secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

真実の行方(V)

2008-07-15 18:02:22 | 映画(さ)
評価点:52点/1996年/アメリカ

監督:グレゴリー・ホブリット

リチャード・ギア、エドワード・ノートン主演の法廷サスペンス。

マーティン(リチャード・ギア)はシカゴ随一の敏腕弁護士。
彼はバーで取材を受けているとき、アーロン(エドワード・ノートン)という青年が
司祭の殺人事件の容疑者として逮捕されるニュースを聞いた。
状況は完全にアーロンに不利なものだったが、マーティンは弁護を買って出た。
ひたすら無罪を訴えるアーロンを調べていくうちに、マーティンは動機を知る手がかりとなる一本のビデオテープを見つけた。

アメリカではひとつのジャンルを形成している勢いの法廷サスペンス。
その中でも本作のできは中の中くらいか。
法廷ものにしては説教臭くないのがいい。

▼以下はネタバレあり▼

この作品の魅力はやはりエドワード・ノートンの、演技を演技と見せないような演技力にある。
二重人格者を演じているが迫真に迫るその演技は、本当に二重人格者なのではないかと疑ってしまう。
やはり彼はすごい。

映画全体としては少し物足りなさが目立つ。
州検事のショーネシーと司祭との確執を設定として置いているのに、それがそれほど展開の確信部を占めないので、
微妙に隠されつつ展開するそのサイド・ストーリーばかりを、追っていたら痛い目に遭う。
裁判も一旦その方向に行きかけるが、結局は精神鑑定の方向に行き着くという展開は、
少し期待はずれだし、裁判ものとしての完成度もそれによって大きく下がってしまった。

なぜなら、しきりに「今更精神鑑定を要求することはできない」
と登場人物に言わせているのだから、精神鑑定のほうに持っていくと、裁判としてかなり無茶な結論になってしまうことは、明らかだったからである。

そういうリスクを犯してまで持っていった最後の真相も衝撃的だけれども妙な後味の悪さを与える。
それまでに伏線らしきものがないので落ちとしては弱い。
「ユージュアル・サクペクツ」ではそれが巧くいっていたので、騙されたカタルシスが大きいのだが、そのレヴェルまで達していない気がした。
あれだけ二転三転させておいて、落ちはそれまでの展開を無視したもののように感じた。

そもそも法廷ものにしては、法廷のやり取りの切迫感や緊張感が弱い。
「真実は法廷の中でしか作られない」という主人公の台詞があるわりには、それを作り出そうというギリギリの話術が足りない気がする。
検事が元恋人なのだからそのあたりの戦いも見たかった。
テープを密かに渡すがまんまと証拠として採用しているあたりが、緊迫感がかけている。

落ちについては疑問が残る。
つまり、被告人の人柄についての証言が裁判にはつきもので、その時点で彼が二重人格かどうかわかると思うのだ。
もしアーロンという人格が創造されたものであるなら、殺す以前はロイ(=凶暴な性格)は元々の性格であったはずであり、そうしたことは、同じ施設にいたアレックスに聞けば、一発でわかることだ。
そうした殺人事件を起こす以前のアーロンに対して、誰も何の関心も示さないのは変だ。
少なくともそのことについて何らかの裏づけは必要なはずだ。
また彼が本当に虐待を受けていたのかについても、なんの疑いもなしにみんな信じている。

そういう部分が甘い。
これでは法廷ものであるのに論理性が欠けるというものだ。
これだけ法廷ものが溢れる中で、この作りは少し雑だと思う

(2002/08/31執筆)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 17歳のカルテ(V) | トップ | パール・ハーバー(V) »

コメントを投稿

映画(さ)」カテゴリの最新記事