北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

情報とは「情け」に「報いる」こと

2008-05-14 22:46:38 | 随想・近況
昔テレビ番組の中で、情報とは「情け」に「報いる」ことだ、と云っていた解説者がいたのを思い出す。なるほど情報を分解するとそうだ。貴方にはいろいろ情けを掛けていただいて感謝している、その報いに、こういった事があるんだが、とこっそり教ましょう、と教えて貰っったのが、情報であると。う~ん、と唸って、それ以来脳裏から離れない。

最近、とあるウォーキングの企画をしてその準備に忙しいのであるが、歴史街道を歩く企画なので、参加者にその街道を歩いていただく時に、ここはこういう歴史があり、この街道の歴史的位置付けなどを説明する資料を作成しなければならない。出版物などを漁ったり、インターネットで検索したりしているとつい時間がとられてしまう。ところがある会議で知り合った方々と交流していると、この峠は昔はこの道だったと実際に案内していただいたり、トイレの時はこの人に声を掛けたら使わして貰えるはず、とか、歴史資料のコピーを頂いたりと大変なお世話になった。また食事処についても紹介をして頂いたりと大助かりである。初めまして、私は、、、と飛び込んでお願いするのとえらいちがいである。また文献資料に及ばない人様からの情報を有り難く思っている。

かく恩恵を頂いている小生は、資料があったら欲しい、との要望をいただいて、これしか見付からなかったがと少しばかりの資料をコピーしてお届けした。これだけお世話になっているのにこれからどの様にこちらから出来ることがあるのであろうか。でもこれは脳裏に残るから、何かあれば我がアンテナに飛び込んできたことは必ず報告しよう、という気持ちになる。

こういった交流はまだ情けに報いるという程のものでなく、普通にある話ではあるが、この情けに報いるということを次のように考えていきたいと思っている。

人生はまず give ありきである。give, give, give,,,,,を心掛けよ。それはいつか必ず自分を救ってくれるであろう、と。これは最終的には利己主義ととられるが、まあそれはそれで甘受しようと思う。ただ、これをすればどれだけ自分の得になるであろうと計算ばかりする人間にはなりたくないということである。そんな人には情報は集まらないと思う。give 無き人には take 無し。自分の為というより、自分の理想とする世界の為に自分の持つものを人様に活用して貰えるか、という観点で行動していけば自分の理想に近づけるのでは、と思う。これは give とか take という概念で論じることではないのであろうが。

組織をあずかり構成員に対して責任を負うリーダーの立場にあっては少し違う観点からの行動も必要であるが、我が私生活においては、如何に人様にgive出来る人間であるかを目指して行きたい。最近お世話になっている人達を見て、小生もそうありたいと思う日々を過ごしています。

とりとめなき心情を書いてしまいました。


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3 コメント

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求めよさらば・・・ (道草)
2008-05-15 08:31:20
真実を隠したり、事実を歪めて報せる情報には「情」などある筈はなく、それならむしろ「非情」の方が救われるというものです。
「求めよさらば与えられん」との言葉がありますから、報われることを目的として与えることは、ある意味では間違ってはいないのでしょう。下記の詩の天地神仏は、真理という意味と考えれば納得出来るようです。

「冥利」  坂村真民

こちらを
ゼロ(空)にすると
すべて向こうからやってくる
それは天地神仏の冥利で
奇跡でも
不思議でもない
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何も求めずして得られるれば (硯水亭 Ⅱ)
2008-05-15 17:10:46
    Mfujinoさま

 何も求めずして何も得られぬなら、生きてゆくのに大変詰まらなく困難でありましょう。ご貴殿さまはきっとお互い様精神で頑張っておられることでしょう。但し私の場合は責任上フィルターがいつも掛かっている状態にしておかなければならず、従って極力求めることがないようにしています。それもここの会社の代表を降りるまで、もう少しの辛抱です。思い切り甘えたり甘えられたりする人生がよっぽど楽しい人生でしょう。

 でも仕事とは離れ、特に地方への取材旅行では図々しいほどの感覚でいかないと、何も採集旅行にはならず、民俗行事の採集旅行こそ、現地頼みであります。その為ならあの手この手が必要でありまして、その中にお互いの信頼関係が最も大切だと痛感しています。そうして得られた新しい発見こそついて廻るものだろうと思います。或る御寺さんの「舞踏帖(ぶとうちょう)」というのが手許にあるのですが、鎌倉時代初期から600年間毎年書き続けられたものです。お祭りの献立表が主な中身ですが、祭りは決して普遍ではなく、やはり時代時代の景気や作況に明らかに関係して多少の変遷をして来ているものでありまして、歴史の重要な傍証になるものと信じています。先ず民間信仰の材料として一級品ではないかと。これも信頼があったればこそ、預けて下さったものでしょう。
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まとめレス (mfujino)
2008-05-21 23:21:33
道草さま、硯水亭さま、
遅い返事になりました。示唆に富んだコメント有り難く読ませていただきました。
情報がどういった方向に流れるか、真の情報を得る難しさ、などについての心情を書きましたが、もっと深く考えないといけないようですね。
有難うございました。
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