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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ヴァン・ヘルシング

2009-01-01 12:18:02 | 映画(あ)
評価点:54点/2004年/アメリカ

監督・脚本・製作:スティーヴン・ソマーズ

クラシカルな“007”。

19世紀末。ヴァン・ヘルシング(ヒュー・ジャックマン)は、バチカンの秘密組織聖騎士団の一人だった。しかし、彼には記憶がない。
記憶を取り戻すためのてがかりとして、トランシルバニアいるドラキュラ(リチャード・クロスバーグ)を退治するように命を受ける。
その昔、トランシルバニアの騎士、ヴァレリアスは、ドラキュラの征伐を神に誓い、彼を倒さなければ一族は天国にいかないという誓約を交わしていた。
しかし、現在のヴァレリアス一族は衰退し、現在はアナ(ケイト・ベッキンセール)と、ヴェルカン(ウィル・ケンプ)二人だけだったのである。
トランシルバニアに向かったヘルシングだったが、いきなりドラキュラの妻たちに襲われてしまう。

「ヴァン・ヘルシング」は、今夏(今秋?)の注目作の一つであろう。
ユニバーサルが配給していることもあり、今後、アトラクション化の期待が高まる作品でもある。
最近はエンターテイメント色を前面に出した作品を配給していなかったので、本作の出来次第で、ユニバーサル・スタジオにも影響しそうな注目作なのである。

▼以下はネタバレあり▼

全体的なノリは、あのスパイ映画の金字塔「007」である。
本部からの依頼を受けて、それを解決する。
よってシチュエーションは違えど、安定感のあるつくりになっていることは確かだ。
ただ、「007」のような固定ファンを獲得できるかどうかは、微妙なところである。
「007」としても、「ドラキュラもの」としても、「インディー・ジョーンズ」のようなアドヴェンチャーものとしても、中途半端で、インパクトに欠けてしまう。
もっと大胆におバカ映画にしてしまってもよかったのではないだろうか。

ドラキュラ、フランケンシュタイン、狼男、そしてジキルとハイド。
これらの有名なキャラクターが登場するが、どれも中途半端なキャラクターで、魅力を十分に活かせているとは言えない。

最近観たからなのだろうけど、
リーグ・オブ・レジェンド」と良く似た状況になってしまっている。
どのキャラクターも、先行する作品のキャラクターに依存してしまっているのである。
いわゆる「ドラキュラ」、
いわゆる「フランケンシュタイン」、
いわゆる「狼男」、
いわゆる「ジキル博士とハイド氏」、
というキャラクターしか与えられていないため、どうしても印象が薄くなってしまう。
この作品においての「ドラキュラ」は、こんな吸血鬼なのだ、という点が見えてこないのである。

特にハイドは、ほとんど意味のないところでしか出てこない。
「ジキルとハイド」という固有の作品を出すのならば、もっと意味のあるところで出さなければ、存在が希薄になってしまう。
作品のヘルシング紹介としての冒頭には、あまりに固有性が強すぎる。
しかも、ジキルとハイドは先の「リーグ・オブ・レジェンド」にも登場しているから、さらにイメージが重なってしまう。
この冒頭は安易だった。
(この冒頭は、正義の味方なのにお尋ね者だ、ということを見せたかったのだろう。
しかし、それがそれ以降の展開に大きく作用してこない。
それならば、他にやりかたがあったのではないか、と思ってしまう。)

そのほかのキャラクターについても同じだ。
多くの作品を踏襲するなら、先行する作品に負けないくらいの丁寧なキャラクター設定と描写が必要だった。
そうでなければ、作品としての統一感が欠けてしまう。
消化しきれない有名なキャラクターは、作品の評価をいたずらに下げるだけだ。
ホラーのキャラクターを使いながら、ホラー的な扱いをしていない点も、残念だ。
ドラキュラや狼男が姿を現わしすぎるため、まるでこわくない。

「007」として観ても中途半端だ。
様々な武器が登場するが、どれも無個性で、飛び道具ばかりだ。
どうせなら、もっとわけのわからない武器を登場させた方が良かった。

飛び道具ばかりだから、アクションも迫力に欠けてしまう。
CGの出来も今ひとつなため、飛び道具だけでは見せ場が作れない。
それも、何度も何度も連射式のボウガンを使うため、飽きてしまう。
ロープを使ったアクションも同様だ。
ターザンのように縦横無尽に飛び回るヘルシングたちは、とてもカッコよい。
しかし、それが序盤中盤終盤と何度も繰り返されると、さすがに飽きてしまう。
質感も「ロード・オブ・ザ・リング」に遠く及ばないCGだから、マンネリ化も早い。
爽快感は「スパイダーマン」に近いが、
スパイダーマン」のほうが、スピード感やカメラ・ワークなど完成度が高い。

やはり近距離型の武器で戦うシーンを入れたり、つばぜり合いなどを織り交ぜたりして、変化をつけたアクションが必要だった。

ラストのドラキュラとの戦いも、見せ場としては弱い。
ヘルシングが狼男に変身してしまうため、両者とも化け物になってしまうのだ。
つまり、敵味方とも、CGで描かれてしまう。
これでは迫力は出ない。まるで怪物の大運動会ようなのだ。
せっかく、ヒュー・ジャックマンとリチャード・クロスバーグを出しているのだから、役者同士の戦いを見たかった。
バリバリの作り物同士の戦いをラストにもってくるのは、どう考えてもマイナスだ。

「007」的でないのは、エンディングでも言える。
「007」的でなければならないというわけではないが、少なくともハッピー・エンドで終わるべきだった。
アナが死んでしまうというのは、事件解決のカタルシスを大きく減退させる。
しかもヘルシング自身が殺してしまうという、なんとも後味の悪い結末。
モラル・ジレンマに陥りそうな、自己矛盾を感じさせる結末だ。
いくら一族が天国にいけたからといって、ヒロインであるアナまでも天国にいってしまうのはいけない。
ラストはやっぱりヒロインとキスで締めくくる必要があったのではないか。

ラストで記憶を取り戻さなかったのは、次回作への布石なのだろうか。
僕は、もうおなかいっぱいなんですけどね~。

いずれにしても中途半端な印象だ。
もう少しひねれば、大作になりえたのに、もったいない。
やはり、CGに頼りすぎるのは良くない。
一番のみどころは、ドラキュラの妻アリーラの胸の谷間か。

(2004/10/12執筆)

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