secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ケープタウン(V)

2023-05-07 05:33:31 | 映画(か)
評価点:63点/2013年/フランス・南アフリカ/107分

監督:ジェローム・サル

過大なストレスのわりには、小さいカタルシス。

世界で最も危険だと言われる都市、南アフリカのケープタウン。
その元ラグビー選手の娘が殴打されて惨殺された状態で見つかった。
刑事のアリ(フォレスト・ウィテカー)は、ズールー族出身で、警部まで上り詰めたやり手だった。
相棒は家庭が崩壊してしまっている、アルコール中毒のブライアン(オーランド・ブルーム)。
何でもない事件だったはずが、その娘の体から新種の薬物が検出される。
アリが街で出会った少年も同じ紙包みを持っていた。

やはりアマゾンプライム。
ほとんど予備知識なしで、とりあえず何か見ようと思っただけで再生ボタンを押した。
こういう勢いがなければ映画を見る時間も取れないのが現状でございます。

「パイレーツ・カリビアン」シリーズのオーランド・ブルームがダメダメ刑事役で、過去に大きな傷を負った黒人刑事がフォレスト・ウィテカーである。
舞台がケープタウンなので、どう考えても愉快な話にはならない。
暗く、痛く、重い話だ。
嫌な話なので、そういうのが苦手な人は見る必要はないだろう。

また、すごく完成度が高いという映画でもない。


▼以下はネタバレあり▼

原題は、ズールーという南アフリカの原住民の名前だ。
主人公のアリの民族でもある。
南アフリカにある、厳しい現状をタイトルに込めている。
「ケープタウン」というタイトルは、全く関係がなさそうだが、原題にある悲しみを伝えつつ、かつ日本人もイメージが突きやすいタイトルだった。
珍しく? 原題に込められた意味を、日本人にも伝わるレベルに落とし込められた良いタイトルと言える。

これが現実かどうかはわからない。
けれども似た様な話はアフリカにはいくらでも転がっているだろう。
だからといってそれを知らないふりをすることはできない。
特に、私たちはアフリカで起こっていることについて、詳しく報道する、知ろうとするという発想が極端に乏しい。
ヨーロッパや中国で行われていることについてはまだ報道されるほうだが、アフリカなんてこの世に存在しないのではないか、というていどにしか現状は知らされていない。
その意味に於いては、日本では価値がある作品といえるかもしれない。

ケープタウンの現状は厳しい。
数メートルおきに警官が配置されていても、殺人事件などの凶悪事件が多発している、世界で最も危険な都市である。
アパルトヘイト政策もあって、人種差別が強く残り、貧富の差が大きい。
再婚した元妻のところへ、ブライアン刑事がたびたび訪れる。
そのときの街並みは、ハリウッドスターが住む街にも見える。
だが、アリが実家に帰ったときに訪れる街は、これが同じ国なのか疑いたくなるほど、荒廃していて、インフラも整っていない。
意図的に両者を描き分けることで、この映画の舞台が、いかに特殊であるかということを示している。

この映画で果たして何を伝えたかったのか。
私はその点が揺らいでいるように思えた。
だから、社会的な視座をもった映画としては弱く、一人の男を描いた物語としても印象に残らない。
中途半端といえば便利だが、もっとはっきりとしたメッセージ性を持たせた方が、映画としてはまとまりが出た気がする。

貧富の格差を象徴する描写もそうだが、この映画は街の現状を様々に伝える場面が登場する。
突然銃を構えて、警察でもかまいなしに襲ってくる連中がいたり、裕福な格好をしながら子どもたちを利用して生物実験をしている学者がいたり。

特に、この映画の描写は、非常にグロテスクで、暴力的だ。
同僚が腕を切断されて殺されるシーンは、本当にそんな殺され方をする必要があるのか、と思われるほど残酷でリアルだ。
最初に殺された娘も、死体の様子を見せる必要があったのか。
わざわざ見せる必要のないカットが非常に多く、それがそのままケープタウンの現状、ズールー族が住む世界を示している。

そのことそれ自体がよいかどうかは、好みの問題だ。
しかし、それがテーマとあまりかみ合わない。
被害者側の様子を克明に、必要以上に描くわりに、加害者側の考えをしっかりと深掘りすることがない。
特にオパーマン博士については、「なんとなく悪」「悪者はお金が目的」くらいにしか描かれない。
これだと、日本政府に対して「どうせ与党が日本を悪くしたのだ」といった表層的な思い込みからの批判のように、浅薄なのだ。

もちろん悪役に感情移入させる必要はない。
けれども、彼らをもっと克明に、重厚に描かなければ、被害者側はかわいそうな現状、ひどい現状しか印象に残らない。
これはテーマはどこにあるのか、という点に通じることだ。
ケープタウンの問題について、わかりやすい回答なんて存在しない。
けれども、だからこそ、映画としてはわかりやすい課題と解決を示すべきだった。
それは、加害者側をしっかり描く、というのでなくてもよい。
アリに語らせるのでもよい。

けれども、復讐することの愚かさを説いたアリは、結果的に復讐することでしか乗り越えられなかった。
それでは物語としてはあまりに中途半端だ。

もちろんもっと違ったメッセージも考えられた。
ラストでブライアンは、今まで墓標に名前を入れられなかったのに、最後に名前を入れる。
それは誰だったのか。
なぜ彼は酒に溺れなければ生きられなかったのか。
アリはブライアンに何を残したのか。

このあたりをもう少し丁寧に描くことをすれば、物語としては落ちたのかもしれない。
けれどもなんともわかりにくいオチになっており、(私が読解力がなかっただけかもしれないが)心に残るのは残酷な描写と残酷な現実によるストレスだけだ。
私はこの映画を数年後には忘れるだろう。

それは、この映画が持つメッセージ性が薄いからだ。
脚本や原作から考えても、もっと面白くなる可能性があったのにな、と思えてならない。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヒート(V) | トップ | 少子化の問題は解決し得ない... »

コメントを投稿

映画(か)」カテゴリの最新記事