secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ダニー・ザ・ドッグ

2009-05-02 21:23:00 | 映画(た)
評価点:69点/2004年/アメリカ

監督:ルイ・レテリエ

ダニー(ジェット・リー)はマフィアのボスに幼い頃に拾われ、犬同然の暮らしを強いられていた。
感情が欠如したダニーは、盲目のピアノの調律師サム(モーガン・フリーマン)に出会う。
ピアノの調律を手伝ったダニーは忘れていた過去の記憶を呼び起こす。
ダニーはピアノを買ってくれとボスに頼もうとするが、その車が襲撃され、ダニーはボスの元を去る。
逃げ込んだ先は、あの調律師の元だった……。

ジェット・リーの主演映画の最新作(2005年夏現在)。
最近はめっきりヒット作に恵まれない不遇の中にあるジェット・リー。
「HERO」はアメリカでもヒットしたようだが、やはりハリウッド映画でのインパクトは薄い。
そろそろ本気でヒット作、ヒットシリーズに恵まれないとほんとに「ハリウッドが駄目なら中国に帰るだけさ」という状況になりかねない。

本作もなかなか日の目を見なかったかわいそうな作品だ。
ジェット・リーが演じている境遇そのものがかわいそうだけどね。
映画としての完成度は決して悪くはないのだが、首輪をつけられているという非現実的な状況が、あまりにいびつな映画であることは否めない。
 
▼以下はネタバレあり▼

ジェット・リーがハリウッドに進出してから、これほどまでにドラマ部分に重点が置かれた作品はなかっただろう。
その意味では、ものすごい意欲的な作品だし、カンフー映画に一石を投じたかったのだというスタンスを感じることも出来る。
だが、問題はその中身だ。
本当に新機軸を打ち立てたかったのなら、もっと完成度を上げるべきだった。
全体的に蓋然性がないため、どうしてもB級映画の枠をでない。

この映画が個人的に評価できるかどうか、楽しめるかどうかは、最初の十五分をねばり強く感情移入しようとするかにある。

首に鎖を繋がれたジェット・リー。
首輪を外すと、狂ったように相手をなぎ倒すジェット・リー。
だが、ことばらしいことばは、全く発しない。
主人の言いなりになるばかりである。
「こいつの首輪をはずすと知らないぜ?」と取引相手を脅す姿はかなり異様だ。
イマドキ、首輪につながれた男など、リアリティーがない。

全然ない。

しかも、首輪を外さないと主人が攻撃されていても見向きもしない。
本当に「犬」なのである。
言葉も片言しかしゃべらないし、非人間的である。
盲目の調律師、モーガン・フリーマンに出会うまでのシーンは、やすいビデオ映画を見ているように思える。
本当にこんな映画をオファーしたのか、ジェット・リーのそっくりさんが演じているのではないか。
ああ、前評判通りのクソ映画なのか。

だが、モーガン・フリーマンが登場してくると一気に映画の質が変わる。
優しくダニーに話しかける盲目の調律師は、映画俳優「モーガン・フリーマン」その人である(当たり前だけど)。
しかも、あれだけ非人間的だったジェット・リーが、今度は普通に話し始める。
今までの設定はどこにとばされていったのか不思議なくらい、人物像が豹変する。
あれだけ不自然だった犬の設定は消し飛び、「ある種の感情を欠如した人間」くらいまで常識的な人物となる。
これ以降は、もう、それまでの不自然さはなくなり、殺し屋に飼われていたために人間らしさを失ってしまった人間、というまだ感情移入するに耐える人物で物語が展開する。

じゃあ、冒頭のあの不自然な設定はなんだったのか、と言いたくなるが、冒頭部で映画と心が離れてしまった観客は、きっと全くおもしろくない映画だっただろう。
実際、僕は途中で退席するべきか迷ったくらいだ。
だが、この「峠」を無事に越えることができれば、あとは実は結構まともなドラマになっている。

ドラマ部分はありきたりだが、おもしろい。
人間性を無くしていたダニーが、愛のある環境で生活することで、次第に、忘れていた記憶と、本来持っていたはずの優しさなどの感情を呼び返していく。
この中盤は、ジェット・リー主演のこれまでの映画にはなかった要素だ。
しかも、これがありきたりの割には結構出来がいい。
冒頭部から言えば、ちゃんと「映画」として成り立っている。
これは相手役のヴィクトリア(ケリー・コンドン)の果たしている役割も大きいだろう。

また、中盤以降では――これまたありきたりだが――、再びボスが登場し、ダニーに揺さぶりをかける。
戦わされるが、戦いたくない、という二つの葛藤が生まれるのだ。
だが、この葛藤を作り出したことがこの映画が優れている点だ。
それまで葛藤さえなかった男が、二つ以上の事柄について悩む。
これこそ、「人間性」を手に入れた何よりの証なのだ。
だから、ボスが再び登場してからの物語はメリハリがあり、感情移入もしやすかったはずだ。

アクションシーンが少なくなってしまったことも残念だ。
ドラマ部分に重きが置かれる中盤では、ほとんど戦いのシーンがない。
賊に襲われるといった無理なアクションシーンをいれても良かった気がする。
後半以降の、デスマッチに復帰したダニーと武器集団との戦いは、あまりおもしろいシーンではなかった。
全体的に「重さ」「速さ」が足りず、物足りないシーンとなっていて、映画全体の見せ場が、弱くジェット・リーの映画としては不満が残る。

ともあれ、この映画の不満一言に尽きる。
なぜあの冒頭のような設定が必要だったのか、ということだ。
単なる殺人マシーンに育てられた男、で良かったはずなのに、わざわざ首輪までつけて「犬」にする必要があったのか。
しかも、それだと絶対にあんなカンフーはできなかったのではないか。
どこかちぐはぐな、不思議な映画だった。

(2005/10/25執筆)

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