secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

gifted ギフテッド

2017-11-29 14:17:42 | 映画(か)
評価点:87点/2017年/アメリカ/101分

監督:マーク・ウェブ

涙腺崩壊。

両親のいない7歳になるメアリー(マッケンナ・グレイス)は、はじめて学校に登校することになった。
いやがるメアリーだったが、育ての親の叔父のフランク(クリス・エバンス)は学校に登校させたがった。
初日、算数の時間であまりに簡単な問題を出す担任に辟易していたメアリーは、3桁のかけ算を出され、暗算して答えた。
驚いた先生は、彼女がギフテッド(特別な学力を有した先天的な天才児)なのではないかと考えた。

少し前から話題になっていたのは知っていた。
「(500)日のサマー」のマーク・ウェブ監督が撮ったヒューマンドラマだ。
家庭環境が悪いと評価されて里親に出されたり、親権を奪われたりする話は、アメリカでは珍しくない。
設定を聞いたとき、即座に「アイ・アム・サム」を思い出したのは私だけではあるまい。

父親になった私にとって、この映画が危険なものであることは百も承知だった。
だが、いやだからこそ、見にいきたいとおもった。
妻には内緒で(バレてるけど)、映画館に向かった。

万人受けするかどうかはわからない。
けれども、そんなことはどうでもいい。
今の私にとっては、まさに涙腺が崩壊するほど涙した、久しぶりの映画になった。

▼以下はネタバレあり▼

ギフテッドを疑われたメアリーは当然のように、ギフテッド教育に推される。
そして当然のように、子供を育てるのにあまり良い環境とは言えないフランクではなく、親権を巡っての裁判になる。
またまた予想の範囲内で、メアリーは里親に預けられることになる。
このあたりは全く予想の範囲内で、驚くところはなかった。
(既に泣いていたけど。)
この映画の最大のシークエンスは、その里親からメアリーを取り戻すところだ。

それが明かされたとき、私は涙が止まらなかった。
ああ、この映画はそういう物語だったのだ。
だから、フランクはメアリーを手放せないと思ったのだ。
そしてまた、だからフランクは里親になら育ててもらっても大丈夫かもしれないと思ったのだ。
この映画は、そう、「自身の子育てを肯定する物語」だったのだ。

なぜフランクは頑なに「メアリーは自分で育てるべきだ」と思っていたのか。
その点が映画の終盤まで見えてこなかった。
それが姉の意志だからと話すフランクは、愚直にすら見える。

話を整理しよう。
イブリン(リンゼイ・ダンカン)は、早くから自分の子どもダイアンがギフテッドであることを見抜いた。
天才的な数学の才能を、伸ばしてやらなければと彼女に尽くすことを決意する。
そして、娘がしょうもない男にひっかからないように、やる必要もない子どもらしい遊びも与えずに、ひたすら世界を変える数学者に育てた。
だが、娘は突然しょうもない男と結ばれ、子どもを産んでしまう。
世界で解かれていない方程式を、証明することが目的だったはずの娘が、その数ヶ月後自殺する。

自殺する前、弟のフランクに詳細な遺言を残していた。
それは取り組んでいた方程式を証明できたこと、その証明されたノートを母親が死んだ後に公表すること。
娘には同じ目に遭わせないように、「普通に育てる」こと。
すべての可能性と、すべての人生を奪った母親には、自分が完成させた栄光を味わわせることなく死んでもらいたい。
それは、母親に対する最期の、最も強烈な復讐だった。
(なぜなら、母親が死ぬ前に公表されてしまえば、それは「母親の育て方は正しかった」ことを裏付けしてしまうから。)

それを聞かされたフランクは、姉の死そのものよりも、メアリーを「普通に育てる」ことが大切であることを知った。
だから、彼はずっと彼女を手放すことができなかった。
そして、裁判になり、勝ち目がないことを知ったフランクは、「普通に育てる」ためにメアリーを手放すことを決意する。
頑なに自分が育てたかったこと以上に、姉の遺志を守りたかった。

だが、里親は猫アレルギーで、イブリンの策略によって「フランクから引き離される」ことだけが目的であったと知った。
そこで、フランクの目的が、姉の遺志がどのようものであったのかを伝える決意を固める。

イブリンの考えは終始一貫していた。
ダイアンでできなかったことを、メアリーでやりたかったのだ。
それが、「ダイアンを死なせてしまった償い」だと思っていたから。
彼女は娘を愛していた。
愛していたから、数学の天才として育てる使命があると思っていた。
周りからの偏見や、弾圧を、無視しても彼女を数学者に育てられたのは、イブリンのそうした決意があったと想像に難くない。
だから、メアリーを育てなければならなかった。
彼女もまた、頑なだった。

ダイアンの意志を伝えることで、救われたのはイブリンだった。
自分は嫌われていた。
自分の育て方はまずかった。
けれども、だからこそ、方程式の証明が完遂した。
彼女は自分の育て方の過ちを気付き、そしてやっと自分を自己肯定できたのだ。
もっと言えば、ダイアンを愛していた自分に気付いたのだ。
娘を死なせてしまったことを、許せる自分がいたのだ。
それは、和解に他ならない。

そのことを、彼女自身に語らせたりはしない。
「これだけ優しくて賢く育ったんだから、育て方は間違ってなかったね」
フランクがそう話すことで、フランクもまた自分が本当に育てるべきかを悩んでいたことを吐露する。
そして、自己肯定するのだ。

子どもを育てていると、しばしば親は不安になる。
これでいいのか。間違っていないのか。
他の子はこれができる、うちの子はこれができない。
そして、その結果は、かんたんには出ない。
子どもが歩けるようになれば、話せるようになれば、一人で○○できるようになれば、
学校に行けるようになれば、学校で普通以上の成績をとることができれば、

そして、大学に行ければ、それは子育てが成功したのか。
就職して、子どもが生まれたら子育ては成功したのか……。
問いは無限に生まれ続ける。
どこまで行っても、親は子どもの様子が気になり、人並みであればと願う。
それは、ギフテッドであろうと、そうでなかろうと、普遍的な悩みだ。

私はだから涙が止まらなかった。
特に、子どもが生まれてくる瞬間をメアリーに見せるシーン。
そして、娘の残したメモを見ながら研究所に電話を掛けるシーン。

私にとって、非常に大切な作品になったことは疑いない。


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2 コメント

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a long long time ago (HSS会員 N川)
2017-12-01 00:29:20
良い映画でしたね。
子供を持たない身でも心にすごく響きました。
ララランド以降、久しぶりに同じレベルの映画を見れた気分でした。
返信する
はじめまして。 (menfith)
2017-12-01 20:28:54
管理人のmenfithです。
いまさら、ほんとうにいまさら「P4」のアニメにはまりまして。
もちろん、ペルソナ4のアニメです。

本も読みたい、アニメも見たい、映画も見たい。
仕事も山積み。
めげずに頑張ります。

>HSS会員 N川さん
はじめまして。
書き込みありがとうございます。

今思い出しても涙が出てきますね。
サントラを買おうかと迷っています。

「ララランド」は私は無理でした。
また同じスタッフでミュージカルを撮ったらしいですね。
返信する

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