子どもが生まれて、教育がここまで「欲望」と隣り合わせであるということを知らなかった。
子育てとは、欲望といかに抗うかということである、ということを思い知った。
生後まもなく、親が戦わなければならないのは、子どもに着せたい服を際限なく買うという欲望と抗うことである。
おもちゃにしても、服にしても、子どもに「これを買ってやりたい」という気持ちが抑えられない。
それは日本が少子化となり、そして高度に成長した大国であり、情報社会であり、だからこそあらゆるグッズが毎時のように目に入ってくるからだ。
もちろんSNSがそれを助長している。
そして、買ったら今度はそれを捨てられない。
忘れられない思い出やグッズを買いたい欲望は、子どもにあるのではなく、親の中にある。
この思い出を所有しておきたい、この子にこんなものを買ってあげたい。
その思いは、子どもの中にはほとんどない。
あらゆるものは、親の欲望を駆り立てるように作られている。
それは、子どものころ欲しかったアレを今なら自分は買える、というようなことではない気がする。
親になったら、必要なものだけを買ってやるということが極めて難しいということを突きつけられる。
そして、子どもが大きくなればなるほど、今度は子どもに対して期待するという親の欲望が大きくなる。
「普通で良い」「健康でさえあればいい」と思っていた我が子が大きくなれば、それ以上を望むようになる。
「毒親」という言葉は極めて辛辣だが、だが、だれもがその火種を持っている。
子どもをしつける、なんていう私は立派な親になる前に、むしろ自分が抱く親としての欲望をどういなしていくかのほうが、難しく感じている。
クリスマスプレゼントを悩む子どもよりも、もっと大人の悩みは醜く、深い。
子育てとは、欲望といかに抗うかということである、ということを思い知った。
生後まもなく、親が戦わなければならないのは、子どもに着せたい服を際限なく買うという欲望と抗うことである。
おもちゃにしても、服にしても、子どもに「これを買ってやりたい」という気持ちが抑えられない。
それは日本が少子化となり、そして高度に成長した大国であり、情報社会であり、だからこそあらゆるグッズが毎時のように目に入ってくるからだ。
もちろんSNSがそれを助長している。
そして、買ったら今度はそれを捨てられない。
忘れられない思い出やグッズを買いたい欲望は、子どもにあるのではなく、親の中にある。
この思い出を所有しておきたい、この子にこんなものを買ってあげたい。
その思いは、子どもの中にはほとんどない。
あらゆるものは、親の欲望を駆り立てるように作られている。
それは、子どものころ欲しかったアレを今なら自分は買える、というようなことではない気がする。
親になったら、必要なものだけを買ってやるということが極めて難しいということを突きつけられる。
そして、子どもが大きくなればなるほど、今度は子どもに対して期待するという親の欲望が大きくなる。
「普通で良い」「健康でさえあればいい」と思っていた我が子が大きくなれば、それ以上を望むようになる。
「毒親」という言葉は極めて辛辣だが、だが、だれもがその火種を持っている。
子どもをしつける、なんていう私は立派な親になる前に、むしろ自分が抱く親としての欲望をどういなしていくかのほうが、難しく感じている。
クリスマスプレゼントを悩む子どもよりも、もっと大人の悩みは醜く、深い。
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