり、最後に「ささらすり・お多福・樽負い爺」による「三の舞(サンバソウ)」が奉納される。
神楽・奴 酔っ払って?へまをする爺を追いやってちゃんと太鼓をたたき直す奴、このやり取りも面白いですね。太鼓を叩くリズムが、笛のリズムとわざとずれる様なところがあるのが興味を抱きました。
神楽・樽爺がお多福を、、、これが一番面白い(^_・) 昔はもっとリアルなものを持って演じていたとか。
爺が最後に舞台上で四方に向かって大きく手を挙げ頭を垂れて挨拶して神楽はお終いとなります。
田歌集落の個数は20数戸らしく、このお祭りを見に来ている地元の人は何人居たであろう。他から祭りを見にカメラをぶら下げて来た人の方が圧倒的に多かったですね。知井小学校の全校生徒がバスで見学にやって来ていたが、全校生徒32人?とのこと。この祭りの行列に参加する子供は二人だけだが、もしかしてこの二人が揃わないということもあり得るのではと心配してしまいます。
このお祭りを支えている人の半分は移住して来られたとのことです。神楽の時、天狗役の方に聞いた話では、俺はまだ10年、最長老はウベワルタさんで、17年になるそうです。深夜ラジオ番組で美山を発信されている高御堂さんもたしかこの集落にご在住のはず。
北桑田では秋祭りが殆どなのですが、以前は例えば10月10日に、とか日が決まっていましたが既に殆どの神社のお祭りは、第2日曜日にとか、曜日に合わせた決め方になっています。ただここ田歌では7月14日を守っておられるのは立派なことだとだと思います。
この祭りについて調べていないので何とも言えないのですが、若狭の影響もあるのではとか聞いたことがありますが、私はここから五波峠を越えた名田庄と交流があったのではとの観点も入れて調べてみたいと思います。なにせ峠一つ向こうとは密接な関係があったのですから。峠はは壁ではなく、文化交流という面ではまさにお隣さんですから。
京都新聞の井上記者や南丹市の広報の方も取材されていました。南丹市の市長さんも来ておられ、園部のお祭りの事情も少し聞かせて貰いました。また美山の情報を発信している、いっちゃん、にも久しぶりに会いました。元新聞記者のMさんも来ておられ、川向かいの山の中腹にある清瀧の滝はどこか教えて貰いましたが、水量が少ないのか200mmの望遠レンズでもその姿は分かりません。今まで木に囲まれて下からはみれなかったので、滝の周囲の木を伐採されたのですが、その滝の流れは見れませんでした。ちゃんと登って傍から見なさいということでしょう。
素朴なお祭りですね、ほのぼのとした心温まるものでした。
お祭りの全体像を把握して貰う為、次のリンクを載せておきますので参考にして下さい。他にも沢山のページがありますので検索してみて下さい。
いっちゃんのブログ
美山粋仙庵さんのページにある 田歌の無形文化財「八坂神社の祇園さん神楽」
わが地域においても夏祭りが催されたばかりですが、神輿の担ぎ手が集まらず、日当を払ってお願いをしているようです。 しかも、2年前には、酔っ払い同士が喧嘩をし、片方が倒れてそのまま死んでしまい、今は子供たちが神輿の周りで楽しむことなく、近くの校庭で模擬屋台を体験しているようです。 これって本当に地域の祭りなのでしょうか? 大人がほどほどの量にしておけばよいのにタダ酒が飲めるからと昼間から酔っ払い、喧嘩をするなんて何ともだらしがないでしょ。 役員の人曰く、「祭りの打ち上げがすごいのよ。 半端でなくひどい。 見ちゃあいられないよ。」だそうです。 どこでもそうなのでしょうか?
7月14日のパリは、ベルサイユに長期滞在していた折に、家族に「見にゆきたい。」と言いましたら、「パリに住んでいる人が見に行くものではない。」と言われてしまいました。 パリ ベルサイユ間は、うる覚えですが鎌倉 東京位の距離だったと思うのですが。 電車で。
思い出しました。 20代のころパリに遊びに行ったことを。 輝いていた年代でしたね。 何しろ20代。
3人の奴さんのおどりと仕草と化粧が何とも愛らしいですね。 とても気に入りました。 誰かが端切れで人形を作られたら楽しいでしょうに。 ところでこの奴さん3人とも男性ですか?
祭りというのはそれが生まれた背景というものがあるのでしょうから、その時代にあったように変えてゆくものではないのですよね。 例えば音楽に今流行のものを持ってくるとか、身に着けるものを変化させてしまう、などと考えたらおかしなものが出来上がるのでしょうね。 伝統を守って行くことってとてもエネルギーがいることだと思います。 でも、守って欲しいですね。 素朴で心温まる祭りはいつまでもそのままがいいです。
山国祭でも御輿を担ぐ若手が少なくなり、一時の帰省を当てにするなど大変だ、と地元の友人が嘆いておりました。知井小は32人ですか。佐々里分校はとっくに廃校になりましたが、厳しい現実にあることは間違いありません。宇津小は、最後の年は15人ほどだったと聞きます。廃校になって、もう10年になります。
祭りのそれぞれの役柄は、どれも可愛くてほのぼのとした雰囲気に溢れています。鬼(やせとも言うのですか)でさえ、1人(1匹?)は愁いを秘めており、他はユーモラスな感じで、それぞれに謂われがあるのでしょう。奴もやはり愛嬌たっぷりの容姿です。樽負い爺の背負っているのは御神酒ですか?もし人材不足なら、近くに最適任者が居られますが・・・。
山国祭もかなり観客が集まる様ですが、田歌祭は古式豊かな上に変化に富んでいてさらに人気があるのでしょう。せめて、こうした伝統祭の日が賑わうのは結構なことと思います。私も、7月14日を忘れずに覚えて置かないといけません。
大変古雅な行事のようにお見受けするのですが、残念ながら古雅な神楽とは申し上げられませぬ。神楽には高千穂神楽・出雲神楽・伊勢流代神楽・湯立て神楽(花祭り・霜月神楽・坂部の冬祭り)・山伏神楽・法印神楽・番樂と大別されます。この神楽の中に近世・江戸中期頃から大流行した江戸流里神楽が独特な発展と、各地への伝播をしていったわけです。これは明らかに江戸流里神楽を原型として、奈良の「おんだ祭り」の要素を色濃く反映しているものだと考えます。平安時代から続く雅楽の中の「二の舞」が夫婦和合のお芝居ですし、オバサマ祭りの要素も入っているように思われます。
日付だけは祇園さんの日付に合わせているのですが、疫病退散の行事ではどうもなさそうでも、牛頭天王の要素が画面からプンプン香りますから、「蘇民将来」の意味も籠められているのでしょう。境内に「感神院祇園社」さんは御座いませんでしょうか。その小さな祠があれば牛頭天王の存在が明らかであり、祇園さん信仰の根源であると言えます。更にその上の田の神へ奉納するような和合の奉納神事であり、このことによって五穀豊穣を願った行事であったように思われます。
田歌とは田の仕事するのに出てくる田に関する歌ですが、お田植神事や田遊びや大嘗祭にも田歌が古雅に伝承されています。記事に詳細は歌謡があれば判断出来たかも知れませんが、発祥時期が時期だけに俄かに古雅なものだと断定しかねます。
おかめは乙面と書きますが、乙とは「ほと」のことで、「ほと」とは女性器そのものを表現しています。つまり、女性器を頭に描きながら面作りをしないと出来ない面だとされています。鼻や口や目などが面の中心に集中していることをその表現の模範だとされています。又火男のひょっとことか、狂言で言う「嘘吹」の面でもあるのですが、所謂カラミの役どころで、乙面にからんで性行為のような所作をします。すると、そのハラム行為そのものが五穀豊饒を祈り約束する役目を担っているのです。天狗の面を拝見しますと、鼻が高く大天狗の様相に見えます。古くは「日本書紀」にも出て参りますし、仏典にも出て参ります。本来は邪悪なものですが、日本に密教が入って来てからは、神道系と一緒になり、天空を駆ける神聖な祓いの役目を担った面になりました。言わば神仏混交の証拠となったものです。山伏神楽の権現舞の一種の役目でしょう。天狗こそ一種独特な日本的文化の所産であります。じぃっと見ると、どうも愛宕権現の大天狗である「太郎坊」の面影を宿しています。やせ天狗は道行の祓いの仕事をするので、子供でなければ神聖ではないとされているからであります。役目は奴さんと同様かも知れません。笛もあるのですが、江戸の里神楽とされるのは、一瞬楽器で躊躇しました。太鼓が大きいのですもの。でも多分軽やかな楽曲ではないかと想像しています。さすればまさに江戸の里神楽の形態を忠実に残しているように思われます。それに愛宕権現の様式美を表現しているようでなりません。
ところで「鬼」のことですが、馬場あき子さんの著作で「鬼の話」というのがあります。鬼はすべからく邪悪なものであると結論づけていたものだから、思わず失笑してしまいました。民俗にある鬼はみな善神で、スーパーマンです。パワフルで、新しい魂を人々に植え付けて行く善神です。文字の読めない一般大衆の、そうした圧倒的なパワーは、中央集権的には必ず邪悪と考えられ恐れられていたのです。花祭りなど湯立て神楽の鬼は「月見の鬼」とか「榊の鬼」とかが出てきますが、これらの鬼はみな主役で、釜で沸騰した湯気を素手で湯を払って、水蒸気を参加した一般の人々にかけつけて行く役目です。水蒸気も神と考えられ、鬼はその役目を果たす最も大切な善なる神です。三信遠地方を中心とし、湯立て神楽は最も古くから流行った行事でした。高尾山へ鬼の面を寄進しますが、高尾の天狗さまに守って戴きたい願いと、天狗もまたそうした善鬼の一種だと断言出来るかと。文字の読み書きが出来る階層には断じてそのままに許してはならないと言う一方の文化があったのは確かでしたから。久し振りに民俗芸能を耽溺させて戴きました。ありがとう御座いました。
けれどもやはり、知る人ぞ知るなのですね。観光バスが来ているというのには驚きましたし、カメラマンがそんなに多いとなると、日曜と合わさった日はどうなるのだろうと思われます。
見たところ舞われる人だけでなく、囃子方もしっかりと揃っているようですね。最後の写真は飛鳥坐神社の御田のエロ祭を思い出させてくれますね。
本日は祇園の宵山、山鉾巡行のルートは観光のために昭和31年から変更され、四条通以南の鉾町は通らなくなりました。見物客がそれだけ来ているということは、やがて田歌の催しも変わっていくかも知れませんね。集落全体が見渡せる山に登って、遥かに神楽を聴いてみたい気がします。
それにしても、由良川の水のきれいさよというところですね。明日は浄名山町や蟷螂山町などを巡りますが、また山に行きたくなりました。
やあ~楽しませて頂きました^^
田歌の八坂さんのお祭の話、去年でしたかゼミナールハウスの行事の帰りにチラッと聞いたように思います。田歌を(とうた)と読むことも。そのとき、来年は観たいなと思っていましたがすっかり忘れていました。
美山の小さな山村に三百何年滔々と続く素晴らしいお祭なんですね。各々の役割が楽しそう。私だったらお多福役で樽爺に覗かれたいな??当番の人達の一年間の意気込みが伝わってきました。20数戸でしたら一生涯に何回りするのでしょう?
「7月14日は田歌」もう忘れないです。
近所の小父さんが「今年は大堰川は藻が付いてないからアカン」と云ってせっせと美山(由良川)通いをしていられます。その小父さんに付いて行けば良かったなと、、、。
お酒の話が出ましたね。酒を飲んで喧嘩して、、これはよく聞く話ですね。それと日当を払わないと御輿の担ぎ手も集まらないという話も。昔とは生活スタイルも変わったこんにちは、それぞれの人にとっての祭りの存在が変わってきていますね。ただそれぞれの村や町で、こういった伝統行事はなんとか残したいと考える人が多いので今でも色々な軋轢もありながら頑張っておられるのでしょう。
奴さんは三人とも男性ですよ。今写真を見直しましたが、そういえば女の子がと見えなくもないではないですね。
パリの事を思い出されましたか。私はこの革命記念日に訪れたことはなく全く分かりません。私は11月の第一次大戦終戦記念日にシャンゼリゼ通りに立ちそのパレードを見た位しか経験していません。大統領が歩いてくるものだと期待していたのですが、なかなかその姿が見られません。傍のフランス人に聞いてみると、ミッテランは恐がりなのさと言う返事、そう言えば一瞬拍手がおこり立派な車が行きすぎた瞬間がありました。その前のジスカールデスタンはちゃんと手を振って歩いている写真を見せて貰っていたのでちょっとがっかりした事を思い出しました。
鎌倉街道さまは、若い頃から山だけでなく、あちこちに出掛けられていたのですね。それも滞在型を時代に先駆けて実行しておられたのですね。いろいろな体験談も聞かせて下さいませ。期待しています。
この田歌の神楽は北桑の他ではなかなか見ることが出来ないものですし、第一見ていて楽しいものです。樽負い爺の代役がどこかにいるって書いておられますけど、それはそう簡単なものではありません。このお祭りを盛り上げるピエロの様な存在でして、これはもうその道に入って相当修行しないと勤まるものではものではありません。
山国の秋祭りにもかなりの人が来られますが、ここ田歌に来られる人は皆さん立派なカメラを持った人が多いですね。中高年の人が圧倒的に多いです。この日店は出ていないのですが、唯一かき氷屋が店をだしていました。なんと100円です。そこに書いてあったのは「知井小学校の皆さん祇園祭に来てくれてありがとう。今日は無料タダだよ!」って書いていました。これっていいですね~。僕は冗談で、僕も知井小学校のものですけど、、、何年生ですか?え~と60年生かな、、、う~ん、6年生まででないと、、なんて言いあって楽しんでいました。この縁日にお茶やビールなど飲み物の店をだしたらお祭り資金のほんの一部にでも役に立つだろうにと思いますが、おそらくその人手も足りないのでしょう。
南丹市長さんと話をしていたのですが、園部でも一旦奉納する芸能が止まると、次にそれを復活するのは並大抵ではいかないということを話しておられましたね。道草さまがお住まいの地区ではお祭りはないのですか。お祭りには限らず社会的活動なら何でも良いですから一度なんらかのコミットされてみたら如何でしょう。傍観者では見られない色々な要素が見えてくると思います。
どこかでこのお祭りは江戸時代に坊さんの進言でということが書いてあった様に思います。牛王天王の祠はあります。もう一つあったのはお稲荷さんでした。私は祠の中は見ていませんが、ちゃんと牛、そして狐が祀られているそうです。爺とお多福のやり取りはまさに五穀豊穣・子孫繁栄を願う踊りそのものでしょう。実際今爺がやっているのは※※だとも教えてもらいました。
硯水亭さまに今回初心者向けに分かり易く解説して頂き、ふむふむ頭の交通整理が出来ました。次のステップに進む糧を頂きました。感謝感謝です。
八坂神社は美山・京北にはこの田歌と我が集落の井崎にしかありませんし、それぞれ祇園会というより、農耕の祭りとして行われています。もう一つ山国の高野というところで祇園会が数軒の家で祀られていると聞くのですが…。神楽では次は同じ美山の道相神社の秋祭りのを見に行きたくなりました。鶴ヶ岡では30年に一回大祭が行われるのですが、次は何時になることやら。京北ではこういった神楽がないんですよね。唯一矢代の田楽くらいのものでしょうか。田原の多治神社の「おんだ」(御田植祭)と「かっこすり」もちゃんと見に行かないとと思っています。ただ祭りの日が重なってしまい、地元の祭りに参加していると他所のお祭りを見に行けないんです。それではということで、こういった民俗芸能に一堂に会して頂いて、という事を企画しているのですが、いろいろと障害が横たわっています。
この小さな神社の小さいお祭りは山から見物という訳にはいかないようです。それより徘徊堂さまにお薦めは、この八坂神社対岸の山の中にある清瀧の滝です。滝の岩の色が青いそうです。どんなものか見に行きたいと思っています。
今日は祇園祭の宵山で大勢の人出の様ですね。大きな祭りも楽しいものでしょうが、山里でこぢんまりと催される祭りには祭りの原点が見やすいのではないのではという気もしています。ただこの田歌のお祭りも一種のショウ化している面もある様に思います。
面白かったのは前の列にいるカメラマンが、自分の狙ったアングルの邪魔になる人がいると、そこ邪魔だ~と曰っていたのですが、自分は前列にいてちょっと屈むなりして後ろの人に気を使っている人ならいざ知らず、この自己本位の発言には少々腹が立ちました。そこで、一番前にいる奴には言われたくないよなあ~って後ろから援護射撃しておきました。
鮎を求めて美山へという人は多い様です。その成果はどうなのでしょう。