合羽橋(かっぱばし)は、料理道具などを扱う店舗が並ぶまちとして有名だ。
鷲神社から矢先神社へは、かっぱ橋道具街を通る。
もともとは名がなかった橋を、そばの寺院名から清水寺橋と呼んだが、近くに合羽屋があったので、いつか合羽橋と呼ばれるようになった。
また、合羽屋喜八は、通称を合羽川太郎といい、隅田川に住む河童の助けを借り、私財を投じて新堀を開いたという伝承から名付けられたともいう。
道具街の中心に、道具街誕生90周年を記念して、金の「かっぱの川太郎」像が建っている。
像を撫でれば商売繁盛の御利益ありといわれている。
矢先稲荷神社のある一帯には、寛永のむかしに、通し矢で有名な京都三十三間堂に倣って建てられた浅草三十三間堂があった。
その鎮守として、弓術練習のために造られた稽古場の的先に矢先稲荷神社が奉祭された。
元禄の頃、勅願火事と呼ばれる大火があって、浅草三十三間堂は焼失し、その後、深川に再建された。
六千坪にも及ぶ跡地には、下谷あたりの寺院が移転し、寺院街が形成され、今に至っている。
下の地図は、安政の江戸絵地図。ピンクの部分は寺社地で、円内が矢先稲荷神社のあるところ。
矢先稲荷神社は、昭和35年に再建され、平成3年に修復された。
御祭神は、稲荷だけに、倉稲魂命(うかのみたまのみこと) で、翁型で稲を担っているという。
七福神は、福禄寿を祀る。
必見は、拝殿の格天井。
神武天皇から現在にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が描かれている。
人物、馬の姿態、武具、服装など考証に基づいて描かれたとかで、一つひとつ見ているだけで、首が疲れます。
誰もいなければ、寝ながら見上げると、かなり壮大な眺めになります。
面白いことに、一枚一枚、番号と名前を書いた紙が貼られている。
また、ところどころに「映画ラストサムライ、ガイドブックに使われました」の紙も貼ってある。
(大祓詞)
9>矢先稲荷神社「福禄寿」ご朱印
日本大通りと富士山を被写体として、定点観測中です。
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